聖火国、門前の騒ぎ
聖火国は、その名の通り火を崇拝している人々が暮らす国だ。嘘か本当か、世界が一度火の海に投じられた際にも、この国だけは形を失わなかったとか。とにかく長い歴史を持つことだけは確かだ。
フィーによれば、この世の知識の全てを書き記してあると噂の聖典、白と黒の二冊の書物が大聖堂に収められているそうだ。僕の目的である魔王に関する知識もきっと……ようやく、本当にようやく手がかりに辿り着いたんだ!
「十年以上前に一度行ったきりだけど、大聖堂のあるウィオラケの街はとても静かで、えも言われぬ雰囲気を持っていたわ……。ね、サム、もう着く頃かしら」
「ああ、あそこに碑が見えるだろう。あれを越えたら聖火国を取り囲む壁が見えてくるはずだ」
サムの答えにフィーが歓声を上げた。僕もホッと胸を撫で下ろす。朝から休憩なしで歩き詰めだ、昼食の時間をゆったりと長めに取りたい。疲れた体に甘い紅茶が欲しくなる。心なしか荷物も軽く、ゆるい下り坂を進んでいく。
「壁が見えてきたわ! ほら、門よ、旗が見えるでしょう?」
翻る紫地に、赤い刺繍で国章が描き出されている。その旗を頂きに掲げた入口の大きな門扉は開かれており、そこからこっち百五十、二百ヤードくらいまでは幅が四十フィートもありそうな通路になっていたのじゃないかと思う。けど、今はその空間に掘っ立て小屋から天幕から、食べ物の屋台に移動店舗、鋳掛け屋、床屋、生きた山羊を繋いだ精肉屋などなど、静謐さや高貴さとはかけ離れた庶民の暮らし息づく共同体が広がっていたのだった。
「……あら~?」
呆気に取られるフィーの声。まぁ、それは仕方ない。僕だって想像と違って驚いている。案内人のフィーがまごまごしていると、若い男が大きく手を振って声をかけてきた。
「お~い、お~い! アンタら、入国の列はこっちだぞ~!」
見れば確かに、二列になった人々の姿があった。賑やかな村の中でそこだけ動きがなく、座り込んだり、はたまた椅子に腰かけて温かい飲み物を啜っているお婆さんもいる。
「名前を書き留めたり、病気じゃないか調べなきゃいけないんだ。手間だが並んでくれ~! 飲み食いはしてもらっていいからさ!」
聖火国の人間だという男の言葉に従って、僕らも並ぶことになった。サムとニールが競うように軽食を出す店の軒先に飛び込んでいった。
聖火国には凍土との境にだけではなく、国全体を覆う高い壁があるのだそうだ。三枚の壁が大型の魔物から世界を守っている。そして真上から眺めることができたら、円の一部が防壁にめり込んでいるような、もしくは切り取られたような形で聖火国を示す壁が建てられているのだという。
自慢げにそう話してくれるのは、僕らを入国審査の列に誘導した若い男、ポッソだった。
「壁の高さはなんと、五百フィートもあるんだぜ!」
「すっげぇ!」
「まだまだ。厚さだって五フィートくらいあるし、上って警備出来るようになってる。まるで要塞だろ? そもそも煉瓦なんてチャチなもんで出来てねぇのよ。魔物を寄せ付けねぇ不思議な金属で出来てて、世界中のソイツを壁に使っちまったから、もうどこにも残ってないんだとさ」
「全部金属ぅ!? 大口叩きやがって~」
「本当だって!」
「だとしたら凄いな。おれも後で壁の中を上ってみたいな」
「おっ、そりゃ無理だな。あれは聖堂騎士がいつも詰めてて見張ってる。けど、オイラが言や、ちょっとくらいなら触れるかもよ?」
「なら頼む」
「よっしゃ、お代は安くするぜ!」
「はは、よろしく。ニールも来るだろ?」
「行く!!」
男三人はつまらない話題で盛り上がっていたけれど、僕は焼いた豚肉の腸詰めに夢中だった。美味しい、これ。特に気に入ったのは香草を混ぜているヤツだ。乾酪が一緒に入っているのも美味しい。香草と乾酪なんて最高の組み合わせだ。かじるとパリッと焼けた皮が音を立て、肉汁が口の中いっぱいに広がる。舌が熱くて火傷しそうなくらいなのを、ふぅふぅ冷まして食べるのが良い。
「あ、それ俺にもくれよ」
「……やだ」
「ガーリック入り、ひとくちやるからさ」
「絶対、やだ。これは僕の!」
「兄弟だろ~」
「自分で買ってきて」
「ちぇ~」
ニールは唇を尖らせて屋台に走っていった。仕方のないヤツだ。食いしん坊め……。
腸詰めの残りをかじりながら、僕はフィーに聞いた聖火国の話を思い出していた。
この国に出入りするためにはたった一ヶ所、ここにしかない大きな門からでないといけないのだそうだ。街ではなく国全体での出入りが制限されているのは随分と不便に感じるかもしれない。けれどそれは、いざ凍土を封じ込めている三枚の防壁が破られたという際には真っ先に門を閉じて、内側で魔物を討つためらしい。聖火国自体が、最後の壁ということだろう。
……どんな覚悟で、この国のひとたちは、ここにいるんだろうか。年々酷くなる一方の寒さのせいで、入口の大門は凍てつき閉まらなくなってしまったそうだ。奥の土地は既に凍土と同じような有り様で、ひとの住めるような土地じゃない。食べ物も獲れず、家もなく、他国に逃げた人々がたくさんいたと聞く。そんな中で、自分たちで建てた簡易な小屋で寒さに耐え、あえて門の側で暮らしている彼らは。
不意に視界の端に金髪が揺れた。小さな女の子が、いたような気がしたんだ。よくよく目をこらして探したけれど、もう見つからなかった。
「魔導師様だ、おい、こちらの御方は魔導師様だぞ!?」
「え? わ、私……?」
なんだかいきなり騒がしくなった。誰かがフィーとフィーの持つ杖を指して騒ぎだしたのだ。
「魔導師……?」
「確かに、魔導師の位はもらったけど、もう十年以上前のことよ……?」
僕が囁くと、フィーも囁きで返してきた。人々の波を割るようにして、五人ほどの、聖火の紋を身につけた衛士だが役人だかがこっちに向かってやってくる。サムが前に出た。彼らは、緊張する僕らの前で立ち止まると、五人のうちの一人が言った。
「魔導師様、貴女の入国を歓迎します。すぐに大聖堂までお越しください」
「えっ……えっ!?」
「さあ、こちらへ」
「こ、困ります。連れもいるので……」
「お連れの方々は審査の後に宿泊施設へご案内しますので」
有無を言わせぬ口調でそう言い、フィーの腕を取って連れていこうとする衛士たち。
「フィーを離せ! 無理に連れていかせたりはしないぞ、フィーが行くならおれも一緒に行く!」
「何だお前は!」
「おれは、フィーの下僕だ!」
「ちょ……」
一瞬の沈黙の後、ざわざわと群衆が沸き立つ。そこかしこから「下僕?」「下僕だってさ」「へぇ、下僕ねぇ」と興味津々の囁きが聞こえる。いけない、このままじゃフィーがそこそこ見栄えの良い男をかしずかせて喜ぶお姉さんということになってしまう!
「弟子! 弟子なんです! ちょっとした実験などもやらせていて……」
「食事の好き嫌いもわかっているし、出される食事は毒見も含めておれがきちんと把握させてもらう。衣服の着せ替えもおれがやっている。それにフィーの靴を履かせるのはおれの役目だ、他の誰にもさせるつもりはない!」
再びどよめく群集。確かにフィーは旅に必要なごつい長靴は一人で履けないけど……履けないけど! それをここで暴露するのは如何なものだろうか? 可哀想にフィーは耳まで赤くなって、両手で顔を覆ってしまっている。
「魔導師様……?」
「ぅぅ……、そうですっ、私にはこの下僕がどうしても必要なんです……! とにかく彼だけでも一緒に連れて行きたいのですがっ!?」
「は、はい、分かりました。では、どうぞこちらへ。……ええ、そこの二人も検査をするのでひとまず中へ参りましょう。君たち、この黄帯を失くさないように」
僕とニールは黄色の布を手渡され、互いに腕に結びつけることにした。ポッソが「また後でな~」と笑顔で手を振る。衆人環視の中をサムが胸を張って歩く。フィーはうつむきがちに、僕は何とも言えない気持ちでついていく。ニールを見ると、肩をすくめて笑った。
鞄の中でDちゃんが大爆笑してますのことよ。サムぅ……。




