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こどもに魔王を倒せなんて酷すぎる〜隠された勇者の伝説〜  作者: 天界音楽
第一章 『長い長いプロローグは破滅の香りを纏っている』
27/99

転機

 女の子のデリケートな話題、鬱成分、痛々しい描写がございます。閲覧には充分お気をつけくださいませ。

 探索者の“庭”は今日も人で溢れていた。ソーンさんは僕たちの話を聞くと一瞬だけ厳しい顔を見せたけれど、すぐにいつもの笑顔に戻った。


「ジョー、ニールと一緒の仕事をこなしな。常に誰かといること。いいね?」


 僕は頷いた。ソーンさんはそれに頷き返すと、次にニールへ向けて言った。


「ニール、ジョーはまだ満足には仕事が出来ないと思う。それも修行だと思って面倒みてやんな。あんまり泣かすんじゃないよ」

「へ~い。っと、じゃあ、行くぞ、ジョー」

「……う、うん。ねぇ、どんな仕事なの?」

「メッセンジャーだよ。壁の上や屋根を走るのさ!」

「…………はい?」






 それは苛酷と言う他なかった。街中を、隘路(あいろ)も大通りも区別なく走らされた。息は上がるし脇腹は痛むし。上り、下り、階段、梯子、壁の上……。足はガクガクして、立つこともやっとになっても、ニールは容赦なかった。

 何度も同じような場所を往復して分かったのは、ニールが僕に「どの道がどこに繋がるのか」を叩き込もうとしているということだった。近道、抜け道、回り道……。誰かに追いかけられても、違法建築によって複雑化した裏通りに逃げ込んでしまえば、追っ手を撒いて好きな場所へ行ける。

 道だけじゃない、ニールは自分の仕事を通して僕と市井(しせい)の子どもや人々の間に繋がりを持たせようとした。


「誰かになんかあったら、近くにいる奴が助けてやるようになってんだ。お前もヤバそうだったら逃げ込めよ」

「……うん」

「もっと俺や兄貴を頼れ。お前は弟なんだから」

「……あ、ありがとう、ニール」


 逃げて、隠れての生活を続けるうちに、僕は速く走り、高く跳び、上手に屋根まで登れるようになった。おかげで宿から“庭”まで壁の上を通って近道できる。これが一番嬉しいかな。

 最初の三日は吐くし転ぶし、泣きべそをかいてばかりだった。師匠が痛みの取れる【鎮痛】や腫れの引く【鎮静】、体を元気にする【活力】を教えてくれたおかげでマシにはなったけど、それでも疲れで指一本動かせなくなったときにはどうしようかと思った。


 ニールとの剣術修行も、体づくりが始まってから二つの主座(しゅざ)が過ぎる頃から再開された。まだまだニールの本気には敵わないけれど、避けることと受け流すことにかけてはほぼ完璧だ。ソーンさんも、「ジョーは避けてから距離を取っての投擲(とうてき)や、速さを活かした突きに特化した方がいいね」と言ってくれる。


「だからって、他を疎かにしていいってことには、なんない、だろっ!!」

「……一点特化が、強みだから」


 ニールの振り回す木剣から逃れながら、僕は突きを入れられる隙を窺っていた。ニールは右手も左手も同じくらい使える二剣遣いだ。しかも、ただ振り回しているように見えて実は、振るった直後の腕でも僕の突きを防ぐ。柔らかい手首と体を持っている彼は、時々目に追えない妙な動きで僕を圧倒する。……僕がてんで弱いのも、認めるけど。


 ニールが目指しているのは、小剣(ショートソード)の距離で足を止めて相手と戦う軽戦士(ライトウォーリア)だ。左手の短剣は受け流し(パリィ)だけじゃなく投擲(スロー)も出来る特製の投げナイフ(ダート)なのだという。

 魔物と戦うときの並びでは、軽戦士は弓矢を放つなどする後衛職を守る前衛職ということになる。僕は前衛職の後ろでナイフを投げたり、前衛職と協力して敵を挟撃しつつ小剣で攻撃をしたいと考えている。魔術と小剣を駆使しての補助役、前衛でもなく後衛でもない遊撃手が理想といったところかな。


 考えごとをしていても、ニールの剣を避け続けることが出来るようにはなってきている。僕の弱点、それは、体力が能力に追い付かないことだ。もうそろそろ、剣を持つ手や足元が危うい。


「たまには、受け止めてみろよっ」

「……無理」

「だよなっ!」

「っ!」


 とうとうニールの剣先が僕の細身の木剣を捉えた。あっという間に巻き取られ、無手(むて)になる。勝負あり。また負けてしまった……。


 木剣が厚いフェルト張りの床に落ちる鈍い音がする。それに合わせて腰を落とし、僕はニールに奇襲をかけた。せめて一撃と思ったけれど、それも軽くいなされて床に転がされた。うーん、強い。


「丸分かりだぞ、ジョー」

「……今度、奇襲も教えてよ」

「見て盗め」

「……ケチ」


 ニールが僕を引っ張り起こしてくれ、ついでとばかりに僕の二の腕をぎゅっぎゅと揉む。


「しっかり肉が付いてきたな」

「……まぁ、あれだけ食べさせられたら、そりゃあね」

「はは、泣きながら食ってたもんな、お前」

「師匠が【消化吸収促進】とかいう術をかけてくれなかったら、間違いなく食べ過ぎで死んでたよ」

「あはははっ!」

「……笑い事じゃないんだけどな」


 師匠は僕に色々な術を教えてくれる。でも、魔術文字はなおざりで、これまでに授けられた術も【鷹目】という遠くを見る術や、針に糸を通しやすくする【針金】、豆を発芽させる【植物生長】、家畜の羊のおっぱいがよく出るようになる【血行促進】など、はっきり言って戦いの役に立たない術ばかりだ。


 だから僕は、誘惑に負けてディーブル……Dの教授もこっそり受けている。師匠が寝てから寝台の中で呪文書を読む日々だ。まだ契約を果たしていないから、と言いつつも流線が描かれただけにしか見えない魔術文字を教えてくれる親切さ。時々、お菓子が食べたいとか(食べられないけど)、レースの服が欲しいとか(着られないけど)、返答に困るおねだりをされるのも可愛くて、僕は段々とDのことが好きになっていった。……調子に乗るだろうから、絶対に言わないけどね。


『ねぇ、ジョー? 最近、お肉が付いてきたね~』

「……もしかして、喧嘩売ってる?」

『とんでもない!』


 月が傾き誰もが寝静まった深夜の冷え切った空気が肌を刺す。何も身に着けていない裸の背を敷布が滑り落ちた。夜明けも遠く死の女王がその煌びやかな衣を広げる時間、だけど僕にとっては今からが魔術の練習時間だ。そろそろ着替えないといけない。名残惜しさに枕に頬を擦り付けながらも僕は頭の中で今日一日分の仕事の量を計算した。

 ニールの剣術修行と平行して、僕は“庭”の中限定で代書屋と繕い物屋としても働き始めた。最初はソーンさんに贈ったうさぎを刺した布巾だったと思う。それが思いがけなく好評で、「体を休めて筋肉が出来るのを待つ日」に裁縫をすることになったのだ。代書屋の仕事もやはりソーンさんに頼まれて届ける手紙を、羊皮紙に言われるがままに書き上げたことからだったはず。ソーンさんには頭が上がらないなぁ。


『最初はガリガリで筋肉どころか脂肪すらどこにあるのって感じだったけど、今じゃ安心して見てられるなぁって意味だよん。あ、髪の毛そろそろ染めた方がいいかもね、金色見えてる』

「うそっ! 困る……」


 思わず大きな声を出してしまって口を押さえる。師匠と二人きりの部屋だから、他のお客さんを起こす心配はないけれど…………良かった、師匠はぐっすり眠っている。


「染め粉、買ってこなくちゃ。帽子があるからそんなに気にしなくても良いかもしれないけど、一応……」

『綺麗だし、そのままじゃダメなの?』

「珍しいから、目立つよ」

『そっか、そうだね~。あと、ジョーは体の毛がほとんどないけど、夏は気をつけないとバレちゃうかもね。光の反射で産毛が金だって分かっちゃう』

「警告どうも。今年は涼しいから長袖で過ごすよ」

『それがいい、それがいい。でも、ワンピース姿のジョーも見てみたい』

「軽口を……あ、痛っ…………」

『どうしたの、ジョー?』


 ズキズキと疼くのは足の付け根、股の部分だった。ぬるりとした嫌な湿り気と血の匂いが鼻を刺す。どこかに打ち付けたわけでもないのに、切れたような痛みが走った。……痛い。確かめてみるのが……怖い。


「……D、どうしよう。痛いんだけど、どうなっちゃったの、僕」

『ん~~? ああ! 分かった!』

「……何?」

『あれあれ、あれですよ! 女の子として成長したんです、子どもを作れる体になったんですよ。おめでとうございます、ジョー。……リリアンヌ』

「!!」


 おぞましさに体が震えた。


 いやだ。怖い。

 体中から力が抜ける。頭がくらくらして立ってなんかいられなかった。

 歯の根がかみ合わない。思い出すのは……ロランに引き倒されたときの少年たちの下卑た笑い声だ。


 怖い。怖い……。触れさせてはならないと戒められて育って、触れられたらどうなるのか、漠然とした恐怖だけが胸に染み付いている。子どもを作れるということ、それはつまり誰かに触れられるということ? ならば、大人になんか、女になんかなりたくない!! 

 

『リリアンヌ、リリアンヌ……』

「いやだ……やだ、もう、全部いやだ……。怖い……。嫌いだ。嫌い……大嫌いだっ……!」


 こんな体も、女であることも、生きていることも。もう全部、投げ出しちゃいたい!!


『リリアンヌ……』

「その名前で呼ばないで!」

『……助けてあげる』

「………………え?」

『中庭に出ましょう。貴女の師匠が起きてしまうから。体を清めて、【止血】して、服に着替えて行きましょう』

「………………分かった」


 いつになく真剣なDの声が、土砂降りの雨に打ち据えられた水溜りみたいだった僕の心に落ち着きを取り戻してくれた。その言葉通りに行動し、Dを抱えてそっと部屋を抜け出す。音をほとんど立てずに移動できるのは、ニールに教えてもらった体運びと【静音】の術のおかげだった。


『ジョー、女であることがそんなに嫌なら、その血を止めて、今のまま成長しないでいられる呪文を教えてあげます。これは内緒、絶対に、誰にも内緒ですよ?』

「……わかった、約束する」

『それと、他のひとにこの術をかけてもいけない。でないと、大変なことになりますよ』

「えらく脅すじゃないか。もしかして、それは、悪い魔術なの……?」


 声をひそめて僕は尋ねた。一切のおふざけをやめたDからは、とても偉いひとが持つような空気が感ぜられた。僕も真剣に聞くべき事柄だと思った。


『禁術……そう、(のろ)いと言った方が分かりやすいでしょう。痛みを伴い、体に負荷がかかります』

「……それは寝ずに【回復】と【覚醒】を繰り返すのとは違うの? 口の中がいつも血の味がするんだけど」

『貴女に負担がかかることばかりしてすみません。でも、そのおかげでものすごい速度で学習、成長しているでしょう?』

「うん、感謝してる。それで、僕、どうなるの?」

『完全にこの姿に留めるわけにはいかないですが、毎日かけることによって肉体の時間を止めます。代償として貴女の寿命が減ります』

「……なんだ、そんなことか。構わないよ。教えて、D」

『後悔しなければ良いですけど……』

「今より悪くなんて、そうそうならないから。今考えられる最悪は、ロランや別の男に捕まって、魔王も退治出来ないままに苦しんで苦しんで死ぬこと、かな」

『ならば。力を抜いて……私を受け入れてください。拒否しないで』

「うん……」

『始めましょう。…………時満ちて実りゆく命よ、その体に巡る血潮よ、止まれ、留まれ、固く(つぼ)め、大地よ痩せ細り命を()んで実りを遅らせよ、いさ、【成長阻害】!』

「っ!? ぁあああああ!! っぐ! ぅぅ……!」


 冷たい刃先が体中を刺し貫いたような痛みが走った。情けなく漏れ出た悲鳴を懸命に飲み込む。刺されたら熱くなるはずなのに、体が芯から冷え切っている。冷たい……寒い……吐き気がする……!

 両腕で体を抱いて温もりを追い求めた。足を無様にばたばたと蹴上げて痛みから逃げようと床の上で溺れた者のようにもがいていた。


「ぁぁぁ……ぁ……」

『ジョー、耐えて。でも大丈夫、これでもう月のものは来ないし、髪の毛も伸びない、背も、体も大きくならない。俊敏で小さいままでいられますよ。余計な筋肉も付かないし、良いこと尽くめでしょう? 万が一男に精を注がれても種が根付くこともない。……ああ、私の可愛いリリアンヌ』

「……な……に……? 聞こえな……い……」

『何でもありませんよ、ジョー。もう立てます?』

「………………まだ、無理……っ」

『これを毎日です。耐えられますか?』

「……毎、日…………?」


 目の前が真っ暗になったような気分だった。

 ……嘘でしょう? こんな、こんな苦しいのを毎日……?


 いやだ、という言葉が口から飛び出しそうになる。先ほどの痛みを思ってさらに涙が浮かんだ。どうして、どうして僕だけがこんな仕打ちを受けなくちゃならないんだ……!


『無理しなくてもいいんですよ、ジョー。魔術も何もかも捨てて、魔王なんか知らんぷりして、どこかもっと西の、貴女の国じゃないずっと奥地に行きませんか? そこなら、きっと、普通の暮らしが出来るでしょう。女の子として生きて、誰かと結婚して、子どもを産んで……』

「いやだ!! 結婚なんて出来やしない! ……僕はもう、誰かに望まれるような、綺麗な女の子じゃないんだ……。ニールのせいじゃない、僕は、傷つけて……だから……」

『ジョー……』

「せめて誰かを救わなきゃ、僕に生きている価値なんてない。それに僕はもう知ってしまった、魔物に脅かされる弱者の存在を。殺されている子どもたちを! 僕は、僕に与えられた、魔王を倒すという使命を放り投げて得られる幸せなんて、求めてないっ、そんなの、偽物だ……!」

『……ああ、なんて輝かしい無垢な魂。やはり私は貴女のものです……一緒に、頑張りましょうね、ジョー』


 うっとりとしたDの声が甘く耳に残る。でも、なぜだろう、それはひどくねっとりと絡みつく蜘蛛の巣のように僕の心を煩わせた。師匠の茶色い目を、その温もりを思い出せるのに、それが遠く離れていく気がしていた……。

 お読みくださりありがとうございます。第一章の終わりです。

 金曜日からは楽しい第二章の始まりです。ご期待ください。明日20日木曜日は更新をお休みさせていただきます。木曜定期更新の『宿命の星が導く…したたかに見えてポンコツなお嬢様とやる気のないチャラい騎士のおはなし』をお楽しみくださいませ。

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