武術のてほどき
仕事を終えて“庭”に戻ってきたとき、僕は頭が痛くて仕方がなかった。何だかフラフラする。
「おお、ちいっとばかし気力を使いすぎてしまったようじゃの」
「気力……?」
「そうじゃ。魔力とも言う。魔術を使うときには己の体を流れる力を使うものじゃ。使いすぎると死んでしまうぞぃ」
「えっ……それは、早く教えて欲しかった、かも」
「まぁまぁ、まだ大丈夫じゃわい。おいおい教えてやるから、心配せんでええ。それより少し休んでおれ。休めば良うなるわぃ」
「はい、師匠……」
師匠はカウンターへもそもそと歩いていった。仕事が終わり、後は宿に帰って、お風呂に入って寝るだけだ。……いや、違う。せっかく布と針と糸を調達したのだから、これでお風呂用の手拭いや師匠の下着も縫わないと。
それに、ソーンさんへのお礼の品も考えなくちゃ。これまでソーンさんのことを見ていて感じたことは、「意外に可愛いものが好きらしい」ということだ。ニールにキスされた夜、ソーンさんに身支度を手伝ってもらったときに入った私室らしき場所には暖色系のキルトや刺繍の施されたクッションがあった。ということは……刺繍入りの布巾など、喜んでもらえるかもしれない。ウサギでも刺してみようか。
疲れた頭で取りとめのないことを考えながら歩いていると、いきなり声を掛けられた、かと思いきや背中に衝撃を感じて前につんのめった。ぼんやりしていたのがいけなかった。僕は何も出来ずにそのまま地面に倒れ伏した。……よく地面と挨拶してるよね、僕。
「おわっ、ジョー!?」
「……ニール?」
「お、大丈夫か。わりぃ、まさか倒れるとは思わなくて」
「……まあ、それに関しては僕が悪い」
立ち上がって服に付いた埃を払っていると、ニールが二カッと笑って信じられないことを言い出した。
「ジョー、これから剣の修行だぞ」
「…………え?」
「だから、修行だっつの。お前が帰ってくんの待ってたんだぜ? ほら、来いよ」
「冗談。僕は仕事を済ませたから今日は帰る」
「んな、くたびれたオッサンみたいなこと言ってんじゃねぇよ!」
ぐいぐいと腕を取るニールの力は強い。足を踏ん張っているのに引きずられてしまっている。僕が頭痛のせいで力が出ない様子もきっと伝わっていない。恨めしくその栗色の眉の下の目を覗き込むと、彼はいっそう楽しげな様子で僕を引っ張るのだった。
「……はぁ。ニール、僕、頭が痛いんだ。師匠に、魔術の使いすぎだから休んでろって言われた」
「はいはい、修行修行」
「待って、嘘じゃないから」
「え~。んじゃ宿じゃなくてこっちで休んでろよ。んで、良くなったら修行しようぜ」
「………………」
どれだけ修行したいんだよ。
「……言っておくけど、僕は日が暮れる前に宿に帰ってごはんを食べるし、お風呂には一緒に行かないから」
「ええ~!? 次は逃がさんって言ったろ~?」
「……誰かと一緒に入る気はないし、お金がないから今日は馬の隣でお湯を使うよ」
「ちぇ。あ~あ、俺もお前んとこで食おうかな。あそこ結構美味かったし」
「……他に誰かご飯食べるひと、いないの?」
「いねぇよ! 探索者っつうのは甘ちゃんに務まる仕事じゃねぇんだよ! ただのガキなんざお呼びじゃないね!」
「……好きにすればいい。お客が増える分は女将さんも怒らないさ」
「っし!!」
拳を握り締めてやたらと嬉しそうにしているニール。とうとう肩に担がれてまるで重病人みたいな扱いでずるずると引き摺られて、僕は修行部屋に辿り着いたのだった。
“探索者の庭”にあるのは何も酒場だけではない。カウンターの内側でやり取りされるのはお酒の他にも賭け札や希少品、仕事に必要な武器や防具や道具類、軽食類、そして仕事の依頼と報酬。
奥には食品を貯蔵、調理するためのスペース――ここは裏口に続いていて、なぜかソーンさんが書類仕事をする場所でもある。執務室は他にあるのにね。ソーンさんのチームや他の探索者たちが装備を置いていて着替えたりする場所、他にもリネン室や倉庫、探索者の休憩部屋、ソーンさんの私室もある。
そんな中で、修行部屋|(正式名称を修練室)はこの建物の二階にあった。中には誰もいなくて、広さは縦二十フィートの、横は三十フィートを少し越えるくらいだった。といっても、見ただけじゃ正確なところは分からないけど。リリアンヌの部屋よりは小さい、かな。彼女の部屋は家具に溢れていてもここより広く感じたもの。そのがらんどうの部屋は分厚いフェルトが床一面に敷き詰められていて、壁にもフェルトを貼り付けた箱だか板だか分からない物がぐるりと隙間なく置かれていた。
「どうだっ!」
「……どうだ、って、ニールが誇るとこなの?」
「誇るとこだよ! 探索者の価値が認められたからこその建物だぞ! 魔物を倒すのは何も聖堂騎士だけじゃない、探索者にだって出来るんだって、皆が認めたんだぜ。だからこういう集れる場所が作られたんだ」
「……そっか。それは、誇らしいね」
「だろ~!?」
ニールはとても嬉しそうだ。彼にとって、探索者たちは家族のようなものなんだと思う。ソーンさんを兄と呼び、一緒に暮らしているのだからなおさらだろう。……僕も、その家族に入れるのかな?
「さてと。じゃ、修行すっか!」
「……待って。仕事して減った気力と体力が戻るまでは何もしないよ?」
「ちぇ。まだへばってんのかよ」
「……普通はそんなに早く動けるようにならないよ」
「ジョーが細くて弱くて体力がないだけだろ?」
「……むぅ」
「そんなんじゃ強くなんてなれないぞ? 動いて食って寝て、動いて食え!」
「………………」
「俺はソーンの兄貴にそう言われた。兄貴は強いだろ? ちゃんと鍛えてるからなんだぜ。でもな、兄貴も凄いけどセンセイはもっともっと凄いんだ! センセイが帰ったら、お前もちょっと見てもらえ!」
「……うん、そうだね」
「嫌そうに言うな!」
「ひょんなこひょ、にゃいよ……」
だから、僕の口に親指入れて外側に引っ張るのやめて。
「体力と筋肉つけて、その腰の小剣が飾りじゃないって見せつけてやろうぜ!」
「……僕は力が弱いから、素早く動いて、短剣なんかで敵を倒す方が性に合ってるんじゃないかな。魔術を使うし」
「でもソーンの兄貴は、ジョーにはセンスがあるから実戦のつもりで棒で殴りかかれ、棒で受けさせろって言ってたぜ? それってやっぱ剣をぶん回す前提なんじゃね?」
何それひどい。
僕はようやく離してもらった頬をさすりながら、ソーンさんは何を考えているのだろうと恨めしく思った。僕はまだ、ソーンさんの動きについていくのがやっとなのになぁ。倒せたのは【雷撃】のおかげであって……。
【雷撃】といえば気にかかるのが、探索者の小父さんたちが揃って僕を「“閃光”のジョー」って呼ぶことだ。それってソーンさんの視界を奪うために眩しくしたアレだよね? 【雷撃】は誰も見てなかったってこと?
……悔しいなぁ。結局、負けちゃったし。
不名誉なあだ名をもらっちゃったな。呼ばれる度に卑怯な手まで使ったのに負けたことを言われている気がして恥ずかしい。
「それにしても、細っそいな、お前」
「!?」
考え事をしていたせいか、後ろから音もなく忍び寄ってきていたニールに両手で腰を掴まれた。不快感はなかった。びっくりしただけで。それなのに僕の体は俊敏に彼の手を叩き落としていた。
乾いた音がやけに大きく響く。
呆けたような彼の顔が目に入り、即座に後悔した。冗談のつもりだったに違いない。僕が過剰に反応してしまっただけ。「ごめん」と一言口にすれば済むだけの事だったのに、
「僕に触るな!」
出てきた言葉に僕が一番驚いた。沈黙が痛い。早く、今からでも謝れば…………
「……お前って、本当、女みたいだよな」
「!」
からかうような声音。ぎこちない笑いを浮かべた顔。
……悪気はないのだろう。
でも、その言葉だけは、許しておけない!
「……ニール、二度とそんな口が叩けないようにしてやる」
「はあっ? 何キレてんだお前」
「……お前、じゃない。どちらが上か教えてやる!」
「……本気かよ。後悔すんなよ、お坊ちゃん! いや、お嬢ちゃんかな?」
「………………!」
……たたきのめす!
お読みくださりありがとうございます。相変わらずのフィート計算が面倒ですね。ふわっとした設定に目をつぶってお読みいただけると幸いです。刺繍と変換しようとすると死臭と出るこのパソコンは壊れている気がします。
明日も更新できたら嬉しいです。