それぞれの思惑
「ニール、ひとつ言っておくけど、ジョーを誘惑したら容赦しないわよ」
「はは、何言って……」
「本気よ。氷漬けにするわ」
「…………」
「いいこと? ジョーには魔王を倒してもらわなくちゃいけないの。今あなたが甘やかして、彼女が行きたくないと言い出したら困ったことになるわ」
剣呑な目で睨み返すニールに、オフィーリアもまた目をすがめて強い口調で言葉を重ねた。ゆるやかに巻かれた紫紺の髪の毛が陰の気に揺れる。
「そりゃ、あんたの都合だろーが」
「……私が、私の立場を強めるためにあの子を利用しているとでも?」
「他に何が?」
「………はぁ。ジャハルみたいなことを言うようになったわね、ニール。そういう成長を見られて、少し安心したわ。でも、喧嘩を売るなら、次は相手をよく見なさい」
「…………」
長い沈黙と溜め息。ニールは吹き寄せる殺気を感じて額に汗の珠を浮かせていた。だが、オフィーリアはふんわりと微笑んだ。
「本当に私がジョーを利用するつもりなら、警告なしにあなたを殺している。私が挑発に乗りやすい輩なら、魔術であなたを殺している。サムがお馬鹿さんなら、私の制止を聞かずにあなたを殺している。死んだらあの子を守れないわよ、勇敢な……探索者さん?」
「ちぇっ、やっぱそっちが本性かよ、こえーな。で? アイツを無理やり魔王討伐に駆り出すのはなんでだよ? 行きたくないっつってんのを引き摺って行くのに何の意味があんだよ」
ニールの抗議に、オフィーリアは回廊の柱に背をもたれてゆったりと話す姿勢に入った。講釈が始まりそうな空気にニールは小さく呻く。
「ニール、あなたはどうして聖堂が、見込みのありそうなこどもたちを集めて術士に育て上げるか、わかる?」
「わかんねぇ。手下が増えると儲かるから?」
「それもあるけれど……」
「あるのかよ!」
「聖堂が術士を教育するのも、国や貴族が彼らを囲うのも、金儲けや利便性のためだけじゃないわ。危険だからよ。魔術、ひいては術は簡単に命を奪えるほどの力を秘めているの。
聖堂はあり余る魔力をもつ者を教育し、規律を教え込むのよ。その力で、誰かを傷つけてしまわぬように、ね。術を悪い方向へ使えば、誰かがそれを罰さなければならない。そのとき、同じ術士が術士を罰するのと、被害者が罰するのと、違いがどう現れると思う?」
ニールは首をすくめて降参した。サムもまったくのお手上げだと態度で示した。オフィーリアはそんなふたりに呆れるでもなく涼しい顔で続ける。
「術の使えない凡人が被害者となり、同じ凡人が裁くことになると、犯した罪よりも重い罰が下り、殺されてしまうことの方が多かったのよ。未知への恐怖がそうさせる……そして、まだ罪を犯していない術士へもその矛先が向く。だから、聖堂が術士を裁く。そして、手に負えない能力者を“魔女”と呼び、見せしめとして残虐な手口で……殺す!」
「……それが?」
「ジョーはすでに“魔女”だと思われている。堂主様がそう裁定を下す前に、ここで大きな手柄を立てて有用な人間だと認めさせなければ、あの子に自由なんてないわ。“魔女”は良くて火炙りよ」
「良くて火炙りって、じゃあ、悪かったらどうなるってんだよ?」
「………………」
「待った」
「あの魔力量、そして貴重な両属性持ち……」
「言うな、聞きたくない!!」
魔術だの術士だのとは縁遠いニールにだって、その先は聞かずとも分かった。胸くその悪くなるような話だ。ニールは思わず拳を柱に打ちつけていた。
「ジョーは、あの子は街で暮らすのに向かないわ。どんなに気をつけていたって、きっと揉め事に巻き込まれる。静かに暮らしたいなら、山奥で木を育てて山羊でも飼いなさい」
「…………くそっ」
苛ついた気持ちのまま、ニールは大聖堂を離れた。呪文書でパンパンの背嚢を揺らし、ポッソが教えてくれた安い食事処へ足を向ける。
昼は値段が値段だけに種類を選べない。ニールは出されるままに皿をつつきながら、自分が切り裂いた呪文書に目を通していった。どの頁も濡れたようにひどくインクが滲んでいて全く読めない。表紙の宝石も一番大きかった物は外れてしまい、小さな物は屑値でしか引き取ってもらえないだろう。そもそも、目にした脅威から考えれば、焼き捨ててしまった方がいいとニールは考えた。
「お? そうか、これ……あのジイさんのサインか」
唯一まともに残っている頁には、ニールには読めないがジョーの師匠である老人の手で書かれた流麗な文字の連なりがあった。ニールはしばらくそれを眺めていたが、丁寧にその頁だけを破り取って懐にしまった。
昼食を済ませ、ポッソには「まだ動くな」と伝言を残しておいた。ニールはごみ焼き場へ行き、本を火に投じてそれが灰になるのを見届けると次の用事のために門の内側の店を見て回った。オフィーリアに言われた言葉が喉に貼りついて取れない引っ掛かりのようにわだかまっていた。
「くそっ、俺はただ、あいつが普通に暮らしていけるなら、それだけでいいってのに……。そのためには結局、戦わなきゃいけねえっつうのかよ」
ただ、敵は魔王だけではない。ジョーを“魔女”扱いしてくる大聖堂の連中もだし、勇者アディを名乗るジョーの因縁の相手、ロランとかいうヤツもそうだ。
「白百合を探してるって、そりゃ……まるっきりジョーのことじゃねぇか。あのとき、もっと詳しく伝えとけば……」
ぐっと握り締めた拳に後悔が滲む。
リリアンヌというのが、ジョーの名前だった。ずっと近くで見てきたのに、気がつくこともなく、疑うこともしてこなかった。そりゃそうだ、最初に女だと思っていたところを「実は男だ」と言われて、女かもしれないともう一度疑うなんてそれこそどうかしている。ニールは胸中で不甲斐ない自分を罵るのを止め、自分にできることをやることにした。
「おい、親父~、そこにある腕輪、全部見せてくれ」
「へいよ、待ちな」
そのとき、どこかで見覚えのある長衣がニールの視界に入った。ずいぶん薄汚れた格好だが、それでも面影は見逃さなかった。
「おい、おい、ジイさん! 俺だよ俺、覚えてるだろ?」
「はて、誰じゃったかな?」
「ニールだよ! ああもう、ジョーのことはさすがに覚えてるだろ? デルタナでアンタが一緒に暮らしてたジョーの仲間だよ、俺!」
「おお、おおお~。ジョーか、ジョー! 思い出したわ、ひ、ひ」
「よかった……。なあ、今、ジョーのヤツ大変なことになってんだよ。顔見せるだけでもいいから、元気づけてやってくれよ」
だが、老人は首を横に振った。
「そういうわけにはいかんのじゃ。これからまだ、やらねばならん用があるんじゃ」
「ジョーよりも大事な用だっつーのかよ! あれだけアイツの世話になっといて、なんでいざアイツに助けが必要だってときに側にいねぇんだ!! あいつ、“魔女”とかって呼ばれて……くそ、あんたが寄越した本はワケわかんねぇ化け物みたいだったし……もういいよ!」
踵を返そうとしたニールを今度は逆に老人が引きとめた。気の抜けたような表情であったのが、いつの間にか真剣な物に変わっている。
「“魔女”……ジョーがかえ? おかしいのぅ、オリクならばそんな判断はせんはずじゃ」
「オリク様はここにはいねぇよ。もう堂主でもねぇんだ」
「……はて、もうそんな年じゃったかの? まあ、ええわぃ。おぬし、インクやらなぞ持っておらんか?」
「待てよ……ん、あった」
「紙は……ええわ、おぬしの服にでも書こう」
「やめろ! ちょ、待てよ、ほら、アンタの本の頁使えよ」
「ほほっ、あの言い方じゃと、とっくに焼き捨てられたかと思っておったよ」
「焼き捨てたよ、それ以外。どっかで見てたのかよ、アンタ」
しかし、老人はそれには取り合わなかった。屋台の質素な壁に羊皮紙を当て、さらさらと流麗な文字を書き付けていく。そしてそれをニールに差し出して言った。
「これを偉そうにしている者に見せよ。これで駄目ならもうこの国も終わりじゃな……」
「げ」
「そうそう、これを渡しておこう。きっとそういう巡り合わせなのじゃろうて」
「はぁ?」
「聞け。これは一度だけあの子の命を守ってくれよう。心臓の位置に埋め込むんじゃ。それがきっと役に立つときが来る……」
ニールは手のひらに落とされた紅い珠を見て大声を上げてしまった。それはまさに、賢人オリクの手中にあった“炎の心臓”と寸分違わぬ……。
「おいっ、ジイさんっ!! いねぇっ!?」
いつの間にかあの干からびたような老人はいなくなっていた。ニールが急いで人混みを掻き分けても、その老人の姿はもうどこにもなかった。
「嘘だろ、おい……。俺にどうしろってんだよ、こんなもん……」
彼の老人がどこから持ってきたのかは分からないが、こんな物を見せたらニールも同じく重罪人だろう。何と言っても、その輝く紅い宝珠は“炎の心臓”にしか見えないのだから。賢人オリクの懐から盗んできたと糾弾され、殺されるのがオチだ。ニールは手に負えない代物を押し付けられ、しばらく途方に暮れるのだった。




