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はじまりの勇者の物語

 ある夏の昼下がりのこと。シトーは早朝から自宅にこもり、粘土板に向かって懸命に取り組んでいるところだった。通常なら文字を刻んでいくのだが、そこには百合を抱く少女の姿が線画で表されている。シトーは尖筆を置いてぐっと伸びをした。これで完成である。


 時間をかけて作ったこの粘土板は、彼がこれから子どもたちに広めようとしている、ある物語の言わば顔だ。子どもに語り聞かせる物語というものは、昔から誰とも知れぬ人々の口の端にのぼってきたものというのが定番である。どこそこで面白い話があると聞けば誰かが真似をして火の前で語り出すもの。それをわざわざ新たに作り出し、しかも広めようというのだから、初めての試みに不安がつのる。それを少しでも解消しようと思いついたのがこれであった。だが、そもそも文書を長く記録するためのものに画を描くなど、それこそ初めての試みであることにシトーは気づいていなかった。これが後々大きな騒動を引き起こすのだが、それはまた別の話だ。


 出来上がった板に手を触れ、満足げに微笑むシトーの背後に、ある影が音もなく忍び寄る。ちょうど日の向きも闖入者に味方していた。


「ねぇ、それ……私のママ(リリアンヌ)?」

「っ、ディー!!」

「きひひっ、当たった~」


 シトーの耳許で甘く囁いたのはディアンヌ、ディーという愛称の美少女だった。十四歳の彼女は金色の長い髪に抜けるような白い肌をしていて、母親であるジョーとうりふたつだ。違うのは琥珀色の瞳と、くるくるとよく変わる表情だけ。そして少しだけ胸の膨らみが勝っていることが彼女の自慢だ。夏服に身を包んだディーは肩も胸元も太腿も、全部晒して見せびらかしている。東端からの交易品である編み上げサンダルとやらを履き、猥らに足首も剥き出しだ。何度注意しても直らぬその装いにシトーはまたも溜め息を吐く。


「その格好、何とかならんのか。夏だからといって油断すると腹を下すぞ」

「も~、他に言うことないの?」

「ない」

「シトーったら! ねぇ、遊びに連れてって~? ね? いいでしょ~?」

「…………断わる」

「じゃあ、ここで私とイケナイ遊び、する……?」

「…………わかった、準備する。どうせイレーヌとジョーも一緒だろう。昼食を買ってきてくれ」

「やったぁ、さっすが私の旦那様! 愛してる~!」


 ディーが飛び出していく音を背後に聞きながら、シトーは深く深く溜め息を吐いた。山奥で隠れて暮らすニールとジョー夫妻の下に必要な品々を届け続けてもう十五年、十六年になる。赤ん坊の頃から成長を見守ってきて、ずいぶんと懐かれているとは感じていた。ディーが十二で成人し、彼女だけが外の世界を知るために大聖堂にやってきたとき、当然のようにシトーが面倒を見てやった。年の離れた妹としか意識していなかったディーに結婚を迫られたのが今年の春である。


 悪戯っぽい笑顔で迫ってくる彼女がどこまで本気なのかは分からない。手を出すつもりは毛頭ないが、先ほどのように甘い声音で他の男にも接しているのかと思うと、面白くないのも事実だった。


「……いっそさっさと結婚してしまえばいいのに」

「っ!!?」


 平坦な声に振り向くと、ディーそっくりの少女が無表情にシトーを見据えていた。その瞳は漆黒、艶やかな黒曜石の輝きを秘めていた。


「ジョー、か。いつから?」

「ずっと。最初から」

「…………見てないで止めろ」


 ジョーはくすりと笑ってシトーの横に立った。そして机の上の粘土板に目をやる。手で覆い隠すには大きすぎ、さっと持ち上げるには焼成するまえのそれは繊細すぎた。


「まだ、“はじまりの勇者アディ”の物語に異論をぶつけているの?」

「……当然だろう。だって、おかしいだろう。こんなの、まったく報われない」


 寡黙で真面目な聖堂騎士は床に目を落として押し黙った。ジョーはその拳をそっと開かせて微笑んだ。


「ありがとう。でも、僕はこれでいいと思ってる。この物語のおかげで、僕は身を隠していられるんだから」

「それはわかっている……」

「勇者アディは、広場を焼き人々を恐怖に陥れた魔女を退治したんだ。その戦いで恋人だったお姫さまは死に、仲間も失った。アディは魔王の玉座まで辿り着き、勇敢に戦ったけど、氷の棘によって死んでしまう。……なかなか素敵な物語じゃないか。ここにどうやって僕を加えるんだい? 僕はこの物語では魔女なのに」

「大筋はもう変えられないだろう、だから、魔王の玉座へ勇者を導き、その死を看取る聖女として出す。白百合の聖女だ。……名は、明かさない。あのときニールはお前をリリアンヌではなくジョーと呼んだ。だから、実際にはこの聖女はリリアンヌじゃないんだ」

「蘇生の儀式、か……」

「………………」


 シトーは彼女の記憶にはないだろう、あの出来事を詳細に思い出していた。常人では至れぬ奇蹟の再現、あの感覚を忘れることはできなかった。ジョーは薄い胸に手を当て、シトーの顔を下から覗きこんだ。


「……なんだ?」

「ねぇ、僕の体、どう思う?」

「っ!?」


 シトーは思わず仰け反った。机とジョーに体を挟まれ、片手を取られたままでは後退さりもできない。それでいながら視線は貧相ながらも白く柔らかそうな丸みに集中する。ジョーは嘆息して続けた。


「あのときから全然成長しないんだ。むしろ、変わらなさすぎる。きっとこのまま、老いることなく終わりを迎えるんだ」

「それは……」

「事実だ。素性を隠してDと共に過ごせるのもあと一年か、二年か……。ニールとはもう、父娘だと紹介することしかできない。あれからすぐに山にこもってよかったよ」

「そうか」

「だから、お願い……Dを受け入れてあげて。あの子は最初から、シトー、きみに惹かれていた。(いし)を抱いて生まれてきたあの子も、もしかしたら僕と同じで普通じゃないかもしれない。こんな体の僕が、まさか子どもを授かるなんて思ってもみなかった。つまり、あの子は……普通じゃないかもしれないんだ」

「まさか……。何を言っているんだ、いくつ年齢が離れてると思ってる!」

「シトーは意外なほど若かったから、きっと大丈夫だよ。顔も変わらず老け……完成された顔立ちだし?」

「放っとけ!!」


 シトーがジョーの手を振り払うと、ジョーはふっと笑った。彼女がこうして笑えるようになったのは魔王を倒してからのことだ。以前のような濁った瞳もしていない。今はとても幸せそうだ、とシトーは思った。


「今が幸せなんだな」

「うん……いつ、この体が動かなくなっても後悔はしないよ。僕はあのときに死んでいて、今は世界を救ったご褒美に時間をもらっているだけなんだ。だからきっと、もう普通の死に方は望めない。体は老いなくても、そのうち終わりが来ることを、僕はわかっていて、受け入れている」

「ジョー……」

「気がかりなのはニールとDのことだよ。僕の時間が止まれば、きっとニールは僕を隠す。でも、ニールの死後はどうなる……? 僕は聖堂と導師たちに利用されるのだけはごめんだよ。だから、ニールの死後は僕の体をあの玉座に安置してくれない?」

「……先におれが死んでいたらどうする」

「だから、Dをきみに託すんじゃないか。どうか、僕と僕の血族を守って、シトー。聖堂騎士としてのきみにじゃなく、信頼できる友人としてのきみに頼みたい。Dとその娘たちを、お願いしたい。きみが守って。幸せにしてあげてほしい」

「…………わかった。このピエール・シトーの名において、我が血族の続く限り、聖女アリステアの血に連なる者を守護しよう」

「ありがとう、シトー」

「だが、それはあくまでディアンヌ次第だ。……気が変わるかもしれないだろう?」

「それはない。僕には視えるんだ。未来がね」


 シトーは閉口した。賢人オリクといい、大魔導といい、ジョーといい、高位の魔術師たちのこういう所は未だに理解できないのだ。彼らに言わせると、小手先の技ばかりを使っているからいけないのだという話になるのだが……。


「それに、きみだって内心、まんざらでもないクセに……」

「っ!!」


 それが図星だったのでシトーは大いにむせた。ジョーは笑い、娘婿の背をさするでもなく窓を開け放った。その下には買い物を済ませてきたイレーヌとディーが待っている。かたや長身に流れる金髪の巨乳美女で、かたやクセのある金髪をきらめかせる発展途上の美少女、瞳の色は違ってもまるで姉妹のように仲良く寄り添っている。ディーが頬を膨らませて見せてから文句を言った。


「まだぁ? もう、遅いよ~っ!」

「今行くよ」


 そう答えて、ジョーは窓を閉めた。シトーはと言えばディーの声が聞こえていたのだろう、急いで準備に取りかかるべく別室に移動していた。


「月と日が巡れば色褪せるこの風景も、今だけは僕の物だ。……ねぇ、師匠? ほとんど永遠を生きるあなたの中に、僕らと過ごしたデルタナの日々は刻まれているのかな。そうであってほしいと望むのは、僕のわがままかな……?」


 ジョーは微笑んで、机の上の粘土板を取り上げた。そしてそれを一瞬のうちに手の中で焼成すると、また机の上に戻したのだった。






『昔々、聖火の国は滅びの危機に瀕していました。凍土に眠る魔王が目を覚ましたのです。美しくも恐ろしい氷の魔王は、村も街も、すべてを霜に変えてしまいます。偉大なる賢人オリクは、勇敢なる若者、アディを呼んでこう言いました……』


「ぼく、覚えてるよ!」


 火の前でキルトに包まっていたマティアス少年が声を上げた。その祖母は幼い彼の頭を撫で、マティアス少年に絵本を渡した。


『「アディよ、“炎の心臓”に再び火を灯す者よ、どうか氷の魔王を倒し、この地に平和をもたらしておくれ」と……』


 マティアス少年は立ち上がり、拳を突き上げて身振り手振りを駆使した“はじまりの勇者アディ”の物語を披露し始めた。それを祖母は優しい目で見守っていた。


「ぼくもアディみたいな勇者になるよ! だってぼくには彼の血が流れているんだから!」

「そうね。そうなれるといいわね。……これはもう千五百年も前の物語だけれど、きっとマティアスなら、立派な勇者になれるわよ」

「うん!」


 無邪気な少年の願いと、それを受け止める祖母。そこには優しい温かな時間が流れていた。本当の勇者の伝説を知る者は、今はもう、少ない。

 これにて本編は完結です。

 本当にありがとうございました!!


 活動報告でもお知らせしておりますが、裏話こぼれ話、入りきらなかった小ネタなどを執筆予定です。後日ここにリンクを貼ります。

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