遺跡の主
出発して二日目の陽が傾き始める頃に遺跡に辿り着いた。こういう場所を駐屯地と言うのだろうか。さして効果のなさそうな、木の杭を尖らせて斜めに固定した物で囲んだ中に騎士たちの姿があった。かなり広く整地してあり、ここには全部で二十八名の騎士が詰めているらしい。僕たちと一緒に来た騎士が二十二人だから、元からここにいた者の方が多いのか……。車は二台、ヤックゥは十四匹。……この場所に長くいることはないだろうけど、ちょっと多すぎる気がする。
荷車を曳き、騎士を載せるヤックゥは、驚いたことに放し飼いにされていた。七フィートほどの高さを持つ大きな動物で、木の枝のように分かれた角を持っている。毛は硬くてベタベタするし、涎が臭い。そして鼻がとても目立つ。でも、長い睫毛に縁取られた目はとても優しいのだ。中でもレムが乗ってきたヤックゥはひと際背が高くて首が長い。なぜか僕のことを気に入ったようで、目が合えば挨拶代わりに僕の髪の毛をくんくんと嗅ぐのだ。彼女の名前はバル、可愛い女の子のヤックゥだ。
「おチビちゃん、どうして銀騎士のマントを巻いてるんだい?」
背後から声をかけられ、振り向くと見ない顔の聖堂騎士がいた。なんとも腹の立つことに、シトーのマントは押し付けられたまま、まだ僕の体に纏わりついていた。
「……着せられた。代わりに返しておいてくれますか?」
「おお、無理無理。怒られたくないから」
「むぅ……」
銀騎士がどういうものかは分からないけれど、普通の聖堂騎士よりちょっと偉いみたいだ。生意気な……。
若い聖堂騎士は、食事ができたからと哨戒当番ではない者たちに知らせて回っているのだった。野晒しの食卓の周りには一応風除けの布が張ってあったけれど、聖堂騎士たちは僕と同じように白術で体を暖めることができるのだから、この布はフィーたちのためだろう。まあ、フィーは黒術で風をやませるんだろうけど。
寝る場所は氷を切り出して作った建物の中で、僕たちは四人でひとつのそれを与えられた。サムが嫌がるかと思ったのだけれど、不思議と文句は出なかった。
「原始の黒き流れよ、我が願いに形を与えたまえ。死の運び手を遠ざける砦を我らの周りに築きたまえ、【陰気結界】!!」
フィーが朗々とうたい、魔物避けの術を導いた。これで駐屯地全体を陰の気を放つ氷の魔物たちから守ることができる。聖堂騎士たちも交代でこの術をかけてはいるようだけれど、フィーほど強力なものではない。ただ……以前よりも詠唱は短くなってきているものの、やはり長いと言わざるを得ない。けれど、それをどうしたら良いのか、僕には分からなかった。
思えば、フィーとは聖火国に着いてからゆっくり話していない。ここで一度、ちゃんと事情を説明する必要があるんじゃないだろうか。明日のことがあるから早めに寝るようにとサムには言われたけれど、僕は寝ているフィーにそっと話しかけた。
「フィー、まだ起きている?」
「起きてるわよ。どうしたの、ジョー」
「あの、サムから聞いたと思うけど、僕ね、あの……魔王を倒す目的があって……」
「うん」
「だから、その……魔術、本当は使えるんだ」
「うん、そうよね」
「黙ってて、ごめんなさい」
フィーの手が伸びてきて、僕の頭を撫でた。
「不安だったのよね。わかるわ。気にしないでいいのよ、ジョー」
「でも……」
「今思えば、色々とおかしな点があったもの。私が未熟で、気づくことができなかっただけでね。さぁ、寝なさい、小さな魔術師さん。明日は宝珠を取りに遺跡に潜るんだから」
「うん、おやすみなさい、フィー」
「うふふ、お休みなさい」
僕の頬に口づけがひとつ落とされた。明日への不安はひとまず忘れ、僕は眠りの中に身を沈めることにした。
遺跡の入口は十フィートほどで、大人が二人並んで立つと窮屈に感じるくらいの幅だった。石造りの小さな建物で扉を左右に開け放つと、地下への階段が現れる。それと同時に冷気が吹き出して聖堂騎士たちを動揺させた。
「これは……ちょっと難儀だよねぇ」
レムが呟く。フィーもそれに頷いた。聖堂騎士たちは陽の気と陰の気を併せ持つが、陽の気が強い者が多い。特別な訓練を積まなければそれが逆転することはない。だから、陰の気に耐えることはできても長くは続かない、陽の気が尽きて死ぬ。逆にフィーは陰の気を持っているから同じ陰の気の攻撃には強いけれど、陰の気が強い魔物に攻撃してもあまり効果がない。
「俺だけでまずは罠とか見てこようか?」
「やめた方がいい。死ぬよ」
ただの人間であるニールなら、きっと百歩も歩かない内に死ぬだろう。この遺跡の外側ですら、火がつかないくらいなのだから。焚かれていてしかるべき篝火がないのがその証拠だ。
「さて。魔導師のお姉さんに陰の魔物をすくませる術を用意してもらって、先頭で陽の気を放出しながら進むしかないかな~。一列に並んでもらおう。まずは十名、先行しろ。第一、第二分隊、前へ」
レムの命令で十名の聖堂騎士が列から一歩前に出る。嘴のように突き出た覆面兜のせいで表情は分からない。
「僕が先頭に立つよ」
「いや、必要ないね」
レムはにべもなく僕の提案を断った。
「罠とかあったら、どうするの?」
「踏み潰すね。死ななきゃなんとかなる」
「…………」
隣でニールが小さく「うへぇ」と呟いた。僕も全く同じ気持ちだ。でも、ここで問答していても仕方がない。僕はレムに譲ることにした。ニールもサムも顔を覆う長布を巻き直し、準備を整えた。僕はといえば、シトーのマントを外し、黙って持ち主に突きつけた。
「……何の真似だ?」
「大きすぎて動き辛い。返す」
シトーは不機嫌そうに僕を見下ろし、舌打ちしてそれを受け取った。バサリと羽織り、肩の金具で留める。やっぱり、元の持ち主が身につけるのが一番似合う。
「……行くぞ」
「うん」
僕が頷くと、シトーは珍しいものでも見るように片眉を上げた。レムの号令で最初の聖堂騎士が扉をくぐった。
――ヴォォオオオォォオオオオ!!
「っ!!」
「何だっ!?」
遺跡の奥から空気を震わせる大きな音が、いや、唸り声が響き渡った。聖堂騎士たちもヘルムの上から耳を押さえ、中には蹲っている者もいた。そして、それに応えるように遠くから魔狼の遠吠えがいくつも上がる。
「不味いな」
駐屯地には聖堂騎士たちがいるけれど、夜を徹してここを守っているため、彼らの三分の一はすぐには使い物にならない。まだ止まない遠吠えに背筋が震える。でも狼の群れを相手にしている暇はない、地下にもあの唸り声を上げた魔物が待っているのだ。僕は階段へ向けて走った。
「待て!」
シトーの指は僕の背に触れただけで掴めはしなかった。聖堂騎士たちの間をすり抜け、階段を駆け下りる。
「ジョー、俺も行くぜ!」
「ニール! 少し離れてついてきて。罠があったら、僕が壊す!」
「ちぇっ、俺の出番はなしかよ! 活躍を見せてやるのに!」
「後で来るかもよ!」
拗ねてみせる彼に軽口で応え、僕は陽の気を放出し、【障壁】をニールにもかけた。通路は暗い。
「見てて、ニール……。照らせ、闇を払え、【灯火】!」
これこそ、師匠の教えてくれた明かりの術だ。無知という名の闇を払い、人々の行く道を照らす、希望の光……魔術師が持つべき【灯火】なのだ。無知は恐れであり停滞であり、陰の持ち物だ。それを退ける、強い力、すべてをあまねく照らす陽の力だ!
「ジョー、待って! ジョー!!」
フィーの悲鳴を背にしながら、僕は足を止めなかった。
聖堂騎士たちが被っているヘルムは、バシニットを原型にしています。ドイツではクラッペビシエルと呼ばれ、英語ではハウンド・スカルやピッグ・フェースとも言われます。