歌にのせて
私が探索者の庭に帰ってきたとき、そこはもう酔っぱらいの巣窟だった。しかも数が大幅に増えている。どうしよう、今すぐ宿に戻りたい。けど、ソーンさんにお礼も言いたいし、師匠も探さないと……。
「おおお、戻ったか、ジョー」
「…………」
師匠だ。けど、何かがおかしい。さっきまでは確実に持っていなかっただろうヒラヒラした薄布やシロメの安物の飾りなどが卓上に散りばめられている。そればかりか師匠は二弦楽器を手に、弦を調整していた。そうか、師匠、歌ってお金を稼ぐって本気だったんだ。
「それは、何?」
「なにって、呪文書を質から出すには少々金が足りんくての。借りようとしたんじゃが只では貸さんと言われてしもうた」
「……それで?」
「代わりにこの衣装を買ったんじゃよ。楽器はこの通り、そこの楽士に借りたんじゃ」
「…………誰が」
「ん?」
「誰が着るんです」
「お前さんしかおらんじゃろ」
破顔一笑。
ひどい。ひどいよ師匠……。私だって好きで男の子の格好してるわけじゃないのに。そんな風に女の子の衣装なんか着て、私に何かあったらどうするの?
私の心の内を知らずに、師匠は楽しそうにヒラヒラを手で弄んでいる。紅色の薄布は、一枚布じゃなくて、帯のように幅のあるリボンを体に巻きつけるようにして作られていた。要所要所を縫いとめてあるそれは、見た目には綺麗だったけれど千切れやすそうで、取り扱いには注意が必要のようだ。絹ではなく織りの粗い綿で出来ている。ふわふわして、軽くて、目を惹く。そんな衣装だった。
「師匠、これ、スカートは?」
「はぁ? そんなもんないわい」
「足の付け根が丸見えになりそうなんですけれど?」
「見せてやれぃ」
いやだよ!
「僕、先に帰るね。ばいばい」
「これ、待たんか」
私が踵を返すより先に師匠の枯れ枝みたいに細い指が老人とは思えない力で私を掴んで離さなかった。
「やだ。絶対に着ない」
「たのむ。今日やれば十分に稼げるじゃろうから」
「うそだ!」
「嘘じゃないわい」
そんな膨れっ面したって駄目なんだから。嫌なものは嫌です。いつの間にか酒場の小父さんたちがこちらを見ているし。ちゃんと断らないと面白半分に着せられておもちゃにされてしまいそうだ。
そんな風に考えていたとき、師匠がとんでもないことを言った。
「じゃがの……これ、金一枚したんじゃよ」
「!?」
「楽器を借り受けたというのもあるし、ちょっと高かったかもしれんが」
「……金貨。小さい方? まさか、大きい方……」
「ああ、安心せい。小金貨で一枚じゃ」
ひ、ひ、ひ、と笑う師匠。でも、でも……。
ああ、頭が痛い。せっかくお風呂に入って良い気分だったのに。
「なんということを……」
「どうしたんじゃ? すぐに取り戻せるじゃろ」
「無理だと思います」
「なぜじゃ?」
「そんなに楽に稼げるのならば、師匠はこんな貧乏暮らしなんてしてないでしょう?」
「おお! それもそうじゃな」
「ああぁぁ……」
思わず両手で顔を覆う。私の持っているお金のこと、言っていればもしかしたら師匠は無駄遣いせずに済んだのかもしれない……。
「師匠。お金をいくら貰ったんです?」
「小金貨で十二枚と銀貨が三枚かの」
「全然足りてないじゃないですかぁ! どうしてちゃんとした仕事で稼がないの? 博打みたいなことやめましょうよぉ!」
ついつい責めるようなことを言ってしまう。周りからからかわれて、私は急に恥ずかしくなって師匠の服から手を外して椅子に座り込んだ。私もお酒ってやつを飲みたい気分だ。嫌なことを忘れさせてくれるというし。
「ジョー、よく聞くんじゃ。こういう、大きな仕事は滅多にない、普段からこつこつ稼いでも街中で出来ることじゃ程度が知れとるわい」
「……だからって」
「任せておけい! 小座がひと巡りする前にちゃあんと稼げるわい!」
「師匠……」
「それで、はて、今日はなんの小座じゃったかいな」
「……………。おやすみなさい、師匠」
「待てとゆーのに!」
「やだぁ!!」
一瞬でも頼もしく感じた私がお馬鹿さんだったんですぅ! 絶対に嫌だったら!
「うぅ……」
「いつまでメソメソしとるんじゃ」
「無理ですって。人前で一人で踊ったことないもの。そういうの見たこともないし」
「じゃあ歌うかの?」
「子守唄ひとつしか知らないのに?」
「う~む。じゃあ適当に体を揺すって踊るんじゃ」
「ひどいよぅ……」
結局、師匠の泣き落としに負けて衣装を身に着けた。貸してもらった下着が黒紫の上下だったおかげで紅色の薄布を纏っても違和感がさほどない。焦げた毛先を切ってさらに短くなってしまった髪の毛にも櫛を入れ、シロメの模造硬貨のついた飾りを頭に巻きつける。他にも手に、足に金属製の細い輪を通していく。ソーンさんがどこから取り出したのか小さな円い器に塗りこめた紅を目許と唇に差してくれた。
「うん、綺麗だね。なかなか似合う」
「そうでしょうか……」
「喋り方」
「あ、はい。気をつけ……る」
「うん、そう」
ソーンさんは満足げに頷いた。
「鈴を貸してやるから、適当に音に合わせて振りな」
「ありがとう。あとは……触られなきゃいいんだけど……」
「お行儀の良い奴ばっかじゃないからね。そこは自分でなんとかしなくちゃな」
「……はい」
「よし、行ってこい」
「ソーンさん、本当に色々ありがとう」
「気にすんじゃないよ。弟は黙って甘えとくもんさ」
「うん」
初めての経験に強張る頬に無理やり笑顔を作ると、ソーンさんは肩を叩いて励ましてくれた。私の役目は、袋を持ってお客さんの席を回ること。可愛さでお金を稼げといわれたけれど、どうなるんだか。でも、ちょっとだけ楽しいかもしれない。婆やに読んでもらったお話の中に、大道芸人に引き取られた男の子がこうしてお金を集めて回るシーンがあったのを思い出す。
私で師匠の役に立てるなら、しかたない、女の子の役もやってみる。
「皆、騒げ騒げ! 今日は別れの日でもある、存分に歌って踊って見送ってやんな!」
「おう!」
「兄貴も飲みやしょうぜぃ!」
四、五人で卓を囲む小父さんたちは皆、とても楽しそうだった、中には泣いている人や、怪我をしている人もいたけれど、それでも笑い声が絶えることはなかった。師匠の弾く二弦楽器は思わず足が動きそうなくらいに陽気で、それに合わせて木のジョッキが何度もぶつかり合っていた。小刻みに体を揺らして弦を弾く師匠。私は席の間をすり抜けながら、時々、右手に括り付けてもらった鈴を鳴らす。
誰かが立ち上がって大きな声で歌い出し、それに合わせて小父さんたちがそれぞれに声を張り上げる。それはとても不思議な光景だった。昼間はここは静かな中にちょっと居心地が悪そうな、剣呑な空気が漂っていた。お酒を飲む小父さんたちはご機嫌というよりは仕方なく飲んでいるという感じだった。それが今は美味しそうな軽食を頬張り、歌い、踊り、時々殴りあったりして、とても同じ場所とは思えなかった。
どうしてこんなに楽しそうなんだろう。生き生きとしているんだろう。
このひとたちは、穏やかな街の暮らしの下に這いずる魔物の影を見留めているのに。街の外に出れば厳しい暮らしと危険と死が待っているのを知っているのに。
どうしてこんなに笑っていられるの?
「さてさて、お次は歌姫の出番だよ。子守唄が終わったら、皆もそろそろ、ねんねの時間じゃないかの?」
師匠の言葉に野次が飛ぶ。私はもう眠いのだけれど、小父さんたちは眠らないのかな。
「さあ、ジョー、おいで。歌を聞かせとくれ」
「師匠、やっぱりわ、……僕は歌えないよ」
「大丈夫、大丈夫」
「………………」
私は静まってしまった酒場で、師匠がつま弾く調べを耳でよく聴いて歌詞をのせた。
『夜霧の岸辺』という、夫の帰りを待つ妻の歌を。岸辺に灯りを吊るして、赤ちゃんを抱いて優しく揺する妻は、帰ってきた夫と三人で温かな食事を摂る。ただ、それだけの歌だ。
不意に涙が頬を伝って、私はそこから逃げ出した。
16小金貨 8銀貨 3枚の四分銀貨
銀貨2枚は棒と手間賃
銀貨2枚はご飯代
銀貨2枚はお風呂代で使いました。
次回はリリィの××××が奪われてしまう!?
お読みくださりありがとうございます。明日も更新します。