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こどもに魔王を倒せなんて酷すぎる〜隠された勇者の伝説〜  作者: 天界音楽
第四章 『愉快な道連れの最期は決まっている』
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狂宴 上

 食事中に読まれる方は、以下の点にご注意くださいませ。


・食人についての描写が出てきます。

・暴力描写が出てきます。

 カダルの邸宅には火の気がなかった。入り口から差し込む光に照らされるのは、何もかも古びて色褪せた家具たちと、埃まみれ蜘蛛の巣まみれの天井だ。大階段には真新しい泥が点々と落ちている。誰かがいるとしたら階上ということだろう。冷えた空気を感じて背筋に悪寒が走った。ここで何が起こったのか、イレーヌの失踪と関係があるのか、とにかく入ってみなければ。


 音を立てないように、元が何色だったのか判別もつかない絨毯を踏みしめ上っていく。イレーヌはどこだろう。閉じ込めるとしたら普通は地下か、それとも逃げ出せないような高い場所か。


 きっちりと締まった鎧戸のせいか空気が重苦しい。まさかもう、誰も生きてここにはいないのだろうか、そんな嫌な考えが沸き起こってくるのを僕は必死で掻き消した。ふと、どこかから女のひとの声がした気がして、僕は廊下をさ迷い歩いた。扉の隙間から漏れでもしたのだろうか、とにかく耳をそばだてて声の持ち主を探した。


「…………!!」


 だんだんと近付いているのがわかる。緊張した女性の金切り声は、なんと言っているのか聞き取れなかった。僕はそっと扉を引き開けてみることにした。とたんに女のひとの声がはっきり聞こえるようになった。


「あれはもう渡したじゃないの、それなのに私の命まで奪おうって言うの? なんて男なの、この悪漢! ろくでなし!! ……ああ、あああ、どうか許して頂戴。これは崇高な行いなのよ。世俗の感情論なんかに左右されるものではないの、止めることなんてできないのよ。そうだわ、貴方も私たちの仲間に入らない? 貴方にはその素質が、選ばれるべき人間としての輝きがあるわ。力が欲しいでしょう? いいえ、聞かなくたって分かるわ。私たちは知識や力を長く永く残すために黄金をその身に宿す人間から力をもらっているの。私や貴方みたいな優れた者は、失われてはいけないのよ。どうやって力をもらうか、分かる? 最初は抵抗があるかもしれないわね、でも、大丈夫。すぐにやみつきになるから。ふふ、人間の肉は豚や鶏なんかとはまた違う味がするの。その食感もね……。食べるなら子どもや若い女の子がいいわ。だって、捕まえやすいし調理が簡単でしょう? どの部位も美味しいけれど、そう、特に顔、顔の肉は柔らかくて甘いのよ」

「おえっ。死ねよ」


 ぼんやりと。

 水が流れるようにとめどなく喋り続ける女の声を聞いていた。


 どこまでも途切れることなく続くかと思われたその口上は、男の嫌悪のこもった声に遮られ、いとも簡単に終わりを告げた。何かを刺し貫く音。重さを持った物が落ちる音。苦悶に満ちたか細い呻き。


 何が起こったのかわからなかった。

 いや、分かりたくなかった。


 明るく照らされ、心地よく整えられた室内にあまりに不似合いな惨劇だった。扉をもう少し開けて、衝立の向こうを覗けばきっと、そこには……。おそらくジャンヴィエーヴ・カダルだと思われる女性は、まだ死んでいなかった。ひゅうひゅうと搾り出すような呼吸ともがく足が床を叩く音が、絨毯に吸われてもなお僕の耳に届いていた。


(早く……ここから離れないと……)


 ここは一度退くべきだ。音を立てないように扉を閉めてから、急いでここを離れるべきだ。そう思って動こうとしたとき、警戒のために抜いていたナイフを取り落としてしまった。


「誰だっ!?」


 柄頭が鈍い音を立てる。それを聞き逃す男ではなかった。僕が慌ててナイフを拾って背に隠したときにはもう、僕の目の前に立っていた。見下ろされているのを感じながら、僕はどうしてもその男を直視できずにいた。その顔を見てしまえば、殺されてしまう気がして……。


「子ども……? オマエもこの屋敷に捕まっていたのか?」

「…………」

「大丈夫だ、悪いヤツはもうやっつけたからな。ほら、出ておいで。怪我はないか? 顔を見せてごらん」


 優しい声で僕の身を案じるようなことを言う。それが本当に心がこもっているように聞こえて、僕は鼻の奥に痛みを感じた。安心して泣き出してしまいそうだった。


(でも、こいつは人殺しだ。早く、早く逃げないと……)


「ウチに帰してやるよ。送っていくから、ほら……」

「大丈夫です。ひとりで、帰れます」

「参ったな。そういうわけにもいかないんだ、聖堂騎士の詰め所まで行こう、な? オレのことが怖いかもしれないが、ここにいちゃ駄目だ」

「…………っ」


 伸ばされた男の手が肩に触れそうになって、僕は一歩下がった。左手のナイフを見られるわけにはいかなかった。いくらなんでも言い訳がきかない。


(逃げなくちゃ……手を切りつけるか、足を刺すか。それとも【雷撃】で……)


「リリアンヌ……?」


 心臓がドクンと跳ねた。


 驚きを含んだその声は。

 僕にとって忘れることができない男のものだった。


「ロラン……!」


 咄嗟に突き出していたのは右手。即座に【雷撃】を導き、至近距離から叩き込む!


「っとぉ!」

「っ!?」


 驚きに見開かれた黒い目。それはすぐに笑みに変わった。上体を捻って躱された【雷撃】はロランの体の上を滑っただけで、傷を与えるに至っていなかった。左手も攻撃に移る前に手首を握り潰された。


「いた……い」

「どうしたんだオマエ、ちっとも変わってねえじゃねぇか。探しても見つからんはずだぜ」

「はな、せ……!」

「クッ……ようやく、捕まえた。オレの、白百合(リリィ)

「あぅ……」


 耳元で囁かれ、頭が真っ白になった。二年前の、無力な自分に戻ってしまったように足が、体が動いてくれない。ロランは僕を閉じた扉に押し付けて無理やり立たせた。


「ひとつ、いいこと教えておいてやろうな。術はよ、他人に向ける場合、相性が悪いとかかり難い。つまり、陽の気に満ちたオレに【雷撃】は通用しねえんだよ」

「ぅぐっ!」


 ロランの右手の指が僕の口に突っ込まれた。何をするつもりかなんて、聞かずともわかる。僕は必死でその腕から逃れようと暴れた。もがけばもがくほど、万力のようなロランの手が僕を押し潰す。あばらが軋んだ。


「だからな、【雷撃】っていうのはこう使うんだよっ!」

「んん~~っ!」


 僕が最後に見たのは、酷薄に笑う男の、狂気にぎらぎら光る左目に映った、無力な自分の姿だった…………。

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