前進
アルファラが陥ちたというディーヴルの言葉を、すぐに飲み込むことは難しかった。僕の困惑を嘲笑い、Dは『ご自分でご覧になったら?』と囁いた。揺れはすでにおさまってきている。
【遠視】の魔術を使えば、確かにアルファラの様子を確めることができるだろう。でも、僕にはそんなこと、怖くてとてもじゃないけどできそうにない。
『どうしたんです? ちゃんと視て、確かめて。皆に教えてあげましょうよ』
僕はフィーを見た。サムに支えられながら床に座り、不安そうに眉をしかめている。アルファラはフィーの故郷だ、真実を伝えてあげた方が、いいのかもしれない。
「ああ、サム、どうしましょう。何だか胸騒ぎがするの……怖い……」
「フィー、大丈夫だ。とにかくここを出よう。崩れたらいけない」
「ええ、そうね。それにこの街の人々も心配だわ」
今にもここを離れてしまいそうな二人の言葉に、僕は覚悟を決めて目を閉じた。フィーに話すなら、中途半端を許したくない。自分でもきちんと視なければ。
【遠視】はただ見るだけじゃない。高所から飛び降りたときのふわっと浮く感じがして、実際にはそこにはいないのに、見たいと思った場所を空から見下ろしているんだ。何度使っても慣れない魔術だ。
アルファラはきっと酷いことになっているだろうと、そんなことは分かっていたはずだった。
それでも。
それでも、そのあまりに悲惨な光景に僕は息を詰まらせた。建物の大半は壊され、そこらじゅうに人間が転がっている。アルファラを囲んでいた高い壁はその半分ほどが消えてなくなり、おそらく王都も……。
『そうですとも。王都の火は消えた。約束を果たさぬ王が悪いのですよ』
(え……? どういうこと?)
『契約には対価が必要なんです。それは知っているでしょう? 愚かな王が愚かな選択をしたというだけ」
(待って……。つまり、こんなことになっているのは、王様のせいなの……?)
『そうですとも。愚かで、矮小で、無力! 貴方がた人間って、本当に面白いですね』
「ひどい……」
思わず飛び出た言葉は、誰に向けたものでもなかった。けれど、僕を床に押し付けていた腕が緩んで、誰かに抱き起こされた。フィーも小走りに駆け寄ってきて、頭を撫でてくれる。
「大丈夫、ジョー? どこが痛むの?」
少し冷たいフィーの指が、僕の目許から涙を掬い上げて、頬をぬぐってくれた。優しいフィー。でも僕は彼女に告げなくちゃいけない。この澄んだスミレ色の瞳をきっと悲しみで曇らせてしまうだろう。そう思うと涙が止まらなかった。
「ジョー?」
「フィー、聞いて。アルファラが……、アルファラが、魔王の配下に……」
「何を言っているの、ジョー?」
「僕は【遠視】が使えるんだ。……王都も、もう……」
フィーの表情が、呆気に取られたような驚きから、困惑、そして……気づいてしまったのだろう、表情が消えた。
「そんな……お父様……」
「オフィーリア!」
膝立ちでいたフィーの体から力が抜け、ガクンと肩が揺れた。サムが抱きとめ、フィーと僕とを交互に見る。僕は彼の目をまともに見返すことができなかった。
「いったい、どういうことだ?」
「それは……」
サムの硬い声がまるで責めているようだ。いや、責めているんだ。僕を。
「あのね、坊や。皆が不安になっているときにそんな嘘は感心しないな~」
「嘘じゃない!」
僕は上から投げられたレムの言葉に思わず叫んでいた。こんなときに嘘なんか吐くものか。好きでこんなことを知らせるものか! なおも説教しようとするレムを止めたのは意外なことにシトーだった。
「こいつが嘘を言うとは思えない。確かにアルファラの方向だった」
「だがねぇ、【遠視】の術と言えば魔導師にだっておいそれとは使えないっていうのに……」
「こいつは外典の輩だ、どんな術が使えてもおかしくはない」
二人のやり取りをニールの大声が遮った。皆の視線が一気に集まる。
「ちょっと待てよ……。とおみ、だか何だか知らねぇが、アルファラが滅んだっていうのは本当なのかよ! 王都も? だったらデルタナは!? デルタナはどうなるんだよ!」
「……ソーンさん」
ニールの言葉に、一気に血の気が引く。そうだ、デルタナのことがあった。……完全に頭から抜け落ちていた!
「なぁ、デルタナに戻った方がいいんじゃないのか!?」
「よせ、戻ってどうする。被害が増えるだけだろう」
「だって! くっそ、アンタは他所から来たから……わかんないんだろうけどなぁ! 俺にとってデルタナは……」
「おれだってアルファラは長いこと居た拠点だった。それに、ガイエンたちのことだってある」
「……悪ぃ、サム」
「いい。それよりフィーが……」
サムの胸に体を預け、声もなく涙を流していたフィーは、どうしたらいいのか分からないと言い、ゆるゆると頭を振った。きっと僕やニールが今すぐにでもデルタナへ行きたいのと同じように、フィーだってきっとアルファラに駆けつけたいに違いない。
「遺跡を目指すべきだ」
沈黙を破り、力強い声でそう言ったのはシトーだった。
「前進するしかない。宝珠を見つけ、その陽の気で凍土を溶かす。その上で全聖堂騎士でもって魔王を討つしか手はない。命と引き換えにすれば、魔王を倒せずとも封じることが出来るはずだ」
「……できるの?」
「聖典にはそうある。だがそれも、宝珠に火を灯すことができるかどうかにかかっている。勇者のいない今、本当にお前がそれを成せると言うならば」
「やれる。僕が、やる」
「……この目で見るまでは信じないぞ。魔の者の手を借りるのも本意ではない。だが、これも世界のためとあらば」
「協力して、魔王を倒そう。僕の目的はそれだけだ。デルタナを、世界を、救いたいんだ」
「いいだろう。だが、お前の真の目的が魔王に近付き、その力を手に入れることだとしたら、そのときは必ず、お前を殺す」
「……うん。あなたとの関係はそれくらいがちょうど良いよ。僕を見張り、もしものときは僕を殺すといい」
「ジョー!! 何言ってんだお前!」
僕とシトーは硬く握手した。
ニールがそれに割って入り、僕を叱る。横に立っていたレムがわざとらしく大きな溜め息を吐いてみせた。
「……鵜呑みにはできないね。上の方々の判断もあるし。とにかく、混乱を鎮めるために行かなけりゃならない。君たちは宿に戻っていなさいね。後で迎えをやるから、それまでそこにいること。大手門には絶対に近付くんじゃないよ、いいね」
「イレーヌ……! 門の外に知り合いがいるんだ、僕も行く」
「なら、見つけ次第引き返すんだ。手伝おうとか、余計なことは考えないことだよ。子どもにできることなんかないんだからね」
「…………」
レムの牽制に何も言い返せなかった。フィーはこの街の人々のためにと、心痛を押し隠し救援に向かい、サムもそれに従った。置いていかれた格好になった僕たちだったけれど、イレーヌたちを探すため、僕らも外に出た。向こうも僕らを探していたおかげか、割とあっさり合流できた。話によれば、門の外の共同体から火の手が上がって一時的に混乱が起こったそうだ。聖堂騎士の迅速な対処によって大した被害は出なかったそうなんだけれど、それでも死者は出てしまった。
凍土を封じていた三枚の防壁はそのすべてが破られていた。このことで守りは全く意味を成さなくなってしまい、ほころびから魔物たちがあふれ出て聖火国を、ひいては大陸中に広がるだろう。そして、魔導師たちの【遠視】によってと、物見の塔からの報告によって、一夜にしてアルファラと王都が壊滅したことは皆に知れ渡っていた。出発の前には犠牲者への祈りが捧げられ、おおよその人々の期待から外れた重々しい空気の中で、ヤックゥが曳く車は動き出した。大聖堂に仕える導師が僕の隣でポツリと言った。
「出発が襲撃の後で良かったわ。大々的に送り出した後にこれでは、さすがに目も当てられん」
その言葉に僕は震えた。胸に氷の棘が刺さったような、息苦しさと痛みが広がっていく。
「大丈夫か、ジョー。もしかして乗り物苦手か?」
僕は酔ったりなんかしない。けれども、今だけは酔ったことにさせてもらおう。Dのいない心細さもあって、背をさすってくれるニールの、その手の優しさに甘えてしまった。