第一話
新学期、新高校生!
新品の制服を着た自分を姿見で見つめてにやにやする。
そんなことをしていたらバスの時間を逃して、私はただいま全力で走っていた。
初日に遅刻だなんて! そんなことをしたら悪い意味で目立ってひとりぼっち確定だ!
それはいやだ! 中学時代は特にぼっちだったから、高校はきらきらの青春を過ごすんだ!
とはいえ。
「ううっ! ど、どう考えてもアウトだよ、もー!」
嘆きながら階段を一段飛ばしで駆け下りると、間もなく発車することを知らせる音がホームに鳴り響いたの。
ぷるるるるるるって。
「電車が発車します。駆け込み乗車はご遠慮ください」
「待って待って、ごめんなさい!」
乗らないと間に合わないの!
あわてて電車に飛び乗ると案の定、扉が閉まってすぐに聞こえたよ。
「駆け込み乗車は大変危険です。おやめください」
車掌さんの注意が車内に響いた時の気まずさといったらないよ。
満員気味の車内で私のそばの人たちの視線が集まってくる。
ああもう、居心地悪い。悪いけどしょうがないのです、駆け込みをしたのは事実なのだから。
ドアに身を寄せるように身じろぎして、窓の外を眺めます。
青澄春灯。四月二日をもって、めでたく16歳。
これから楽しい高校生活が――
「ひっ」
始まりませんでした。
背中に何かが当てられていて、それは意図をもって輪郭をなぞってくるのです。
大変気持ちが悪いのですよ。
恐る恐るそっとふり返ると、油ぎっしゅなサラリーマンのおじさんが怖い目つきで睨んできました。
「なにか?」
「な、なんでもないです」
視線でのやりとりを言語化すると、だいたいこんなやりとりになる感じです。
ふり返ってみてわかったけど、何かはおじさんのカバンだったよ。
そりゃあね。
満員電車で、ぎゅうぎゅう詰め。
荷物が体にぶつかるのはしょうがないことかもしれない。
だけどお尻のあたりをもぞもぞしてくる必要性は皆無です。ないです。一ミリもありません。
ほんと、最悪。
早く駅につかないかな。隣の車両に逃げれば済むはず……なんていうのは、希望的観測でした。
「ひっ」
カバンがもぞもぞする。離れない。
思わずふり返ったよね。
そしたらおじさんの充血した目つきに足すところの、はあはあ吐息。
もうね、無理です。
許されるなら星マークつきで、血の涙を流しながら無理デス!
……って、私ってば余裕かよ。
「……ね、ねえ、ねえちょっと」
囁くような男の子の声に視線をあげると、声の主はすぐそばにいたの。
私の入学する高校の男の子が着る、黒いジャケットが渋めの制服姿が似合う、綺麗な顔した男の子だった。
顔の整っている割りに妙に人なつこい雰囲気が出ているような……って、そうじゃない。
「な、なんですか」
彼につられて小声になる私。
「も、もしかしてだけど……痴漢されてる?」
お、おおお! 救いの主現る? ここへきて王子さま登場、私の未来はバラ色に――
「投げる? 斬る?」
待って。お願い待ってくだしい。
選択肢がおかしくありませんか。
「え、待って、え」
思わず猫かぶりトーンからの素のトーンで返しながら彼を見た。
腰に鞘がある。見事な柄頭だ。具体的には紐に覆われていない部分が、若干サビの入った感じで。とても偽物には見えなかった。
「……斬るの?」
「不届き者は成敗しないと」
眉間に皺を寄せて、まるで本気で怒っているようなトーンで彼は断言した。
「や、やめてもらえます? 刃傷沙汰はちょっと」
「……そう」
しゅんとされても困るし、私の後ろにいたおじさんも「すみません、すみません」と言いながら逃げていったし……手打ちにしよう。しないと余計な血が流れる。
私は流血を望まない――……なんてね。
あと痴漢のおじさんは見逃した私に免じて二度と手を出さないように。顔は覚えたからな……って、ちがうちがう。
現実逃避している場合じゃない。
「もう、大丈夫だから、いいよ」
「再犯の可能性を考えて、やはり一刀両断にするべきでは」
「それ死んでますよね。明確な殺意ですよね」
「いや、僕の刀は肉を切らない」
「……わっと?」
あれかな。
イケメンだけど頭の中は危ない人なのかな。
どうだろう……イケメンなら許されるのだろうか。
わからないから彼の顔をじっと見つめてみた。
「……な、なに? 急に僕の顔を見つめて(ややテレ赤面」
「な、なんでもないです(ちょろきゅん」
許される気はするけど、刀に触れるべきか悩ましすぎる。
私が知らないだけで、刀って身近になったのかな。ま、まあいいや。
「ありがとうございます」
「いいよ。困ったことがあったら声をかけてね。力になるよ」
笑顔の歯が眩しい。うちのお母さんあたりならイチコロじゃないだろうか。
いまどき歯がきらりで、何がどうなるものでもないと思うけど……まあ白い方がいいよね。
横道に逸れすぎです。
うだうだ考えていたら電車が停車して、目的の駅についた。
「士道誠心学院ー。士道誠心学院でぇ、ございます」
アナウンスが聞こえた時にはもう、電車の中から溢れ出てくる学生の乗客達に押し流されて、彼を見失ってしまった。
っていうか歩かないと転ぶし、転んだら波が引くまで立ち上がれなさそう。
それどころか踏みつけられて全身骨折になるのでは? いや、それは考えすぎだ。
ああでも、困る。
「わ、わっ」
どん、と背中を押されて足が絡み、転びそうに――
「おっと。大丈夫かい?」
肩口までの日光に煌めく金の髪と、切れ長の碧眼が綺麗な男の子が抱き留めてくれた。
レモンの香りがしてすぐにジャスミンに移ろいでいく。
それが決して嫌味じゃないくらい、生粋の王子さま。そんな男の子に手を引かれて、人の波からそっと出してもらった。
ステップを踏むように、人に一切ぶつからずに私をエスコートしてみせるの。
「あ、ありがとうございます」
思わずお礼を言う私の目は彼の顔に――ではなく。
「……ほんと、ありがとうございます」
彼が腰に帯びた刀に向いていた。
なぜに刀。
流行っているの? ブラウザゲームの流行を今更追いかけているの?
だとしてもなぜ。
「無遠慮に男の魂を見つめるものではないよ。じゃあね」
にこーっと。それはもう、髪と一緒に煌めくような笑顔を向けて彼は立ち去っていってしまった。
残されたのは爽やかな甘い香りだけ。
青澄春灯。
刀を帯びた男子高校生二人に助けられました。
ぼうっと突っ立っていた私だったけど、はっとして呟く。
「やばい、遅刻するよ!」
ぼんやりしている場合ではない。
急がなきゃ!
つづく。




