聖火国のこどもたち
僕とニールはすっかり囲まれてしまっていた。と言っても、敵意は感じないし向こうは隠れているつもりかもしれないけれど、僕たちはすぐに気がついていた。十人くらいの子どもたちが遠巻きにしながらこっちを、主に干し肉を見ているのだ。
「欲しいの? 欲しけりゃ出ておいでよ」
「ジョー!?」
ニールが立ち上がろうとする僕の左肩をぐっと留めた。なんとも情けない顔をしている。
「なに?」
「なにって、やっちまうつもりかよ。なくなるだろ!」
「なくなるね。いいじゃない、いつかはなくなるんだし」
わっと集まってくる子どもたち。彼らが皆、やせっぽっちでガサガサな肌をしているのを見て、僕は悲しくなった。ニールも嫌々ながら手の中に残った干し肉を渡してくれた。
「ありがとう、ニール。きみたち、何人いるの? 並んでくれる?」
一斉に伸ばされる手を避けつつ人数を確認する。できるだけ均等に行き渡るようにしたい。十二まで数えたとき、もう一人物陰に隠れているのに気がついた。
「どうしたの、おいでよ」
ぴょこんと顔を出したのは、金髪の女の子だった。入国審査のために門前で順番待ちをしていたときに、一瞬だけ見かけたあの子だ。年齢は七つくらい、着ているものは古ぼけていて他の子どもと大差ないのに、彼女だけは可愛らしい丸みを帯びた頬をしていた。太っているわけじゃない、子どもらしいふくふくしさがある。頬も唇も血色が良く、健康的だ。
「きみは……」
「わたし、イレーヌ。お兄ちゃんのこと、さっき見たよ」
「うん。おいで、みんなで一緒に食べよう」
僕が声をかけるとイレーヌはにっこりとした。青空のように澄んだ瞳をきらきらさせ、走り寄ってくる。だがそれを一番背の高い少年が押しとどめた。
「おまえはダメだ、あっちにいけ!」
「どうして、どうしてそんなこと言うの?」
「おまえは仲間じゃない」
イレーヌの目に涙の珠が膨れ上がる。立ち上がろうとする僕をニールが止めた。
「どうして?」
「口出しすんな。あのチビっこは確かに“仲間”じゃない」
「ニール」
「アイツは腹一杯食べてる。だからあんなによく肥えてるだろ? 多分、どっかよそで食い物をもらってんだよ。だから除け者にされる」
きっとニールの言う通りなんだろう、イレーヌは細く頼りなげな、無表情のこどもたちの中で一人だけ輝くように笑顔を振りまいている。金の髪……聖火国に来て初めて見た。僕の母もこの国の生まれだ、そして僕も同じく。どうしたって彼女と僕を重ねてしまう。仲間に入れてもらえない、ひとりぼっちの女の子。
ニールはイレーヌを異物だと断定した。その口調はまるで、彼女を責めているかのようだ。「自分ひとりだけ食べ物をもらって、恥ずかしくないのか」と。
「だからって、イレーヌにだけあげないなんて不公平なことはできない!」
「あ、おい……!」
僕はニールの腕を振り払って、イレーヌと子どもたちの間に割って入った。
「きみたちの事情は知らない。けど、この干し肉をあげるかどうか、どう取り分けるかは僕が決めることだ。ここでイレーヌを追い返すなら、きみたちにも干し肉をあげないよ? よく考えて。きみが、彼らを束ねると言うのなら、僕の言うことが理不尽だと思っても、利口に振舞って」
僕の言葉に頭目である少年はきつい眦をさらに吊り上げた。好戦的な彼は僕を殴り倒して持ち物を奪えるかの計算をしつつ、背後に庇った年少者たちの不安、すべてが不首尾に終わったときの不満をどう押さえ込もうかということにも思考を割いているようだった。ちらちらと視線が動いている。
イレーヌはといえば、無言で僕の腰に縋り、外套のすそを掴んで震えていた。彼女からすれば十二対二なのだから当然か。
「……がりひょろ、よそモンのくせにそのチビの肩を持つのか?」
「…………?」
(がりひょろ? ………いま、僕のことを、がりひょろって言ったのか!?)
「きみね……」
言い返そうとしたとき、頭目より小柄な、彼の右腕と思しき少年が屈みこんで石を拾っているのが見えた。仕掛けてくる気か! 思わず身構えたけれど、そうはならなかった。さりげなく、だが、こどもたちがそれと気づくように体を動かしたニールが僕を急かしたからだった。
「まだかよ、ジョー。早くしろよな」
「……ああ、そうだね」
我関せず、いや、むしろ彼らの味方のような発言をしていたニールが「僕の側」だという態度を見せてくれたおかげで、そこから反発はなくなった。ただ、急にそっけなくなった彼らは、捨て台詞が出ない代わりに感謝もなく、目当ての物を受け取るや否やこの廃材置場から去っていった。それでも、本当に小さい子は手を振ってくれたりもしたんだけれど……。
「ったく、ああいう連中はすぐに力を見せつけたがる。血の気が多いんだよな、肉も食えないくせに」
「さすが、すぐに力を見せつけたがってた悪ガキはその手の流儀をよく知ってるよね」
「あん?」
「だって、ニールのことでしょ?」
「てめ、ジョー!」
「事実なのに!」
ニールの手から逃げつつ叫ぶ。だって、会ったばかりのニールって、僕を挑発したり拳を突きつけてきたり、示威行為で僕より上に立とうと必死だったじゃないか。もしかして覚えてないんだろうか。訓練だなんだといたぶられたこと、僕は忘れてないんだよ?
そんな僕らの様子を見て、イレーヌは楽しそうにきゃっきゃと笑っていた。そして、自分の分の干し肉をペロリと平らげると、僕の隣に座ってぎゅっと腕に抱きついてきた。
「お兄ちゃん、ジョーっていうのね。わたしを助けてくれてありがとう」
僕を下から覗きこむようにして笑うイレーヌ。くるくると変わる表情はどれも可愛らしいけれど、やっぱり笑った顔が一番だ。撫でてもいいものかと、そろそろと手を伸ばすと、イレーヌはさらに笑顔を深めた。手套を脱いで、彼女の金の髪に触れた。僕と同じ色の、僕とは違って流れる水のように細く真っ直ぐな髪に。
「ね、ジョー。この近くに引っ越してきたの? ずっとここにいてくれる?」
「……ううん。ずっとは、いないよ。この国には用事があって来たんだ」
「えぇっ、やだやだ。行っちゃダメ!」
「すぐには出ていかないよ」
「ずっといてよ。じゃないとわたし、またいじめられちゃう」
イレーヌは涙をこぼしながら泣き出した。撫でながら宥めても泣き止まない。よしよしと抱きしめると、小さな手が僕の背中に回された。こんな小さな子を、いじめるなんて……。
「おい、チビ。いつもはどうしてんだよ。今日が初めてじゃねーだろ。え?」
「ニール!」
「……いつもは、お兄ちゃんが助けてくれる。でも、いつもじゃないもん! お兄ちゃんはお仕事があるもん……いつもじゃないもん……」
「なら兄貴が来るの待てば? 行くぞ、ジョー」
「なっ、どうしてそんな……イレーヌに辛く当たらないでよ。可哀想じゃないか」
ニールの冷たい言い方にびっくりした。唇を噛んでうつむいているイレーヌに対して、あまりにもひどい。面倒見の良いニールが、どうして彼女に対してだけこんなにも冷淡なのか、理解できない。
「ほっとけよ、そんなん」
「ニール!!」
イレーヌはとうとう声を上げて泣き始めてしまった。僕はその小さな体を抱いて、ニールを睨みつけた。ニールの感情を映さない瞳が、つまらないものを眺めるようにして僕らの方を向いている。
(ニール……どうして?)
問いかけても答えが返ってくるかどうか……。ひょっとして、干し肉を分けてあげたこと、すごく怒っているんだろうか。それとも、こんな小さなイレーヌが他の子どもたちに内緒で誰かから食べ物を貰っていることを許せないんだろうか。
「ニール……」
「あのな、ジョー……」
ニールが何か言いかけたとき、廃材置場に駆け込んできた影があった。
「イレーヌ! おいこら、妹いじめてんのは誰だ!?」