災禍の中心 下
苦悶の叫びを上げてのたうち回る者、それすら許されず頽れる者、それらが皆、炎の中にあった。
「ロラン! お前、なんてことを……!」
「ガストン、落ち着けよ。焼け落ちた王都に国を建てるのも、ここを焼き払うのもおんなじだろ? ついでにちっとばかし屑を間引いといてやるからよ!」
「気でも違ったのか、お前ぇ!!」
ガストンが詰め寄らんばかりにロランを責め立てる。その恰幅の良い体も、今はわずかに縮んだかのような印象があった。彼も怯えているのだろうか。ロランは悪びれもせずに笑っている。
だが、その笑みもすぐに消えた。フィーが術を導いたのだろう、炎が鎮まっていく。煙がたなびき生き残った者たちの立てる音が風に乗って聞こえてくる。ロランは舌打ちし、彼女に向かって手を降り下ろした。すると、何もない場所から現れた矢のような炎が、一直線に飛んでいく。およそ四十フィートの距離も直撃までに残されているのは、ほんの瞬きほどの猶予でしかないように思えた。
「フィー!」
それでも。フィーのためだけに動く男が側にいる。そして、歴戦の聖堂騎士の姿もその隣にあったならば。
「……クソが」
ロランは底冷えのする声で悪態をつくと、フィーのいる方へと走り出した。黒い影が猟犬のような素早さで去っていく。その背中を見ていることしかできなかった僕の腕を、レムが掴んだ。
「痛っ……!」
「早く何とかするんだ、止められるのはお前だけだぞ……」
「え……?」
「呆けてる場合か。あれだけ暴れたお前が、出来ないとは言わせないぞ、ジョー」
「……でも、そんな……どうすれば……」
「っ……! 自分で考えて動くんだ、死にたくなければ。これ以上、殺したくなければ。
見えるか、あそこで燃えたのは我々の仲間だ。まるで塵みたいに、命を燃やされたのは、わたしの部下たちなんだ! …………何もできないなら今すぐ逃げろ。わたしたちが止めている間にな」
「そんな……無茶だ……!」
「承知の上だ。……行け!」
レムは受けた傷に簡単な処置を済ませると、ロランを追っていった。どうすればいいのか分からないまま、立ち上がって彼を追おうとしたそのとき、言い争う声に僕は振り返った。
「くそっ、止めるな、ダン!」
「やめてくださいガストンさん、アディさんの邪魔をしないでください!」
「何がアディだ! ロランの野郎はどうかしてる……あの、宝石を手に入れてからだろうが! 俺たちが止めてやらねぇでどうする!」
「ガストンさん!!」
背は高くないが恰幅のいいガストンを、同じくらいの背丈のダンが前に立ち塞がって押し返そうとしている。しかもダンは弩をもったままだ。危ないと思う間もなく、揉み合いが白熱し、弩が暴発した。僕は、飛び出した矢が、ガストンの腹に吸い込まれるようにして突き刺さるのを見てしまった。
「ぐ……っ!」
「旦那!?」
「あ、あぁあ……ああああああ!」
ぐらっとバランスを失って倒れる彼を、アレクスが支えようとしたができていなかった。ダンは弩を取り落とし、両手で頬を押し隠して震えていた。まるで、自分のしでかしたことを信じたくないみたいに。
僕は、ロランと戦っているサムたちと、倒れたガストンに縋るダンたちを見比べて、迷った。フィーたちを援護すべきだ、そんなことは分かっていた。けど、ガストンは今すぐに治癒を施さなければ死んでしまう。
「…………」
僕は、彼を見殺しにすることができなかった。
「何だよお前、近寄るな!」
「治療させて。このままじゃ死んでしまう」
「うるさい、黙れ!」
「ダン……お願いだから、邪魔しないで」
「そんなこと言って、とどめを刺す気なんだろ!?」
ダンが金切り声で言い立てることは支離滅裂で、僕は無視して強引にガストンの横にしゃがみこんだ。彼の顔はもう土気色で、醜い傷口からあふれ出た血が下半身を朱に染めていた。
「レイモンの……」
「しゃべらないで」
気を集中させる。まずは【止血】だ、それから……
「すまな……おれが……止めていれば……」
「ダメだ、気を確かに! 逝かないで、貴方が死んでしまったら、誰がロランを止めるんだ! 貴方は死んじゃいけない……ガストン!!」
「…………」
最期に彼は僕の手を握り、微笑んだ。まめだらけの、ごついけれど温かい手だった。
「ガストンさん! ガストン……さん……。う、うあああああ……! お前、お前のせいだ……!」
「ダン……」
「旦那ぁ……。くそ、お前……」
「アレクス、僕は……」
胸ぐらを掴まれアレクスの長身と同じくらいまでの高さに吊るされ、僕は息苦しさに喘いだ。感情を見せない男だと思っていたが、今の彼は怒りで我を忘れていそうだった。
「お前なんか……死んでしまえ!!」
視界の端で、ダンが何かを振りかざすのが見えた。あれは……僕のナイフだ。必死で【障壁】の術を導く。だが。それが届くより先に、ダンは喉に投げナイフを生やして仰け反った。
「ダン!!」
僕を放り出し、アレクスがダンに飛びつく。そして、肩を震わせながら立ち上がると、冷ややかな目をしてこちらを見ているニールを憎々しげに睨みつけた。
「てめぇ……。来いよ、殺してやる!」
「るせぇ、こっちの台詞だ!」
驚いたような表情のまま、ダンはその命を手放していた。まだ未完成なこどもの体をしていた。彼の頭をそっと膝に乗せ、目を閉じさせてやる。白く細い首、肉付きの薄い肌が痛々しかった……。
「あ……ああ……、どうして……」
思わず口から言葉が漏れ出していた。どうしてこんなことになってしまったんだろう。こんな、取り返しのつかない……。
アレクスとニールは互いに感情を剥き出しにして激しく小剣を打ち合わせている。撒き散らされる殺気がちりちりと首を焼く。涙で歪む視界の中、金属鎧のぶつかる音に振り向くと、ロランがレムとシトーを打ち倒しているのが見えた。
「あっ……ああっ、やだっ!」
ロランの剣が今度はフィーへと向かう。サムもすでに満身創痍で、詠唱中のフィーを助けられるのは、僕しかいない。止めようにも今から立ち上がって走ったんじゃ遅い。それでも、僕は立ち上がらずにはいられなかった。
その一撃はフィーを傷つけることはなかった。サムが、盾すら失ったサムが、無理やりに体を割り込ませて、その刃を受けていたからだ。バスタードソードの刃先は、深々と、胸の板金を突き破って刺さっていた。
「はっ、コイツ……自分から刺さりにきやがった!」
「……我のっ、求むるままに……っ」
フィーの詠唱は涙混じりだった。ロランはサムの体を足で蹴って刃を引き抜くと、そのまま滑らせるように横に薙いだ。
「やめてぇーーっ!!」
一瞬置いて、ぽとんと落ちたのは………………。
「ねぇ、フィー? フィーはどうして僕を、助けてくれるの?」
「うん? そうねぇ……。ジョーは、笑わなかったじゃない? 私が凍土の拡大を止めたいって言ったとき。みんなが私を笑ったのに、貴女は笑わなかったわ」
「だって、それは僕も同じだったから……」
「だからよ。私たち、同じ目的を持つ仲間だもの」
そう言ってフィーは笑った。その瞳が優しく潤んでいて、本当に綺麗だと、思ったんだ…………。




