買い物 上
僕の顔を目に留めて青くなっている少年、それは紛れもなく僕の唇を無断で奪っていった奴だった。力を集めた指先を向けると、さっと戸口に隠れてしまう。
「出ておいでよ。痛い思いはさせないからさ……」
「嘘だッ! 兄貴ぃ、そいつなんとかしてくれよぉ……」
「ジョー?」
咎めるような声に僕は力を抜いた。ここで喧嘩するのは良くない、かもしれない。いつも殴り合っている小父さんたちもいるけれど、そういうのとは違う気がするから。
「悪かったとは思ってる! ただ、センセイがさ、泣いてる女の子には優しくしろって言ったし……」
「……優しくっていきなりキスすること?」
隣でソーンさんが目を剥いてこっちを見ているけれど、何て言ったら良いのか分からなかったから無視させてもらった。僕らの様子には気付かないのか、ニールと呼ばれた少年はしどろもどろの弁明を続ける。
「可愛い女の子には、キスしとけってセンセイが言ってたんだよ!」
「ジャハルの奴、ああ、もう……!」
「……僕は、女の子じゃない」
「えっ、だって……えっ!?」
「僕は男だ」
「えええっ!? なんだよ男かよ! おええ!」
ニールは吐くようなそぶりをしてみせた。
失礼な奴。やっぱりもう一発【雷撃】が必要かな?
「ったく、紛らわしい格好しやがって! 名前も女みたいだし!」
「!?」
し、師匠!?
どういうことなの……? ジョーって女の子の名前なの?
「俺も悪かったけどお前も悪かったよな。ごめんごめん、これでいいだろ?」
「………………。ソーンさん、あいつ、やっていい?」
「ん~~~。許す!」
許可が出たので殺さない程度に【雷撃】を食らわせた。すごい、どの程度の魔力を注げば力を加減できるかがまるで手に取るように分かる。僕に才能があるというのはどうやら本当らしい。こんなことで自分の力を自覚しても嬉しくなんてないけれど、【雷撃】は火傷させたりもしないし大変便利な呪文だ。これからもどんどん使っていこう。
「気は済んだかい?」
「少しは」
「少しかい……。ニールはね、悪い奴じゃないんだけど、ちょっと……」
「短絡的?」
「馬鹿で、考えなしで、突っ走って周りが見られないんだよねぇ」
どうしよう、ここは笑うべきところなのだろうか。それとも肯定してあげるべきなんだろうか。
「ひでぇよ兄貴ぃ! いつつつ、こいつなんなの?」
「アタシの新しい弟。だからアンタの弟だよ」
「また拾ってきたのかよ」
ひ、ひとを猫の仔みたいに……。
確かに鼠も狩るつもりだけどムカデも狩るんだよ。鼠より先にきみを狩ってやろうか。
「ニール、つべこべ言わずに今日の仕入れに行ってきな! 荷物持ちは連れて行かずに二人で協力するんだ、分かったね? それと、ジョーの買い物にも付き合ってやること。色々と教えてやんな」
「え~~~~!?」
「あぁン?」
「ちぇ。おい、行くぞ」
「…………………………」
「来いよ、チビ」
何となく従いたくなくて黙り込む。
彼は僕にちゃんと謝っていないと思うし、こんな風に命令される謂れはないと思う。
ニールは舌打ちし、僕を睨み付けた。
「おい、変な呪いがあるからって、いい気になるなよ? それだって何回も使えるもんじゃない。だろ?」
……師匠からそこまで聞いてない。確かに、【雷撃】を使えば魔物をやっつけられるけれど、どこまで使えて何匹倒せるか、なんて考えたことがなかった。悔しいけれど、ニールは僕より賢いみたいだ。
「……お前、いくつ?」
「………………」
どうしよう。そのまま自分の年齢を言うべきか、それともセドリックの年齢を言うべきか……。
迷っているとニールから先に口を開いた。
「俺は十二、もうすぐ十三だ」
「…………僕は、十二」
本当は十一だけど。
理由もなく嘘を言ってしまって心苦しくなったけれど、もうすぐ十二になるんだから、そこは許してほしい。
「同じか。細っせえ体しやがって、もっと年下かと思った!」
「………………」
「でも俺の方が先に兄貴のとこに居たし、お前は年下だ。俺に従え! わかったか、チビ」
「……僕は、『お前』でも『チビ』でもない」
「あのなぁ! 殴られて言うこと聞かせられたいか?」
「……僕の呪いがどこまで続くか試してみたい?」
拳を握って威しをかけてきたニールだったけれど、僕がじっと目を見返すと、視線は逸らさずに拳を下ろした。
「ついて来いよ、ジョー。店を案内してやる」
「分かった、ニール。よろしく」
「ちぇっ! そういうときくらいそのしかめっ面やめろよ」
「…………?」
ソーンさんを見ると、肩を竦めて苦笑いしていた。……僕、しかめ面なんてしてたのか。
「……よ、よろしく?」
「うわ、笑えてねぇし。センセイだったら、『ガキがそんな顔してんじゃねぇ』って張り倒してるぜ」
「えー……」
そんな理不尽な。
「まぁ、許してやるよ。行こうぜ!」
「う、うん……」
「いってらっしゃ~い」
ソーンさんは耳の横でヒラヒラと手を振って僕たちを見送ってくれた。
「よしっ、まずはお前の……、ジョーの買い物からだな。何が欲しい?」
「……仕事は良いの?」
「こっちの仕事は決まりきってるからな。まずは買うもの聞いてから店を回るんだよ」
何だかんだで知恵が回るらしい。日の光の下で改めて見てみれば、身軽そうな体はまだまだ細いけれど引き締まっていて、鍛えているんだなと感じる。麻のシャツに綿のズボン。ぺたんこの布の靴は紐を足の甲にぐるっと巻き付けて脱げないようにしているようだ。
動きを阻害しない程度に要所を革当てで覆っている。額にも革を巻いていて、備えはしっかり出来ている。特に手首を保護しているベルトのような革当ては僕も欲しいくらいだ。
出会いが酷かったせいで悪い印象しかなかったけれど、探索者としてお手本にするべきひとなんだろうなぁと思った。ソーンさんが「考えておく」と言っていたのは、きっと彼のことだ。
キスにはびっくりしたけど。びっくりしたけど! 忘れてないし怒っているけど!
悪いひとでは、ない気がする。
「……本当に必要なのは財布、鞄。それと師匠のものを質から出したい。今、何も持っていないから、細々としたものが必要だけど、贅沢は言わない。布地を買えたら下着や服を縫いたい」
「裁縫できんの!? 女ならお針子で生活できるじゃん……。あ、“庭”でちょっとした商売できるかもよ?」
「お金も要るけど、僕、強くなりたいんだ。それで、聖火国に行く。今はまだ、師匠の下で修行しなくちゃいけないから、すぐにとは言わないけど」
「へぇ。俺は、センセイが帰ってきたら、今度こそセンセイについて旅をするんだ。本物の迷宮に挑んで、財宝を見つけるんだぜ!」
「すごい……」
「だろ!?」
「うん」
ニールはバシッと僕の両肩に強く手を置いた。
「よーし、ソーンの兄貴が言ってた通り、俺がお前を鍛えてやるよ、ジョー!」
「へ?」
「兄貴は忙しいからな、ある程度までは俺に任せるってさ。嫌な奴なら放っとこうと思ってたけど、お前は俺が一人前の男にしてやる」
「あ、ありがとう……」
「死ぬ気で頑張れよ! 兄貴は思いっきりど突き回せって言ってたからな!」
「えー……」
「それと、お前にはもう一つ、俺の野望を教えてやる」
ニールはニカッと歯を見せて笑った。
「それはな……、探索者として強くなって有名になることだ。そしたら女のおっぱいも触り放題だってセンセイが言ってた」
「……おっぱい」
「むしろ向こうから来るらしいぜ? ジョーも興味あるだろ?」
「う、うん……?」
「だからお前も強くなろうぜ! なっ?」
「うん……」
嬉しそうな彼に対して、僕の胸の内は複雑だったけれど、とりあえず頷いておいた。おっぱい、かぁ。
出てこないセンセイの駄目っぷりが留まるところを知らない…。どうしてこうなった。
お読みくださりありがとうございます。明日も更新します。