“魔女”と呼ばれた少女
とにかく着替えと食事をしないことには、どうすることもできないとフィーが言ってくれたおかげで、僕には時間が与えられた。まともに食べていないこともあってフラフラになっていた僕は、差し出された果汁の入ったカップを奪うようにして受け取り、ひと息つくことができたのだった。
「綺麗にしていきましょうね~。髪の毛も少し切りましょう、そうですね……長めと短めと、どっちが好き?」
「……短く。男みたいに刈り上げてほしい」
「ええっ、せっかく長いのにもったいないわ。それに、いくら男のひとでもそこまで短くしたりしないわよ」
「でも……」
「まあ、そりゃあね、もっと東の方の戦士階級だったら別でしょうけどね」
シトーだけがやけに短い頭髪をしていると思ったら、そういうことなのか。ニールは適当に切っているようでいて、うなじはいつも隠れているし。どうするべきか判断がつかなかったので、そのままネルという女性にすべて任せた。彼女は僕が男の格好をすることに最後まで文句を言っていたけれど、そこだけは譲れなかった。腕輪はつるりとしたただの輪っかだというのに、どうしても外れなかった。あまり大きく動くとネルに気づかれそうで、途中で諦めた。
食事は別の部屋で摂ることになっていた。囚人を護送するときのような、まさにそんな言葉がぴったりの物々しさで連れて行かれた。簡素な白い壁の部屋で、食卓には高価そうな食器が並んでいる。一瞬、王都にあった屋敷のことを思い出した。席にはフィーとサム、二人は僕を見ると立ち上がった。レムは数人の騎士と一緒に壁際に立っている。でも、給仕するという雰囲気ではない。ここにいないニールを思って気分が少し落ち込んだ。
「さあ、お食事にしましょう。聖堂で出される食事はどこのも薄味で粗食だから、今のジョーにはちょうど良いわね」
「…………」
フィー、それは、馬鹿にしているんじゃないよね?
「とにかくまずは食べて。頭に栄養が回らない状態では何も考えられないでしょう? 空腹の方が頭の回転は早くなるけど、それはちゃんと食べた後での話だものね。いらっしゃい、ジョー。大変だったわね」
「……うん」
両手を広げて僕を呼ぶフィー。温かい抱擁に体の強ばりが解けていくのが分かる。無意識に緊張していたみたいだ。僕は滲んでいた涙を指で払った。
「よく生きてた。頑張ったな」
「サム……」
「食べながら聞かせて、貴女の話」
「うん。僕も聞きたい。あれから何がどうなったのか……」
まず最初に出てきたのは麦粥だった。温かく、煮込んだ野菜の甘さのする粥は美味しかった。サムは黙ってそれを口に運んでいるけれど、肩を落としていた。きっと物足りないんだろう。フィーが、我慢せずに別のものを頼めばいいと言うのに首を振って、サムは食べ続けた。
僕が大聖堂へ向かってからの流れを掻い摘んで教えてもらう。どうやら、あの透き通った宝玉を持ち出してなくしてしまったせいで、僕は大罪人ということになってしまったようだった。
「縛り首……」
麦粥を食べ終わり、ちょっと塩気のあるふわふわのオムレットを食べていたのだけれど、ついついフォークを持つ手が止まってしまう。ここにきて初めてレムが口を挟んできた。
「今はさらに状況が悪くなっているぞ、お嬢さん?」
「……ジョー、だよ」
「ならばジョー、君があんまりにも暴れすぎたせいで、我々は君を“魔女”なのではないかと疑っている」
「……“魔女”って、なに?」
誰もが押し黙った。嫌な沈黙だ、僕は少し苛ついて、乱暴にフォークを置いた。カチャンと固い音が響く。
「“魔女”とは……その力を自分自身のためにだけ使い、他の者たちが傷つこうがどうなろうが、何も感じないし関係ないと思っている者のことよ。彼らはひとの心を操り、広範囲に被害を与えるの。だから、魔術を用いる私たちの手で捕まえなければならない。そして、見せしめに残酷な方法で痛めつけ、火炙りにするのよ」
「じゃあ、僕も……?」
「いいえ。ジョーは違うわ。彼らは自分たちの手に負えない貴女を“魔女”だと決めつけて始末したいだけよ」
「聞き捨てなりませんな、魔導師殿!」
「あら、失礼」
レムが声を荒げても、フィーはどこ吹く風で煎茶を飲んでいる。サムはと言えば、そんなフィーを満足そうに眺めていた。
「レム。僕は“魔女”じゃない……と思う。僕の話も聞いてくれる?」
「いいだろう。話してごらん」
笑ってはいなかったけれど、剣を突きつけられていたさっきよりは、幾分か態度が和らいでいる。僕はあの日起こったことを、順を追って話した。もちろん、ロランにされたことは言わなかった。ただ、過去の因縁から痛めつけられそうになったとだけ話した。
「宝珠はその際に盗られた、と言いたいわけだね」
「実際にその通りなんだから、仕方がない。シトーに聞いてよ、意識は取り戻したんでしょ」
「…………捜索で宝珠は出てこなかった」
「ロランの持ち物は? すべて調べたの?」
「もちろんだとも。身体検査も快く協力してくれた。どこにも隠していなかったさ」
「……眼帯の下は?」
「なに?」
「眼帯の下は確かめたの?」
「…………」
それが答えだった。
シトーの部屋は僕のと似た個室だった。寝台に寝かされたシトーは荒く呼吸をしており、ほったらかされているのか無精ひげまで生やしている。黒術士の紋章をつけた女性が横で汗を拭いてやっていた。体もいつもより小さく思える。あの憎まれ口をきいていたシトーが、こんな姿でいることに胸が痛んだ。
「シトー……」
意識は戻ったと聞いたのに、今の彼はどういうことだろう。黒術士と入れ違いで部屋に入り、僕はそっとシトーの胸に触れた。小さな呻き声を立てるシトー。けれど、その目が開かれることはない。
「拘束具を外して。これがあると彼の体を見られないよ」
「必要ない。もう顔を見たろう、さっさと下がるんだ」
「僕が彼を癒す。腕輪を外して」
「はったりだ」
「どっちだっていいだろう? 逃げることが心配なら、変なことをする前に僕を刺し殺せ」
「ジョー!」
責めるようなフィーの悲鳴が上がり、僕たちはちょっと距離を取った。レムは不承不承といった面持ちで僕の手を取ると、いとも簡単に輪っかを引き抜いた。鉄の重みが去ると、腕が軽すぎて違和感が残る。僕は手首をさすってそれを消そうとした。
「妙なことをすれば本気で命はないぞ」
「……わかってるさ」
丹念にシトーの体を診ていく。体を包む白い布を裂いていったとき、後ろで声が上がったのを僕は鋭く息を吐いて嗜めた。浅い呼吸のために激しく上下する胸に指を置き、黒術で鎮めていく。鍛えられ盛り上がった彫刻のような肌を下へ下へと滑らせていくと、シトーがまた呻いた。
「……見つけた」
左のわき腹、肋骨の最後の骨から指二本分下が、ロランが触れた場所だった。そこから気の流れをめちゃくちゃにされているのだ。これはとても皮膚の上からじゃ治療できそうにない。僕は深く息を吸い込んだ。
「シトー、痛みはないと思うけど、ちょっと気持ち悪いかもしれない。暴れないでね」
「おい、何をするつもりなんだ」
「ちょっとね……」
レムの問いかけには答えず、僕は人差し指と中指でナイフの形を作り、シトーの腹に一気に突き立てた。あるべき物をあるべき形へと戻すように念じながら、僕の気を流し入れていく。
「おい、やめろ!」
「待ちなさい、誤解よ!」
背後で争う気配がした。その間にも手術は終わり、指を引き抜いた後には傷口どころか血すら流れていなかった。完璧だ。僕が指を舐めながら振り返ってレムに終わったことを告げたら、何か言いたそうなひどく妙な表情のまま固まっていた。
「シトー、起きて。もう具合はすっかり良くなったはずだよ。気の流れは正された、もう苦しむことはない……」
「ああ…………聖女よ、感謝します」
薄く目を開いたシトーは、弱々しいながらもはっきりと感謝の言葉を述べた。
(ん? 聖女……?)
今度は僕の方が何とも言えないままに固まる番だった。
時々、ふっと自然に暗黒面に落ちているリリアンヌ。魔女疑惑は強まった模様。




