表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
こどもに魔王を倒せなんて酷すぎる〜隠された勇者の伝説〜  作者: 天界音楽
第二章 『忘れてきたものの名は』
35/99

フロースの夜 中

 ニールの意識が戻って良かった。僕は二人に遊ばれているニールを置いて装備室を出た。酒場をぐるりと見渡しても、そこに師匠の姿はない。二弦楽器(フィラ)を持ち出すことを言っておこうと思ったのに。


 そうそう、フィラと言えば最初は借り物だったのを、僕が気に入ってお金を貯めて買ったのだ。師匠の呪文書を入れていた質屋で見つけた、かなり上等な品だったのだけれど、引き取り手がないからと小金貨九十枚にまけてくれた。新品ならもっと高価だったろう。師匠のためにと思って買った品だったが、頑として受け取ってもらえなかった。


 師匠が僕のために奏でてくれる他は、僕が手慰みに時々弾いている。子どもたちに聞かせてやると大喜びするんだけど、広場や街角でつまびくと、なぜかその場が静まりかえってしまうので酒場以外では弾くのをやめてしまった。けど今夜はゲッカのために、いや、貴重な収入を無為にしてしまったガイエンのために弾こう。


「ジョー、目が覚めたんだね」

「ソーンさん!」


 珍しくもカウンターから離れた、目立たない席にソーンさんの姿があった。一緒に卓についてジョッキを傾けているのはジャハルだ。


「よぅ、ちびちゃん。ニールのヤツは優しくしてくれたか?」

「………………」


 ぬけぬけと。


「ジャハルが担ぎ込んできたときには驚いたよ。具合が悪いなら、言ってくれればいいのに。ごめんね、気付かなくて」

「……ソーンさんが謝ることじゃない。僕が気を失ったのはこいつのせいだから」

「あっ、おま……」

「ジャハル……?」


 ソーンさんの声が低く冷たく響いた。察しの良い客はそそくさと席を離れていく。賢明な判断だ。逃げようとしたジャハルは足を組んで座っていたせいで動きが鈍く、ソーンさんに胸ぐらを掴まれてしまった。


「お前ぇ、腹かっさばいてやろうか? あン?」

「おい、ちょ、口調が元に戻って……ぐあぁ!」

「凍土に埋めンぞ、おい!」


 ジャハルの体が高く吊り上げられて苦しそうな声がする。いつもの柔らかい口調と女性的な物腰をかなぐり捨てたソーンさんは、とっても男前だった。


「ソーンさん、下ろしてあげて」

「ジョー……。そうだね、ヤるときは自分でヤりたいだろうね」


 爽やかな笑顔だけど、別に殺したいわけじゃないんだよ。首を掻っ切る手振りするのやめてください。いつものソーンさんに戻って……。


 ぶら下げた位置からそのまま落とすという、いささか乱暴なやり方で解放されて、ジャハルは咳き込んでいた。


「えっと……」

「んだよ、謝ってほしくて来たのか?」

「違う。……あの、ありがとう、ございました」

「………………」

「………………」


 なぜか黙り込むジャハルとソーンさん。おかしいな、ジャハルには笑われるか、「当然だろ」くらい言われると思ったのに。


 ジャハルには腹が立ったけど、世話になったことにはきちんと礼を言うべきだ。かなり勇気がいる行動だったのに、予想と違った反応をされて、戸惑ってしまう。


「そんな顔も出来るんだな、ちびちゃん」


 どんな顔だ、それは。


「あ、元に戻った」


 ソーンさんまで?


「そうかそうか、ニールの部屋に運んだのがそんなに嬉しかったか。良かったな、ちびちゃん」

「違う」

「なるほどねぇ。そういうコトだったんだ~」

「だから、違う」

「べっつに隠すことねーだろ、にっこり笑ってキスしてやりゃ男はオチる。にっこりだぞ、にっこり」

「調子に乗るな! でも、ジョー、女の子に戻りたいなら戻っていいんだよ? 分からないことがあるなら、アタシだって誰だって、手助けするからさ」

「………………」


 僕は黙って卓上の空のジョッキを手に取った。分厚い陶製の、丈夫なものだ。それを二人の前に突き出す。

 つー、と上から下まで指でなぞる。するとジョッキはまっぷたつになった。


「…………」

「…………」


 ジョッキの断面を二人によく見えるように手を広げた。そして、元のように破片をくっつけて一つにした。左手から水を注ぎ、水漏れしないのを確かめてから、僕はそれを飲み干した。


「……落ち着いた?」

「お、おう」

「あはは……。今の、なに?」

「師匠直伝の奇術」

「どう見ても魔……」

「奇術。タネと仕掛けがある」

「…………」

「…………」


 もちろん、大嘘だ。


「……ジャハル、あなたは嫌な奴だけど、強い。僕が弱いことに気づかせてくれた。だから…………ありがとうございます。それと、お願いがあるんだけど……」

「…………」


 目と顎の動きだけで、先を促された。


「あの……。もっと、僕に色々教えてほしい。……センセイ」

「!」


 らしくもないことを言ったりして、僕は自分で自分が恥ずかしくなった。口許をストールで隠して誤魔化す。ジャハルはひと呼吸置いて笑い出した。


「だっはっはっは!! あれだけオレを嫌っといて、お前、自分に益があると分かりゃ、コロッと転んじまうたぁな! いい性格してるぜ。なぁ、ソーン?」

「アタシとしては、そんくらい(したた)かな方が安心するけど? ニールはちょっと素直すぎるわ」

「っかしいな~。あいつにゃ鍵開けから(とこ)での作法まであらかた教え込んだのに、全然活用してねぇな」

「……マトモに育ったのが奇跡だったのね」


 僕を置き去りにして二人で盛り上がっている。無視されるのは面白くない。


「……言っておくけど、大嫌いなのがちょっとマシになっただけだから。あまりひどいと、寝首を掻くよ」

「はん、脅すってことは殺るつもりねぇってことだろ? 寝首狙いに来たら床に引き入れてやんよ」

「ジャハルぅ?」

「冗談だろ!? 許せよ、そんくらい!」


 ジャハルは「ソーンは過保護だ」と吠えて頬をつねられていた。どうしようもない男だと思う。それに、嫌な奴だという評価も変わっていない。


(でも、ジャハルのやり方に慣れれば、嫌いだとは思わなくなるかもしれない……)


「んじゃ、気が向いたら鍛えてやるよ」

「え? …………わかった」

「あ~、そんな顔すんな。やめろ、ソーン! ナイフ下ろせ。こっちにも準備がある! ちゃんと面倒見るっつうの!!」


 向けられた切っ先を目を剥いて避けつつ、ジャハルが声を張り上げた。ソーンさんがこんなに子ども染みた態度を取るなんて、二人は本当に仲が良いんだな。一度も見たことのないソーンさんの表情に、少しだけ嫉妬と悔しさを感じた。


「そうだ、ジョー、フィラを弾くんじゃなかったのかい?」

「あっ……!」


 ソーンさんの言葉に怒りに燃えるゲッカを思い浮かべ、僕は挨拶もそこそこに暗い裏口へ抜けた。壁をよじ登り、宿まで走る。宿の階段を一足跳びに駆け上がり、魔術で閉じていた部屋の戸を開けた。そこには、僕が用意していた白いローブに身を包んだ師匠が立っていた。机上の呪文書の表紙を撫でていた指を止め、こちらを見る。


「…………師匠」

「おお、ジョー、おかえり」


 柔らかな笑顔、変わらぬ優しい目……。けれど今夜は決定的に違う点がある。


 お酒の匂いはしないし、お風呂に入ってよく洗った髭は灰色混じりでふわふわしている。これはそれ程おかしなことではない。僕と暮らすようになってから師匠は身綺麗になったと、ソーンさんも誉めているくらいだ。問題なのは……、


「どうして……。それ、僕が用意してた……」

「おお、ワシのための旅装じゃろ? 暖かいし具合もよい。それに、ぴったりじゃな。ありがとう、ジョー」

「……行っちゃうの?」

「そうじゃな。行くべき時が来てしもうた」

「まさか、今から? 今夜立つの!?」

「そうとも」


 僕は唇を噛んだ。


「おいで、ジョー」

「師匠!!」


 飛び込んだ胸の中で、僕は師匠の温もりを抱き締めた。このひとを絶対に忘れないよう、いつでも思い出せるよう、魂に刻むために。僕の使命を打ち明けたあの夜明け、あの時よりもずっと近くに感じる。体よりも心を寄り添わせて、僕は涙をぬぐうこともせずに声を殺して泣いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ