災禍の中心 上
どうして僕を助けてくれるのかと聞くと、フィーは笑った。その瞳が優しく潤んでいて、本当に綺麗だと思ったんだ。聖女と呼ばれるなら、きっとフィーみたいなひとが相応しい。
朝の最初の鐘が鳴り、僕はフィーの部屋から連れ出された。食事は無し、出されたのは甘い果実水だけ。そして蒸し風呂で思いきりこすられて、綺麗になったと思ったら袖もない貫頭衣を押しつけられた。下着もなし、靴もなし、髪の毛もそのままで、結んでもらえない。
「あの……この格好、寒いんだけど……」
「“魔女”に与えるような物はそれしかない」
訴えもすげなく断わられ、僕は腕を後ろに回され木板でできた手錠で拘束された。もちろん、術の使用を阻む隕鉄の輪も嵌まったままだ。ああ、胃が重たくなってきた……。手筈では、ロランに引き渡される前にニールが来て、この輪っかを外してくれることになっている。一瞬の隙しかない。それを作るのがサムだ。そこで隕鉄の輪っかを外せなければ、手錠を焼き切れない。とても大事な役割だった。この輪は嵌められている僕以外の人間でないと外せない性質を持っているのだ。
ロランが宝珠を持っていることを暴けば、聖堂騎士たちや堂主様も、こちらの味方はしないまでも中立であってくれるのじゃないかというのが僕たちの出した答えだった。もしも、それでも彼らがロランの側に立つというなら、全員なぎ倒してでも逃げるしかない。
「隊長、今、足枷を嵌めますので」
「いや、いい。子どもの足だ、枷があると歩き切れまい」
「しかし……」
「いいんだ、責任は持つ」
レムが来て、僕に足枷を嵌めようとしていた男を追い払ってくれた。鎧姿ではない。いつもよりピシリとした印象があって、よく見たら髪を整えてあごひげを剃っていた。赤い上着に銀鼠のマントがよく映えている。
「こっちへ。立って、大人しく歩くんだ」
「……レム。シトーは?」
「おかげさまですっかり回復したよ。……ありがとう」
「……?」
そう言ってレムは僕を蹴飛ばした。
蹴られたのは骨盤だった。と言うより、押されたというか……レムの派手な動作の割には衝撃はなかった。転んだときも受身を取る余裕があったくらいだ。レムは「これはこれは、すまなかったな」と意地悪げに言い、僕の脇にしゃがみこんだ。
「静かに。鍵を外すが、手錠を落とすなよ。演技してくれ」
そう僕に囁いて腕を掴むので、大きな悲鳴を上げてやった。レムは僕を罵りながら、手錠に細工をしてくれたようだった。「どうして?」と目線で問うと、悪戯っぽく目を輝かせるだけで何も言わない。周りがこれだけ僕を敵視する中で、このひとはどうして、僕を許す気になったのだろう。あれだけ睨んできたのに。僕を刺し貫いたのに。
僕は大聖堂の前の広場まで歩かされながら、そんなことを考えていた。さすがに雪は降ってなかったけれど、外は身を切るような寒さだ。全身を覆うように掛けられた紗越しに見える世界は意外なほどよく見渡せた。門の鉄柵が開くと、円い広場のちょうど反対側にロランの姿を見つけた。広場を囲む階段の中ほどに、他の三人を連れて立っている。その背を守るように民衆が大勢でこちらを見ていた。
「魔女だ」
「あれが……?」
「穢らわしい……」
口々に、僕に向かって投げかけられる言葉。それらは恐れや憎しみや好奇心や、侮蔑や疑いや無関心だった。前面には群衆の囲み、振り返ると僕の背後には聖堂騎士たちが槍を手に控えている。そして、その中央には守られるようにして輿に乗った堂主がいた。彼らの氷よりも冷たい目に射すくめられて、体が固まってしまう。
「歩くんだ……」
レムが小さな声で言い、僕を押す。分かっているのに、足が言うことを聞かなかった。ロランの前まで行き、その正体を暴かなければならないのに……。
「ジョー!」
「……ニール!」
打ち合わせよりも早く、群集の中から飛び出てきたニールが僕の紗を剥ぎ取り後ろに流した。これで輪っかを外すための目隠しになる。束縛の腕輪にニールの指の力がかかったとき、ホッとした。これで自由だと思った。その瞬間、覆い被さってきたニールの唇が僕のものと重なった。
「んう!?」
舐められて、吸われた。こんなの、予定にない……!
「おいおい……。ったく、よさないか」
「……後でな、ジョー」
レムが止めてようやく唇を離したニールは、そう囁いて走り去った。あの拘束具を取り去り、別の輪を僕の手首に残して。あっという間の出来事だった。その手技を目立たせないための口づけだったんだろう、ただそれだけのためだとしても、僕は嬉しかった。離れがたかった。ざわめく人の群れに消えていくニールの背中を思わず目で追ってしまう。そのとき、燃えるような殺気が僕の肌を炙った。
(ロラン……!)
ずかずかと、大股でこちらに歩み寄ってきながら、ロランは腰のバスタードソードを引き抜いていた。狂暴な笑みを浮かべ、僕の顎を剣先で持ち上げる。ひとつしか残っていない濁った黒い瞳が僕を見下ろした。
「随分と見せつけてくれるじゃねぇか。あん?」
「………………」
無言で睨みつけてやると、一瞬真顔になったロランは、突きつけていた刃先を僕の目の前で振るった。頬に熱さが走り、金の髪が舞う。
「チッ、反応無しかよ。……まぁいい」
ロランは、勿体ぶって聴衆を見渡すと、声を張り上げて宣言した。
「勇者アディの名において告げる! “魔女”リリアンヌ、お前を今から火炙りに処す。……観念するんだな、リリィ」
「観念するのはお前の方だ、偽勇者!!」
ロランがひとりで僕の前まで来てくれた、今この瞬間こそが最大の好機だった。僕は形だけ僕を拘束していた手錠を落とし、剣を掻い潜って彼に肉薄していた。陽の気を体に巡らし、跳躍してロランの憎たらしい眼帯を剥ぎ取る。その目の隙間から、確かに宝珠の放つ輝きが覗いていた。
「ば……かな……!」
ロランの口から驚きが漏れる。まさか僕が動けるとは考えていなかったようだ。僕は続けて叫んだ。
「宝珠を隠し持っているお前こそが、悪だ、ロラン!!」
「危ない!」
レムが僕を押し倒すのと、弩の矢が通りすぎるのはほぼ同時だった。
「ダン、よせ!! おい、ロラン、こりゃどういうこった!?」
弩を僕に向けて射たのは四人の一味で一番若いダンだった。悲鳴を上げて割れていく群衆の中で、怒鳴ったのはガストン……ロランの仲間の中で唯一、僕への暴行に荷担しなかった男だ。レムが【障壁】の術を展開する前に、彼の腹に矢が刺さった。苦痛の呻きに術が霧散する。
「レム!」
僕は咄嗟に、彼に【痛覚遮断】の術をかけた。皆が一斉に動いて何が何だか分からない。逃げ惑う人々、うろたえる聖堂騎士たち。その中でこちらに駆けてきたのはサム、ニール、遅れてフィー、そしてなぜかシトーもやってきていた。そして、彼らに長弓を向け、連続で矢を射かけてきているのはアレクスだろう。サムが走りながらも器用に盾で受けている。
「アレクス! おいロラン! 説明しやがれ!!」
ガストンの叫びがむなしく響く。当のロランはといえば、棒立ちになっていたかと思えば、宝珠の嵌まった右目を押さえ、急に高笑いを上げ始めた。
「く……ははっ、ははははは!! やってくれるじゃねえか。リリィ、やっぱりお前は最高だよ。お前がもがけばもがくほど、オレはお前が欲しくなる。だから……お前のためにも最高の舞台を整えないとなぁ!!」
「な……に……?」
「舐め尽くせ、【爆炎乱舞】!!」
ロランの腕が横凪ぎに振られると、それを追うように何もない空間から炎が噴き上げ、僕の背後に並んでいた聖堂騎士三百の列を生きたまま灰にした……。