僕たちのテーマパーク 5/5
いつも通りの鐘の音の後。その時は訪れた。
少し狂気じみた継ぎ接ぎの音声が、娯楽と名乗るものの全くもって楽しくもないアトラクションを押し付けてくる。
いつもカナメ達と同じエリアにいるカエデは、予想通りというべきなのか、今日は現れることはなかった。だからカナメはハルトの連れであるサヤカにカナコの小さく温かい手を託した。
いや、もし、今日以降カエデが現れたとしても、カナメはもう彼女に大切な妹を預けることはないだろう。
あのカエデとの邂逅の後。
ハルトと一緒にカナメは初めて、恐る恐る他のエリアの人間とも接触をとって確認を試みた。
罵られ号泣されたり、口の中が多少切れたり、青アザをいただく位にはリスクはあったが、カエデがどこのエリアにも存在していた確証を二人は得る事ができた。
しかもだ。カエデと名乗る何かは、時期はそれぞれ異なるものの、何かしらのヒントとなる言葉をそれぞれのエリア内のクリアに近い中心人物達に吐き出し、彼らはそれに翻弄されながら、消えていってしまったらしい。
カナメ達の青アザはその方向性の捩れた感情の、的外れな標的にされた証しといってもいいだろう。
楽しげな音楽と共に、いつも通りの違和感だらけのアトラクションの説明の後。
「迷路、か……」
「迷路、だな……」
台車の加速が落ち着き、たどり着いたその異空間とも思われる場所をカナメもハルトも知っていた。
カナメ達の隣の、比較的友好的な付き合いをしているエリアによく似た、台車に乗って進むタイプの室内型大型迷路。カナメもカナコにせがまれ、あの最初の鐘がなる少し前に母と三人楽しんで、乗降エントランスをあとにしていた。ふと思えば、小さな妹がいるカナメが今ホームにしているアトラクションの側にいたのはわかるが、学生の集団だったハルト達はなぜ、あのファンタジックなアトラクションをホームのエリアとして選んだのか。偶然あの時、前を歩いていただけだったのか。それとも、あのアトラクションの嘘臭い都市伝説を冗談で試しに来たのか。
この悪趣味の塊のような無理やり課されるアトラクションを今日、無事終えたらカナメは聞いてみたいと、そんなことを、ふと思い付きフッと思わずにやけてしまった。
「あんだけ、ふっといて個人プレーものとか、ないだろう?」
カナメもハルトも慣れた足取りで台車から降り、迷路の入り口に向かった。それを見て、他のエリアの参加者達も後に続くのをカナメは確認しハルトにたずねた。
タイムアタックの、比較的大勢が生き残れると経験上周知しているアトラクションにカナメはカエデと名乗る何かの意思を読み取れない。
「いや、あれだけふったから個人プレーものなのかもしれないよ?」
歩きながらも、顎に手を当て、まるで数学の教師の考え込むようなポーズを見せ、ハルトは、低く押さえた抑揚の少ない小さな声で呟くようにそう言った。
「……個人プレーに見せかててチームプレーってことか」
それならば、カナメにも何となくカエデが求めているであろう事が予想も出きる。
「多分」
「うわっ、面倒くせー奴」
相変わらず、なりふり構わずといった感じで、周囲を気遣わない押さえられたハルトの言葉に、周囲からの視線を感じたカナメはあえて陽気に大きめの声で答えて見せる。
「確かに」
カナメのその声に我に帰ったのか、ハルトが下の方で片手で謝りながら、一般受けが良さそうな笑顔の仮面をつけて周囲に見せつけるように笑って見せた。
生き残れるかもしれないという希望を持つ人々の前向きな息遣いを生み出したハルトの笑いは満点だと言ってもいいだろう。
だがしかし、カナメは、普通の人間としての色々な感情を見せ隠ししながら笑うハルトの笑顔の方がもっと人間的で好ましいと思っているし、そちらの方が、さらに万人受けするだろうにと残念に思っている。
「これ、終わったらさ」
意識せず、思わず口にした言葉にカナメは自分自身動揺した。
「何だよ?」
「いや、何でもない」
怪訝そうなハルトに笑いながら答えたカナメ自身、自分が何を言いたかったのかわからなかった。
*****
「なるへそ。二人一緒に行動しなければ解けない。けれど時には別行動を求めるって、こりゃー、最初から結構飛ばす内容だな」
始めて一分もたたないでぶつかったmissionは元々のアトラクションの内容には無いものだ。ちなみに子供向けの迷路も随分手の込んだ半端ないスケールの、正にラビリンスと呼んで相応しいものと変わっている。
「おそらく今までで一番クリアする人間が少なくなるだろうね」
途中まではカナメとハルトの後を追う人間もちらほら居たが、missionを前に色々段取りを繰り返す二人に意味が理解出来ず、時間の無駄でも感じたのか、みな追い払いもしないのに姿を消していた。
「やっぱ、みんなついてきてないな。うーん。初心者に、これを十五分以内にゴールとか無理だろ」
言葉に出せば、どんなペナルティを与えられるかもわからない。けれどカナメとしては、他のメンバーに対し、出来る限りの救済をしたかった。
「だから、僕達の為に用意したんだろうよ」
「げー」
カナメが心底嫌な感情を露呈すれば、ハルトは最低な言葉とともに、とても自然な笑顔をみせた。
「前にもあったろ?突然急激に難易度が上がって落第者続出するアトラクション」
さも当たり前のようにハルトに言われてみれば、それはカナメ自身も確かに何回か経験をしたことで、反論のはの字さえ浮かばない事実だった。前回まで自分達が消しゴムのカス同然の扱いだったのに対する怒りはとりあえず置いておいても、他の人間を消しゴムのカスのように蹴落としてもいいと思えるくらいには、今回のカナメとハルトに対して相手方が本気モードなのだろう。
「なーる。あれは、そういうことだったのか」
「たぶんね」
言われて気がついてカナメが唸ると、ハルトはこんな状況であろうと、それを楽しむくらいには余裕があるようで、おもちゃを目の前にした子供のように、カナメに向かってニコリと笑ってみせた。
「たっく……で、ハルト様はもうクリア後に頭は行ってんだろ?」
ハルトに対し、まるで妹相手の時の様な口調になってしまったのは長い時間を共に過ごしたからなのか。それともこれが戦友という奴なのかカナメは知らない。
けれど、人に任せるのが苦手だったカナメが、なぜかハルトなら任せられることが増えたし、信頼も出来るようになっていた。場合によっては命がけなのに、だ。
「そんなことはないよ。片隅にはあるけれど、こいつはそうそう容易じゃない。……あ、そっち、そう、それ押して」
「ほい。確かにそうだな」
与えられたmissionを目の前にカナメは、ハルトから与えられる指示を確実にこなしつつ、本当のゴールに思いを馳せた。
残り三分。
未だゴールには程遠いエリア。時折聞こえる叫び声に一瞬体を震わせながら黙々と二人、壁とほとんど同化して見える意味不明な暗号を解いていた時だった。
「手を離せっ!!」
反響しながら鳴り響く金属音と共にハルトは叫び、カナメは拒絶しながら、床に空いた大きな黒い穴に落ちそうになるハルトの手を力一杯、握りしめた。
「嫌だ!!」
「お前だけでもクリアしたらなんとかなるんだ!!このバカ!!!」
「うっせー!この頭でっかちバカ!!お前を置いていって、俺一人で二人分の謎解きは無理だろうが!!!」
バカバカと二人連呼しつつ、トラップで開いてしまったであろう大穴からカナメがハルトをなんとか引き摺り上げると、まるで漫画の擬音が見えるような音を立て、床の穴が再び閉じていった。
荒い息のまま二人、そろって、元の道に戻ったことを確認するとその場に伸びた。
「俺さ、ハルトが同じ学校だったら、お前と毎日ケンカ三昧だっただろうと思うよ」
ここのところ、思いあたった事をカナメが苦笑いしながら見えない天井を見つめ口にすると、
「おや。僕も同じ事を考えていたよ」
とハルトも澄ました顔でいいのけた。それが、どうにもカナメには面白くて仕方がない。
「でもさ、やっぱりお前の事、嫌いじゃない気もする」
「気持ち悪いな」
僕はそんな趣味ないから、とかわかってていってるんだから、こいつは質がわるい。イイ奴だとカナメは知っている。
「そんな意味じゃねーよ。……そうだな、同族嫌悪であり、お気に入りの欠かせないアイテムみたいな感じかな。……色々あったし、色々あったんだと思う。でもさ……多分、俺達は無意識に周りから自分を遮断して孤独に浸っていたんだろうな」
今まで二人、多くはないが語った事を振り返り、カナメが言うと
「色々あったし、色々あっただろうから、僕達は夢は叶う……という、その現実を見つめるのを怖くて、目を反らしていたわけだな」
と仰向けになったハルトが笑いながら続けた。
それからのmissionは差ほど大変とは思えなかった。いや、どう考えても二人の背後にはいつの間にかゴールと思われる泉を模したスペースが現れていた。
過去数回の経験から、恐らくはあそこにたどり着けばこのアトラクションは終わりだろう。ここからは良く見えないが、どうやらゴール出来た人間はまだ見受けられない。
「え?さっきのがラストの謎解きとか?」
「マジで?!」
ハルトの一言に、カナメは先ほどのトラップでさえ、このアトラクションのmissionの一つだった可能性に気がついた。
「やられたー」
再び床に大の字になるハルトを横目に
「くっそー、手を離せばよかった」
とカナメが言ってみれば、
「カナメじゃ、僕の手は離せないだろう?」
「ちっ」
ハルトが、とても嬉しそうに笑ってみせ、その笑顔にカナメはばつが悪くなった。いたたまれなさに、カナメが父の形見の腕時計をみれば、残り時間は一分を切っている。
「ちょ!残り時間!!」
カナメの声で二人は飛び起きるとゴールに向けて駆け出した。
*****
「やっぱり、お二人がクリアしてくださるんですね。私の予想通りでした。カナメ君とハルト君がこの繰り返しを終わらせてくれると私、ずっと思っていました」
タイムオーバーの音が鳴り響く中、クリア出来た人間はカナメとハルト、二人だけだった。空の台車がそれぞれのスペースに帰る中、さも当たり前のように、現れたカエデと名乗る何かは嬉しそうに笑ってそう言った。
「それ、他のエリアでも言ってただろ?」
「僕達が残れたのは偶然だよ」
昼間、他のエリアで確認した事柄が次々と頭に浮かんだのだろう。カナメの言葉と一緒に、不快感丸出しの表情でハルトも言葉を重ねる。
「本気でクリア出来ない様に妨害してただろう?この悪趣味なアトラクションに俺達を閉じ込めた張本人、カエデさん」
ハルトの尖った言葉がカエデと名乗る何かに投げつけられるが、びくともしないそれは、満面の笑顔で言い放った。
「お二人がおっしゃる通りです。私がこのアトラクションの責任者、カエデです。楽しめましたでしょうか?」
カナメもハルトも一瞬言葉に詰まってしまったのは人生経験の少なさだけが問題ではないのだろう。
「……楽しめる訳ねーだろ」
「そうだね、少し悪趣味だ」
つくづくイライラ菅を高めさせられ、二人は答えた。
「でも、このアトラクションの世界に心底浸れたでしょう?」
ここまで、純真で満足そうなカエデにカナメもハルトも今まで会ったことがなかった。何より、最後のこの場面に、人物が現れることさえ今までにはない経験だ。
「何をさせたかったのか、は多少理解したつもりだ」
恐らくは人生経験でも積ませたかったとかいう、学校の先生達がよく口にする下らない言い訳をカナメもハルトも予想してここにきた。なのに、カエデはゆっくり首を振り答えた。
「理解なんてしてくださらなくても、大丈夫です。私は理解なんて求めません。感じてくださる、それだけで十分です」
「なんだよ、その体感ゲーム的な表現」
思わず、カナメは本音が駄々漏れた。
「皆さんは何を得ましたか?そして、何を求めますか?」
いつもと変わらぬ問いかけと共にニコリと笑うカエデに、二人は、色々なエリアの人間と話、自分達の経験と重ねた答えを持ってきていた。そして、それは先ほどの最後のアトラクションによって、正解への更なる確証へと近づいていた。
「俺達は今という時を得て、この先を進むための原動力とする」
「いつまでもこんな甘っとろい、ここに居るのはもう勘弁だ。進みたい。どんな結末が待っていても、どんなに外の世界が厳しくても俺達は進みたい。未来に一歩を踏み出したい」
どこまでも続くように思われる広い空間にハルトとカナメの声が響いた。
「わかりました。皆さんの願いを叶えましょう」
カナメ達の声の反響が静まった後、カエデは静かにそう言った。
「は?」
「叶える?」
まるでお伽噺のような返答に思わず二人、腑抜けた声を漏らしたのも仕方がないだろう。
「ええ、叶えるんです」
ニッコリ笑ってカエデが答える。
「謎をとくんじゃなくて?」
信じられないという表情を見せてハルトがたずねる。
「はい、叶えます」
再びニッコリ笑ってカエデが答える。
「え……だって……」
カナメも恐らくは表情筋を疑問符で硬めたまま、重てたずねていた。
「今までの皆さん、言葉は異なるものの、元に戻る事ばかりご希望でしたから」
クスクスと笑うカエデに裏も表もない。確かにそう、カナメには感じられた。
よく考えてみれば、カナメもハルトも言葉は異なるものの、元に戻ることしか言っていなかったかもしれない。大前提として、全く持って何を訪ねられているかさえ理解出来ていなかったから仕方ないと言えば仕方がないのだが。
「げっ」
「そっかー。そっちだったのかー」
「言われて見りゃーそうだな。じゃ出してくれって言ったやつは?」
「はい。その夜のアトラクションからはきちんとお返ししました。あと、透明になった仲間を元にっていうのもありましたが、あれは時間軸がずれてそう見えていただけでしたから、ご希望された方の時間軸をずらす対応を取らせていただきました」
「マジかよ……」
「馬鹿馬鹿しい……」
「俺達の道徳的な何かは要らなかったっつーことかよ」
「そうみたいだね」
二人頭を付き合わせどこぞの小学生みたいな話し合いをした事が、本当に無駄に思え、カナメもハルトもその場にしゃがみ混んでしまった。
そんな二人にカエデはニコニコと微笑みながら、台詞染みた口調で語り始めた。
「さて、そろそろ、このアトラクションも終わりが近づいてきました。カエデが望んだのは変わる未来でした」
「変わる……未来?」
言われた言葉の意味を探してカナメはおうむ返しした。
「カエデという少女は、自らを変える事ができませんでした。彼女は運悪く我々の鐘の音と同時にこのお伽噺の世界で一人寂しく自らの手で絶った命の火を消しました。だから、彼女はクリアしても願いを叶えてもどうにもならない状態で、あの日をクリアしたのです。そして、カエデはこのアトラクションの一部となり、このアトラクションに一つの変化を与えました」
クスリと笑い答えるカエデはそこだけ人間としてのデータが存在しないかのように、人は思えない無表情を時折浮かべ答えてくる。
「変化?」
「彼女はこのアトラクションとあなた方から呼ばれるものの安全面を高め、必ず元の時間軸に戻れるように設定しました」
「前は戻れなかったのかよ?」
「ええ、我々としても幾つかはサンプルが欲しかったので。しかし彼女は自分の様にならないでほしい。そう願い続け、このシステムに改変を行いました」
鳥肌が立つような一言を発しカエデと名乗る何かが笑ってみせる。
「あなた方のクリアと同時にこのアトラクションは消え去ります。それは現象や存在だけでなく、記憶も含みます」
これもカエデが望んだことなんですよ。そう笑って言うカエデの笑みで細められた右目の端から透明な一雫が流れ落ちるのを確かにカナメは見つけた気がした。
「記憶を消されたら、こんなん、やった意味ねーだろう?!
」
消え去るという言葉に、カナメは噛みついた。記憶を消されたらみんな消えてしまうのだ。ハルトとの戦いの記憶も。やっと腹を割って話せるようになったことも、互いに認めあったことも。そして、繰り返しの世界の中、みんなを守るため一人孤独に悪役を演じることを選んだカエデの存在も。
「あなた方は、経験値だけを増し、ここを旅立っていくのです。未来への一歩を踏み出すのです。それがカエデと呼ばれていた少女の願いです」
「押し付けられた未来なんかもう真っ平だ!生かされるなんて冗談じゃない!!俺達は俺達の為に生きる!今という時を糧に、これから」
身をのりだし反論を続けようとするカナメにカエデはとてもとても穏やかに微笑んだ。
「そう、あなた方は、これから生きるんです」
眩しすぎる光の海は今までは痛みさえ感じるきついものだったはずなのに、今だけは優しい海のようにカナメやハルト達を包み込んだ。
*****
要の隣を学生服姿の高校生の集団が楽しそうに通りすぎた。
卒業旅行というやつなのだろう。要もテレビで見たことがある有名進学校のブランド制服は、まだまだ子供で居たいとその欲求を振り撒いている。
くっついたのか、その直前なのか。一際仲が良さそうな、恐らく要と同い年の少年と少女が互いの指先を絡めた手を握りしめ駆けていく。
この、リア充が、と苦々しく、けれど面白おかしく思う瞬間、ラベンダーの香りが要の鼻腔をくすぐり、引き換えチケットを買いすぎたという学生集団から、偶然譲り受けたチケットで交換した限定クレープ片手に園内のマップとにらめっこを続けていた加奈子が頭を上げ、不思議そうな表情を見せた。
彼らも要と同様に短い人生経験の中、限られた期間で結論を求められ、進学と言う道を迷い選び取ったのであろう。
そして彼らも、また、要と同様に、今、残り僅かな高校生と言う甘っとろいクレープの様な溶けかけの時期を謳歌しているのだろう。
願わくば、彼らが少し遅れて社会に現れた時、互角に体当たりできるほどの技術力を要は身につけていたい。
以前は思いもしなかったであろう考え方をしている自分に少し驚きを感じながら風に残る春を思わせる香りを胸に吸い込み、それが母のモノに似ている事に要は気がついた。これはいつから母が付けていた匂いなのか。
「まだまだ、子供だな、俺……」
ふと、止まってしまった足元に要はクスリと笑い、最近あかぎれが治ってきた母の優しい手と幼い妹の小さな手を引き、次のアトラクションへと子供のように駆けだした。
*****
悠人の横を三人組の親子連れが通りすぎた。
父親の姿はなかったが、そこにその存在が感じられる程、そして昔の自分が幼い少女の姿に重なって見えるくらいに、幸せそうにテーマパークを闊歩していた。
姿が見えない父親は本当に居ないのか、今だけ居ないのか。そんなこと通りすがりの悠人にはわからないが、溢れる笑顔が春に咲き乱れる河原のタンポポの様に朗らかで逞しく感じられた。
おそらくは兄妹なのか、悠人と同い年位と思われる少年が小さな妹と思われる少女の手を引いている。
兄弟の居ない悠人にはその存在がどんなものかはわからないが、授業なのかバイトなのか、一目でわかるほどの油ジミのついた手で少女の手を引くその少年の表情に慈しみを確かに感じられ、悠人は守るべき立場の人間の苦労と愛情を少しだけ垣間見た気がした。
願わくば、目の前の少年のような人物と社会人になったら肩を並べられるような、そんな人物になりたい。なぜかそんな風に悠人はその時感じ、思った。
先ほどすれ違った私服の学生の集団や、この春風のような三人の親子連れと、いつもは気にもしない人々になぜか目がいってしまい、足を止めてしまった事に若干の不思議さを感じながら悠人が、少し先に行ってしまった仲間に追い付こうと踏み出した時だった
いつも連絡を入れてくるメンバーはハルトの目の前で一緒に歩いている筈なのに、悠人のポケットの中の、スマホがバイブでその存在を伝えてきた。メールではなくて、長いこれは通話のコールだろうと、いぶかしみながら悠人が取り出したスマホの画面に表示されている名前は、五年以上掛かってくることがなかった人、母親からの通話を伝えてくる。
以前の悠人なら、どうしただろうか。ふと、なぜかそんなことを思い浮かべ、同時に以前とはなんだろうと悠人は少し悩み、目の前の表示される『母』という表示に、一呼吸おいて、怖いけれど、ひょっとしたらずっと待っていたかもしれない通話ボタンをスライドさせた。
「ああ、母さん。大丈夫。うん、みんなと楽しんでいるよ。……え?……僕の高校生活は最高だったよ。……うん。でさ、実は俺、大学卒業したら先生になりたいんだ。高校生の。……ははっ。何でかって?そうだね……帰ったらゆっくりと話すよ。……うん。今日は少し遅くなるけど、明日は父さんも早い日なんだろ?塾もないし、三人であのパスタ屋にでも行きたいな。……うん、中学入学のお祝いで行った近所の。……え?そんな、贅沢いいよ。僕はあの店がいいんだ。……うん。じゃ、友達が待ってるから」
仲間に、ちょっと悪い、電話。というポーズを見せつつ、とても久しぶりにまともに交わした会話は、絡まった毛糸をほどくかの様に……いや、何年も降り積もって固まってしまった雪や氷の塊のように感じていた悠人の感情を一気に溶かしぬるま湯へとても変えていく。
子供と呼ばれる間だけの、束の間の温もりに浸かれる幸福。濡れる筈なのに気持ちがよかった。
いつの間にか降りだしていた小雨はテーマパークの照明に照らされ雪のように空を舞っていたが、これまでこの季節に感じていたものが嘘のように少しも寒くは感じられなかった。
通話を終わらせた悠人が、夕方の時間を知らせる画面を確認したスマホをポケットに戻そうとしたときだった。
テーマパーク内の広い通路の反対側。今日一緒にここを訪れたメンバーが、そこで悠人を待っていた。
するとどういうことか、その一人、恵子が真っ赤な顔の紗耶香の背中を強く押し出すのが見てとれた。
何事かと悠人が見つめていた先。真っ赤な顔の紗耶香が、一瞬立ち止まったものの、何か決意したのか、少なくはない人混みの中、悠人に向かってゆっくり歩いてくる。そして、その長く美しい髪を耳に書き上げながら、悠人の目の前に立ち、頬を赤らめ、目元に雫を浮かべ、春の小鳥にさえずりのように美しく通る声で囁いた。
「知ってる?ここって、願い事が叶うスペースなんだよ……ねぇ、悠人くん、あのね……」
確かに小雨が降っていた。寒さも珍しく悠人は感じて居なかった。
動く整った唇から悠人は目が反らせられなかった。
続けられた言葉に、先ほどまでテーマパーク内の照明で雪の様に舞って見えていた小雨が、木漏れ日のように温もりを感じさせ、ライスシャワーの様にこれからの未来を祝福しているかの様に感じられた。
予習なんてできない返答は落第点ギリギリの有り合わせの感情と語彙のかたまりだ。なのになぜか一度口にしたことがあるような不思議な感覚が胸に広がった。
無事伝わったのか。はっきりいって悠人には自信がなかったし、確証も持てない。けれど、なぜか互いに頬が真っ赤になり、胸の中が暑くなるのを感じ、悠人はそのまま俯き泣き出した紗耶香の手を握りしめ、その温もりに少し驚きながらも、気を利かせ過ぎて先に歩みを進め始めた仲間達の後を、冷やかされるのを覚悟して、二人で追った。
*****
僕たちは十八歳の三月、それぞれの想いを胸に秘めたまま、テーマパークにいた。
残された子供の時間を謳歌するために。
これからの人生を自らの力で切り開き歩みを進める原動力を感じるために。
冷え込むかと思われた小雨の後、美しい月が照らし出すパーク内を一足早い春風が駆け抜けた。
十八歳の三月、僕たちはテーマパークにいた。
そして四月。
僕たちは新しい一歩を踏み出す。