ディーヴル
僕は迷っていた。
僕は今まで格下としか戦ってこなかった。無傷での勝利にこだわる、それがデルタナの探索者たちのやり方だったし、そうすることは楽だった。人間と戦う場合も真っ向からぶつかるんじゃなくて、ニールの陰からちょっとつつくだけだった。誰かのサポートをして戦うことしか考えてこなかったんだもの、自然とそういう戦い方にもなるさ。
でも、Dは言う。僕が一番の魔術の使い手で、「誰か」じゃなくて「僕が」主体になって戦わなければならないのだと。信じられなかったし、信じたくなかった。どうしたら良いのか、分からなくなった……。僕が必死で呪文でのサポートを覚えてきた二年間は無駄だったんだろうかと考えると、胸が苦しい。だって、思い起こせば実際に、僕に敵うような人間はいなかったんだもの。
そんなとき、ジャハルと出会った。彼は僕の思い上がりに気付かせてくれた。僕は僕の持っている力を活かし切れていなかったんだ。だからジャハルに弟子入りして、彼のやり方を学ぼうと決めた。
放り込まれた大型の魔物との実戦で、初めて自分の死の臭いを感じた。強敵の存在と、その彼我の差を覆す仲間の存在を知った。誰かのサポートをするのではなく誰かと一緒に戦った……。
それでもまだ僕は、全てをさらけ出すことをしなかった。白術も黒術も、皆に話して事前に術をかけていれば、“貪欲な顎”との一戦だってもっと危なげなく戦えていた。それを僕は出し惜しみをして……結局はそれをゲッカに見破られた。でも彼女は僕を責めなかった。ただ、「犠牲になるのはお前じゃなくて仲間だ」と、冷静に釘を刺したんだ。恥ずかしかった。自分の心の弱さが。小ささが。
黙っているのはそれだけじゃない、王命のこともだ。お伽話にしか出てこない魔王、それを倒すだなんて荒唐無稽な話、信じてもらえるか分からなかった。師匠のおかげで僕はその存在を信じることが出来たけれど、他のひともそうとは限らない。その思いはこの二年で大きくなる一方だった。
僕は不誠実だ。あんな風に、温かく接してもらうことなんて許されない。本当のことを言わなくちゃ……。
宿へ戻って、Dの労いに答えながら、僕は自分の考えを整理していた。全てを打ち明けたら、今までの僕の生活は変わってしまうかもしれない。まずは、ずっと相談に乗ってくれていたDに話しておきたかった。僕は話があると前置きしてから、彼女と向き合った。
「ねぇ、D。僕、考えたんだ。今までずっと、色々な魔術を使えること、黙ってきたじゃないか。それって、誰のことも信用してないって言ってるのと同じことなんじゃないかって、思ったんだ。フィーやガイエンたちは良いひとだよ、だから、嘘をついてるのが辛いんだ……」
『………………』
「魔王のことやDのこと、皆に打ち明けようと思う。それで、聖火国まで一緒に来てくれるように頼むんだ。どうかな?」
『…………へぇ?』
「D……?」
『いいじゃないですか! それで、誰に、いつ打ち明けるんです? 聖火国へ行くから、同行者には言っておこうってことですよね』
一瞬、また怒らせてしまったかと思った。
けれど、Dは明るく賛同してくれて、僕はホッとした。
「えっと、聖火に行くのは、フィーとサム、僕とニールだよ。ニール自身はまだきっと知らされてないと思うけど、ゲッカが言ってたから間違いないと思う。ジャハルは……ニールとの約束を守らないんだってさ。一緒に行こうって言ってたのに。ニールはその約束を信じて頑張ってきたのに!」
『それはひっどい話しですね~。でも、彼と離ればなれにならずに済んで、ちょっとだけ嬉しいんでしょう?』
「……ちょっとだけね」
『それで?』
「うん、魔王について、それと僕の魔術について、全員に話そうと思うんだ。皆が何て言うか分からないし、怖いけど……。いつかは誰かに話す予定だったんだ、今言うのも変わらないじゃないかって」
Dの相づちに嬉しくなって、僕は続けた。
「それに、フィーは僕と同じ目的を持ってるんだよ。魔王のことは言ってなかったけど、凍土が拡がっていくのを止めたいんだって。ねぇ、すごいよね。僕はたった一人でやらなくちゃいけないんだと思ってたのに、こんなに近くに仲間がいたんだ。フィーたちとなら、きっと魔王も倒せるっておも……」
『ねぇ、ジョー』
「え……?」
『貴女は、どこまで話すつもりなんです? その、オフィーリアとやらはお仲間にすら自分の説を信じてもらえなかったみたいですけど、貴女も同じように嘲笑われたいんですか?』
「なっ……」
『僕は魔王を倒しに行くんだ、喋る呪文書を持ってね、って? 可哀想な女の子の出来上がりですね~。ああ、女の子だということすら言ってなかったんでしたっけ? 黙っているのが辛い? 嘘を吐いているのと同じだから? 貴女はとっくに嘘吐きですよ、ジョー』
Dの辛辣な言葉が胸に突き刺さる。
『だいたい、ニールにはなんて言うんです? 貴女は彼より強いのに。今まで騙されてくれてありがとう、気付かなかったみたいだけど僕は本当は女で、一流の魔術の使い手で、きみなんかに庇ってもらわなくたって敵を瞬殺出来たんだよ~って言いますか? どう思うでしょうね、彼。「騙したな」って、「裏切り者」って言いますかね? ねぇ?』
「……やめて」
『男の子って、自分より強い女の子のこと、好きだと思います? 私は思わないなぁ~。ニールに嫌われたくないでしょう? 馬鹿なこと考えるのはやめて私と……』
「僕はニールを信じてる。……信じたいんだ。それに、皆のことも。あれだけ信頼し合ってるひとたちだから、信じてもらえなくても話くらい聞いて……」
『貴女は私だけのものだよ!!』
「っ!?」
いきなり何か細いものが体中に巻きついてきたかと思うと、僕はベッドに引き倒されていた。身動きしようにも、首すら回らない。
「D!!」
『リリアンヌ……。貴女は私のもの。私だけのものだよ? ね、契約しよ?』
「なに……っ!?」
『契約してよ。ねぇ。リリアンヌから言ってくれないとダメなんだよ。無理やり言わせられないんだ……。酷いことしたくない、ね? ね? いいでしょ?』
「D!」
『トロトロに蕩かしてあげるっ、この世の快楽の全てをあげるよ。ニールだって、リリアンヌが欲しいっていうなら生かしておいてあげるし、リリアンヌのハジメテは彼にあげるから……ねぇ、いいでしょう? いいって言ってよォ!!』
「ひっ……!」
耳に何か細いものが這入ってくる違和感。僕は目を瞑って震えていることしか出来なかった。だんだんと奥へ奥へと侵入してくる何かに、背中がぞくぞくする。不快感が振り払えない。涙があふれてきた。
(やめて……、やめてよ、D! お願いだから!)
心の中で叫んでも、Dからの答えはない。聞こえているはずだ、届いているはずだ。
(ディーヴル!! 嫌だ!! どうしてこんなことするの……!?)
『あははははっ、かっわいい~。大丈夫だよ、頭の中掻き回したらなんにも言えなくなっちゃうから、そんなことしない。ね、早く言ってよ。契約するってひとこと言えば、大切にしてあげるから』
「うぅぅ……」
『か・た・く・な!』
ぐりっ、と、耳の中で何かが蠢いた。
「うぁああっ!!」
『ほら、言っちゃえ』
(嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ……!)
痺れるような不快感が、体幹を通って足の先まで抜けていく。叫ぼうと開いた口、声は、出なかった。
(た、助けてっ! 師匠! ニール! ソーンさん……)
「ふぅ、ぅぅ……」
『きゃっはははは! ほら、もっと鳴いてごらんよ!』
(…………もうやだ、やめて!)
全身に絡み付く蔦のようなものは、きりきりと僕を締め付けてきて痛い。かと思えばひどく優しく頬を撫でられる。怖くて、痛くて、涙と震えがおさまらない。このままじゃ、おかしくなってしまいそう……。
『契約、してくれる?』
猫なで声でDが言う。僕は必死で頷いた。僅かに首が上下する。ずるりと何かが頭の中から抜けていく感覚に、吐き気がした。喉が鳴る。
『ちゃんと言葉にして? 抜いてあげたんだから、唇、ちゃんと動くよね?』
「ぼ、くは……」
からからに乾いた舌で、僕は、敗北の言葉を…………
不意に、部屋の戸を叩く音がした。僕もDも、息を止めた。
「ジョー、起きてる? ごめんね、ちょっと急ぎで頼みたいことがあって……」
お姉さんだった。くぐもった声は申し訳なさそうに調子が落ちている。
「今、行く!」
『………………』
ほどけた拘束を体から引き剥がし、僕は戸口へ急いだ。鍵のない部屋を出るとき、机の上をそっと盗み見た。Dの沈黙は不気味だったが、僕は逃げることが出来てほっとしていた。黒術で戸を固定し、廊下で待つ宿のお姉さんに向かって頷いた。彼女の口から事情を聞きながら、僕はDの急激な変化に戸惑いと悲しさを感じていた。




