野営 ★
聖火への旅は続く。ニールに分けてもらった林檎はとてもしっかりした歯応えで、味も濃かった。甘さは少なめで酸っぱいけれど、瑞々しさに溢れていた。デルタナを離れて一人と一冊で夜空を見上げていると、取り残されたような不安な気持ちになる。
拓けて見渡しのいい場所だった。きっと誰か他のひとが野営に使ったであろう場所に僕たちも腰を落ち着けることになったのだ。嬉しいことに石を積み重ねた簡易なかまどもあった。そこだけ地面が剥き出しで、少しだけすり鉢状にへこんでいる。きっと長い間使われてきたんだろう。ヤギや牛の皮の敷物やテントを組み立て、夜に備える。いや、正確には夜明けかな。露が降りる前に出発したいところだ。
夕食にも火が使えて幸運だった。暖かい食事は美味しい。焚き付けの小枝や、薪を探してくるのも楽しかった。フィーの黒術で魔物を寄せ付けないような結界を張る。……といっても、要は陰の気を叩きつけるだけの威嚇だ。これでフィーより弱い魔物は「強いのがいる縄張りだ」と思って近寄ってこない、らしい。ずっと昔に聞いた師匠の説明じゃ、曖昧すぎて分からなかった。
僕は陽の気をほんの少し、自分たちの周りにだけ伝わるように流して暖かくしておいた。空が綺麗だ。Dのこともようやく鞄から解放してあげられた。
『んーっ、気持ちいい! 歌でもうたっちゃおうかな~』
「うん、歌って、D」
『えへへ!』
Dの細くて綺麗な声が、僕のためだけに、僕にしか聞こえない歌を奏で始める。耳を傾けながら、僕は昼間のことを思い出していた。
「今回はうまくいったから良かったようなものの、次はないと思った方がいい」
とはサムの言葉だった。
「小鬼は大した脅威じゃないから、こうやってお遊びにも付き合ってやれたけど、おれは賛成じゃなかった。ああいうのはどうせ、貰った食べ物の恩も忘れて旅人を襲うんだ。お前より弱い、旅人をだぞ」
「……そんなこと」
「わかるね。じゃなきゃ、兎もいなさそうなあんな場所じゃなく、魚でも鼠でも獲れる場所に住んでるさ。弱いから狩場を追われ、自分より弱そうな人間を襲って食べ物を得ているんだ」
「………………」
「旅の商人なんかは、馬車で逃げたり、商品の一部を捨てたりして小鬼から逃れる。それなら、馬車にすら乗れない徒歩の旅人はどうだ? 彼らにとっては小鬼なんていない方が良いんだろうよ。凍土から逃げてきた者たちの大半はデルタナやアルファラに着く前に亡くなったんだ」
僕が何も言えずに黙り込んでいると、フィーが後ろから僕の肩に両手を置いて、まるで鳥がとまるように僕の耳許に頬を寄せる。
「サム、もういいじゃないの。私は小鬼たちのこと、嫌いじゃないわ。だって、雪狼や、あの“凍てつく守護者”みたいに命を奪うまで止まらないような魔物たちとは違うんですもの。ね、そうでしょ?」
「確かに脅威度は低い。あいつらは野犬にすら負ける雑魚だからな。けど、だからって放置していい理由にはならない」
「あら、サムだって、追い払うだけで命までは取らないじゃない。ジョーのやったことだって、貴方と同じだわ」
「……それは、出来るだけ殺さないようにと考えてはいるさ。けど、フィー、君のそれは強者の驕りだ。君は魔術で蹴散らせるだろ。強いからこそ、小鬼なんて殺すまでもないと言っていられるんだ」
「サムったら……」
いつもはフィーの言うことなら何でも聞くサムだけど、これに関しては譲らなかった。フィーもそれ以上は何も言い返ず、唇を尖らせるだけだった。二人ともは黙って歩き、ニールは最初から我関せずの態度を崩さずにいた。僕はと言えば、ずっと考え事をしながら歩いていたので、夜営場所まではとても静かな旅だった。
ふいにDの歌が途切れた。
「D?」
『リリアンヌ、誰か来るよ』
「えっ!?」
『あ、ごめん。誰かっていうか、狼じゃないかな。ここには普通の狼なんていないから、きっと雪狼だね』
「数は?」
『ん~。たくさん。十五匹くらい?』
「どうしよう……」
テントを振り返る。何かあったら起こせと言われているけれど、フィーは雪狼が苦手だったはずだ。月は陰りつつある。不利だ。
『リリアンヌだけで充分に倒せるでしょ。ああ、彼らが気になるんだね。だったら私が寝かしておいてあげるよ』
「できる?」
『貴女に術を教えたのは誰だと思ってるんです? ほら、いってらっしゃい、リリアンヌ。……キス、する?』
「しない。じゃあ、頼むね」
『ああん、イジワル! いってらっしゃ~い』
Dを背にし、僕は気配を探った。風を操るイメージ………………いた! 僕はここからそう遠くない崖の上にいる雪狼の一団を探り当てた。
「すぐ、戻る」
魔力は半分まで戻っていた。あまり無駄遣いしないよう、崖の下までは自分の力だけで走ることにする。【身体強化】の術を使えば、あとから反動で動けなくなるからだ。
狼が吠えた。
(まずは数を減らそう……)
僕は石ころを拾い、弾にすることにした。ただ風を塊のようにしてぶつけるより、石の弾に勢いをつけて飛ばす方が当たったときの威力は高い。崖の上に向かい、五つの石を白術を導いて飛ばした。矢よりも、速く。
夜の空気を裂いて石礫が飛ぶのと、狼たちがこちらへ跳んでくるのとは、ほぼ同時だった。
「!!」
まず三匹が石に倒れた。残りは崖面を滑ったり、蹴ったりしつつ向かってくる! 【停止】で動きを止めるべきか、それとも白術をぶつけて壁に叩きつけるか……。
迷いは、隙を生む。そんなこと、知っていたはずだった。
五匹か、六匹かがよだれを引きながら鋭い牙を見せびらかしつつ飛びかかってきた。足がすくむ。目だけは閉じずに、ただ、待った。
狼たちの悲鳴が上がる。咄嗟に張った【障壁】が僕を守ったのだ。硝子が割れるような硬質な音を立てて砕ける虹色の膜と、弾き飛ばされる狼たち。三十フィートは離れたろうか。その狼は崖面から跳んで地面に着地していた二匹も巻き込んで倒れた。……だがすぐに起き上がるだろう。
無事な四匹がやはり同時に僕を襲う。僕は横っ飛びにそれを避けて、風の刃で三匹の首をはねた。残った一匹は小剣で額を刺した。命を失い、動きを止める雪狼……。その目は最期まで憎しみに充ちた殺意を持っていた。
(怖い……。どうして彼らは、こんなに僕を、人間を憎む? どうして逃げずに向かってくるんだ?)
残りは八匹。僕は小剣を引き抜いて左手に構えた。三匹と五匹、二手に分かれて迫ってくる狼。
(まずい! 三匹は囮だ!)
【障壁】を張り、これらを弾き飛ばすことにした。右手に【火炎】の術を用意する。向こうも織り込み済みなのだろう、三匹は僕に向かって体当たりを仕掛け、悲鳴を上げながら飛ばされていった。
「はぁっ!」
右手を振るい、炎をぶつける。一瞬だけ広がった炎の幕は、五匹を包み込んだ。二匹は僕に向かってくる。小剣を投げ一匹は殺し、もう一匹は【雷撃】で討った。
「やっ!」
今度こそと風の刃で地面に転がって炎を消していた雪狼の首をはねた。続けざまに飛びかかってくる三匹を避け、【雷撃】と【風刃】で殺した……。
「はぁっ……はぁっ……はぁっ……!」
しばらく、僕の荒い呼吸音だけが夜の静寂を乱していた。
お読みくださり、ありがとうございます。活動報告に載せていた小話をこちらにも載せておきます。
★いつかのソーンさん★
ソーン「もう、やんなっちゃう! また背がのびてきちゃったわよ~。見てよ、この肩幅!!」
師匠「しかたがなかろうもん。お前さんは女の子じゃないんじゃよ?」
ソーン「知ってるわよ! でもあんまりデカいと可愛くないじゃないさ、ただでさえ男なのに。……キレイ系を目指すのはどう?」
師匠「お、そっちに肉食蠅(林檎大…)がいくぞぃ?」
ソーン「おるぁ!」
★見せられないよ!★
ソーン「キレがまだまだかしらぁ?」
師匠「足技がそれだけできれば充分じゃよ」
ソーン「あ~ン、足細くなんないかな~!」