こどもにも出来るお仕事
お仕事が、どぶさらいだなんて、聞いてないですよ……。
「顔に覆いかけときな。今日は地上でやるから滅多なことは起きないだろうけど、気分が悪くなったらすぐにドブから離れるんだよ」
ソーンさんは皆に説明している。街のドブには番号が振られていて、仕事を受ける人は受け持ちの番号の場所に行くのだ。地図が分からない人、字が読めない人は連れていってもらえる。私は字が読めるし、師匠は街に詳しいから私たちには案内はつかない。好きなときに行って、日没までに終わらせるだけで良い。
貸してもらったスコップを担いで、師匠を見ると、えらく軽装だった。え、スコップ持ってないんだけど、どうして?
「ワシはお前さんの横で鼠でも狩っておるよ。もう年でなぁ、力仕事はかなわんわ」
ひどい話だ。二人でやると思ってた仕事を一人でやることになるなんて。……無理だったらどうするんです。
「そんな顔するんじゃあない。筋肉痛なら後でちょちょいと治してやるわ。昨日みたいにの」
今まで全く気にしていなかったけれど、そうか、確かに痛みもだるさもない。最初に出会ったとき、私は打ち身を変な呪いで治してもらったんだった。それと同じことを昨夜もしてくれたんだろう。そうでなかったら、今まで剣術のけの字も知らなかった私が、いきなり剣を持って大暴れして平気なはずない。
「師匠、ありがとう」
「ひ、ひ、ひ。酒を飲ませてくれるんじゃろ?」
「……飲みすぎて死なないでね」
本心からの言葉だった。
どぶさらい、キツイ……。もう腕が、上がらないよ……。ああ、息も苦しくて、涙が出てきた。
ちょ、ちょっと休憩……。
私がどぶの側の路で伸びていると、師匠が呆れ顔で覗き込んできた。
「これこれ、坊主。そんな所に寝ておると、鼠にかじられてしまうぞぃ」
「ねずみ……?」
「そうじゃ。この辺の鼠はまだ小さい方じゃが、それでも産まれたての赤ん坊より大きい。ごみや汚水を溝やら家の外にまとめる決まりができる前は本当に酷くての。小さい子どもなんかは寝てる間にかじられてしもうて、指や耳が無いのも多かったんじゃ」
「え……」
師匠、私、いま、動けないんですが……。
「あの溝の終わりに格子がしてあるの。かなり細い隙間じゃが、あやつら頭を捩じ込めばするりと抜け出るでの。ほら、今もな」
「ひっ……!」
いた、いたぁ!
やだぁ~!
大きい! 灰色で、濡れてて、汚い前歯を覗かせている。ひょっこりと上半身を立てて、辺りを窺っているようだ。髭がぴくぴくしている。
「ふむ。【電撃】、これで死ぬる」
師匠の右手から何かが飛び出し、溝鼠は倒れた。……あの鼠、集めたごみに入れるのかなぁ。ちょっと嫌だな。
「ほれ、いつまで寝てるんじゃ。えい、【活力】」
暖かいものに包まれるような感覚があって、私は一瞬、何もかも忘れてその心地よさに浸っていた。満たされるって、こういう事を言うのだろう。
「もう起きられるはずじゃ。はよ働け」
「師匠ひどい」
「酷くない。いっちょも終わっとらんもの」
確かに。
溝の幅は狭く、一フィート程しかないけれど長さは三十二フィートもある。深さも一フィート。片足を入れて中腰で泥を掻き出すのはすごく辛い作業なんだから、ほんのちょっと、そう、八フィート程しか進んでいなくても許して欲しい。
師匠は手伝ってくれないんだし!
あれから何度か【活力】をかけてもらいながら合計四本もどぶを掃除した。師匠はあくびしながら鼠を退治したり、私がごみを入れるための目の細かいカゴを寄せてくれたり、スコップを使わない作業をしてくれた。
仕事終わる頃には日が傾き始めていて、さすがにくたくただった。探索者のおじさんは、仕事ぶりを褒めてくれて、報酬をくれたけど……。
「一日働いて、これだけ……」
私の掌の上には銀色の硬貨が一枚載っている。
うーん……一枚かぁ。
これにどれだけの価値があるか分からないけど、何だか……うん。
「お金を稼ぐのって、難しいね」
「ひ、ひ、ひ。じゃが銀貨じゃぞ? これ一枚で一家族六人が一日の飯を賄えるんじゃ」
「へぇ……」
私は小さめのプラム程しかないくすんだ銀色の円を、消え行く陽にかざした。
これが、働くってことなんだ。
お腹が空いていたので、探索者の庭には戻らず宿に直行することにした。けど、あまりにも酷い臭いだったようで追い出されてしまった。先に体を洗ってこい、だそうだ。師匠は嫌そうに首を振りながら大手門の方角へ歩いていく。
王都に続く方が大手門で、抜ける方は裏門と呼ばれているのだそうだ。その大手門の近くに大衆浴場があり、朝から日没の半刻前まで営業している。日没までにはもう閉めて浴槽などを洗い、汚れたお湯を下水道に流すので馬を洗うのに残り湯を無料で使える。人間も四分銀貨一枚で馬とは違う、区切りのある場所で体を洗えるのだ。
そんな場所があるなら、師匠も毎日ちゃんと洗えば良いのに、と思ったが昨日の師匠は文無しだったや。浴槽に湯を張って、香りつきのシャボンをぶくぶくさせて入っていた生活には戻れなくても、せめて体は洗いたい。私は今日の稼ぎを払って場所を借りることにした。
「気にせんでも馬と洗えば良かろうに」
「やだ」
「ワシゃ、馬と洗うぞ。そこらの藁をくるっと丸めてそれで洗え」
「……シャボンとか」
「ない」
ため息が出る。結局、雑貨屋も仕事が終わる頃には閉まっていたから何も買えていないし。
でも仕方ないや。ロランもまさかこんな所に私がいるとは思わないだろう。身を隠すには丁度良いと考えよう。
仕切りは馬小屋にありそうな粗末なものだった。それでも、体を隠す分には問題ないようで安心した。お金は先に払う。お釣りとしてもらった四分銀貨は大豆を潰したような形でぷっくりとしていた。国章が捺してあるので本物だ。今までお金を見る機会がなかったので、この可愛い銀色の粒で品物が取引されているなんてにわかには信じがたい。
仕切りの中に入り、まずは手を洗った。脱いだものは籠に入れていく。今日の仕事で服はあまり汚れなかった。少しハネが跳んだくらいか。汚れがある部分だけ濡らして洗う。ブーツは中を濡らさないように丁寧に汚れを落とした。汗をかいてしまっているのは仕方がない。着替えがないんだから、新しく服を手に入れるまでは我慢だ。
暖かい湯が心地よい。体と下着を洗い、頭も軽く洗った。髪の毛が長いつもりでいたので、後ろ頭に手をやって、その喪失感に胸にもぽっかりと穴が開いたように思われた。
……泣いては駄目だ。
バシン、と両手で顔を叩いて涙を追い出す。泣いても解決しない。
借りた手拭いで全身を拭いて、また元のように身に付けていく。下着は思いきって穿かずにズボンを着けた。洗ってしまったんだからしょうがない。よく絞ってベストの中に詰めた布に挟んだ。
「おぉ~い、まだかいの?」
「いま、でる」
師匠に返事をして、私は仕切りを出た。忘れ物はない。ブーツに隠した四分銀貨が足に痛いので、明日こそ買い物に行けたら財布とかを買う!
大衆浴場を出る頃には空はすっかり真っ暗だったが、街路には火が焚かれている場所が多くて全くの暗闇ではなかった。もう帰りつくかという頃、人だかりが見えた。女の人のすすり泣く声もする。
「行くな、ジョー」
「でも……」
師匠が言うので近寄らなかったが、人の輪から誰かが離れた時に見えてしまった。
道に置かれた担架の上の布を。
そこからはみ出した子どもの手を。
「ししょう、あれ……」
「しっ! 別の通りを行こう」
師匠に手を引かれて道を外れる。掴んできた手の強さに何も言えなかった。あの子は死んだのだろう。きっと死んだのだろう。
「師匠……?」
「見なくて良いんじゃ。あの子は外に出て、魔物に殺された。施療院に運ばれたが、戻ってきたのじゃろ」
「わかるの?」
「いつものことじゃからの」
「どうして外に出たの?」
「理由は色々じゃ。仕事、隠し畑の世話、密猟……」
「外は危険なんでしょ?」
「生きねばならんからじゃ……」
私は返す言葉がなかった。今日一日で分かった事なのだ。お金を、食い扶持を稼ぐのは難しい。多少の危険は仕方ないのだと。
私とあの子の何が違う?
力も、お金もない。一緒だ。
……一緒だ。
宿に戻っても、食事が喉を通らなかった。何かがつっかえてしまったみたいだ。
「あらあら、どうしたの」
「ちょいとな、外に出た子どもの体が返ってきたところに出くわしてな」
「あら……」
「すぐに良くなる、気にせんでええ」
「かわいそうにねぇ……」
女将さんが私の肩を優しく叩いた。その言葉は死んだ子と私と、どちらに向けられたのか分からなかった。
「今日はワシも酒はいらん。ひとりで楽しむような気分じゃない」
「お爺さんはそれが良いよ、お金も無いしね」
「あるにはあるんじゃぞ」
「はいはい」
師匠はぶつくさ言いながらごはんを食べて、私にも部屋に戻るよう言った。私はのろのろと階段を上がって木枠の中に倒れ込んだ。ブーツの底を払うか脱ぐかした方が良いのは分かっていた。私はブーツを用心深く寝藁に隠して、もう寝ることにした。
今日は色々ありすぎて疲れたのだ。
おかしい。文字数の都合で元原稿を繋げて一つにした結果、「こどもにも出来るお仕事(意味深)」になってしまった感があるような…?
お読みくださりありがとうございます。明日22日木曜日は更新をお休みさせていただきます。代わりにといってはなんですが、こちらをお楽しみいただけたらと思います。
http://ncode.syosetu.com/n7956dm/『宿命の星が導く…したたかに見えてポンコツなお嬢様とやる気のないチャラい騎士のおはなし』