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 吹き(すさ)ぶ粉雪をものともせずに疾走する二つの影があった。月光の色の髪を後頭部でひと括りにした小柄なひとりを、闇の色をした髪と群青色のマントに身を包んだ長身の青年が追う。白い影は軽やかに、水面をちょんちょん跳ねる燕のように、広げた両腕をはためかせながら跳んでいる。時折、猫のように高く飛び上がった姿勢から体を丸めて、氷の礫をロランのほうへと撃ち出す。


 きゅんっと大気を裂いて飛んでくるそれは、弩で撃ち出す(ボルト)よりも深く大地を抉った。ロランはバスタードソードで受けてしまわないように注意しながら、空気の振動と勘だけでそれを避けていった。そうやって足が止まっている間に、また距離が開く。リリアンヌはどんどん凍土の奥へと向かっていく。


 反撃は既に何度か行い、そのすべてが無駄に終わった。ロランが陽の右手で火の粉吹き上げる大渦を放っても、ここ凍土の風はリリアンヌに利を与えるばかりで、逆に氷の刃で切り裂かれたのはロランだった。剣に炎を乗せて飛ばそうが、大地を割ろうが、ひらりひらりと躱され続け、しまいには氷雪を巻き上げた竜巻を叩きつけられるのだった。


 魔女として鎖に繋がれていたであろうリリアンヌには宝珠の恩恵など望めないだろうに、それでこの身のこなしと術の導きの無駄のなさ、ロランは内心で舌を巻いていた。ロラン自身はふたつあったうちの宝珠をひとつ、アレクスに譲り渡しているために万全な状態ではない。大聖堂前の広場で見せたようなお遊び程度の炎を操るのがせいぜいだった。


 遠距離からの攻撃は無意味。ロランがリリアンヌを手に入れるためには接近戦しか勝ち目はない。白百合はロランをどこへ連れて行こうというのか……。その目的地はわからないがいい加減ちょろちょろされるのも目障りだ。ロランは腕を振るって長い髪の揺れる背中に火矢を投げつけた。


「………………」


 火矢は撃ち出された勢いを弱めながらも瞬時に小柄な背に迫る。リリアンヌは振り向きざまに左手の手首から先を振るっただけで掻き消した。


「チッ。ひと言もなしかよ。せめて何か言おうぜ」


 ロランは肩をすくめて両腕を広げた。リリアンヌの表情は動かない。まったくの無表情だ。


(読めねぇな……)


 全身に粉雪を纏わせた少女はまるで雪の化身のような有様だった。今も視界を遮る白い風に紛れてその姿を見失いそうになる。気配が薄いのだ。元々の物かそれとも訓練で身についた賜物か、ひどく生きている匂いのしない少女だ。リリアンヌはまたもロランに背を向けて歩き出した。


「おい、無視すんなよ。オレに言いたいことがあるだろ? オレが憎いだろう、ああ? 来いよ、白百合(リリィ)。オレがここまでついてきたのは、お前を山犬か豚かの餌にでもしてやろうと思ってだぜ。知ってるか、動物を調教して人間の女を犯す道具に……」

「煩い」

「ああ? いいぜ、黙らせたかったらかかって来いよ」

「………………」

「はン……まさかオレを、このまま魔王の前に連れて行こうって魂胆じゃねぇだろうなぁ? 」


 大暴れしても影響が出ないような凍土の奥地に来ても尚、足を止めようとしないリリアンヌに対してロランが抱いていた疑念がそれだった。まさか、死んで来いとばかりに追い出された故国の王の命令を、そのまま真に受けているんじゃないだろうか。もしそうだとしたら、そいつは大間抜けかそれとも偉大な大間抜けだ。ロランは自分で自分の考えがおかしくなり、とうとう声を張り上げて笑い出した。


「くっ……くくくくく、はははは、あっはっはっははは! 馬鹿じゃないのかお前! 誰がそんな面倒くさいこと! はーっはっはっはっは!! あはははは、ははははは!!」


 ロランが高笑いしている間、リリアンヌは棒立ちでそれを聞いていた。そして、ぎゅっと拳を握り締めていた。


「……黙れ」

「ははははは! 黙れ、だってよ。ははははは!」

「黙れ! 黙れ、黙れ、黙れ! なにがおかしい! これは僕らに課せられた義務だ、それを果たすのは当然のことだろう!?」

「義務ぅ? 何言ってンのかさっぱりわからねぇなぁ!」

「たとえ末席でも貴族の人間のくせに!! ロラン、まさか本当にわからないのか……?」

「ガストンみたいなことを言いやがる……。オレは興味ねぇな。ほら、んなことより来いよ。とっとと決着つけようぜ? それとも……また逃げるのか? なら今度はニールってガキを殺すか。それとも手当たり次第……」

「っ、ニールに手を出すな!」

「へぇ……面白い。じゃあやっぱりアイツからだな。そこで突っ立ってろ、オレは戻る」

「どうしてそこまで僕を嫌うの? どうして……っ」

「さあな」


 一歩、二歩、リリアンヌが引っ張られるように自分の方へ足を踏み出すのを、ロランは目を眇めて見ていた。リリアンヌの冷酷そうな無表情は崩れ、そこにいるのは今にも泣きそうな頼りない少女だけだ。ロランの心に温かい幸福感が染み渡った。


「確かに僕が悪かった! ずっと謝りたかったし、償いたかった。でも、あんなの……あんなのやりすぎだ! 僕はもう、きみに対して、悪いだなんて思わない。宝珠を渡して、ロラン。そうすれば命だけは取らない」

「ハッ、大きな口を叩くじゃねぇか。いいぜ、来い! 宝珠がオレの手にある以上、魔王を止める手立てなんてお前にないもんな? そうそう、ここに来る途中でひとつ地中に埋まってた反応があったな、そういや。前にオレが火を灯してやったルビーだったぜ。誰かあそこでのたれ死んでたかもな!」

「……オリク様」


 バスタードソードの間合いまであとまだ六歩以上の距離がある、ロランは言いながらそっと距離を詰めていた。何も考えずに突撃すれば、飛んでくる氷礫で体は蜂の巣だ。リリアンヌがこうして言葉を交わしている間どんなに無防備に見えたとしても、ただのひと言、ただの腕のひと振りで黒術がロランに襲い掛かるだろう。ロランにとって幸運なことに、獲物は今、頭を垂れて黙祷していた。


「疾っ!!」


 陽の気の爆発。ロランは身体能力を極限まで高めてリリアンヌに向かい跳躍した。己の身長の倍ほどの高さから、特大の火渦を叩きつける! 空気を炙る音が鼓膜を刺激し、ロランは嘲笑した。一面を紅に染める炎はその舌で氷原を舐め尽くし、地面を割る轟音がまるで上等な楽団の演奏のようだった。炎が地表を覆ったのはわずかの間、辺りは氷の蒸発した副次効果による濃霧に包まれた。それも凍土の風に冷やされて急激に晴れていく……。


「ロラン、きみはそんなに強いのに、勇者なのに、どうしてひとのために動けないんだ。その強さを、少しでもいい、弱い者のために使おうと思えないのか?」

「っ!?」


 ロランが喪った右の視界。そこからそっと手が伸びて、ロランの眼帯に触れた。


「クソッ!!」


 右目に埋め込んだ宝珠を取られるわけにはいかない。ガストンからもらった眼帯を捨てずに拾っておいたおかげで助かったのだった。


 ロランは咄嗟にバスタードソードを捨て、素手でリリアンヌに飛びかかった。あの華奢な腕さえ掴んでしまえばこっちのものだ、とロランは思ったが、リリアンヌは案外手強かった。するりとロランの手からすり抜け、小さなナイフを振り回し、牽制している。今更バスタードソードを拾うことはできそうになかった。


「いい加減、諦めて!」

「そりゃ、こっちの台詞だろ!」

「宝珠を渡せ、ロラン!!」

「嫌だね! オマエこそ、オレに従え。オマエが体を差し出して懇願するなら、魔王くらいいつでも殺してやるよ!」

「…………嘘だ。嘘だ、そんなの。僕が一番嫌がることしか考えてないくせに!」

「ははははっ、さすがにバレたか!」


 何度も何度も振るわれるナイフ。その切れ味の良さはとうに思い知っている。だが、いつまでたっても傷を受けることはない。この娘は、この期に及んでまだ……!


「リリィィィィ!!」

「っ!」


 ロランの威嚇に身がすくんだか、その隙をロランは見逃さなかった。大股で肉薄し、リリアンヌの左手を掴み捻り上げる。だが、リリアンヌの右の一撃が易々とロランの腹を切り裂き、粉雪の吹きすさぶ白い空気に赤い華を咲かせた。

.

「ぐっ……!」

「…………!」

「ほら、オマエだって。傷つけるのは、楽しい、だろ……」

「違う……違う! 僕は違う、お前と一緒にするな!」

白百合(リリィ)……」

「違う!!」


 ロランとリリアンヌは揉み合いになった。ロランはナイフを取り上げようとし、リリアンヌは自由を求めてもがいた。雪の上に倒れこみ、上へ下へと転がり、鮮紅が漂白の雪原に跡をつけていく。


「嫌だ、離せ、離して!!」


 決定的な一撃は、リリアンヌによってもたらされた。ロランの胸にナイフが突き立っていた。


「あ……?」


 その赤は急速に広がっていき、ロランの白いシャツを彩った。失われていく血液。こぼれゆく命。ロランは咳をするような息を吐き出すと、ぐったりと力を抜いた。


「うそ……。ああ、ああ……どうしよう。死んだらダメだ、ロラン……今、なんとかするから、だから……ああ…………」


 こんな形で命を奪うつもりなど、彼女にはなかったのだ。リリアンヌはロランの側に両膝をついてぺたんと座り込んだ。目を閉じている彼の頬に手を触れ、涙を流した。冷気に晒され、その雫もすぐに凍りつく。


「ロラン……」

「リリィ……さよならだな」

「え……?」


 ロランの右手が、胸から引き抜いた隕鉄のナイフを一閃していた。それは滑らかな動きでリリアンヌの胸に刺さっていた。肋骨で一度引っかかり、だが、それも綺麗に切り裂いて、心臓を真っ二つに割っていた。


(あ……。ほ、ね…………。ひっかかっ………………)


 リリアンヌは糸の切れた操り人形のようにぱたりとロランの胸の上に倒れこんだ。その両眼は閉じられることなく、真っ暗な穴のような黒をたたえている。ロランは事切れたリリアンヌの金の髪を左手に絡ませ、口づけた。


「愛してるぜ、オマエに殺されるなら、それも、悪くない……」


 そう言うと、ロランもまた力尽きた。氷雪を巻き上げる風の啜り泣きは、いったい誰のものだろうか。誰の死を嘆いていたのだろうか……。細かい雪が二人の体を白く白く塗りこめていく。紅い大輪の血の華も、やがて白に消えていった。

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