“凍てつく守護者” 上
夢を見た。
黄金の髪をした女のひとが、同じ色の髪を持つ女の子と揺り椅子で遊んでいる夢だ。二人は親子のように見える。無邪気な笑い声が響いていた。
きっと幸福な夢だったんだろう。
けど、僕にとってそれは遠すぎて、幸せだという実感はなかった。ただただ、他人事のように。「良かったね」という感想しか得られなかった。僕の記憶には、こんな場面はない。だとすれば、これはDが作り出した幻か何かなんだろう。寝床から起き上がった僕は、机の上の革表紙をそっと撫でた。
「ありがとう、D……」
『ううん。ごめんね、意地悪なことばっかり言っちゃって』
「僕も、ごめん。あのままお別れにならなくて、ほっとしてる。仲直りしてくれる?」
『もちろん! これからも私は貴女だけ、貴女は私だけのお友だちでいましょうね、ジョー』
「うん……」
Dの言葉はまるで絡みついてくる蔓草のようだ。僕を閉じ込めようとする彼女の意思を感じながら、それでも僕は頷くことしかできないのだった。
ジャハルが言った。
パーティに僕とニールを加えた七人で、聖火国への街道沿いに出る大型の魔物を狩る、と。もちろん、僕とニールは荷物持ち兼特別訓練の見稽古だ。運が良ければ実戦にも参加させてもらえるらしい。
僕の参加を知ったとき、ニールはあからさまに嫌な顔をした。
「お前も来んの!?」
「………………」
そんなに僕の参加が嫌か? 後から弟子になった僕が同じ位置にいるのが嫌なのか? ジャハルを取られる気がしたから? そんなにジャハルが好きなのか!?
言えない思いを胸に秘め、そっと睨む。だというのに、ニールは両手を肩まで上げて、降参のポーズをした。
「わかった、悪かったよ。わかりやすいヤツ」
「……え。顔に出てた?」
「おう。お前っていつも仏頂面だけど、種類があるんだよな。今のはムッとした顔」
「………………」
(そんな馬鹿な……。今までのが全て顔に出ていたとでも?)
「お前、自分で思ってるほど無表情じゃねえし、隠せてないからな?」
「!!」
恥ずかしかった。恥ずかしすぎて皆と別れた後、ひとりで地下に潜って延々と鼠を駆除してきたくらいだ。フロースの祭りの前日に溝さらいしてあったのであまり汚くなかったけど、残った汚れを術で綺麗にして、デルタナの衛生面に貢献しておいた。
年々と寒さが増し、鼠は増えている。増えすぎると街に溢れるので良くない。鼠には申し訳なかったけど、狩って狩って狩りまくった。死骸は塵へ変え、餌にならないようにしておく。
これは仕事じゃなくて八つ当たりだからお金はもらわない。賭けに負けた分は慎ましい生活と堅実な仕事で取り戻すとしよう。…………こんなとこで遊んでないで、ね。
ちなみに、先にお風呂を済ませて夕飯前に“庭”に顔を出したとき、「僕の感情はそんなに表に出ているのか」という疑問をソーンさんにぶつけてみた。
「う~ん。そりゃ、長く一緒にいりゃ分かるもんもあるでしょうよ。アンタは分かりにくい方なんじゃないかな。ニールが感情を汲み取るのに聡いだけだろうよ」
「………………」
そうか。僕は分かりにくい方か。でも、肝心のニールに筒抜けなんじゃ意味がないよね。
……ショックだった。
宿に戻ってお姉さんの代わりに延々と麻糸を紡ぐことで心を落ち着けた。ほぐしてあった材料を全て糸にしたら驚かれて、とても喜ばれた。
お姉さんは糸紡ぎが苦手らしい。後回しにして溜め込んでしまっていた分を今夜中に仕上げてしまわないと、明日の寄り合いでお小言をもらうところだったそうだ。僕の紡いだものはムラがなくて良質だと誉められた。
「ジョーって、昔話の妖精みたい! 本当にありがとう!」
妖精だって。ちょっと嬉しい。
ちょっと前に、女のひとに絡んでた酔っぱらいにお説教したときには「化け物」って叫ばれたからね。いくら夜だからって魔物と同列にされるのは気分が良くない。しかも助けた女のひとから言われたんだ。背後から音もなく酔っぱらいの意識を絶っただけなのに。全く、何がいけなかったんだ?
明けて次の日、待ち合わせの時間より早く行ったのに、ジャハルはいきなり僕の耳を引っ張った。痛い。
「ドあほぅ! 何で昨日オレを訪ねてこなかった? 丸一日やったろうが!」
「え? なに?」
……どうして怒られてるのか、さっぱり分からない。
「初めてやる仕事なら、下調べが大事だ、自分で行くか誰かに聞いておくのが筋ってもんだろうがよ。そう教わったろ?」
「………………」
僕はニールを見た。そっぽを向いている。
次にソーンさんを見た。視線をそらされた。
「……ジャハル、僕、その筋ってやつ、知らない」
「あん? …………あ~~、もう、デルタナは馬鹿ばっかりかよ!」
ジャハルの叫びにも“庭”の小父さんたちは動じない。ちなみに、サムとゲッカは話を聞いていなかったし、ガイエンは何か言いあぐねたように黙っていて、フィーはきょとんとしていた。
「下調べって、そんなに大事かしら」
「おうおう、お嬢さんよぉ……」
小首を傾げるフィーの横で、ジャハルが卓上に伏した。なんと、あのジャハルが精神的に負けている……!?
「だって、何が出てきたって遠くから術で叩き伏せるじゃない。距離さえあれば楽勝よ?」
「いつもいつもお嬢さんみたいな規格外と一緒じゃないんでねぇ。つか、新入り相手にゃ脅しといた方が親切なんだよ! 戦いっつうのは命懸けなんだぞ!?」
「なによ、もう、怒鳴らないでよ~」
「っ!!」
二つ分かったことがある。一つ目は、賢くなくても術士にはなれること。二つ目はたいていの探索者は力押しだということ。
あ、三つ目。ジャハルは意外と常識人の苦労人で、無邪気なフィーには勝てないということ。
「センセイって、大変だね」
「…………うるせぇや」
やさぐれたようなジャハルの声を聞くのは新鮮な気持ちだった。
標的の魔物は“貪欲な顎”と呼ばれ、街道沿いに現れる。“凍てつく守護者”なる別名があるくらい有名な魔物らしい。体長は十五フィートほど、長く太い尾を持つ大蜥蜴だ。その巨体を支える脚は六本、重さは推し量ることもできない。頭頂部から尻尾にかけて、たてがみのように氷のような、しかし薄く青に色づく鉱物が生えている。いや、そう見えるだけで本当は、それが刺さっているのかくっついているのか、確かめた者はいない。デルタナの外壁から馬車で一刻半、歩きでもだいたい同じくらいで着ける場所に湧き水がある。そこは少しぬかるむので橋が渡してあるという。
徒歩なら避けて通れるけれど、馬車を使うとそうはいかない。“貪欲な顎”は橋を通る生き物を見境なく襲う。だから、ここを通る車は鶏か子山羊か、もしくは他の生け贄を投げ落として難を逃れるという。
生け贄を捧げても“守護者”の顎から完全に逃れられるわけではない。彼の魔物がその顎を開いたとき、水場とぬかるみは凍りつく。車輪を取られ、逃げ出したところを次々に食いちぎられ、または凍らされた仲間を置いて走り去るしかなかった者もいたという。
ジャハルが話し終えたとき、全員、とても真面目な表情だった。僕も改めて聞く“守護者”とやらの実態に嫌な動悸が止まらない。今までは「絶対に近づくな」と言われるだけで、詳細は教えてもらえなかったのだ。
「よし、オレ様の出番だな! そのトサカみたいな鉱物をかち割って回収すりゃいいんだろ?」
「なら、おれは刺突用に槍を何本か持っていくとしようか。拠点があると便利だな」
ゲッカが立ち上がり、自信満々に言い放つと、サムもそれに同調した。いとも軽々と、その辺に野兎でも狩りにいく子どものように。
(なんなんだ、このひとたち……。魔物が怖くないのか……?)
デルタナの誰もが、退治ではなく回避してきた魔物だっていうのに。そもそも、十五フィートって何だ。大ムカデよりは短いかもしれないけれど、僕の肩幅が一フィートだと考えたら、寒気がする。
そんなのを相手取って当然のように勝つ気でいる。これが、一流の“探索者”のパーティというやつなのか……! 今までサムやゲッカのこと、ちょっと……いや、だいぶダメな大人だと思ってたよ。ごめん。
「仕留めるために現地に簡単な罠を仕掛ける。下見と資材運びはニールと済ませた」
ジャハルの言葉にニールを見ると、僕を安心させるかのように肩を叩いて歯を見せて笑った。……格好良いなんて、思ってないよ。
「それで、罠のとこまで誘き寄せる役だが、ちとニールが育ちすぎてな……。ジョー、お前がやれ」
「……は?」
「頑張れよ、ジョー。俺の代わりだけど初仕事だぜ!」
「………………」
ニールが親指を立てて笑う。……後で、覚えてろ!!
やった、次回は初めてのパーティ戦闘だ。うまく描写できたらいいのですが…。頑張りましょう。
戦闘になると輝く人種が探索者、つまりいつもはダメ人間? サム、汚名返上できたら良いよね。