フィーとガイエンと魔術談義 ★
二階に上がり、探索者たちが思い思いに過ごしている部屋の隅っこに店を広げる。発酵させたフカフカのパンが詰まった籠が一つ。十二インチほどもある深皿二枚を重ねたような、持ち帰り用の使い捨て容器が三つ。飲み物が入っている陶製の細長い瓶が三本。内、一本はやたら流麗な葡萄の模様が描かれているから、きっとフィーの物だろう。
何とも豪華な昼食だ。僕と師匠までご馳走にあずかってしまって本当に良いのだろうか。多分、大食らいで大酒飲みのゲッカの分だろうに。
「ほいじゃ、乾杯しようぜ」
「ひ、ひ、ひ……いただくとしようかいの」
「師匠、呑みすぎないでね」
「ほいほい、わあっとるわぃ」
どうだか。
師匠とジャハルは階下で勝手に借りてきた杯に酒を注ぎ、景気よくぶつけ合ってから飲み干していた。しかもジャハルの奴は、サムが買ってきたおかずの中から、さっそく山鳥の蒸し焼き手羽をかっさらって齧っている。行儀の悪い……。
「フィー、頼まれていた果実水だ。あんまり冷えてなくて悪いけど……」
「ふふ、ありがとう。それくらい、私がいくらでも冷やしてあげるわよ。貸してごらんなさいな」
フィーは受け取った瓶の蓋を開け、銀杯に中身を注いだ。左手で持ち、右手を添える。白くて長い指がふちをなぞる。僕のちょうど耳元で、サムが喉を鳴らすのが聞こえた。
「原初の昏き龍よ、すべての動きを止める者よ……我の望みのままに熱を奪い、凍てつくほどに冷やせ、いさ、【氷凍】」
不思議な言葉の連なり。フィーが紡いだそれの最後に、僕も良く知る術の「力ある言葉」が入っていた。これは、師匠が簡単なものだと言って教えてくれたものと同じ術だ。
「はい、どうぞサム。私のために買ってきてくれたんですもの、貴方が先に飲むべきよ」
「い、いや、おれは……」
「ほら、飲んでったら。私は豆の煮物でもいただこうかしら」
「おれは別に……フィーが残したヤツをもらえれば、全然……」
「なぁに? なにか言った?」
「いいや、何でもない」
そういえば、師匠とD以外のひとが魔術を使うのを見るのは初めてだった。術士というものは国や貴族に囲われていることがほとんどだ。その他には例えば、聖堂教会なんかには治療のために術士がいる。だがそもそも【治癒】の術が使える僕は、そこへ行く必要がない。だからこの二年半の間にも、術の行使を見る機会がなかったのだ。
術の行使には「力ある言葉」の他に詠唱という呼びかけが必要な場合がある。それは頭の中で思い描くものを、手で触れられるこちら側へ導く際の難しさに関係するのだと聞いた。より集中するための助けが詠唱というわけだ。
……ついでに言えば、僕は詠唱したことがない。もちろん、師匠もだ。だから、Dが詠唱をするのを聞いたときは不思議に思ったものだ。Dは言った。
『難しい術を詠唱なしで完成させてしまう、ジョーやお師匠さんみたいなヒトの方がおかしいんですよぅ。私がへたっぴなワケじゃないんですぅ~!』
そのときはDの言うことだからと、全く相手にしなかったけれど。僕が簡単に導ける術を詠唱で補助しているフィーは、どの程度の使い手なのだろうか。
そう考えながらフィーを見ていたら、不意に目が合った。
「食べる?」
「えっ……」
フィーは何を思ったのか、豆の煮込みを金のスプーンですくって、僕に差し出してきた。いやいや、それが食べたいわけじゃない。それに、サムから注がれる羨望の視線が鬱陶しい。
「いや、別に。欲しかったわけじゃないから」
「あら。美味しいのよ、これ。ひと口食べてごらんなさいよ」
「いや、いい……いいって」
「あ~んして~」
「むぅ……」
口に放り込まれた煮豆は、爽やかな酸味と香辛料が効いていて確かに美味しかった。……この際、いじけているサムのことは無視しよう。
「……ありがとう、美味しかった」
「よかったわね」
「フィーにひとつ、聞きたいことがあるんだけど、今良いかな」
「うふふ、なにかしら。答えられることなら、いくらでも聞いてちょうだい」
果実水の入った銀杯を傾けながら、フィーは優雅に微笑んだ。濃い、すみれ色の瞳が柔らかくきらめいている。この笑顔を壊したくない……。何とか、穏便に聞き出したいものだ。
「あの……、さっきの術なんだけど、あれってどの程度の難しさなの?」
「………………」
「フィー?」
「面白い質問ね。普通は何をしたのか、他にどんなことが出来るのかって聞かれるのに。まるで……、そう、まるで新しい術を早く教えてほしい術士見習いみたいな口振りよね」
(まずい……。言葉選びを間違った!)
「ジョーは魔術が扱えるの? 聞いたことなかったわね、そういえば」
「……ちょっとだけ。二つ、使える」
「そうなの、希少な才能ね。誰に教わったの?」
「………………」
安易に口にして良いものか悩む。でも、この街の探索者ならば大半は僕と師匠の関係を知っている。ならば、ここで言わないのも不自然だろうか?
「僕の師匠は、その……。あの……」
「ああ、あのお爺ちゃんね。そう……」
フィーは僕の意図をちゃんと汲んでくれたようだ。僕はまだ師匠の名前を知らないし、ここでの師匠の二つ名のひどさといったら……。
「へぇ。“ドブネズミ”のジイサン、本当に魔術なんて使えたんだな」
「………………」
「ジャハル!」
フィーの叱責が飛ぶ。サムがすまなさそうに眉を下げながら、僕の肩を軽く叩いてきた。師匠は笑ってジャハルからの酒を杯に受けている。別に僕は、師匠が気にしないなら構わない。あいつを嫌う理由が増えただけだ。
「ええと、ジョー、どんな術が使えるんだ?」
「……明かりで照らす術と、ちょっとした攻撃の術」
話題を逸らすように、ガイエンが僕に質問してきた。ひけらかすのもしたくなかったから、答えはぼかした。それが伝わったかどうか分からないが、ガイエンはそれ以上踏み込んでくることはしなかった。
「すごいな。教え方はどうだ? 俺もひとつ、教わってみようかな」
「……師匠は、魔物退治に使うような術はあんまり知らないよ」
「そっか。それじゃ、仕方ないな」
「……ガイエンは白術も黒術も両方使えるんでしょ?」
「ん~。素質はある、らしい。なんたって療術士だからな。けど……」
ガイエンは遠くを見ながら、水筒からひと口呷った。
「俺に術を教えた聖堂騎士はな、ロクな奴じゃなくてな。体を治すんだから体で覚えろ、なんて言ってな…………。あいつ、今度会ったらただじゃおかない」
「…………………」
ガイエンは【止血】や【治癒】などの術を習得するのにひどく苦労したようだ。聖堂騎士って、怖い。
「あっ、そうそう、術の難しさの話だったわね!」
ガイエンの話が途切れたとき、フィーが僕に話しかけてきた。……良かった、本題に戻れた。
「さっきの術は、黒術の中でも難しさは真ん中くらいのものかしら。別に詠唱は破棄してもいいのだけれど、今は急いでいなかったから。冷たい飲み物が欲しいときは便利よ」
「……あれが、中級か」
「そうよ。私は中級までは詠唱を破棄できるし、一応上級だって使えるんですからね。私の先生は魔術の本場、聖火国から招いたのだけれど、私には才能があるって言ったわ。本当かどうか分からないけれど、百人見てきて私が一番優秀な生徒だったんですって」
「………………。すごいね。フィーは優秀な術士なんだ」
「ありがとう。魔術の使い手は絶対数が少ないから、私も他の術士がどの程度の腕前なのかは知らないの。ただ、先生に言われたことを信じるだけよ」
そう言って微笑むフィーは誇らしそうげだった。それはセンセイへ向けられる尊敬も同然だった。羨ましい。きっとそのセンセイも、フィーのことが大切で誇らしいに違いない。
僕は師匠を盗み見た。でも、師匠は一度も僕を見ようとはしなかった。
★用語解説★
D 『は~い、みんな、いいこにしてたかな? Dちゃんの用語解説だよ~! この作品は、似てるけど意味が違う言葉が多いからね、ちょっと解説するね~。作者は吊るしといたから、許してね!(吊るす=縛り首)
・信者……聖火を崇めてるひとたち。なんにもできない一般人だよ。
・導師……聖火を崇めてるひとたち。治療などの知識はあるけど、一般人だよ。
・魔導師……魔術の知識がある。術を操れる。でも、パスがひとつしかない(陽の気か陰の気の片方しかないこと)と、術での治癒はできないよ!
・魔術師……魔導師の上のひと。内面世界の旅を終えたひとたち。ニールや一般人は誤解してるけど、魔術が使えるひとイコール魔術師じゃないんだよ!
・術士……パスがひとつしかなくても、術が使えればなれる。雑魚。
・聖堂騎士……パスはふたつ、治癒もできて武力もあるエリート!
・王……国を治める者じゃない。領界を治める者なんだよね、本来は。あなたたちの言葉で言えば、神様かな!
・アーツ……白術、黒術のこと。ほんのお遊び。
・魔術……スペル。内面に影響を与えるものが多い。魔術師卒業したら、リアルの物質にも干渉できるようになる。学問的なもの。
・魔法……マジック。漢字の意味に囚われないで。これには系統的なものはあてはまらないの。代償が必要なもの。それも……命とかがね。
D『これで少しはわかってくれたかな? まったね~!』