勇者アディの不在
イレーヌとジョーが去った廃材置場では、ポッソが積み重ねられた石柱の上で身震いをひとつしたかと思うと、隅のほうへ行って小便を始めた。ニールも彼に倣って隅のほうへ立つ。
「ちょいと失敬。何だか急に寒くなりやがったんでな」
「確かに。うるさいのがいなくなったせいかもな」
「だな! そういうあんたの弟は、だんまりかと思ったら意外としゃべるんだな」
「はは、あんなにしゃべったのはいつぶりかな。今日はよくしゃべる」
軽口を叩きあいながら、股間の物の大きさや、尿の飛距離を競っていた二人だったが、どうにもどちらの勝負もはっきりとはつきそうにない。
「おかしいなぁ」
「はいはい」
ポッソは首を捻りながら元の位置に腰を下ろした。ニールはその隣に詰めるようにして座ると、懐から酒の入った分厚い陶製の瓶を取り出した。栓を抜いてひとくちあおると、深く円熟した酒精の芳香がポッソの鼻腔をもくすぐった。物欲しそうな視線の前に、瓶が差し出される。
「いいのか!?」
「寒いかんな。内緒だぜ」
「ははは、悪ぃ兄貴だな!」
交互に酒を口に運びつつ、ニールはまずは自分たちの事情から話していくことにした。それは彼が先生と慕うジャハルから教わった人間哲学に基づくやり方だった。ジャハルいわく。人間というやつは質問されてそれに答えてばかりだと、損をしている気分になって、口をつぐむ貝みたいなのがいるらしい。だからこそしゃべり倒して向こうにも情報をくれてやるのだと。聞くだけはタダだから損はないし、娯楽の少ない生活の中ではまだ聞いたことのない話ならいつだって歓迎されるものだ。それに、エサを与えてやればやるほど警戒心を解くのだとジャハルは言う。なぜなら、確かめようもない身の上話でも聞いているうちにそれだけで相手を見知ったように錯覚するからだ。
ちなみに、エサと言うのは何も口先だけでのことではない。酒もそうだ。「酒は人間の口を軽くする。ついでに女の尻もな。男なら酒にゃ強い方がいいぜ!」というのもジャハルの教えだ。特訓だとたらふく飲まされて死にたくなるほどの二日酔いを味わわされたりもしたが。そういうわけで、故郷ではなかなか使うことのなかった手管ではあるが、酔いが回るまでの間、肴代わりに話すことにする。先ほど、話の流れではあったがイレーヌのことでちょっと立ち入ったことを聞いた負い目もあった。
「この街に来た目的っつうのがな、聞いて驚け、魔王退治だぜ。魔王、知ってるか?」
「そりゃ大きくふかしやがって!」
「だろ? 魔王ってヤツはこの大地を端から端まで凍らせちまうつもりらしい。で、そいつを倒すためにも大聖堂に連れてかれたっきりの仲間と相談したいんだよな。ジョーは大聖堂に納められてる本ってのも読まなくちゃならねえって言ってたけどな」
「凍土……」
ポッソは笑うのをやめ、急に真面目な表情を作った。
「凍土はな、この国を覆っちまうとこだったんだ。魔物と戦うために残ってた聖堂騎士も術士も、魔導師様でさえ何もできなかった」
「じゃあ、どうなったんだよ」
「それが一年前のことさ。外からやってきたひとりの男が、大聖堂の地下に眠るでっかい紅玉、火の宝珠って呼ばれてるそれを再び輝かせたんだ!」
ポッソは握り拳を作り、ニールの鼻先に突き出した。何事かと思えば、その宝珠とやらはそれくらいの大きさらしい。ニールは頭の中でその価値をざっと見積もる。もしそれが本当だとしたら、途方もない値打ち物だ。一生遊べる金が手に入る。
「ずっと消えていた輝きが再び宝珠に宿ると、あっという間に大聖堂を中心に氷が溶けていったんだ! 大門は、まぁ、動かなかったんだけどさ。いきなり現れたそのおひとはな、大魔導の再来だと言われてる。大聖堂に招かれて、一生そこで歓待されるってのにそれを断った!」
「断ったぁ? そりゃまた……」
エラくふざけた嫌なヤローだな、という本音を飲み込む。俺たち下々の人間は一生働きづくだと言うのに、せっかくのんびり暮らせる誘いを断るなんて、馬鹿のすることだと思った。
「聖火の剣王に勝負を挑みにきたんだってよ。そんで三日三晩の戦いの果てに剣王を倒したんだ! 魔導師の位も断り、新たな剣王としての座にもつかず、そのひとは行っちまった……。だからおいらたちはあのひとを勇者と呼ぶんだ、勇者アディ、最高に格好いいだろ!?」
「勇者アディか。どんなヤツなんだよ」
「そりゃ……おいらは直接見たことねんだよ。けど、若くていい男だってよ。黒髪で背の高い、まるで王族みたいな身のこなしで」
「へぇ」
「アッチの方もお盛んらしい」
「け~っ!」
「むしろ女の方から押し寄せてくるってよ」
「まぁ、やっぱそうなるよなぁ。俺も早いとこ名を上げて……」
「お前がぁ?」
「俺はデルタナじゃ、そこそこの探索者なんだぜ。ジョーの手前、あんまり派手にやらかせねぇけどさ」
「へへん、じゃあ魔王退治で有名になれよ。そんときゃおいらが戦の準備を手伝ってやるさ。そしたらおいらのことも取り立ててくれよな!」
ニールとポッソはがっしと腕をぶつけ合って笑った。これはどこにでもある馬鹿話、誰にでも身に覚えのある大口叩きだ。酒が入っていることもあり、二人はそのまま猥談にもつれこんでいった。
イレーヌのままごと遊びにひとしきり付き合わされたジョーが戻ってきたときには、二人ともすっかり打ち解け、まるで十年来の友だちのように親密だった。そしてそのまま、弟妹を連れて腹を満たしに店へと繰り出すのだった。
★お兄ちゃんズな小ネタ★
ニール「仕事を頼みたいんだ」
ポッソ「お、なんだなんだ?」
ニール「大聖堂に入りたい。忍び込めそうな場所、見繕ってくんねぇかな」
ポッソ「大聖堂に!? どうしてまた……」
ニール「仲間が連れてかれたままなんだよ」
ポッソ「それってあの、オッパイのでっかい?」
ニール「そうそう! めっちゃでっかい!」
ポッソ「すげぇよな、あれ。谷間が……」
ニール「一回だけよろけたフリして触ったけど、指が埋もれたぜ! すっげ柔らかかった!」
ポッソ「くそ、いいなぁ~!!」
仕事の話には戻れなかった……。