ヒビ ★
昼食は早々に切り上げた。祭りの喧騒が続く道を避け、僕は壁の上を歩いて宿まで戻った。
「D、ちょっと良い?」
『……何ですか? 八つ当たりされそうな気配に嫌な予感がビンビンなんですケド」
「………………」
『ちょっとお! ここ否定するとこぉ!』
Dはわざとおどけて言った。
僕を元気付けてくれようとしているんだろうか。でも、僕は落ち込んでいるわけじゃなくて、どうしても引っかかっている部分があるから黙り込んでいただけだ。
それと食事を切り上げたのは、そもそも体を壊していて少しだけしか食べられないからだ。しかもそれだって肉は駄目で、魚や豆などの軟らかいものに限る。
睡眠を取るようになっても、この成長しない体を使って戦うためには、無理をし続けなくてはならない。血を吐くのも食が細いのも、すべては代償なのだった。
「ねぇ、D。師匠は僕のこと、才能があるって、言ったんだ……」
『そりゃあもう! ジョーの才能はこの私が保証しますとも!』
「じゃあ、フィーはどうなの? フィーのセンセイもフィーには才能があるって言ったんだよ」
僕は今まで、自分のことを一般的な魔術の使い手だと思ってきた。師匠みたいな達人には届かないけど、そこそこ優秀なんじゃないかと自負してきた。
聖火へ行って、僕と同じくらい魔術を使えて、剣も使える男のひとを探すつもりだった。
それなのに、中級より少し上の魔術の使い手であると言っていたフィーが、あんな簡単な黒術に、しかも戦いの最中でもないのに詠唱をするなんて? 師匠なら、いや、僕ですら「力ある言葉」を発することなしに術を導くことが出来るというのに……。
(頼むから、フィーの腕が未熟なんだと言ってほしい。聖火国へ行けば、僕より強い使い手なんてたくさんいると言って……)
『ジョー、残念だけど……』
「ああ!」
『フィーは上から数えたほうが早いくらいの強さですよ。もちろん、聖火にはフィーよりも卓越した使い手がいますとも。……けど』
「やめて。聞きたくない!」
耳を塞いでしゃがみこんだ僕に追い討ちをかけるように、
『それでも皆、貴女よりずっと、弱い』
Dの囁きが、体に染みいってきた。込み上げてくるものを飲み下す。血の臭いが喉から鼻に抜けていった。
膝頭が床を打つ。僕は自分の内側で暴れるものが治まるのを待った。
涙がこぼれてくるのは体の痛みのせいじゃない。
『貴女が一番強いんですよ、ジョー。貴女の師匠はもうお年寄りだもの』
「……やめてよ」
『魔術の腕は劣っても、素早さもしなやかさも、筋力も持久力も精神力も、貴女が上……。だから、貴女が一番強い』
「やめてぇ……!」
知りたくなかった。僕が強いなんて知りたくなかった。
こんな力、欲しくなんてなかった……。
きっと誰か、僕より強いひとが魔王を倒してくれると信じていたのに。
僕はそのひとの支えになって、手助けができたらそれで良かったのに。
その誰かはどこにいるんだ。
僕と同じように隠れているのか。
どこへ行けば彼と出会える……。
「ししょ……う……」
僕より強い男のひとは、師匠しかいない。けど……あの師匠を凍土の奥地、雪山まで行かせるのか? 大体、師匠に何て言えば良い? 師匠は僕が普通の女の子に戻ることを望んでいるのに……!
助けて、と。
口に出すことすら、いけないことのような気がして。
(くるしい…………)
『助けてあげましょう。私が助けてあげますよ』
「D……」
『不安でしょう? ねぇ?』
「うん……。怖いよ。師匠とお別れするのやだよ……デルタナからも離れたくなんかない。聖火に行ったって、無駄かもしれないのに。僕は……、僕は……」
どうしたら良い?
『誰か男のひとを雇って、凍土に向かいましょうか。貴女と私なら、魔王もすぐに倒せますよ、きっと』
「………………本当に?」
『もちろん!』
「あ、でも、雇うならすごく強いひとにしないと、危険だね。ソーンさんに聞いて……」
『使い捨てにすればいいじゃありませんか』
「………………は」
『壊れたら、また次の男を連れてくるんですよ。だから雇うのは誰でもいいんです。ほら、解決デショ?』
「…………………………」
『あ、雇い直すのはお金がかかるから、死体を操ってもいいですね。その状態ならご飯も要らないし、経済的~。ナイスアイデア! 誉めて誉めて!』
「そんな酷いことっ、ひ、ひとの生命をなんだと思ってるんだ! 馬鹿にするな!」
『えっ…………』
言葉に詰まったあと、Dは懸命に謝ってくれた。
仕方ない、Dは人間じゃなくて本なんだ。だから……仕方ない……。
それでも! ……それでも許せないものは許せない。僕は謝るDに、最後まで許しを与えなかった。
堪えきれずに吐いてしまったものは真っ赤な血混じりで、僕はそれを塵に変えて処理した。すべて空っぽにしてしまいたい気持ちと、空っぽであることを恐れる気持ちが入り雑じってざわざわする。
『大丈夫、ジョー? お腹の中、せめて血を止めたほうが……』
Dの言葉が遠くぼんやりと聞こえる。
「ニール……」
思わず口にしていたのは、求めてしまったのは、僕の心の一番深い場所まで浸透している名前だった。
『ニール? ニール!? ジョーってば最近そればっかり!』
「あ……」
力任せに叩きつけられたのは、怒りだった。
『あんな奴のどこがいいの? 名前呼ばれただけで意識しちゃって馬鹿みたいですよ。弟としか見られてないのに。本当はジョーじゃなくてリリアンヌって呼んで欲しいんですよね?』
「あ、あの、D……」
『ニールが着替えてるとき、知らんぷりしながらチラチラ見てるクセに!!』
「っ!」
『好きなんでしょう? 好きになって欲しいんでしょう? ニールの好物を美味しく料理出来るように頑張ってるのも、気を引くためにニールの目の前で女の子に優しくするのもそう』
「やめ……」
『キスしたいんでしょ? 触りたいんでしょ? ちょっと手が当たっただけでドキドキしちゃって。信じられない、好きすぎて気持ち悪い!』
「あ…………ぅ……」
(恥ずかしい……! もうやめて……!!)
『そんなに手に入れたかったら、服を脱いで女の子に戻っちゃえばいいでしょう。ベッドで待ってればカクジツだよね。ヤることしか考えてないお年頃だもん! あのド下手くその童貞に遊ばれて、ポイ捨てされちゃえばぁ!?』
「………………や」
『でも、その王子さまは今頃、酒場のウェイトレスのリムちゃんのオッパイにでも顔を埋めてるんじゃないですかねぇ。ま、貴女には……無理ですよね~。しょうがないですね!!』
「………………ひどい」
僕は窓から身を乗り出すと、術の助けを借りて屋根まで出た。後ろでDの呼び止める声がする。それを振り切って走った。
今だけは、どこか誰にも見られない場所で一人で泣きたかった。
お読みくださりありがとうございます。Dちゃんによる羞恥プレイかな。
★以下、小話。『理想と現実』★
――理想――
D『かくかくしかじかで魔王を倒しに行きましょう!』
ジョー「すごーい! さすがDだね!」
D『ふふーん(ドヤァ!)』
ジョー「素敵…(照れ)」
D『じゃあ、私と契約してくれる?』
ジョー「うん…。いいよ…」
D『やったあ♪』
――現実――
ジョー「最悪だよ…(軽蔑)」
D『あれっ?(焦り)』