いざ、地下下水道へ
師匠に言われるままに槍を振るって、何とか形だけは様になってきたと言われた。たかが溝鼠と言えど魔物の一種だ、その生命力と歯で噛み千切る力はあなどれないそうだ。私の背なんて追い越すくらいに跳躍する鼠と本当に戦えるんだろうか。心配になってきた。
「なぁに、心配は要らんよ。わしは奥へ行くがお前さんは入り口近くで逃げてきた鼠を狩っていればええんじゃ」
「えっ?」
「可哀想などと思わずに仕留めるんじゃよ、そいつらが悪さをすれば痛い目に会うのは貧しい区域の子どもらなんじゃから」
「うん、それはそうするよ。そうじゃなくて、師匠と一緒に仕事するんじゃないの? わ、僕だけ置いてけぼりなの!?」
「ジョー」
「嫌だ……いやだよ! 置いてかないで、師匠!」
師匠と離れちゃったら、また一人になっちゃう。そうしたら。そうしたら……!
それに、師匠はまた私のこと忘れちゃうかもしれないじゃない!
「……わかった、わかった。じゃがなぁ、ここの長がなんと言うやら」
「ソーンさんには僕から頼むよ! ねぇ、師匠!」
「うんうん。わかった、わかった」
「あ、あと、僕に魔術、教えてくれるんでしょ?」
「ん~~? そんな約束しとったかな」
「したよ!」
私には才能があるって言ってくれたよね?
「……そうかの。じゃあ今教えておこう。鼠退治にはこれが一番じゃし。ただし、ここぞというときにしか使ってはいかん。お前さんの力を見たら皆がびっくりするからの」
「はい、師匠」
師匠は真面目な表情を作って私を諭した。言われなくても分かっている。魔術なんて使い手の限られているものを私みたいな無力な子どもが持てば、捕まえられていいように利用されるだけだ。そうでなくたって“善意で”国に知らされたら私は終わりだ。
「身元を偽っている」、「貴族の息子を傷つけた」、それだけでも処罰は免れないのに、「王の命令に反して子爵の息子ではない者を子爵の息子として使命に付かせた」のだ。家はなくなり、私はきっと牢の中だ。魔術を使うためだけに生かされるなんて、冗談じゃない!
「ちゃんと分かってるから」
「そうか……ならええんじゃ。ほれ、手をお出し」
師匠に言われて両手を出すと、「ほい」、と師匠が右の人差し指を私の掌に乗せた。
「!」
瞬間、びりりと衝撃が走って自然と背筋が伸びた。痛……くはない。何だったんだろう。
「今のが【雷撃】じゃ。威力を最小まで低くしてみたんじゃが、どうじゃい」
「びっくりした」
「そうかそうか。そりゃ良かった。これを覚えてごらん。やり方は分かったじゃろ?」
「えー……?」
分からないよ。そんなこと言われても。
「さっきのびりびりを、指先に集めてごらん。お前さんにゃ才能があるんじゃ。出来るはずじゃよ、ジョー」
「…………」
指先に、集める?
私は右の人差し指を顔の正面に持ってきて念じてみた。掌を抜けていったあの衝撃、あの痺れを。
「……?」
指先に熱がともる。
まさか。本当に?
「魔術は現実を変性させる力じゃ。魔術師の心象世界で変革を起こすことが出来たならば、今度はそれを表に出してやらねばならん。そうしてこそ魔術は魔術であるといえる。
さあ、力ある言葉を編んでごらん。わしがそうして見せたように。恐れるな! 恐怖は己を食らうぞ。ジョー、お前さんなら出来ると言ったろう。さあ! 唱えよ、正しき言葉を!」
「……【雷撃】!」
瞬間、私の指先から迸った光は、私の眉と短くなった前髪を焦がして空へ昇っていった。
「……わぁ」
「ひ、ひ、ひ。すごいの。失敗すると思うておったのに」
「そうなの!?」
「そりゃそうじゃ。凡人なら十五年はかかるところじゃ」
「えっ」
「ひ、ひ、ひ」
思わずまじまじと師匠の顔を覗き込む。なにを考えていきなり魔術を使わせたのか。皺に埋もれた目からは何にも読み取れない。
でも、これで力は得た。小さな力だけど、私にとっては大きなものだ。
「師匠、他の魔術も教えてください! わた、……僕、頑張るから!」
「いや、もう時間じゃ。本当にわしと行く気なら、説得せにゃならん相手が居るじゃろがい」
「そうだった!」
私は急いで“庭”に入ろうとして、思い直して振り返る。
「師匠、ありがとう!」
「なぁに、わし、師匠じゃもの。ひ、ひ、ひ」
師匠の笑顔が嬉しかった。私はソーンさんと話をつけるために重い戸を押し開いた。
酒場の中は一種異様な雰囲気だった。
ソーンさんをはじめとする探索者の小父さんたちは全身を白い革のスーツに包んでいた。それは体にぴったりフィットしていて、すらっとしたシルエットに見えるけれど体の関節部には保護するためだろうか上から重ねるようにして補強されている。金属は使われてないけれど、屋敷に飾ってあった全身鎧に似ている。そして盛り上がる股関部分……カップか何かで保護するとかだっけ。私は鎧には詳しくないのですよ。
ブーツもベルトでぎゅっと留めてある。よく見ると踵に拍車がついていたので妙に思った。拍車は乗馬の際に脚だけで合図を与えるためにブーツに取り付けるものなのに、どうしてだろう。それに、ブーツからはみ出た蜘蛛の足のような金属の爪も何に利用するのか分からない。
一番驚いたのは、ソーンさんが三つ編みだという事だ。私の目の前でその綺麗な髪の毛をくるりと丸めて櫛で留めている。呆気に取られている間にソーンさんの頭は丸い兜の中に消えた。ヘルムには目の部分を開閉できる眉庇が付いているのだけど、そこには透明な板のようなものが嵌っていた。あれは何だろう。すごい。見たことのない兜だ。よく見れば一人ひとり着けている飾りや彫っている模様が違う。ソーンさんの兜には茨がペイントされている。
「あら、お見送りに来てくれたってワケ?」
「違……う。僕も一緒に行く。連れて行って」
「……あン?」
ソーンさんの声が低くなる。お腹にびりびりくる威圧感に負けないよう、私も足を踏みしめた。
「アンタねぇ……」
「僕は! 師匠の弟子です。この意味、わかりますよね……? 僕は認められたんです。きっと役に立ちます…!」
「…………」
「……邪魔は、しません。ちゃんと指示を聞きます。お願い……します!」
周りの大人たちが難色を示すのも分かる。けど、連れて行ってもらえないと私も困る。危険だとかは理解しているけれど、だって、仕方がないのだ。今の私にとって本当に信頼できるのは師匠だけなんだから。上で待っていて、その間にロランに見つかるのも、人買いにさらわれるのも絶対に嫌だ。ここは齧りついてでも……!
「仕方ないね」
「親分!?」
「兄貴ぃ……」
「連れて行ってくれるの……?」
「はぁ? 来たいって言ったのアンタでしょうが」
「行く! 行きたい! ありがとう、ソーンさん!!」
意外にも簡単に許可が下り、私は嬉しさに拳を握った。
「いい? 奥に行くのは親玉を潰すためさ。アタシが本命だけど、他にも五人ずつ二組潜る。見つけたチームが親玉を殺す。分かる?」
「はい」
「アンタが入ってウチは六人で行く。アンタは真ん中。ジジィも真ん中。ただし、装備は貸せないからそのまんまだよ」
「はい」
「火はなるだけ使わないで。親玉を倒したら別途賞金が出るんだけど……」
「最初にお約束した師匠の分以上に戴くつもりはありません」
「……喋り方」
「あっ」
口を押さえるがもう遅い。まだ、慣れないなぁ。
ソーンさんは笑って私の頭を撫でると、“庭”のひとたちに声を掛けた。
「じゃあそろそろ行くぞ、野郎共!!」
「おーーーー!!」