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こどもに魔王を倒せなんて酷すぎる〜隠された勇者の伝説〜  作者: 天界音楽
第二章 『忘れてきたものの名は』
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空白

 翌朝の目覚めはあまり良くなかった。体の不調はなくなっていたけれど、Dのことを夢にまで見てしまったのだ。寝台の上に身を起こすと、ソーンさんはまだ寝ていた。鐘が鳴る。鎧戸の閉まった状態では、今がいつかは分からなかった。


 ソーンさんがうーんと唸って敷布を掻き寄せる。僕のせいではだけた肩が寒いんだろう。僕は彼に毛布を寄せてあげた。


「D……」


(あんな風に襲いかかってくるなんて。前から、「私だけの貴女」とかって言ってはいたけど、まさか本気だなんて、そんな……)


 Dの高笑いと、耳に入ってきた得体の知れない物の感触を思い出してしまい、僕は耳を塞いだ。どうして、と聞きたかった。でもきっと、聞いてしまえば後戻りは出来ない。彼女――と呼んで良いものか迷うが――Dとの対決は避けられない。


『そんな本、焼いちまいな』


 ソーンさんの言葉がよみがえる。焼く、ということは、つまり、Dを殺すということだ。できるだろうか、僕に。


 そもそも、怒らせてしまった僕が悪いのに。Dとの修行は辛いことも多かったけど、僕に丁寧に魔術を教えてくれたのは彼女だ。僕の初めての友だち。ずっと一緒にいて、相談にも乗ってくれた。


 でも。


 怖かった。


 あんな風に縛られて。身動きできなくて。殺されると思った。ううん、殺されなくたって、ずっと痛みを与え続けられるんじゃないかと思ったら、急に息が苦しくなった。耳の痛さに、不快感に、涙が止まらなかった。Dは、術を使えば僕を殺すことも、生かし続けることもできるんだ。僕をいつでも好きに、できる。


 Dが怒ったのは、僕がニールの名を呼んだとき。僕の心の中を全部知っているDは、ニールへの想いにも、もちろん気付いていただろう。いつもはからかうだけの彼女があんなに怒ったのは、Dを差し置いてその場にいなかったニールを求めてしまったから。


 昨日はどうして怒ったんだろう。フィーのことが原因? それとも魔王のせい? もしかしたら、皆にDのことを話そうとしたからだろうか。


 どうして、こんなことになってしまったんだろう。Dのことは嫌いじゃない。大事な友だち、一番の親友だもの。でも、あんな風にされるのは二度とごめんだ。何とかしてDを止めさせられたら良いのに。Dを止める方法……、それは……。


『焼いちまいな』


 ソーンさんのあの言葉が、ずっと頭の中で囁くように繰り返されている。 …………僕は、僕の自由と命、それと親友を天秤にかけなくちゃ、いけないのか?


 目許を袖で拭って、そっと寝台を降りた。ストーヴの蓋を開け、石炭を掻く。灰を集めて吐き出し、石炭を足したら、右手から術を導いて火を点けた。


「さすが。ジジィの弟子だねぇ」

「ソーンさん、おはよ」

「おはよう、ジョー」


 いつから目が覚めていたのか、体を起こしたソーンさんがこちらを見ていた。冬の朝は忙しい。顔を洗ったりするにも湯を沸かさないといけないから。今日は僕がいるから、お湯もすぐ用意できる。朝食は小麦粉を溶いて熱した鍋で平たく焼いたプラーノに、ハムと冷凍青菜を戻したものを巻いて食べる。ソーンさんが作ったプラーノ巻きは、マスタードとバターがたっぷりで、甘いお茶と交互に食べると美味しかった。


 一度宿に戻ると言ったら、ソーンさんは屈みこんで僕の両肩に手を置いた。心配そうに少し眉をしかめて、綺麗な唇を吊り上げている。


「魔王のことや、ディーヴルって本のこと、アタシに教えてくれてありがとうね。でも、あれからジャハルとも考えたんだけど、その事はやっぱり今まで通り黙っていた方がいいよ。誰もが皆、受け入れられる話じゃないしさ」

「あ……」

「魔王については王に近い貴族しか知らされてないってのもある。ジャハルはアンタの力を知って、信じる気になったらしいけど、他のヤツラはどうだか」

「センセイも、言わない方が、良いって?」

「ああ、そうさ」

「そう……」


 そうか、ジャハルが言うなら、そうした方が良いのかもしれない。


「ジョー、今日はガイエンと出掛けるんだろ? ちゃんと“庭”にもおいでよ?」

「うん、わかった」

「待ってるからね!」







 宿に戻ってきて、扉の前に立つ。


 僕の心を読めるDなら、きっともう、僕に気付いている。右手に炎を出し、扉を開ける。


『リリアンヌ! ごめんなさい、私ったら、貴女にひどいことしちゃった……!』


 本当に後悔しているような、涙混じりの声だった。胸が痛い。僕は何も言わずに後ろ手で扉を閉めた。【固定】しておくのも忘れない。


『ああ、リリアンヌ、許して……。私、貴女のこと、取られちゃう気がして、だから……。ああ、まさか、まさか私のこと、焼く気なんですかっ!?』

「D……」

『嫌っ! 嘘でしょう? 今までずっと一緒だった私を? 殺すんですか!?』

「D……!」

『嫌、嫌です、お願い、リリアンヌ! 私、いい子にするから、今まで以上に貴女のためになる! もう嫉妬して貴女を縛ったりしない、約束する! お願い……』

「…………」

『殺さないで……』

「!!」


 Dが泣きながら、僕に命乞いをしている。すぐにだって、許してあげたいけど……でも、口だけかもしれないと思うと、言葉が喉に貼りついて出てこない。


『リリアンヌ、大好き。もし、私を許せないなら、どうしても許せないなら……』

「D、待って。その先は言わないでよ。ね、僕にも言わせてよ」

『ああ、リリアンヌ! 来て……!』


 朝日が窓から漏れて差し込む薄暗い部屋で、書き物机の上だけがぽうっと光っている。僕は炎を手にしたまま、Dに近付いていった。彼女の怖がっているような息の音が、やけに大きく聞こえた。


(D……。僕だって、きみのこと好きなのに、親友だと、思ってたのに……)


 そっと、左手で表紙を撫でる。すると、いきなり頭まで衝撃が走った。息が詰まる。まるで【雷撃】でも食らった時みたいな…………。


『あは!』

「……D?」

『リリアンヌ、大好き! あははははっ、あっははははは!』


 泥の中に沈んでいくように、僕の意識は落ちていった。Dの嬉しそうな、狂ったような笑い声だけが最後の記憶だ。






「っ!?」


 跳ね起きると、自分の部屋だった。朝だ、今は何刻目だ?


『あ、リリアンヌ、おはよう。お寝坊さん、今、起こそうかなって思ってたとこ』

「いけない、今日はガイエンとゲッカと出掛けるんだった。遅刻するとゲッカに蹴られる!」

『うふふ、早く服を着て、何か食べなきゃね』

「うん。ごはんは良いかな、昨日食べ過ぎたみたいで、お腹減ってないんだ」

『そうですか? 貴女は食が細いから心配です』

「大丈夫。ありがとう」


 僕は急いでシャツを身に付けた。素肌に麻のさらりとした感じが心地好い。


『あ、そうだ、魔王のこと……』

「もちろん誰にも言わないよ。僕が信じられるのは、Dだけだからね」

『……ニールにも?』

「何でニール? 変なD!」


 僕は厚革の上衣の紐を締め、長靴もきちんと履けているか確かめた。背嚢を手に、Dに声をかける。


「よし、行ってきます。連れていけなくてごめんね」

『いいんですよ、そんなの。……えへへ。ね、キスして、リリアンヌ』

「急いでるのに……」


 甘えんぼのDがおねだりをする。僕は革の表紙に軽く口づけた。


『ねぇ、リリアンヌ。契約、しましょ?』

「っ!? う……」

『あら、大丈夫ですか?』


 頭が……割れる……!


『……ゆっくりで、いいですよ? 深く、息をして?』


 僕は、どうして……? 何か、大切なことを、忘れている、ような……。頭が、痛い。何も、考えられな……!


『大丈夫ですから。ね? ほら、落ち着いて、リリアンヌ。【鎮痛】をかければいいでしょう? ね、大丈夫……』

「あ……、はぁ、だ、大丈夫……。ありがとう、D」

『いいえ~。いってらっしゃいませ!』

「……うん。行ってきます」


 いつものようにDに見送られて、僕は“探索者の庭”へと向かうのだった。

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