探索者の庭
野太いけれど流麗な、悪戯っぽさを含んだ声が無様に地面に転がっている私を気遣う。恐る恐る、声の主を目で追うと、筋肉の盛り上がりの激しいロン毛のお兄さんが仁王立ちで私を見下ろしていた。
(う……、股間を強調しすぎなんじゃ……?)
肉体美お兄さんは、その身体を惜し気もなく披露していて、ピッチピチのショートパンツに、ピッチピチでしかも短すぎるシャツ……。胸筋しか覆っていないんじゃ、お腹を冷やすのではないだろうか。脚はブーツ、額は鉢金で保護してあるのは良いけれど、色々隠さなきゃいけない部分を間違えている気がする。
失礼にもじろじろ見てしまった。目が合って初めてそんな失敗に気付かされる。お兄さんは含み笑いをすると私の腕を取って立ち上がらせてくれた。
「ぶつけちゃってゴメンなさいねぇ。それで、どうしてウチの前にいたの?」
「ウチ?」
「そ。デルタナの探索者の長はアタシなの。依頼? それとも……お小遣い稼ぎかしら」
「違います」
このひとの言うお小遣い稼ぎは、キケンな臭いがする!
「……僕は、探索者として登録しに来ました。名前は、ジョー」
私の言葉に、店の奥の男たちが笑いだした。小声だが、嘲りの言葉が聞こえる。こんなガキに何が出来る、とか、母親のおっぱいに吸い付いてろ、とか。
ここの大人は下品すぎる。下品すぎて路地裏にたむろしていた小さい子どもみたいだ。彼らも私を嘲って、通りかかった私と婆やに唾を吐きかけてきたんだった。体の大きな男の人は怖いけど、中身が子どもなら、対処の方法も子ども流で良さそうだ。
怖がってる気持ちを見せたら駄目だ。怖がったら輪には入れてもらえないんだ。
ぐっとお腹に力を入れて立つ。何も言わずにぐるりと見回すと、やがて笑い声が止んだ。ここの長だという筋肉お兄さんが私の目の前に立ち、髪の毛を肩越しに流しつつ厳しい目をして私を見据えた。
「ここは子どもの遊び場じゃないんだよ。帰んな、ボウヤ」
「……帰る場所はない、です」
「ふーん、なら、孤児院にでも行きな。食わせてもらえるよ」
「強くなりたいから、ここに来ました」
筋肉お兄さんはスッと目を細めた。
「強くなってどうするの」
「それは……。わかりません。でも、強くないと生きていけないから」
「ここに来たって、強くなれずに死んでいくヤツも多い。そのときになって後悔したって遅いんだよ」
「かまわない。強くなれなかったら、どこで死んでも同じ、です。僕にはやるべきことがある」
「ふん、なら見てやろうかしらね。腰の剣を抜きな」
「……はい!」
筋肉お兄さんが、カウンターに立て掛けてあった木の棒を手に取った。私は初めてまともに腰の剣を抜いた。ちょっと重いけど、大丈夫。握れる。
「親分、本気ですかい、こんなガキ相手に……」
「ソーンの親分の悪い癖だぜ」
「アンタら、ちょっと卓どかしな」
「へーい」
「へーい」
「へーい」
ソーンさん? っていうのかな。
筋肉お兄さんの言葉に、文句を言っていたおじさんたちはテーブルをどけはじめて、すぐにちょっとしたスペースが出来た。私とソーンさんの一対一だ。他の人は皆、カウンターの内側に鈴生りになっている。
「で? やるコトって何さ」
「……ひとに言えないこと」
「ハッ」
ソーンさんは鼻で笑って。その後すごく真面目な顔で「行くよ」と言った。
私が頷くと同時くらいに、手がビリビリして、剣がなくなっていた。
「えっ」
「ハイ、アンタ今死んだから」
棒が目の前にあった。
いつのまに?
「あ……」
剣があった。
私の右手六フィート半(※)くらい先に投げ出されている。
私は咄嗟に走って剣を掴んだ。
「ハイ、また死んだ」
ぴとり、と私の背中に硬い感触がある。
「も、もう一回……」
「ほら」
ガイィン
剣が鳴った。今度は、落とさなかった。
追い討ちの二撃目。剣はあっさり飛んでいってしまった。天井に刺さっているのが見えた。
手の感覚がない……。手のひらを見ると、破けて血が滲んでいた。
「ハイ、終わり」
「ま、待って!」
強いのは分かっていたけど、私まだ剣を振るってもいないのに!
「こんなの不公平で……っ、不公平だ! こっちは攻撃してないのに!」
「あン? 魔物相手にその理屈、通じるとでも思ってんのかい? 今までのでアンタ、一回どころか三回は死んでるんだよ。実際の戦いじゃ一回こっきり、一個しかない命なんだ。そういう考えなら、アンタ向いてない」
「……でも、でも……だって、じゃあ……」
どうすればいい?
「そもそも、剣もまともに持てないなんて、こりゃ見込み違いだったかな」
「!!」
「バイバイ、お嬢ちゃん」
「ぼ、僕は、僕はお嬢ちゃんじゃない!!」
叫んでしまった後にハッとする。こんなにムキになるなんて、自分から女の子だと白状するようなものじゃないかしら。とにかく言葉を続けて、誤魔化すしかない。
「もう一回、もう一回だけお願いします! 強くなりたいんです! やり方なんて、わからないけど、でも……」
「……おいで」
失くした剣の代わりに棒をもらって、私はソーンさんの攻撃を受け続けた。棒を持つ手が下がったら、攻撃は腕に、足に来る。棒を落としては拾い、落としては拾った。夢中だった。
父様を、母様を失ってからの全ての理不尽が噴き出してきたみたいなこの打撃の嵐を、負けるもんかと歯を食いしばって耐え続けた。
負けたくない!
おじさんたちは、何度も諦めるように言ってきたけれど、私は聞き入れなかった。ソーンさんも「もういい加減にしたら?」とは言ったけど「止めろ」とは言わなかったから。始めてから何時間もたった気がする……。もう、手に力が入らない。足も、自分のじゃないみたい。
気が付いたらソーンさんの手が止まっていた。
「アンタ、何でここまでするのよ」
「……師匠が、仕事をもらってこいって言ったから。僕には、どうしたらいいかなんて、わからなくて」
「師匠って?」
「名前、知らない。でも、あだ名が、その……ねずみ、みたいな……」
「ドブネズミのクソジジィか!」
「あ……」
私はとうとうへたりこんでしまった。
どうしよう。もう、立てない。
「あの耄碌爺ぃ、ついに子どもまで使って酒代を手にしようってか? アイツ、ぶっ殺してやる!」
「親分、言葉が戻っちまってますよ」
「ちが……違うんです、師匠と僕の宿賃なんです……違うんです……」
「おっと、しっかりしな、ボウヤ」
あれ、何か暗い……。くらい…………。
目が覚めたら真っ暗だった。いや、違う。薄暗闇だ。何だかガサガサする場所に寝かされているようだ、背中に違和感がある。体を起こそうとしたら、バランスを崩して下に敷かれていた布ごと沈み込んでしまってびっくりした。
「うわ、わわわ」
藁だコレ?
木枠の中に藁がいっぱいある。その上に布を敷いていたのか。手に取った布はやけに織りの粗い麻だ。でも、なんで藁?
もがいてもがいて、ようやく出てこられた。うぅ、口の中に藁が……。靴も履いたまま寝てたのか。
「ほ、ほう、目が覚めたかね。藁のベッドは珍しいかの?」
「う、あ、はい」
「やれやれ。貴族育ちはやはり違うの」
「なっ!」
なんで分かったの?
「やけに綺麗な手をしておったしの。新品の革鎧に上等な服、剣も。そこらの平民の子が真新しい剣なんか持っとるわけないじゃろ」
「う……」
「よくよく見れば顔も悪くない。どこぞで人拐いにでも会いかけたかと思うての。どうじゃな、ワシの見立ては」
「仰る通りです」
「ひ、ひ、ひ。まぁ、賢者じゃからの、ワシ」
「賢者様だったんですか!」
「はて、どうじゃったかな? 賢者なんかいの?」
「えー……」
どっちなの?
首を傾げてふと気付く。私は結局、どうなってしまったんだっけ?
「あ、仕事!」
「心配せんでもええわい。もう夜中じゃ、そのまま寝てしまいなさい」
「はい……」
優しい声にホッとして、私はもう一度シーツの上で丸くなった。嗅ぎ慣れない藁の匂いはどこか野外の風を感じさせた。
六フィート半とは、およそ二メートルです。
みんな大好きぴちぴちお兄さん登場回でした。ぴちぴちお姉さんは仕様上出ません。
お読みくださりありがとうございます。明日19日月曜日は更新をお休みさせていただきます。