出立、前夜
旅立ちはすぐだった。時々頭痛がすることと、ニールがジャハルと険悪になったこと以外は何も問題はなかった。ジャハルやソーンさんとの会話から、僕の記憶に一部欠けがあると感じたことはあったけれど、Dが大丈夫だと言うし、特に気にならない。
どう誤魔化そうかと頭を悩ませていたガイエンの白術指導だけれど、なぜかでしゃばってきたジャハルの嘘八百によってほとんど免除された。ガイエンの教えてくれた術は全て既知の物だったし、僕からしたらその導き方は迂遠だった。それでも、死んだ魔物を土に返したときの言葉はとても心に響いた。
『ここに今、一つの旅が終わった。土より生まれ、土に帰らん。円環の理に導かれ、全ての命はまた巡るべし。我ら皆旅人なり、新たな旅路に幸多からんことを』
僕の旅の終わりは、魔王を倒した先にある。
僕らの出発の前夜、デルタナの探索者たちが賑やかな会を開いてくれた。何でも、あの“貪欲な顎”を倒したことで領主からもひとことあったそうで、僕らは有名人だそうだ。ソーンさんが直々に領主と対面したとかで、小父さんたちは大騒ぎ……ってほどでもないか、いつでもこれくらいベロベロに酔ってるもの。
ここの小父さんたちは、昼間からお酒を飲んでいる人も居るし、喧嘩もするし、下品な冗句が大好きだし、しょっちゅう床を汚すけど、とっても優しいひとばかりだ。お金が全くないに等しかった師匠と僕のことも嫌な顔ひとつせずに受け入れてくれた。だから僕は、この街が大好きだ。
「ゲッカぁ、元気でね!」
「ああ、お前もな、フィー」
声に振り向くと、フィーがゲッカの首に抱きついていた。ゲッカは自分よりほんのちょっと小柄なフィーをしっかり抱き止めている。……サムは、うん、放っておこう。フィーの頬は涙で濡れ蝋燭の灯りにきらきらと光っていて、やっぱり綺麗なひとだなぁと思った。優しくて泣き虫で、ゆったりしたフィーと、言葉遣いは乱暴だけどしっかり者のゲッカは良い友だち同士なんだろうな。二人も、僕とDみたいに信じあっているように見える。
それでも。ゲッカはフィーを置いてアルファラへ行き、フィーは自分の信念のために聖火へ向かう。ニールも、ジャハルと一緒に旅立つ日を信じて修行してきたのに、彼らは別の道を行く。
ずっと子どもの頃にジャハルに拾われたニール。今やすっかり身長差が逆転している二人は、見た目は和やかにジョッキを傾けているように見える。腹の底で何を考えているかはさっぱりだけど、暴れられるよりは良いや。
酒場の中は異様な熱気に包まれていて、僕は熱くてたまらなかった。出来るだけ目立たないように、自分の周りだけ少し冷ましてみたりもするけれど、それじゃあとても追いつかない。二弦楽器を抱え、僕は裏口から外へ出た。
よく晴れた、星が綺麗な夜だった。いつかみたいに階段へ腰かけて空を見ていた。そこへ、戸が開いて誰かが側に立った。
「よっ。隣、いいか?」
「ニール。顔、真っ赤だよ。お酒、まだ早かったんじゃ?」
「んだよ、俺ぁ成人してんだぞ?」
「…………」
どすんと座り込むと、強引に首に腕を回された。酒の臭いに閉口する。こういう、似なくて良いとこばっかりジャハルそっくりに育ったなぁ。酩酊状態は一瞬で醒ますことも出来るけれど、緊急でもないのにそうするのは可哀想かと、要領を得ない酔っぱらいの話に付き合ってやることにした。と言っても、相槌を打つくらいのものだけれど。
「何かさ、思い出すよな、昔のことさぁ!」
「うん?」
「俺、初めて見たときさ、お前のこと女の子だと思ってたわ」
「……あったね、そんなことも」
突然、抱き寄せられたかと思うと、顎を捕まれて上を向かせられた。すがめられた厳しい目が僕を射る。
「なんっで、成長しねぇの?」
「っ……」
ぎくり、と体が強ばる。今まで一度も聞かれなかった問いを、なぜ、今になって……?
「おかしくね? まさか、本当に死体じゃねぇだろうな」
「どういう、意味?」
「お前の二つ名、さ。“歩く死体”って言うんだぜ、知ってたか?」
「え……」
「……ジョー、体、冷たいよな。そういや、風呂も一緒に入ったことないしさ。なぁ、その体、生きてんの?」
「ニール! それはきみが酔ってるからだよ、僕はちゃんと生きてる。普通の……人間だよ」
「だよな。うん、だったら、いいんだよ。……ごめんな?」
「ううん、気にしてない」
ニールは僕を抱き締めて、背中を叩いた。考えなしに成長を止めたツケなのか、これは……。
「死は安らぎのはず、だ。死んでも動くなんて、僕は、嫌だ」
「あ?」
「何でも、ない。ニール、もう、戻りなよ」
「ああ、わかった……。お前は?」
「僕はもう少し、ここにいる」
「そっか……。変なこと言って悪かったよ。早く戻れよ、兄貴が探しに来るぜ」
「ん……」
ニールの体が離れ、背後で戸が閉まる気配がした。
(僕は、生きてる。ちゃんと、生きてる……はずだ)
拳を胸に当てる。大丈夫、ちゃんと心臓は動いている。その事実にホッとした。それにしたって、どうしてあんなひどい……二つ名にしたって、僕の耳に入らないところで陰口を叩くやつがいるのか。ニールもそれを本気にして!
(ニール……。彼は無理やり僕の唇を奪ったやつだ。だから僕は彼が嫌い……本当にそうか? 僕は何か大切なことを見失っている気がする)
『リリアンヌは、ニールのことなんか嫌いでしょ?』
「痛っ……。また、頭が……」
【鎮痛】をかけたら頭痛はマシになった。何が原因なんだ、最近は無茶もしていないというのに。せっかく内腑が正常な機能を取り戻そうとしているのに、次は頭か……。
首をひねりながら室内に戻ると、何だか雰囲気がおかしかった。人だかりが出来ていて、その中心にはフィーと、サムの姿があった。サムってば、とうとう嫉妬でおかしくなったのか。いや、それはいつもか? サムは、きょとんとしているフィーに跪いた。
「オフィーリア・アルファラ、お、おれと結婚してほしい!! ずっと大切にするから……」
「なんだとてめぇ! んなこと、むぐむがぁぁ!!」
ガイエンがゲッカを羽交い締めにして押さえ込んでいる。でもきっと長くは続かない。皆はフィーの答えを見守った。
「結婚……」
「ダメなら下僕でもいい! これから一生踏んでください!」
「変なひとね、貴方。でも、いいわよ」
「!!」
どよめきが空気を揺らした。フィーはサムの手から首飾りを取り上げると、サムの首に結んだ。いや待って、それは女性が身に付ける婚約の証なのに、なんだか首輪っぼくなっちゃってるよ?
「こんなの認められねぇ!!」
「あら、ゲッカ」
ああ、ガイエンが床に沈んでいる。止めきれなかったか……。
「フィー! お前、アルファラはどうすんだよ!」
「まあ、お父様なら養子を取るから平気よ~。さあ、皆さん、今日は結婚祝いでもあるわ、たくさん飲んで食べてね~!」
「フィー!!」
ゲッカは怒っていたけれど、フィーは楽しそうだった。そうか、彼女は本当に貴族のご令嬢だったのか。それも僕の家とは比べ物にならないくらい、高位の。アルファラ太守の娘なのに、それらを何もかも捨てて、広がる凍土を何とかしようとしているんだ……。彼女なら、僕も……。
「うっ、痛い……。どうして……」
『浮気しちゃ、ダメだよ?』
祝福の口笛が飛び交い、ジョッキも飛び交う。楽しそうな面々の輪から外れて、僕は彼らを見守っていた。明日は旅路だ。とうとうこの街とも、お別れ、か。それにしても、胸にぽっかりと穴が空いたようなこの気持ちは何なのだろう。
いくら考えても答えは出なかった。
ニールへの気持ちにまでロックがかかっている……。聖火国では冒険が待ってますので、打って変わって明るくなる予定です。新章もよろしくお付き合いくださいませ。