円の内側 下
ああ、そうだ。
僕もソーンさんの対戦相手だったや。
すっかり忘れていたのは、マシューやサマースを相手取ってのオービスが見事すぎたせいだろう。生まれて初めて見る試合が、その場所での最高の戦士のものだというのはとても幸運に違いない。……その最強と戦うことになっていなければだけど。
そもそも、ソーンさんは何を思って相手を選出したんだろうか。マシューはどう見ても筋力に物を言わせるパワー型。サマースは全然活躍しなかったけれど技量に優れたテクニック型、もしくはスピード型との合わせだろう。
じゃあソーンさんは? 技量はマシュー相手に見せつけた。対サマースでは技量戦に持ち込む前にパワーで吹っ飛ばした。そしてスピードも……。えっと、オールマイティとか、勝ち目がないにも程があるんじゃないですかね。
「このチビ、びびって動けないみたいだぞ」
「よせよ、こいつは兄貴のしごきに耐えたんだぜ?」
「よう、ちっこいの、死ぬなよ!」
「こりゃ賭けになんねぇな」
「ばっか、賭け試合じゃねえって」
ええい、外野が煩い。
僕がするべきことは一つ、【雷撃】をぶち当てるだけ。でも、それだけじゃ観客は納得しないだろう。もし、出来ればだけど、ソーンさんから攻撃してくれたら、避けるくらいは出来そうなんだ。これまで試合を見てきて、どうしてだか動きが読めていた。避けることも出来るはず、いや、出来る。
そこで何度か避けた後に【雷撃】で気絶してもらえば、僕の勝ちだ。ちょっと卑怯な気もするけれど、あえていうなら魔術……マジック型ということで。
「ソーンさん、本当に良いんですか?」
「んん? 何がぁ?」
「えっと、魔術、使っても」
「いいさ。アンタの腕前が見たいって言ったろ? こいつらの前で実力を見せりゃ、賞金も仕事も思いのままさ。何か文句でもあんのかい?」
「いいえ……」
それだけ聞ければ十分だ。僕はカウンターに荷物を下ろした。賭け札を管理しているお爺さんが僕の持ち物全てを預かってくれた。
「心配しなさんな。命に代えても、いや、ソーンの名誉にかけて荷物を預かる」
「よろしくお願いします」
ソーンさんの名誉にかけてと言われて納得しない人間は、この街にはいないと思うよ。
「その格好でいいのかい?」
「はい。拳がかすると骨が折れそうだから、念のために鎧は着ておきたいんです」
「そうかい。ならもう何も言わないよ」
ブーツを脱いで裸足にはなったけれど、僕の格好は基本的に変わっていない。ズボンとシャツの裾をまくって邪魔にならないようにするだけだ。野次がひどいのはもう気にしないことにして、ソーンさんの動きに集中することにした。
「さあ、アンタたち、よぉく見ておきな。アタシの新しい弟、ジョーは魔術を使うのさ」
観衆がざわめく。困惑の輪が広がっていた。この反応、いまいちピンと来ていないんじゃないだろうか。どうしてだろう。僕だって目の前で魔術を見たのは、師匠の呪いが最初だったけど、だからと言ってその存在を知らないわけじゃなかった。魔法使いの伝説は残っているし、施療院や王都ベトナスの城、それに大貴族の屋敷には魔術の使い手がたくさんいるというのに。それに、聖堂にだっているんじゃないだろうか?
「本物の魔術さ……。アタシたち底辺の人間には一生お目にかかることのないような、施療院でやってもらうチャチな痛み止めや切り傷の手当てなんかじゃない、そうだろう、ジョー! 魔法使いの弟子なんだろう? さあ、見せておくれ!」
「!?」
ソーンさんはいきなり踊りかかってきた。
跳躍から放たれる蹴り、それを避けても長い手が僕を狙う。あんなに筋肉質なのにソーンさんの体は柔らかく沈み込み、僕と同じくらいの高さになった。
「すげぇ……あのガキ、避けてるよ」
「まじか……」
あれ、誉められてる? と思ったのもつかの間。
「うぷっ」
「どうした?」
足払いを避けてソーンさんの背後に回り込んだら、振るわれた頭から鞭のようにしなった三つ編みに頬を打たれた。ソーンさんは床につけた両手だけで体を支えて、もう一度足をぐるんっと回してから立ち上がった。僕はといえば、二度目の足払いにやられて背中をべったりつけて床に転がっている。
「ムカデ退治のときに確信したけど、アンタ素質あるよ、ジョー」
「……?」
「最初に会ったとき、剣を見てやったろ? アンタから掛かっては来なかったけど、後半、アタシの剣をちゃんと受けていた。あれは実際に稽古つけたアタシにしか分かんないだろうけど、アンタは自分から当てにきてたんだよ。動きを見て、的確にさ。ほら、いつまでボケっとしてるんだい、掛かっておいで」
「言われ、なくても……!」
どうしよう。どうしたら?
ここから【雷撃】を放ったところで、避けられたら意味ないんじゃないか? それとも耐えられてしまったら? ソーンさんならありえそうで怖い。
僕が起き上がるのを待っている。いや、違う。僕が動いたところを攻撃しに来るんだ。踏み付けか、蹴り上げか。
そうだ、一度だけ見たあの呪文、もしもあれが使えたら……。
意識を右手に集中させる。息を吸って、吐いて。
「打つ手なしかい? だったらこっちから……!」
僕が力ある言葉を唱えると、真っ白な、旭日のような閃光が酒場を満たした。大勢の苦悶の声が上がる。それはそうだろう、師匠の見せてくれた小さな明かりの魔術に魔力を足して大きくしたんだもの。無防備な目を灼かれて平気な人間なんていない!
「ぐあぁっ! ジョー!!」
「……雷撃!」
ソーンさんはすごかった。
だって、閃光が弾けた瞬間に目を覆っていたんだもの。それでも瞼の上からの光にここまで視力を奪われるとは思っていなかったんじゃないかな。僕もやってみて後悔するくらいには眩しかったから。そんな中、僕が向けた右手の人差し指、その射線から逃れた。だからこそ、すごいと思った。
「【雷撃】……」
「!!?」
そっと触れた指先。
ソーンさんの張り手が振り切られるより先に、懐にもぐりこんだ僕の右手から、魔術の光が飛んだ。
「いやぁ、惜しかったね、ジョー!」
「………………」
「まっさかアタシがやられるとは思わなかったよ! 強い強い!」
「………………」
「ニールに聞いてたから、ぎりぎり耐えられると踏んでたんだけど、しっかり気絶してたわ」
「………………」
そう。ソーンさんは僕の嘘の呪文に釣られて動いてしまったので、本物の【雷撃】を受けて気絶したのだった。仕切りの内側で。
つまりはそういうこと。僕は気絶したソーンさんをどうやっても外側に出すことが出来なかったのだ。そして、意識を取り戻したソーンさんの手によって、まるで鼠の死体でも捨てるみたいにつままれて場外へ。だから、だから……。試合は、僕の負け。
「元気出しなよ」
「……無理」
「仕事あげるからさ。破格の報酬で」
「………………」
僕はのろのろと首を回してソーンさんを見た。
「お小遣い稼ぎは、結構ですから。まともなお仕事ください」
「や、やだな、ちゃんとした仕事さ、もちろん」
お小遣い稼ぎっていうのはマトモじゃないって認めるってことですかね、それ。じっとソーンさんを見ると、困ったような笑顔を返された。
「買い出しの仕事さ。アンタも店に用事があるんだろ? ウチのを案内につけるから、ついでにちょっと頼まれておくれよ。小金貨二十枚とはいかないけど、せめて十枚は出すよ」
「……でも」
「でも、は無し! アンタは金に困ってるし、アタシは負けたと思ってたのに勝っちゃったんだから、それくらいはさせなさいよ!」
「……じゃあ、お言葉に甘えて」
「喋り方!」
「……むぅ」
「はは。ま、心配しなくたって今日こうして実力を見せたんだ、依頼人くらいすぐに来るって!」
指摘されてどう言い直せば良いのか分からず黙り込んでいると、ソーンさんは僕の頭をガシガシと掻き混ぜ、カウンターのさらに奥の部屋へ向かって声を張り上げた。
「ニール、ちょっとこっちに出てきな、仕事だよ!」
「へーい」
「!」
「あ……やべっ」
緩慢な返事と共に出てきたのは、今一番ぶん殴りたい相手だった。とりあえず、僕は【雷撃】を準備した。