円の内側 中
ソーンさんと戦う? そんなの無理に決まってる。いや、でも、【雷撃】なら勝てる……のだろうか? そもそもどうしてソーンさんが知っているのか。ニールって誰なのか。そして、魔術で勝ったとしてそれは反則ではないのか。
疑問が次々に湧き出てくる。その間もソーンさんは軽く跳びはねたり体を捻ったりしていた。
「さぁて、アタシが勝っても皆稼げないだろうから、今から趣向を変えていくよ!」
「お、親分、今回はどうするんスか?」
「いぇーい! 兄貴の出番だぁ!!」
「おーい、麦酒まだか?」
好き勝手に煩い男たちを片腕を挙げるだけで黙らせて、ソーンさんはぐるりと見回し、言った。
「今から三人、アタシが選ぶ。そいつらにはアタシと戦ってもらうよ」
げぇっ、とか、うわぁ……という声がそこかしこから聞こえた。この反応から考えて、ソーンさんって「戦いたくない相手」だと思われているみたい。
「どんな手を使ってもいい、アタシに勝った相手には……小金貨二十枚を褒美として取らせるよ!」
「!」
ちょうど師匠が必要としている額だ。いくら金銭に疎いとはいえ、沸き立つ観衆の声の大きさからそれが破格だと分かる。ソーンさんがわざと負けてくれるなんてこと、あるわけないと思うけど、それでもこれは僕に対してのご褒美なんだろう。
……だったら。やるしかない!
僕の他に選ばれたのは身の丈六フィート半をゆうに越える大男マシューと、背丈はソーンさんより低くてそこそこしか無いけど手が妙に長い男サマース、そして三フィートと二インチくらいしかない僕。まずはマシューが挑むことになった。ぎらぎら光る銀のバックル、棘の付いたレザーを両手首に巻き、左胸には一フィートほどの丸盾を斜めがけの太いベルトで固定した彼は、まるで物語の悪役そのものだ。
「むはははは! このおれの力に勝てるかな、ソーン?」
「あぁン? アンタこそ、ちったあ駆け引きってやつを覚えたのかい?」
「うおおおぉぉぉ!」
マシューは唸り声を上げて、自分の胸を大きな拳で何度も叩いた。鼓膜が破れるかと思った。観客から嬉しそうな囃し声が次々に沸く。
「ったく、うるさいねぇ」
ソーンさんは顔をしかめて左耳を小指で掻いてから、その手を突き出しくいっと指を曲げて挑発した。
「さあ来な、間抜け野郎」
「うらぁああ! うらっ! うらっ! うらぁあっ!」
左、右、左、右……僕の顔ほどもありそうな拳が空を切る。ソーンさんは端正な顔に嘲りを浮かべて、足の動きだけで全てを避けていた。まるで踊っているみたいだ。マシューが怒りに顔を紅く染めて、音を立てて足を踏ん張ると組んだ両手を頭上に掲げた。
誰もが息を呑んだその時、体を捻りながら放ったソーンさんの膝がバックルに沈み込むと、マシューは音もなく、仰け反ったままゆっくりと、後ろに倒れこんだ。
その重い体が立てる音にもびっくりした。わっと歓声が耳に飛び込んでくる。
うん、これは賭けにならないはずだよ。
「あ~、ったく、重いったらないね。バックルに当てるんじゃなかった……膝が痛いよ」
「……どうしてバックルに当てたの?」
「奴がバックルで臍の下をガードしてたからさ。バランスを崩させるならそこが一番ってね。顎を蹴っても良かったんだけど、あいつデカイだろ? 弾みでアタシがオービスから出ちゃ意味ないんだよ」
「ふぅん」
そうか、勝っても出ちゃ意味ないのか。
確かに、顎を蹴上げるなら跳ぶしかないし、勢い余って着地点がずれてしまいそうだ。……そんなことより気になるのは、どうして僕は経験もないのに二人の動きを目で追えていたんだろうか。
「よぅ、それが……新しい弟かい、兄貴。オレを前にして雑談とは……ずいぶんと余裕ですねぇ……」
「サマース。アンタに兄貴なんて言われたら鳥肌が立つからやめな。こっちはさっきも言ったけど、ジョー。アタシの弟さ。……まぁ、余裕は余裕さ、マシュー相手になんて汗すらかかない」
「なんだとぅ!」
「負け犬はすっこんでろ! ……兄貴、今日こそはオレが勝って、アンタのその、お綺麗なツラを……ナイフでめちゃくちゃにしてやるぜ。ふふ、ふふふふふふ……!」
「…………相変わらず、クソ野郎だよ、アンタは」
サマースは蛇みたいな目をした男で、べったりとした濃い栗色の髪の毛をまとわり付かせるようにしていた。オービスの参加者には珍しく、肌色が溢れる空間の中で長いズボンと袖を落としたシャツを着ている。日差しを避けてきたような白い膚、普通より長い腕がだらりと体の脇に垂らされている。猫背のせいでソーンさんより低く見えていたけど、実は同じくらいの高さじゃないだろうか。
確かめるために側によると、上衣の隙間から覗く、火傷の跡が見えてしまった。背中だけ……?
「おいガキィ……殺すぞ?」
「!!」
いきなり下顎をがっちり掴まれて舌先を歯が掠めた。痛みはそれだけだったけれど、今にも頭をねじ切らんとばかりに膨れ上がった腕の筋肉に、恐怖が頭の奥を痺れさせた。大きく目を見開いた自分が、くっつきそうなくらいに近づけられたサマースの色素の薄い瞳に映り込んでいる……。
「サマース!」
「…………冗談ですよぅ、兄貴。恐いんだから……っはは」
手が離されると同時にしりもちをついてしまった。首を圧迫されていたわけでもないのに声が擦れて出てこない。
「ジョー、平気かい?」
「う、うん……」
「アイツは危ない奴さ。あんまり近付くんじゃない」
「うん。よく、分かった」
仕切りの内側に二人が入る。どことなく似た雰囲気。どちらとも技術に優れ、速さを持ち、そして筋肉もある。蛇みたいなあの男は執念深そうだ。今は体を左右に揺らしてソーンさんの動きを待っている。腕が長い分、サマースに利があるように見えるのだけれど?
それに、僕を掴んだあの動き、速いだけじゃなくてしなやかで、どこから掴まれたのかまるで分からなかった。あんな風に見えない位置から攻撃できるんじゃ、ソーンさんも捕まってしまうかもしれない。でも、あの手に掴まれるのが怖いんじゃない。だって、サマースの体は肋骨が浮いていて薄い。ソーンさんの筋肉ならむしろ接近して懐に入ればさっきみたいにやっつけられる。
じゃあ何が怖いのか?
さっき触れられた時に思ったことは、まず腕の太さが急に変わったこと。あのひとの腕は細く見えて力を込めた時には信じられないような力を出す。そして手先の器用さと力強さ。……いきなりだったのに僕の顎は全然痛くなかった。それでいてまるで金属か何かみたいに固くてびくともしなかった。
あの時、頭をねじ切られそうだと直観したのは間違いじゃない……。もしソーンさんの顔の、耳や、目や、鼻や……そういう柔らかい部位に触れたら……。考えただけでもぞっとする!!
「ソーンさん……」
祈るように名前を呟く。勝ち負けなんてどうでもいいから、怪我をしてほしくない。
二人はまだ動いていなかった。マーシュや別の勝負のときみたいに騒ぐひとが誰もいない。すごく静かですごく異様な空気だ。にやにや笑いのサマース、無表情にそれを見据えるソーンさん。
「ハッ、怖気づ…………!?」
挑発しようとしてかサマースが口を開いたとき、ソーンさんの怒気が膨れ上がって周囲を震わせた。驚愕。恐怖。心臓がすくみ上がって止まる一瞬。
つま先だけで立っていたサマースの足がピクリと動いて踵が床についた。後ろへの重心移動。その、バランスの崩れた蛇男の首元にソーンさんの逞しい腕が、踏み込んできた勢いごとぶつかった。飛ばされるサマース。勝負は付いた。
「おおおおおおお!!」
「兄貴ぃぃぃ!」
「ひゃっはぁーーーー!」
ソーンさんの足、その親指の先は、ぎりぎりでオービスの中にあった。多分、ちょっとくらい出ていたって大丈夫かもしれないけれど、これで完璧な勝ちってことだ。
「すごい……」
おめでとうを言いに行くと、近くの小父さんから渡された手拭いに額の汗を吸い取らせながら、にやっとソーンさんが笑った。
「さあ、ジョー、やろうか?」
……そうだった!
お読みくださりありがとうございます。上下に収まりきらずに三部構成に…どうしてこうなった。明日も更新します。
一フィートが三十センチですので、ジョーは大体一メートル、ソーンさんは百八十センチくらいだとして、大男のマーシュが二メートル越えですね。登場人物がたくさん増えましたねって? マーシュもサマースもこれで出番終わりですよ(多分)。




