語られる秘密
僕の目の前では偉大なる戦士オリク様による、実演も交えた鍛練についての授業が行われている。僕? うん、僕もやらされているよ。
絶対にかける言葉が間違っていたよね。どうして筋肉について聞いてしまったのか。オリク様も最初は筋肉を作るには、と熱弁を奮っていただけだったのに、負荷のかけ方とかの話に移ってからは体を動かし始めてしまって……。
「うむ、ジョーは筋がいい。体は小さいが、気の流れ方は理想的だし、陰と陽のどちらにも偏っていない。ふむ……合格だ。聖堂騎士見習いとして歓迎するぞ」
待って、僕は騎士になりに来たんじゃないよ!
「さあ、行こうか!」
「待って! 違うんです!」
お互いによく話し合ったら、オリク様は僕が聖堂騎士になりたくてやってきたんだと勘違いしていたことが分かった。引退した聖堂騎士や聖堂で教鞭を取る導師を頼って見習いになるに足るかを調べてもらうことはよくあるらしい。さっきみたいにオリク様ご本人が見ることも稀にあることだとか。
ちなみに。僕が腕を取られて連れていかれそうなところを見たニールが、走ってきてその勢いで跳び蹴りをかましてしまうという事故があった。それをオリク様は片腕で防ぎ、ニールもそれは折り込み済みで懐から細身のダートを抜いていて、しかし腕を踏み台に空中に跳び上がっていたところに掌底で吹っ飛ばされて転がった。
ニールは胃の中が空っぽになるまで吐いてしまうし、オリク様は刺さらないまでもダートで痣ができてしまうし、僕は「紛らわしいことしてるんじゃねぇ!」と拳骨を食らうしで、本当にひどい事故だった……。
「誤解も解けたし、傷も癒えた。本題に入ろうではないか。して、聞きたいこととは?」
全員の視線が僕に集まる。はやる心を落ちつかせるため、深く息を吸って、僕は切り出した。
「僕は聖典を読むためにこの国に来たんです。どうかお願いです、魔王を倒すために協力してください……」
「無理だな」
「えっ……」
「なっ」
「魔王は倒せん。条件が整っておらん」
食ってかかろうとしたニールを片手で制し、オリク様は続けた。条件が整っていないとはどういうことだろう。Dに呼びかけても返事がない。いったいどうしたと言うんだ。オリク様が続けて魔王打倒の条件について語ってくれることを期待したのだけれど、彼は厳しい表情で僕の全身を眺めポツリと、問いかけているのか独り言なのか分からない言葉を漏らした。
「貴い血筋には見えないが、そもそもどこで魔王という存在を、それを倒すという考えを持った。なぜ聖火に来ようと思った」
「……僕の師匠の魔法使いが、魔王を倒せば氷は溶け、魔物は減る。そう言っていました」
「魔法使い……まさか、あのお方か。名は、言わなかったか?」
「いいえ」
「そうか……そうであろうな」
オリク様は何かを懐かしむような遠い目をしながら、穏やかに、そして嬉しそうに笑った。Dの表紙を開いてすぐの頁に殴り書きのように書いてあった徴のことを思い出した僕は、慌てて鞄から呪文書を取り出した。
「オリク様、あの、これ……!」
「おお、これはまさしくあのお方の徴! お懐かしい……」
「だれ~?」
「はは、伝説の大魔導、隠者、魔法使い……様々な呼び名を持つ私の師匠だよ」
「!!」
「へ~、オリクさまのおししょーなんだね!」
思わず体が震えた。師匠の弟子……オリク様がいくつのときに師匠に教えを乞うたのかは聞いてみないと分からない。だけど、ソーンさんの面倒も見て、オリク様とも交流があったと? この数年は溝鼠と呼ばれていた師匠が?
「おい、ジョー。大丈夫か、お前、顔色が悪ぃぞ?」
しかし僕はニールの言葉を無視して、オリク様の方へと一歩詰め寄った。冷えきった頭が、ふらふらする。
「……いつから、師匠とお知り合いなのですか?」
「あれはそう、いつだったか。まだ私が成人する前のことだ。あのときから隠者様はご老人だったがね。厳しい先生だった。私が落ちこぼれだったから、それは仕方のないことなんだが」
「貴方は、おいくつなんですか?」
「私か。私は今年、齢六十の節目を迎える」
誰もが黙った。イレーヌだけは無邪気に「おめでとう!」とオリク様に抱きついていたけれど、今はその声すら遠くに霞んだように聞こえる。師匠はいったい……。
(D、知ってたの? 知っていて黙っていた……?)
『知りませんよ~。嫌だ、知ってて黙っているわけないじゃないですか。そもそも、私を何だと思っているんです? 私は呪文書、魔術のことしか知らない呪文書ですよ? 私には時間の流れを感じ取ることができません。むしろ、考えたことなかったですね。興味ないですもん!』
「そんな…………」
尋常ではない寒気とあまりの気持ち悪さにへたりこんだ僕の背を、ニールが支え、さすってくれた。そのニールも、眉を寄せてしかめっ面をしている。その顔を眺めていると、嫌な動悸をさせていた胸の内も段々と治まり、吹き出していた汗も落ち着いた。指で額の汗を払い、立ち上がってオリク様に向き直ると、彼は僕の動揺を当然だと言うかのように頷いて重々しく口を開いた。それはさながら師と弟子の問答のようだった。
「ジョー、隠者様は魔王について何と言っておられた?」
「氷の魔王は倒せないと。なんぴとたりとも触れてはならないと……」
「それはなぜだ」
「そのときの僕の力では足りなかったからです。けれど、今の僕はひとりじゃない。僕の仲間となら、成し遂げられるはずです。だから少しでも魔王に関する情報が欲しいのです!」
オリク様の射抜くような目は、僕を品定めしていた。だから僕も、負けずに見返す。
「仲間か……。むざむざ死なせるのか?」
「死なせはしない! フィーとサム、それにニールの協力があれば勝てる。僕には分かる!」
「分かる、か。そう、隠者様もよくそう仰っていたな。私には最後まで理解できなかった。それこそ、隠者様が君を見出だした理由かもしれんな……」
「師匠が……? そうか、師匠には直観があるから……」
「ああ、その直観とやらだ。見れば分かる、とね。仲間にあのオフィーリアやサミュエルがいればあるいは……いやいや、やはり無駄だ。魔王を止められるのは彼しかおるまい」
「勇者アディ? 大聖堂を凍土から守った?」
「そうとも。今頃はどこへ行ったのやら……」
深い溜め息と共にゆっくりと首が振られる。
「大聖堂にある“炎の心臓”に火を入れ直した勇者アディ、彼は凄まじい陽の気の持ち主だ。同時に、陰の気も操ることができた。陰と陽、両方の気を持つ者は稀にだが見つかる。ジョー、君のようにな。しかし、宝珠に選ばれたのは彼だけだった。彼だけだったんだよ。
“炎の心臓”が輝きを失ってから、我々がどれだけその復活を待ちわびたか……どれだけ手を尽くしたか……」
「でも凍土は……」
「そうとも。凍土は拡がり続けており、魔物の数は増えるばかりだ。勇者アディは他に探し物があると言い、出ていってしまったのだ。我々は勇者の再来を信じ、宝珠の発掘を進めているのだよ」
「宝珠の発掘? つまりそれは、“炎の心臓”の他にも、凍土を退かせる宝珠がある……?」
「ああ、ある」
「…………」
もし、その宝珠を見つけられたら。もし、僕がそれを輝かせることができたら。
「きっと、僕なら宝珠に火を入れ直せるよ。凍土は溶かせる……勇者アディがいなくても、僕が魔王を、倒します!」




