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立ちはだかる者 下

 その長身の男は凍りつくような風の中、顔も耳も剥き出しで立っていた。内側に毛皮を縫い付けてあるだろう上衣、ぼさっとした下履きとゴツイ長靴(ブーツ)、発達した上半身と太い二の腕から弓術の使い手と知れる。その首には、光輝く宝珠があった。


「やっぱりな。追いかけてくると、思ったよ……けど、遅かったな」

「ジョーはどこだ」

「さあ? 言ったろ、遅かったって。夜に凍土に消えてから、二人とも帰ってこねえよ」

「…………」


 最悪の想像がニールの頭をよぎった。見渡す限りの氷原と吹雪、いったいどこまで進んでいったのか。帰るに帰れず氷塊の影で震えているか、それとも……。


「行こう、宝珠の反応はこの先だ」


 オリクは言い、レムとシトーもそれに続いた。だが、ニールは動かなかった。ぎらついたアレクスの目が、「お前(ニール)だけは通さない」と言外に告げている。もちろん、全員で飛びかかり、アレクスを殺してしまうこともできるだろう。ニールはそれをよしとしなかった。


「悪ぃけどオリク様、先に行っててくれ。俺は、まだこいつと話がある」

「しかし……」

「頼むよ。早くジョーのやつを見つけてやってくれ」

「わかった。レム、シトー、行くぞ」

「はっ」

「はっ!」


 オリクを先頭に三人は凍土の奥を目指して進んでいった。その背中が見えなくなっても、アレクスはすぐには動かなかった。ニールはいつでも腰の小剣を抜けるように体を弛緩させながらも利き手に意識を集中させていた。


「ダンはな……、ダンは、本来ならこんな旅に駆り出されるはずじゃなかったんだ。兄貴を慕ってて、兄貴について行くって言ってよ。戦い方もなんも知らない、まだガキだったのに……。

 食っても食っても太らねぇし、剣もてんで駄目で、荷物持ちとしてついて来たのに結局はおれや旦那が持ってやったりとか……。それでも役に立とうと必死だったんだ。おれはそんなダンが可愛くて可愛くて、世話焼いてやってたんだ」

「………………」

「まだ十四だったのに……。あんな風に死ぬはずじゃなかったんだ。お前が、お前がいたから……! どうして殺した!? ダンを殺さなけりゃならない理由がどこにあった!?」

「……ジョーにナイフを向けたからだろうが。ガストンを殺したのもダンだ、自業自得ってやつだな」

「黙れ!!」


 つらつらと言葉を重ねるアレクスは、泣きそうに顔を歪めながら、時々、声を絞り出すようにしていた。うつむき、どこか他の時間、他の場所を見ながら喋るその様に、彼の激情とは逆に、ニールの心は冷えていた。


(あれだけ好き勝手しといて、自分たちはやり返されないつもりだったなんて、お笑い草だぜ)


 市場で初めて会ったときの、ダンの高慢ちきな様子を思い出す。とてもアレクスの言うような男には見えなかった。どちらかと言えば、貧乏人を見下していて、他人が死のうが生きようが、どうでも良さげな面をしていた。あんな貴族の坊っちゃんよりも、ジョーの方が何倍も辛い思いをしてきたはずだ。ニールはむかっ腹が立っているのを気取らせないよう、わざと平坦な声でアレクスに問いかける。


「ジョーも十四だよ。ロランのヤツに殺されかけるわ、魔女だと言われて責められるわ。挙げ句の果てに目の前で仲間を殺されて、お前らどれだけジョーを苦しめればいいんだよ?」

「うるせぇ! んなこと言われなくてもわかってんだよ! でも、でもなぁ、ダンの死に顔を思い出すと、あの、温もりの引いていく冷たさを思い出すと……! 憎くて憎くて、堪らなくなるんだよ!! 最期にひと言すらなかった、何もわからずにダンは死んだ!! お前のせいだ……お前のせいで……!! だから、お前も死ねよ。お前の喉を掻っ捌いて、そこから刃を入れて皮を剥いでやる!!」

「チッ、狂ってやがる」

「ニーィィィル!!」


 アレクスは無手のままでニールに掴みかかろうとした。長身のアレクスが覆い被さるようにして迫るのを、ニールは冷静に迎え討った。しゃりりと音を立てて鞘から抜いた小剣で、アレクスの胴を横に払いつつ右へと避ける。


 確かな手応え。アレクスはよろめき傷口を押さえた。ぼたぼたっと落ちた血の塊が、凍った大地に湯気を立ち上らせる。


「アレクス、お前……」

「死ね、ニール!!」


 アレクスはなおも拳を握りニールに肉薄した。いつの間に抜いたのか、ニールの左脇に留めてあった投げナイフ(ダート)を持っている。ニールは躊躇いなくアレクスの首を狙って小剣を突き出した。


 アレクスが腕を振り上げた隙のことだった。顎の下に食い込んだ刃は、命を絶つのに充分な傷を与えていた。銀の刃を朱が伝う。アレクスは痰を吐き出すかのような音を喉の奥に響かせて、後退りした。


「……ィィル……!」


 足をもつれさせ、倒れたアレクスは、ぶるぶると震える腕で彼方を指し示した。そこには、即席で作ったと(おぼ)しき粗末な墓標があった。


「ダンの墓か」

「た……のむ……おれも、一緒に……」

「わかった。アレクス、約束する。お前をあいつの隣に葬ってやる。だから、心配すんな」

「………………」


 最期の言葉は聞き取れなかった。だが、ニールにはそれが、礼のように思えたのだった。


「馬鹿野郎が……」


 ニールはアレクスの首から金剛石を取り外すと、ダンの墓の隣に穴を掘っていった。厚い氷の大地も、紅玉と金剛石の力で易々と溶けて形を変えていく。ニールは無言で作業を進めた。ジョーを探さなければならないのは分かっていたが、アレクスを放っておくことはできなかったのだ。


「アレクス……」


 どうしても思ってしまう。刃を差しこんだとき、アレクスは笑っていたのではないかと。自分に殺されるために、ダートまで奪って刃向かってきたのではないかと。答えは出せなかったが、約束は守った。オリクたちに遅れて、ニールは真白の世界に進んでいった。

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