狂宴 中
本日は二話続けて更新しております。話数にご注意ください。読まずとも問題ありません。
・拷問描写注意
ぽたん、ぽたんと水の滴り落ちる音がする。気がつくと僕はうす暗い、嫌な臭いのこもった場所に、後ろ手に縛られ無理やり椅子か何かに固定されているようだった。真っ先にしたことは術を導いてこの状況を何とかすること。でも、それが不可能だと知ったとき、僕は悲鳴を飲み込んだ。
(悟られるな……悟られるな……!)
僕の意識があることをわざわざ教えてやる必要なんかない。まずは自分の置かれている状況を整理しろ……!
僕はデルタナで培った、探索者としての心得を思い出すことで平静を保とうとした。煩い心臓も、目に滲む涙も、今は忘れることだ。
薄く目を開くと、自分が鎧を脱がされてシャツとズボンだけという心もとない格好にされていることがわかる。なぜか口は封じられていない。長靴に包まれた足は椅子に固定されていたけれど、ひどく痛んだり折れている様子はなかった。
(宝珠が……ない……)
それでも、失ったものは大きい。僕は悔しさに唇を噛んだ。あれを取り上げられたら、何のためにあんな思いをしてまであの地に挑んだのかわからないじゃないか!
「ああ、起きたのか」
「…………」
さほど離れていない位置で、机上に置いた蝋燭の明かりに宝珠を透かしていたロランがこっちを見る。その声は明るく朗らかで、まるで気心の知れた仲間に話しかけるみたいだった。
それが、ひどく、恐ろしかった。
ロランは、前をすべて肌蹴た白いシャツに黒革のベストを引っ掛けている。肘には輪が嵌まっていて、シャツの袖が邪魔にならないよう固定しているようだ。よく灼けた肌、しなやかな筋肉が浮いた腹にはいくつか傷が走っている。海賊でないのが不思議なくらい、海賊らしい姿だ。どうしてこの男は片手半剣なんか提げているんだろうか。曲刀なら完璧なのに。
野性味の強い、美男子だと言えた。粗雑さと暴力の匂いは隠せないが、それでいて優雅な身のこなしはあの頃と同じだ。傲慢で独善的、残酷さと短絡さ、無意識に人を見下している心の在りようが全部その顔に現れている。変わったのは身長と見た目だけ。けれど、比べ物にならないくらい強くなっている……。少し長めの髪の毛、それに隠れた黒革の眼帯。僕を見て愉しそうに笑っているその黒い瞳はどろりと濁っている。
「ずいぶん探したんだぜ、あれから。聖火国に逃げたと思って追いかけてったつもりだったのに、まさかずっとデルタナにいたとはな。おまけにその姿、いったいどんな魔法を使ったんだ?」
ロランに気づかれているなら、大人しくしててもいいことなんてない。僕は少しでも縛めが緩まないかと体をひねってたり腕を動かしたりを試した。この首の輪が僕から術を奪っている。腕一本、何とか抜ければ、もしくは立ち上がることさえできたら、逃げることも……。
「無視するなよ」
「っ!?」
明かりが遮られ、ロランが横に立ったかと思ったらシャツを掴まれていた。布の裂ける音、胸を滑る刃先。見下ろしてじんわりと汗が滲む。僕の股のところ、椅子にナイフが突き立てられていた。
「はぁっ……はぁ……あ……」
「おいおい、もう興奮してるのか? お楽しみはこれからだってのに! ……小便ちびってもいいぜ。そうしたら床に這わせて舐め取らせてやるから」
ロランは当然だとばかりの態度で耳を疑うような発言をした。
「ひ、ひとを何だと……」
「あん? レイモンのオモチャだろ、オマエ」
「……は?」
「出発の前にアイツはオレにこう言った。お姉ちゃんはきっと独りじゃ生きていけないから、助けてやってほしいってな。命さえ無事なら、後は何してもいいってさ! 捨てられた、身寄りのないメスガキ一匹、世話してやろうとしてたのに……、オレをなめくさりやがって!!」
「っ!」
ガツンッと鈍い音を立てて、ロランの長靴が僕の真横に突き刺さる。
「痛めつけて、痛めつけて、じっくり楽しませてもらうとするかぁ。あん? せいぜい泣き叫んでくれよな? ククク、はははは! はっははははははははは!」
ロランは両手を広げて狂ったように笑っていた。どうしよう。怖い……。歯の根が合わずに小さく音を立てている。でも……。
「……痛めつけても、むだ、だよ」
「あ?」
ぴたりと笑うのをやめ、ロランが真顔で僕を見る。そして、いきなり目の前の机を蹴り倒した。すごい音がして思わず体を小さくしていた。
「はん。それなりに痛い目にはあったことがあるみたいだな。だが……魔物とオレは違うぞ?」
「…………」
「身動き取れない体を切り刻まれたり、腹ん中ナイフでかき回されたことあるか?」
「…………っ」
「それと、こっちは? もう破られた後か? それとも治癒の術がありゃ腕みたいに何度でも再生するもんなのかねぇ」
「…………?」
「だからぁ、もう誰かに気持ち好くしてもらったのかって聞いてんだよ」
「………………」
僕の無言を肯定と取ったか、ロランは大げさに溜め息を吐いて、椅子からナイフを引き抜いた。そして手持ち無沙汰にそれを振っていたかと思うと、また僕に向き直った。
「はぁ。そっか、遅かったか。そりゃあ残念だったな、思いっきり優しくしてやろうと思ってたのに……なぁ?」
「……お前は、クズだ」
「あん?」
「最低の人間だ」
「…………」
「イレーヌはどこだ。それさえ聞いたらもうお前に用はない。殺したきゃ、殺せ」
啖呵を切った僕に対し、ロランはいっそ不気味なほどに何の反応も示さなかった。怒るでもない、暴れるでもない。ただ、体からまるっきり力を抜いた状態で、ぼんやり立っていたかと思うと、自分で蹴飛ばした机を起こしてそれに腰かけた。床に転がった蝋燭立ては消えずに、黙って異様な影を作り出している。
いい加減、だんまりに耐え切れなくなった僕が口を開きかけたとき、ロランがポツリと言葉を吐き出した。抑揚のない低い声。自分から尋ねておきながら、僕は……。
「…………お前がどこから聞いてたか知らねぇが。あの婆ぁなぁ、人間を食うんだよ。信じられるか? とりわけ、金髪のガキが大好きでな。親切な顔して近づいちゃ、隙をみてガキを拐って……」
「イレーヌは、どこ?」
「聖火だけじゃねぇ、マイヤールでも同じようにしてた。オレはあの婆ぁの知り合いってヤツに頼まれて、アイツが持っていた品を取り返してくるように頼まれてな……」
「イレーヌはどこなのっ!?」
「悲鳴を聞きつけてこの屋敷に飛び込んで、あの婆ぁを追いつめた。品物も取り返したが、どうにも……。気持ち悪ぃ話を捲し立てやがるから、殺してやったよ。ああいう奴等は、絶対に改心しねぇからなぁ。即死しねぇように加減してやったから、苦しんで苦しんで死んだよ。枯れ木みたいに細い体のどこに、あんなに大量の血を隠していたんだか」
「……イレーヌ」
「あの娘がイレーヌかぁ。そうかぁ。……連れてきてやろうか? ちょっと、小さくなっちまってるけどなぁ!」
「いやっ、嫌だ……!」
こんなのってない、こんなの、ひどすぎるよ……!
イレーヌが何をした? 彼女には何の罪もないじゃないか!
それを、食べたなんて。あんなに可愛い子を、殺してしまったなんて。もう二度と、あの子が笑うことはない、あの子が泣くことも、怒ることも。全部、全部奪われてしまったなんて……!
デルタナの路地で見た、担架にかけられた布の下から垂れていたこどもの腕が思い出される。あの、動くことのない腕が。僕はあんな光景を無くしたくて今まで頑張ってきたのに……!
涙が、次から次にこぼれて、止まらなかった。




