大聖堂の裏側の門
夕食のために入った店は言うなれば屋台の延長のようなものだった。建物のほとんどが石を組んで造られている聖火の街では、よそから来て商売をしようと思ったらこういう形になるのは仕方がないことだ。デルタナでも貧しい地域ではよく見かけた。この店は外との仕切りが布だけではない分、上等な部類だ。
運良く四人で固まって座ることができ、いったい何を頼んだものかと辺りを見回す。干物でもいいから魚があれば嬉しいんだけど。酒飲みばかりしかいないこの店で、子どもが食べられる物があるだろうかと考えていると、ニールとポッソが勝手に注文を始めてしまった。口々に怒鳴るようにして飛び交う注文をどうやって捌いているのかさっぱり分からないけれど、どうやら僕の分もとっくに頼まれてしまっているようだ。飲み水の代わりに運ばれてきたのはお酒と薬草を煮詰めた苦いお茶だった。
「わたしもお酒がいい~」
「だぁめだっつの!」
ポッソがイレーヌの手から器を取り上げる。ぷぅっと膨れるイレーヌの機嫌を取るようにとんでもないことを言い出した。
「楽しかったか、イレーヌ。ジョーは優しいだろ、お嫁さんにしてもらいな」
「うん!」
「ちょ……」
「ジョー、お前もしかして初めて女の子と遊びに行ったんじゃね? 良かったな、なにして遊んだんだよ?」
「おままごとだよ。もう酔ってるの? あとポッソ、イレーヌはまだ小さいんだから余計なこと言わないで」
「お嫁さんにしてもらいな」はないと思う。簡単に言うなよ、まだ七歳なのに! それと残念ながら僕じゃお嫁さんにはしてあげられないよ。
「甘いな。女は成人前から旦那を見つけとくもんだぜ。特に、優しそうな奴とか稼げそうな奴なら、知り合ったときから唾つけとくもんだ」
「デキる女は肉食の獣みたいなもんだからな~。これってのがいたら仲間内で囲っといて、誰が食っちまうか決めるんだってよ」
「……怖い」
「こわいね~!」
口では怖いと言いながら、イレーヌはけらけら笑っている。でも、よく考えたらおかしい。女の子がそんな風にガッツリがっしり男の子を捕まえるなら、二人とも今頃は所帯持ちだろうに。だから、そんなのは嘘だろうと言うと、なぜか顔を背けて黙り込んでしまった。
「あ……、ごめん」
「……別に。オレらにも選ぶ権利くらいあるし。なっ?」
「だよな!」
どうやら触れてはいけないことのようだった。イレーヌだけはずっとご機嫌で足をバタつかせている。運ばれてきた料理は雑多な葉物の煮込みと石のように硬いビスケット、山羊肉の串焼きだった。ホカホカと湯気が立つ。焼けた肉の香ばしい香りが食欲を誘った。
食卓に肉が並ぶのが不思議だったけれど、ポッソがわけを話してくれた。それは凍土が迫る直前のこと、もはや逃げられないと家畜を一気に捌いて麻袋に詰め、冷凍しておいた村があったそうだ。その彼らが肉屋として掘り出した山羊肉を卸しているからこそ、そこそこの値段でこうして美味しい料理が食べられるのだ。今や大儲けで城が立ちそうとか。逞しいね。あと、つい最近になってデルタナからも肉屋が来るようになったことも理由のひとつだとか。それって多分、“貪欲な顎”がいなくなったおかげかな。
そんなどうでもいい情報のついでのように、ポッソがこぼしたひと言が心に引っかかった。せっかく人数割りできる串焼きなのに真剣に取り合いをしているニールとイレーヌは放っておくとして、僕はポッソに聞きなおした。
「勇者って、なに?」
「お、お前も知らなかったのか。そうか、デルタナとの行き来はなかったもんな」
「で、その勇者アディって、どんなひとなの?」
ポッソの口から語られたのは、聞いたことのない言葉ばかりだった。火の宝珠ってなんだ。それだけじゃない、彼は凍土の拡がりを一度だけだが食い止めたという。それが本当なら、もしもそれが本当なら……!
「彼は今、どこに……?」
「さぁ? おいらにゃ分かんないけど、聖火にはもういないことは確かだな。オリク様がそう仰ってたし」
「そう……」
膨らんでいた希望が急速に萎んでいく。街や国を出てしまった人間を追いかけていくことなんてできない。ましてや、彼の行き先すら分からないのに。彼こそが魔王を倒すべき勇者なのに、どうして聖火まで来ておきながら目的を果たさなかったのか。もしかして、まさか、魔王の存在を知らないのか……?
一年前にこの地を訪れたという勇者アディ。もし僕がデルタナにずるずると居座っていないで、自分の役割を果たすために旅に出ていたら。今頃は大聖堂の周りだけじゃなく、国全体を凍土から救えていたかも知れないのに……!!
悔しさの内に握りしめていた素焼きのマグが手の中で砕けた。熱い茶がかかる。そこそこ大きな異音に周囲の視線が集まった。
「うわっ、大丈夫か、ジョー」
「……あ、うん。ごめんなさい、割れてしまった」
「あら、いいのよ~。おかしいわね、ヒビでも入ってたのかしら?」
恰幅の良い女将さんが布巾を片手にやってきて、破片を集めて持っていってくれた。それが合図のように、客たちの騒がしさも戻ってきた。イレーヌやポッソも変には思っていないようでホッとする。彼らにも怖がられたら、嫌だ。
「そういや、そのオリク様って誰だ? さっきの話には出てこなかったよな?」
「おお、オリク様は大聖堂の元堂主だったお方だよ。もうお歳だからな、引退なされたんだ。おいらたちのことも気にかけてくださる、そりゃあ素晴らしいお方なんだぜ!」
ポッソは大仰な身振りでオリク様とやらを自慢した。それを聞いた他の客たちも口々にオリク様を讃えはじめる。その声に負けないように、僕はポッソに少し大きな声で話しかけた。
「元、堂主……? そのひとはどのくらい聖典について知ってるの?」
「そのひとじゃない、オリク様だ」
「その、オリク様は」
「そうだ。オリク様は偉大なお方だ、聖火国と聖典の生き字引とまで呼ばれて、皆から尊ばれていらっしゃるんだ!」
「会いたい。どこに行けば会える?」
「………………」
ポッソは憮然とした表情で黙った。もじゃもじゃの頭の中でどうしようかと考えているに違いない。
「僕はただ、聖典についてオリク様に教えを乞いたいだけなんだ。決して失礼になるようなことはしないから」
「………………」
「お、お願い……」
「ポッソ、頼むよ! せっかく聖火国に来たっていうのに、大聖堂には入れないんだぜ? あの、大聖堂にだぞ? だったらせめてすごいもんを目にして帰りたいじゃん。国の宝であるオリク様に、もし、ひと目でも会えれば嬉しいんだけどな~」
「………………」
「すげぇ案内人のポッソなら、聖火一、抜け道を知ってるポッソなら、それができるだろ? それにオレ、まだでっかい壁にも触ってねぇし、さ。もちろん、オレたちを案内してくれるだろ、デルタナの探索者は金払いがいいぜ?」
「……ったく、しょうがねえなぁ! おいらに任せとけ!」
「っしゃ、そうと決まりゃ、飲むぞ~!」
「おうよ、兄弟!」
「ずる~い、わたしも、わたしも!」
ニールが悪戯っぽく片目を瞑って僕に笑いかける。ポッソを説得するのは、僕だけじゃだめだったろう。そうだ、ニールにはいつも助けられている。ニールといれば、何事もうまくいく気がするんだ。もしかして、ニールなら勇者アディだって見つけてきてくれるかもしれない。そう思えるんだ。
フィーたちが帰ってきても来なくても、まずはオリク様に会いにいこう。出発は明日の最初の鐘が鳴ってからということになった。門の前で待ち合わせ、そこからポッソの案内でオリク様に会いに行く。大聖堂の裏側の門、いつもそこにいる年老いた男が賢人オリクそのひとだ。