師匠の忘れていたもの
師匠を中に連れて入り、女将さんに朝ごはんを出してもらった。私はブーツを履き、顔を洗った。ごはんを食べ、卓を拭き、師匠と私のシーツを洗って干した。今日も良い天気だ。
宿の前を掃きながら、お姉さんに雑貨を買うならどこが良いか聞いた。この宿のカウンターには、保存食とか石鹸とか、旅に必要な小間物しか置いてなかったからだ。
下着とかは布から買って手縫いするのが安いらしい。私は裁縫が出来るので、明日は仕事を休んで一日買い物をしようと思う。
そうやって体を動かしていると、頭もようやく動いてくれたみたいで、悩むのは馬鹿らしいと気付いた。
私は弱い。
魔王は男の手でしか倒せないなら、誰かに手伝ってもらえば良いだけだ。
そのためにも、今は強くなること、生きていけるようになることだけを考えないと。
婆やが言っていた。
出来ることからコツコツと。何かをするならひとつずつ。
仕事をして、お金と体力を稼ぎつつ、まずは師匠に魔術を習おう。あの呪いは絶対に役に立つ。お金が貯まったら、ソーンさんに頼んで剣を教えてくれる人を雇おう。そして、旅に出られるくらい強くなったら、魔王の情報を集めて、倒してくれる人を探そう。
ほら、すごく簡単だ!
探索者の庭までやってきた。師匠はまだ呆けたままだけど、仕事になったらきっと戻ってきてくれる。……多分。そうでないと困る。カウンターまで来ると、ソーンさんに叱られた。
「ちょっとアンタ、なんで昨日、庭に顔を出さなかったのよ」
「あ……ごめんなさい。日が暮れるから、終わりかと思って」
「バカね! 夜も酒場よ、ここ」
そういえばそうでしたね。
「ンもう、ジョッキ片手に口説こうと思ってたのに~!」
「けっこうです」
「美味しいごはんを食べさせてあげるよ?」
……美味しいごはんかぁ。
「まーた親分の悪いビョーキが……」
「うるっさい!」
ソーンさんは病気らしい。大丈夫かな?
「ごはんは宿で食べます。でも、師匠も一緒で良ければ……」
「ヤだよ、そんなん」
断られました。
「そりゃそうと、鎧と服の下取り、お金用意してるよ」
「ありがとう、ソーンさん」
「ふふ、カワイイね」
「……」
何と答えれば正解なんだろう。答えに迷っている間に、ソーンさんは私に背を向けて引き出しから小さな袋を取り出した。
「はい、これが代金!」
カウンターに置かれたのは、私が持っている金貨より、ひと回り大きい金貨が一枚だった。私は査定については分からないので、金貨が違う事に疑問はあったけど、そのまま受け取ろうとした。
「金貨一枚で持つか、小金貨三枚にするか、なんなら銀貨と替えてやろうか?」
「今から仕事だから、これで良い」
「ああ、そっか。アタシとしたことが……! ゴメンね」
「いえ、そんな」
私たちのやり取りに、ぬうっと師匠が顔を出してきた。文字通りに。
「ちょっとジイさん!」
師匠の頭がいきなり近くに来て、ソーンさんは仰け反った。師匠はそれを意に介さず、カウンターの硬貨を、目を皿のようにして見つめている。
「金じゃ……。金貨じゃ! そうじゃ、ワシはこれを求めておったのよ!」
「そりゃ、誰だってそうでしょうよ」
「違ぁう! ワシの呪文書じゃ! 質に入れたの忘れとったわ」
「アンタねぇ……」
ソーンさんも呆れ顔だ。
私は師匠にいくら必要なのか聞いてみた。もしかしたら、まだ質屋さんにあるかもしれないし。
「大金貨四枚じゃ!」
「小金貨にすると……?」
「二十枚だね」
ソーンさんが疑問に答えてくれた。でも、これじゃあ……
「お手上げだね!」
私の元々持っていた小金貨と合わせても六枚にしかならないので、地道に稼いで貯めるしかない。宿は明日まで使わせてもらえるけれど、その次からはお金を払わないといけない。師匠は「金策を考えるんじゃ~」と騒いでいたけれど、それよりもまずは今日の仕事だと思う。だって、これまでのお給料は、半金すでに支払われているのだ。
「金策ったって、当てもないクセに」
「ふーむ。そうじゃの。何か売れるもんでもあればの……」
師匠のずだ袋の中身は欠けた盃だけだもんね。私の持ち物だって、切れ味の良いナイフくらいだし、これは手放したくないなぁ。だって、これって実はすごい業物なんでしょ?
「よしよし、下水道での掘り出し物に賭けるとでもしよう。でなけりゃ、アレじゃ、歌でも楽でもやるとするわい。ひ、ひ、ひ」
私はソーンさんと二人顔を見合わせた。師匠、歌とか歌えるの?
「まぁ、とにかく鼠退治、頼むわよ。あ、火気はあんまり……」
「心配するない。わしの【雷撃】は火花は散らん。狩って狩って狩りまくるぞい」
「いいなぁ、魔法……」
「よしよし、いいもんやるから、いじけるな」
「?」
師匠がくれた「いいもん」とは、三フィートちょっとの棒だった。私のナイフを括り付けて、縄がすぐに外れないよう膠をすり込んでもらう。こういう作業って、職人さんの仕事だと思ったけど、ソーンさんの部下だという小父さんが全部やってくれた。
「すまんが手間賃は仕事が終わってからで頼む」
「仕方ねぇな。おい、ちび、死ぬなよ」
「……はい!」
「下水道でガキが死ぬのは大体、滑って水に落ちたり、転んで頭をやっちまう時だ。歩きにくくても縄巻いていけや」
「はい!」
つるつるの頭に鮮やかな梔子色の組み紐を巻いた小父さんは、言葉遣いは乱暴で怖そうだったけれど、優しく縄を締めてくれた。
地下下水道の大掃除はデルタナの街の大掛かりな仕事だそうだ。全ての下水への放流を止め、代わりに街の外にある源泉からの湯を、湯屋に貯めずに流し込む。溜まった汚れを落とすだけでなく、地下に棲み着く獣や虫を払うのだという。水の豊かなデルタナだからこそ出来ることなのだと、大人たちは口々に言い、誇らしげだった。
その栄誉ある仕事だけれど、今日は参加したら誰でも、成果に関係なくお金が貰えるので特にこどもが多かった。私より小さなこどもたち。
彼らは鼠と戦えるのだろうか? 抱えたら持て余しそうな大きさの鼠だ。体長にして、私の持つ即席の槍くらいある。
逆に、こどもや探索者たちばかりで、騎士や他の公民の姿が見えないのが不思議だった。真に栄誉のある仕事なら、もっと人が集まってもおかしくないのじゃないかしら。
ソーンさんにそう言うと、「そうだね」と髪の毛をくしゃくしゃに掻き混ぜられた。うぅ、絡まっちゃうよ。
「そう思ってくれる奴等が貴族にもたくさん居れば、世の中もう少し良くなるんだろうけどさ。アタシもここまで落ちてきて、戻れなくなってから気付いたんだよね……。
アンタが何でこんな所まで来たのかは聞かないけどさ、マトモな奴ほど上には居られないんだよな」
「……よく分からない」
「分かんなくていいよ」
見上げたソーンさんの顔は、ここではないどこか遠くを見ていて、何だか寂しそうだった。
「さってと、アタシも支度してくるかね!」
「うん……」
「手伝ってくれる?」
「あ、槍の練習しなくちゃ。やったことないから。鼠をね、突くために」
「ははは。じゃあ頑張んな」
「はい……じゃなくて。うん」
「よろしい」
ソーンさんと小父さんたちは奥の部屋で鎧を着けるらしい。手持ち無沙汰の子どもたちの間を縫って、私と師匠は表に出た。
「よしよし、見てやろ。しかし石畳に当てぬよう気を付けろよぅ」
「うん」
「当たりが悪いと欠けるぞぃ。路がな」
あ、欠けるのそっちなんだ。
現在の所持金:6小金貨 2銀貨 3枚の四分銀貨
道のりは遠い…。
お読みくださりありがとうございます。明日も更新します。