市場での諍い
サムとフィーが二人だけの世界を作ってしまい、仲睦まじく頭を寄せ合っていたときのことだ。ポカーンと口を開けたままのジョーを引き摺って、ニールは部屋の外に出た。火の焚かれていない冷やりとする石廊下には他に誰もいない。暖を取ろうとジョーを抱き寄せると、猫を踏んづけたときのような声を出してもがいた。
「なんだよ、ちっとくれぇいいだろ」
「良くないよ、冷たいよ」
「ちぇっ」
「……ジャハルに似てきたよね」
「んな、誉めるなよ!」
「…………」
ジョーは諦めたのか、おとなしくなった。しかしこいつ、本当に温かいな、とニールは思った。まるで火の側にいるみたいだ。背が低いから子ども体温なんだろうか。
だが、ジョーだってもうすぐ成人だ。魔王退治だとかのゴタゴタが片付いたら成人の祝いをしてやろう、とニールは心に決めていた。報償金も出るだろうし、そのときはデルタナで派手にやってやろう。きっと美人が祝いに来るだろうから、女の口説き方も教えてやらなくちゃならない。美女を侍らせて酒盛りができたら楽しいだろう。
そんなことを妄想していると、緩くなった腕の隙間から音もなくするり、とジョーは抜け出した。
「よし、ジョー。俺はポッソと買い出しに行ってくる。宝石を掘り出しに行くんだろ? 道具は聖堂から出るとして、やっぱ細々としたもんや食い物は自分で用意しないとな。漏れがあったら困るのはこっちだし」
「……何かが違うと思う。でも、いい。僕も一緒に市に行く」
「いや、お前は留守番だ」
ジョーの眉間にわずか、皺が寄る。ニールにはそれが「納得してないぞ」というときの表情だと知っている。
「ちっさいお前がついてきたって、邪魔になるだけじゃん」
「…………」
「ウソウソ。しばらくイレーヌと遊んでやれねぇから、今日はしっかり遊んでやれよ。ほら、楽器持ってってさ。お前が友達作ってやれ」
「…………」
ジョーは嬉しそうに目をぱちくりさせた後、自信がなさそうに目を伏せた。この小さな変化だけでジョーの感情が読み取れるのはニールだけだ。いつも「よく分かるな」と驚かれるが、ニールからすると、なぜ分からないのかが分からない。
気落ちするジョーを宥めつつ、大聖堂の裏から出ていく。筋肉質な賢者はいなかったが、代わりにイレーヌと黒衣の女性の姿があった。姿勢の良い美人だったが、近づくと年増なのが見て取れる。
「……僕、あの女嫌いだ」
「へぇ」
にこにこしているが本心が読み辛そうな女だった。ニールもまたジョーと同じように感じてはいたが、滅多に他人を悪く言わないこの少年がはっきりと嫌いだと言ったことが意外だった。
「ジョー! ジョー、あそぼ!」
「うん。今日はたくさん遊ぼう」
「やったあ!」
イレーヌがジョーに飛びつく。女はそれを見て、静かに去っていった。控えめでどうといったところのない女に見える。ニールは首をひねった。どこの誰だか、ポッソは知っているだろうか。
イレーヌは今日も元気いっぱいで、さっそくジョーを相手にペラペラとおしゃべりを始めている。このくらいの歳の益体もない話が大の苦手であるニールはこっそりその場から遠ざかった。市場に行くと知れたらイレーヌがうるさいかもしれない。ついてくるなんて言い出したら……。
(かんべんな、ジョー)
身振りだけで謝ると、ジョーはこくりと小さく頷いた。ちゃんとニールの動きも見ていたようだ。
(やっぱ、オレの相棒はあいつっきゃいないぜ。面倒ごとは任せたぜ、ジョー!)
ジョーの苦手分野はニールが、ニールが面倒なことはジョーが、今までもそうやってきたのだ。きっとこれからもそうだ。ニールはポッソが待つ大手門まで走っていくことにした。
「そりゃ、カダルの大奥様だ。ジャンヴィエーヴ・カダル 様、えらい婆さんだが美人だったろ?」
「ああ、うん。結構な年増だったけど、綺麗だったな」
ポッソと二人、細々とした物を買いつつ市場を見て回った。こうした買い物はこの地域に慣れた者が同行した方が、短時間で安く手に入る。今回の買い物では、より寒い場所に行くため、肌や皮製品に塗り込む油を主に買い揃えた。特にフィーの分は臭いがキツいと嫌がるので、花の香りをつけた最高級品を大量に買うことになる。金貨の大盤振る舞いで、周りの客人が大騒ぎ、店の主人もホクホク顔だった。
品物の代金は全てフィー持ちなので、思う存分に贅沢ができる。浮かせた分で買い食いし、今はブラブラと店の商品を眺めているのだった。
「お、あの毛皮は値打ちモンだぜ」
ポッソの囁きに棚を見ると、灰色の毛皮の襟巻きが下がっていた。毛もふわふわで見目も良い。なかなかの値段がついている。
「ありゃ、兎の値段がついてるが、本当はもっと価値がある。滅多に見ない銀ネズの毛だぜ」
「ちょっと確かめてこいよ。うまく売れば儲けが出るだろ」
ニールの言葉にポッソが情けない顔をした。手持ちがないのだ。
「俺が払う日当で買えるだろ、ほら、行けよ」
「愛してる! 恩に着るぜ!」
ポッソが駆け出し、毛皮を手に取ろうとしたところ、誰かが横から彼を突き飛ばした。変な方向から押され、周りの品物を巻き込んで大きな音を立てて転がるポッソ。ニールは咄嗟に駆け寄っていた。
「何すんだ、お前!」
「ボクが先に見つけたんだ、汚い手で触るな、浮浪者が!」
「んだとぉ!?」
ポッソは足を押さえて痛がっていたが、ニールには手で「無事だ」と合図を出していた。だったら後は、この不躾な馬鹿をぶん殴るだけの話だった。相手は頭巾付きの揃いの外套を羽織った四人組で、ポッソを転ばせたのは一番背の低い男だ。まだ少年と言っていいかん高い声でとんでもないことを言っている。巻き込まれたくない者たちがいっせいに場所を開けた。
ニールが見上げた頭巾の中身は、中性的な目鼻立ちの白い顔をした少年だった。鼻の頭にはまだそばかすが浮いている。かなり若い。自分やジョーと同じくらいか、とニールは見当づけた。
「謝れよ、坊っちゃん!」
「なんだって?」
「ポッソは浮浪者じゃねえ、ちゃんとした商売人だ。言い掛かりで怪我させやがって、治療費置いてとっとと失せろ!」
「こ、こいつ……!!」
そばかすの少年が腰の小剣を抜き放つ。周囲がいっそうざわめいた。
「ニールぅ……」
「どいてろ。すぐにケリつけっから」
だが、ニールが無手で構えたとたん、一番長身の男が少年の味方をするように彼の斜め後ろに立った。
(くそ、二対一かよ、卑怯くせぇ!)
「おい、よせアレクス。ダンも、お前が悪い」
「で、でも、ガストンさん!」
ガストンと呼ばれた固太りの男が、頭巾をはいで顔を見せた。腰の鞄から小袋を出し、ニールへと差し出す。投げてよこさないのも、いきなり間合いに入ってこないのも、なかなかどうして礼儀の分かる男だ。ニールは彼をひと目で「できる男」だと認めた。
「……どうも。あんたに免じてそこの餓鬼が直接謝罪しねぇことも飲み込んどくわ。俺はニール。もう会うこともないだろうけど」
「すまん。よく言って聞かせる。ほら、行くぞ!」
ガストンに言われ、ダンとアレクスの二人は渋々といったように回れ右した彼についていく。残ったひとりは、じっとニールを見ると、不意にニヤッと笑った。
「手合わせ、見てみたかった。お前、けっこうできるだろ?」
「…………」
「うちのが悪かったな。またどっかで会おうぜ」
「あんた、何なんだ?」
「おっと、気を悪くするなよ。オレはここに人探しに来ただけだ。何だったら頼まれてくれねぇか?」
「断る。俺も忙しい」
「そうか……。なら、仕方ねぇな。あばよ、ニール」
「あんた、名前は?」
「…………アディ。白百合を探してる男だ。もし引き受けてくれる気になったら、『青鷺亭』に来てくれよな」
勇者と同じ名を言い置いて、眼帯の男は去っていった。見えている左目は黒く、ニールの心によく似た少年を思い起こさせた。黒く、昏く、ぞくりとするような、あの瞳が……。
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