羽化のあと
さんざん泣いたら頭が妙にすっきりとしていた。急に成長した影響なのか、まともに立てなかった僕をニールが寝台まで抱えて運んでくれた。本当は体を綺麗にしたりしたかったんだけれど、「レムたちが来るまでここにいる」とニールは言って、僕はそれに逆らえなかった。彼は僕の横に座り、さっきからずっと僕の髪を玩具にして黙り込んでいる。
(なに、考えてるんだろう……)
こっそりニールを盗み見るけれど、その心は読めない。固く引き結ばれた口許、細められた目、いかにも「話しかけるな」という雰囲気を撒き散らしている。左目の下にうっすらと残る刃物の傷に、なぜがきゅうと胸が締め付けられた。邪魔にならないよう編み込まれた前髪も、灼けた肌も、僕の髪を掻き乱す武骨な指も……ついこの前までとなんら変わりないはずなのに、どうしてか違うように見える。
(ううん、本当はわかってる。僕は……ニールが、好き……)
Dに封じられていた記憶と感情が一気に僕の中で結びついた。一度知ってしまったら、もう元には戻れない。僕はニールを愛している。胸がさらに痛く、苦しくなった。報われない想いを抱いたままでいなくちゃならないなんて、辛すぎる……。かといって、彼から離れられるかと言えばそれは無理だ。
そんな物思いに沈んでいると、ニールが僕の肩に手を置いてきた。
「ジョー」
「は、はい!」
「……? まあいいや。この髪、どうすんだ。切るのか?」
「切るよ。また染めなきゃ……」
「なんでだよ。綺麗じゃん」
「目立つ、から……」
「ああ……。なら、これ、ひと房もらってもいいか?」
「いいよ。好きにして」
ニールは脇の下にいつも差しているナイフで、僕の右のこめかみから髪をひと房切り取った。きっとそれで細工物でも作るんだろう。金の髪なら高値で買ってもらえる。ニールは僕のくるぶしまである長い髪を、くるくると器用に丸めるとポーチにしまいこんだ。
それが済むとまた気まずい無言の時間が続く。迎えはあまりにも遅く、ニールの指が髪の毛越しに体に触れると、なんだかくすぐったくて、変な感じがした。ニールがじっと僕を見る。その目はいつもと違う、何かを秘めていて、僕はそれが怖かった。
(怒ってるんだ……)
当然だ。
僕はずっと彼に嘘をついてきたんだから。怒って当然だ。殴られるかもしれない。それでも。本当のことを打ち明けなくちゃと思う。ニールは大切な友人なんだから。
「ニール……」
「ん?」
「ニール、あの、ごめんなさい。……怒っているでしょ?」
「……何が」
ああ……。この答えは怒っている。しかも、とんでもなく機嫌が悪い。
「えっと、僕、嘘ばかりついてきたから……。だから怒っているんでしょう? 二年半も一緒にいて、旅の目的も、本当の年齢も、性別すら隠してきた。何もかも秘密にして抱え込んでた。それなのに僕は、きみの親友みたいに振舞って……。ニール、ごめんなさい!」
「…………」
「殴ってくれていい、許してくれなくていい、だけど……。魔王を倒すのに、力を、貸してください……」
こんなの、恥知らずもいいところだ。けど、ニールだけは失いたくなかった。殴られようが、蹴られようが構わない。今ここで彼まで離れて行ってしまったら、僕は闇夜に明かりを失うも同然だ。
深く頭を下げて返事を待つ。ニールの溜め息に、知らず体が震えた。
「お前……この、馬鹿!」
「いたっ!」
「馬鹿、馬ぁ鹿!!」
「…………うぅ、痛い」
拳骨だった。僕の頭も固い方だというのに、まるで骨を突き抜けるような痛みが襲ってきた。そっと涙を拭う。
「俺は気にしちゃいねえよ、そんなこと! そりゃビックリしたけどよ。ってか、なんで俺が怒ってると思ったんだよ!」
「現に怒ってるじゃないか……」
「怒ってねえよ!」
「怒ってるよ! ……仕方ないじゃないか、だって、ニールが怖かったんだ」
「はぁっ?」
「ニールの目が、なんだか、怖かったんだよ……」
「…………そりゃ、悪かった」
「ううん……、僕こそ、ごめん」
ニールがふっと笑い、僕も笑った。
「そうだ、お前、ちょっと背中見せてみ」
「え? なに?」
「さっきからチラチラ、チラチラ……なんかあるなと思ってさ」
「……いいよ」
背中にあるものって何だろう。僕も気になる。ニールに背を向け、僕は体に掛けていた敷布を落とした。首を傾けて邪魔くさい髪の毛をひとつに纏め、全部胸の前に流した。これで背中がよく見えるはずだ。
「触るぞ?」
「うん……あ、待って、だめっ」
「あ、やっぱり。何かある! 見えねぇけど、何かあるぞ、ここ」
ぞわぞわっとした。まるで体の内側をくすぐられているみたい。痛いような、気持ちいいような、変な感じが……。ニールは手のひらをゆっくり横に動かして背中の何かを触っている。怖いのを我慢していたら、急にその何かを鷲掴みにされた。
「なんだろ。薄い……羽みたいな?」
「ひゃっ! あっ、やだっ、ニールだめっ! あんっ! あっ、やだぁ……!」
「わっ、馬鹿馬鹿。し~っ、静かにしろ……!」
「んん~~っ!?」
いきなりニールに口を塞がれ、もがいていると、目の前の戸が吹っ飛んだ。横に滑らせる戸が、ばったりと床に倒れている。出入り口の壁の一部も剥がれてしまっていた。破壊したのはきっとレムとサムだろう。そしてその後ろに杖を構えたフィー。
「あ」
いやだ、僕、裸だった。
「ニール!?」
「あっいや、これは……」
「……原初の暗き流れよ、大いなる龍よ……」
「詠唱だめぇ!」
「殺す気かよぉ!」
なんとか止めることができたけれど、フィーの真顔が怖かった……。ニールも本気で怯えてたよ。いや、笑顔だったとしても怖いけどさ。
「シトーの意識が戻ったわ。……会ってあげて、ジョー」
「うん。お礼を言わなくちゃ。助けてもらったんだ」
フィーの言葉に頷く。レムは部屋の外から声をかけてきた。
「色々と聞きたいことがあるけど、とりあえず、服を用意させる。あと食事もね。ずいぶん長い間、まともに食べてないだろうからね。あ、逃げたりなんかしたら……」
「逃げない。僕は逃げない」
「あ、そ……」
とにかく全員、僕を除いていったんこの部屋から出ていくことになった。ニールはDを手にしていた。
「あ……その、呪文書……」
「ああ、これか。処分する」
「でも……」
「駄目だ、処分する」
「……わかった」
ひとり部屋に残されると、ぽっかりと胸に穴が開いたような、地面が揺らぐような、そんな不安な気持ちになる。でも、あの本を手元に残しておいてもDはもう、いない……。ふと見回した部屋の中、寝台の下に光るものを見つけた。
「赤い……」
それは、Dの表紙を飾っていた宝石の欠片だった。干し棗よりも小さい、僕の小指の先ほどしかないそれを、僕は摘まんで飲み込んだ。それは僕を傷つけることなく、すんなりと喉を落ちていった。
「ふふ……」
★読まなくってもよい設定★
この世界のひとたちは、魔力を常に大地から吸い上げています。普通の人々は吸い上げても吸い上げても、そのまま使ってしまいます。
曲りなりにも術が使える人々は、魔力を溜め込めるようになっています。どこに溜め込むのかというと、体内や髪の毛、爪などです。作中で髪の毛を伸ばしているひとが多いと感じたら、そのせいです。
他にも、師匠やリリアンヌほどの魔力の持ち主になると、魔力を溜め込む不可視不可触の「羽」と呼ばれるものが背中にあることがあります。二枚から最高で六枚まで確認されています。羽といっても、鳥の翼ではなく蜻蛉のような薄いものです。
不可視不可触といいながら、魔力が最高値まで高まるとちらりと見えたり、そこに何かがあるような、そっと触れる感覚を得ますがそれは脳が間違った信号を発しているのです。
魔力は限界まで溜め込むのは体に悪いです。ダメージを負います。隕鉄の輪っかをつけられると、術が使えないだけでなく、魔力を放出することができなくなり、体に悪影響が出ます。




