僕たちのテーマパーク 4/5
「私にとって、テーマパークは一歩踏み入れると心が踊る場所、だったかな?」
今はそれどころじゃないけどね。サヤカはそう付け加えハルトの隣でクスリと笑った。
灰色の雲の隙間から射し込む日の光が、冬の冷たい風の中、底冷えする体に僅かな温もりを与える。
このテーマパークに囚われて、何日も経った今日……いや、高校入学以来、ずっと一緒にいた筈なのに数分前に初めて知ったクラスメイトの名前は優しく穏やかな彼女らしい名前だとハルトは思った。
「僕は家族との思い出が多いかな」
クルクルと回るキラキラしたメリーゴーランド。大きな胸に支えられ、優しい笑顔に手を振っていた、もうずいぶんと長い間、忘れ去っていた記憶が鮮やかに甦る。ぼそりと出たハルトの多分本心の塊。その言葉にサヤカが一瞬目を見開いた様にハルトには見えた。
ここに閉じ込められてから零れ落ちる回数が非常に多くなった出来損ないの言葉はどうせ似合わないと言われるだろう。どう誤魔化そうかとハルトが対策を練り、作り笑いを貼り付けようとした時だった。そっと目を瞑ったサヤカがサラサラの長い髪を耳にかけながら、大きく澄んだ瞳を再び露にし、慈愛とも取れるものを浮かべ、とてもとても優しそうな笑顔を見せた。
「ハルト君ちのご家族。色々大変そうかな?とか思っていたんだけど、ちゃんと仲良くしてたんだね。……良かった」
否定だけを待っていたハルトの脳が一瞬遅れて理解する。返す筈の言葉が当てはまらない返答に別の言葉をすぐには見つけられない。頬が珍しく赤く火照っているように感じるのは何も冷たい冬の風のせいだけではないようだった。
「ハルト君ってさ、一見みんなを突き放しているようで、本当は優しいんだよね。みんな、そう言ってたよ」
物理的にぶつかることの出来ない半透明の人混みの中。春先の蝶のように軽く跳ね、ハルトの一歩先に飛び出したサヤカが、校則より少し短めの、けれど違反にはならない丈のスカートをふわりとさせながら、クルリと振り返る。
「みんなって……誰だよ。聞いたことないよ」
続けられた言葉の意味をなぞり、ハルトは更に頬が赤くなっているであろうことを感じ、手袋に包まれた手でぽんっと一つ叩いた。ぼそりとかすれた空気みたいな言葉がテーマパーク内の陽気な音楽にかき消される。
同時にクールなイメージを装ったハルトの三年間が脆くも崩れていくのを感じるが、その感覚は悪いものではなく、何故か少しこそばかゆい位くらいの嬉しさが混じっていた。
「ハルト君、困った子がいたら必ず自分が目立たないように助けてたでしょ?うちの学校、有名進学校とか謳ってるから、みんな選民意識強くってちょっとでも劣っているところがある子ってみんなで集中的にいじめちゃう傾向が強かったのに。うちのクラスだけだよ、イジメがなかったの。ハルト君、なに考えてるのかわかんない、怒らせると怖そうだからって、みんなハルト君が助けた子には距離をおいても嫌がらせだけはしなかったもん」
「なに考えてるかわかんないって……また……随分酷い言われようだな。どこの不良だよ。しかも距離をおくって、全然救いになってない」
フード売り場と人気ライド乗り場に連なる半透明の人々の横をすり抜けつつ、不満な表情で頬の赤みを隠しながら答えてみるが、上手く答えられたのかわからない。
「私もね、入学初日、ちょっとトラブって目立っちゃって……ターゲットにされそうだったんだけど。ハルト君に助けてもらった一人なんだ」
「え?そうなの?」
いつもツルんでいた同じグループの女子は勿論、クラスのどの女子グループとも仲良くしていたように見えたサヤカのその言葉にハルトは心底驚きたずねた。
「ヒドイ。忘れられるレベルなの、私?」
「え……いや、……あれ?」
演技のように責める言葉にハルトは動揺するも、すぐに笑顔と優しさがたっぷり添付されて、全てを許されていると一目でわかった。
「まぁ、ハルト君ってそういうタイプって、みんなわかってるから気にしないで。それに、ご両親の教育方針なんでしょ?ゴメンね。私、前に偶然聞いちゃった。仲良しごっこはダメだって。三者面談の時、先生を叱咤する声が廊下に多々漏れだったんだ。だけど……それでも、俺様道を歩むふりして、ハルト君は優しさを差し伸べることが自然にできちゃうんだよね」
前半曇らせたサヤカの表情が、日々の光と温もりに蕾を膨らませる花々のように柔らかく、美しく周りの空気をなごませる。だから、ハルトは砕け散ったスマホのディスプレイの欠片と共に胸に突き刺さったままの棘の痛みを思い出しても、笑顔で居られた。
「俺様道とか、本当にそれ誉めてんの?」
俺様道と呼ばれるそれは、ハルトが自分を守るため作った鎧だ。今更誉められても、どうにもならない。けれど、それが後五年早ければ、ハルトが昔在籍した私立中学でいじめにあったり、家族がハルトへの対応に苦慮する事もなかっただろう。
戻らない時間は仕方がない。五里霧中であろうと進むしかない。その大切さをハルトはこの過酷なリピートの世界で知った。理解した。だからこそ、あの、このテーマパークに閉じこめられる直前の、ハルトのことを腫れ物のように扱うしかなかった両親からの電話を取らなかった事がハルトの中で、今更ながらに悔やまれる。
彼らはなぜ、あの時、友達とテーマパークに出かけると伝えた日の夕暮れに普段はかけてくることなんてない電話をかけてきたのか。
今となっては、知る手段もない。
「今だから言っちゃうけど、私、ずっとずっと……その……」
少しだけ飛ばした心に、そっと染み込む優しい声にハルトは耳を傾けた。
「その?」
珍しく、サヤカの少しだけ元気のない声に首をかしげ、その意図するところをたずねた。
「ハルト君……えっと……えーと……。……ハルト君に感謝してたんだからねっ。うん。感謝してた!してた!……うんん、みんなだよ。うちらのグループ、みんなハルト君に何かしら助けてもらったことがあるんだよ」
空元気ともとれるサヤカの言葉にハルトは思わず笑ってしまった。
「なんだよ、その桃太郎的設定」
「桃太郎って……本当にハルト君、失礼ねー。私の名前の件といい。まぁ、それは、置いといて。私達は家来にはなってないよー。友達はそんな理屈でなれるもんでもないんだし。君の人格にみんな惚れ込んでたんだよー」
自然な言葉の流れなのに一言一言がハルトの体に染み込んできた。サヤカの主観がかなり多く含まれているだろうが、なんだか目の奥が少しだけ熱くなってくる。
「あ。……名前の件は……ごめんなさい」
よくわからない感情が込み上げるのを我慢しつつ、アハハと笑いかけるサヤカの姿が、冬から春に変わる時期特有の、風に揺れる薄いカーテンのように射し込みハルトは目を細めた。
「そうそう、それとね……」
「ん?」
もう一度一歩前でクルリと回り、今度は背中を見せたままスキップしたサヤカがピタリとその動きを止めるので、ハヤトも思わず足を止めた。足元の誰かが落としたポップコーンに囀りの美しい小鳥が集まり賑やかな声がピタリと止まる。
「それとね……私、ずっとハルト君が好きだったよ」
雲は退けたものの、青色が薄い冬の空を何処までも見透すかのように、じっと、空を見上げたサヤカは、確かにそう言った。
ポップコーンを啄んでいた小鳥達が食べ尽くしたのか、ハルトの足元によってくる。短いのか長いのか時間の感覚がわからない。静かにサヤカの長くサラサラの髪が揺れて美しいと感じた。
「何で今言っちゃったかなー。無事ここから出れても、これから別々の大学なのに……ね」
ポロポロと零れ落ち、冷たく強い風に飛んでいく涙が季節外れのみぞれのように心に静かに溶けて染み込む。こんな時に何も言葉を返せない自分がとても馬鹿馬鹿しくてハルトは居たたまれなかった。
居たたまれない感情そのままに、両の手をぐっと握りしめ、ハルトが一歩踏み出すと、足元の鳥達が一斉に飛び立った。
「何いってんだよ。ここ出たら付き合おうよ!同じ首都圏の学校だろ?電車に四十分揺られる位、甘ったるい妄想でもなんでもすれば、あっという間だよ」
自分でも何を言っているんだろうと思ってしまうような台詞だった。ぼろぼろ零れ落ちるごみくずの様な言葉。それでもハルトはどうしても口にしたかった。それは、サヤカの為だけではなく、ハルト自身の為だ。
「ありがとう……うん。ありがとう。……ここから出たれら、ケイコやタクヤや、みんなが戻ってきたら、付き合おう……ね」
震え俯く姿に、ハルトは思わず勢いでサヤカを背中から抱きしめた。その背中の小ささと温かさに今まで感じたことのない感情を覚えながら、ハルトは恐らく人生最大の真っ赤な顔になっているであろう自分の姿を想像し、サヤカの華奢な背中に顔を更に埋めて隠した。
*****
「待ってた」
声は平静だか、カナメの顔は多分ニヤニヤしていただろう。いや、あえて、ニヤニヤしてやるのが高校生男子のたしなみだろうとカナメは思っている。
「うん。待たれているだろうと思っていた」
ハルトも声だけは冷静な返答を返してきたものの、俯いた真っ赤な顔がその羞恥心を露にしていた。
「おめでとう」
ねっとりと祝いの言葉を送ってみれば
「くそっ、見やがっていたか」
わざと、いやらしい笑いを口許に浮かべるカナメに真っ赤な顔のハルトが舌打ちする。その隣の以前サヤカと名乗った少女がこちらも真っ赤な顔を隠そうと思ったのかその場にしゃがみこみ、顔をうつ向かせる。
「いや、こんな修羅場な状況の中、リア充居んなと思って見てたら、お前らだっただけ」
無意識だろうが、繋がれた右手と左手は未だに離されないところを見せつけられカナメはブッと吹き出し、久しぶりに大笑いした。
「ちっ……わりぃーな、お花畑な脳みそで」
明らかに不機嫌そうな表情のまま話すハルトに
「まぁ、そんなお花畑な冗談もここまでで」
とカナメもにやけ顔から、通常モードの顔へと戻した。
「だな。……しかし打ち合わせもしてないのに的確だな、お前」
赤い顔も不機嫌な顔も殴り捨てたカナメが、このテーマパーク内で一番の規模の屋外レストランの椅子に、サヤカを先に座らせた後、自分も座った。それが気取った風ではなく、様になるところが少しカナメ的には悔しいところだ。
「今までの会話で、僕達がこのテーマパーク内で会っていたとしたら、ここしかないだろうと予想した」
隣の席でオリジナルパフェと謳うこのテーマパークキャラクターを恐らく模したであろうパフェをつつく妹のカナコと10分前から座っていたカナメは、昔どこかで見たアニメの司令官の様に両肘をつき、空に浮く指先を絡め、口許だけ笑って見せた。
「もっと早くこうするべきだったのかも知れない」
テーブルに両手を置き、祈るかの様に指を握りしめるハルトが、目を閉じながら呟やくので、カナメは思わず鼻で笑って
しまった。物には順序が大切な事もある。
「いや、今だから意味があんだろうよ」
カナメがそう言うと、驚いたような表情を見せながらハルトが顔を上げた。
夕方にやつれた表情を見せる少年が妙にこの店の、この時間帯限定のメニューだけに特化して詳しかったから。というカナメの言葉にハルトは冬の始めの氷の様な薄い笑いを見せた。
本人曰く、メニューが豊富だからという理由らしかったが、カナメは知っている。ハルトはこのテーマパーク内で既に食事を取ることができていない様子にも関わらず、連れのサヤカを気遣い、昼前のこの時間帯に、この店を選んで食事を取らせていたのだ。
「なんで、カナメはそんなに頭が良いのに実業高校なんかいったんだ?いっくら金が無くたって、公立なら奨学金とかでなんとななるだろうし、私立の進学校だったら逆に金が貰えたんじゃないのか?」
サヤカが買ってきたミネラルウォーターを片手に、ハルトが中学の進路担当の先生が何度も繰り返してきた台詞そのままに話しかけてきたので、カナメは肩を震わせた。あのときは悔しい気持ちしかなかったのに、今は心から笑える自分がいた。
「んな借金嫌だよ。第一、頭はぜんぜん良くないよ。ただ……そうだな、生きる力が強い、かな?」
吹き出しそうだったコーラを飲み込む。語るのも面倒くさいと思っていたことなのに、何故かハルト相手だとすらすらと言葉になる。
「生きる力……?」
頭がイイヤツが真面目にたずねる姿が何だか面白くてカナメは笑った。
「そそ、今の流行りから外れる肉食系」
ガオーと肉食獣の真似をしながら語ると妹のカナコがベシッとカナメの手を叩いてきた。
「確かに、アトラクションの後の蹴りは肉食系の遠吠えみたいだな」
先程のニヤニヤ笑いの仕返しだと言わん限りの満面の笑顔でハルトが突っ込んだものだから
「ひでーな。お前だってインテリ系の癖にスマホにDVしてんだから似たようなもんだろう」
と、思わずカナメも容赦ない言葉で応酬をかけてしまった。
あのハルトの事だ。何かしらの理由があるだろうとカナメは思っている。触れてはいけない。そんな気がしていたから、カナメは慌てて話を繋がってもないのに、繋げた。
「ってのは冗談にしても、そうだな……親父は交通事故でとっくに他界してて、準社員という名の体のいいパートに責任だけが上乗せさせられた母の雀の涙のような収入のみの生活。なーんて家で育ったから、世間の世知辛さだけは身に染みちゃった感じ?」
あっけらかんに笑うカナメの隣、「おやつなんて学童でしか食べたことなかったもんねー」とカナコと名乗った少女は無邪気にその言葉に同意をみせた。
「奨学金だって所詮借金だ。高校で進学校に行ったらその先は大学進学しかない。そして、我が家にそんな余裕はない」
真っ直ぐ、向かいのアトラクションの入り口を見つめてカナメは何度も自分に言い聞かせた言葉を口にした。
この時間、一番最初の日、カナメ達家族はあのアトラクションに乗っていた。恐らく、既に透明になってしまった母は今日も、あのアトラクションの中、今は隣に座らないカナコとカナメに満面の笑顔を見せているのであろうと思うと胸が押し潰されそうだった。
「俺、ずっと、今の時代、大学に行かない奴は勉強を怠けた奴だと思ってた……ごめん」
心底驚きの表情を見せた後、ハルトが心からの言葉を伝えてきた。最初の頃には滅多に見せなかった、けれど、最近はかなり本音を語るようになった相棒の言葉に、
「俺だって、大学に行く奴は親のすねかじりのふざけた奴ばっかりだと思ってたよ」
とカナメはそっと伝えた。恐らくはばつの悪い顔をしているだろうと、自分でもわかったが、これだけはきちんと伝えないといけない。そう思っていた。
「脛かじりに違いはないさ。親に行けって言われて疑問も持たずその道を進んできた馬鹿ではあるけどな」
雲は退けたものの薄く霞んだ空を見上げたハルトは、同じ高校生男子のカナメから見てもうらやましい位絵になっていた。
「いいんじゃないか?自分が何をしたいのか見つけるまでは、それでさ。それじゃいけないって、自分の人生は自分で選ばなきゃって気がついた時点でお前、世紀の大天才じゃん?」
このテーマパークに閉じ込められて、今まで接することもなかった人々と話し、カナメが至った新境地だ。
「そしたら、カナメは随分前に開花した大天才だな」
晴れた日にキラキラする冬のつららのように無色透明な笑みを投げてきたハルトにカナメは眩しくて目をテーブルに反らし首をふった。
「うんや。俺だって、周囲の状況に仕方なく流されたって言い訳している自分が、今でも自分の中に居る」
黒くて、目をそらしたくなる自分の中の本当の感情だ。これも、ここに閉じ込められて初めてカナメは直視できた。
下らない進路相談のようなカナメとハルトの会話に小首をかしげ少し悩んだ様子を見せたサヤカが、透き通る笑顔を投げ掛ける店員から買ってきた四つのチュロスを皆に配る。そして、もう一度少し悩んだ素振りを見せたあと、
「良いんじゃない?それで。私たち、まだ高校を卒業したばかりのところだよ?人生まだ半歩位なんじゃないの?持ち上げた足を下ろす先に悩んでもまだまだ許されるんじゃないかな?だってまだまだ先は長いんだもん」
椅子に座り、カナコと一緒にチュロスにかぶりついたサヤカが、何でもないように、そう言った。
「頭いい学校に行くわりに、人間的に良いこと言うね。ハルトなんかにはもったいないいい女だ」
一般的かどうか女子が少ない高校だったからわからなかったが、カナメ的には最上級の誉め言葉だった。
「いい女じゃないけど、ありがとう」
サヤカは春風にほころぶつぼみのように、カナメににこりと美しく微笑んだ。
ハルトの目の前のチュロスが減らない中、
「お前らが告白タイム楽しんでる間に、確認してきた」
と、カナメは指先に付いた砂糖を舐めながら出来るだけ冷静に伝えたつもりだった。
「ありがとう。出来る相棒をもつと心強いよ。ちなみに告白タイムは先ほどのほんの五分のことだ。実際の時間差は、君たちより僕らが入園した時間が二時間ほど遅かったことから生じてる」
「嘘くせーありがとうだな、おい。しかも理屈こねてんじゃねーよ。んなことわかってるよ」
こんな状況でも冗談を話せるハルトの精神力の逞しさに、頼もしささえ感じながら、カナメも精一杯強がってみせた。
「さて、本題だ」
自分からふざけておいて、ちゃんと話せと要求してくる図々しさ。けれど、この図々しさに何度となくカナメも命を救われてきている。
「あい、あい」
「個人プレーものなら今夜、さっそく敵になるかもしれない相手に対して、わざわざコンタクトを取る必要があるくらい重要なんだろう?」
乗り気もないような返事を帰すとハルトは先程より一歩踏み込みカナメに訪ねてきた。さて、お遊びはここまでだと、カナメも先程までのおふざけモードから脱して、めったに人には見せない真面目な表情を顔に張り付け、少し悩んだ後、震えないように、声を低くして、出来るだけ客観的に端的に語った。
「カエデと名乗るこのテーマパークの従業員は一人じゃないようだ」
と。
*****
「昨日、って言っていいのかな?前回の繰り返しの直前、俺はカエデさんと話をした」
「それは、僕も離れたところで確認した。カナメの顔色が真っ青になるおまけ付きでな。……お前、なに言われたんだ?」
ハルトから自分のその時の様子を伝えられ、カナメは初めて自分が動揺していた事を理解した。
「カエデさんは、どうやら透明になったやつらとコンタクトが取れるらしい」
深呼吸したあと、出来るだけ無感情に伝えた一言。
一瞬の沈黙。
「そりゃー画期的な発見だな。本当であれば」
かすれたハルトの声が冬の強い風にかき消されそうな程、弱々しくカナメには聞こえた。
今まで幾人もの人々が確認を繰り返してきたことだった。カナメだって、恐らくはクールな振りを見せるハルトだって確認を何度も繰り返した事だろう。もちろんカエデと同じこのテーマパークの従業員だった人々だって繰り返し何度も確認してきて、みんながそれはできないことだと諦めたことだった。
あり得ないこと。今のこの繰り返しのテーマパーク内の大きなルールの一つだとみんなが認識していたことを彼女は笑って出来ると言い放ったのだ。
「だろ?だから俺は探したよ。確認したくてさ。この園内にいるはずのカエデさんを。まだ勤務時間じゃない可能性も考慮して、さ」
三十分前までの自分の行動を思い出しながらカナメはハルトに、純粋にたずねた。
「なあ、頭の良いハルト君。同時に何ヵ所にも存在できるなんて、普通の人間には無理だよな?」
カナメは先程確認したことを、着色なく、そのまま率直にたずねたつもりだった。
「……それってどういう意味?」
一瞬遅れたハルトの返事は、彼がカナメの言葉の意味を理解したととっていいのだろう。だからカナメは乾いた笑いのまま言葉を付け足した。
「言葉そのままの理解でいいよ」
と。息をのむサヤカとカナコの気配の中、ハルトがカナメの顔を凝視してきた。
「へぇー……あの人、沢山いるの?」
カナメの意図を読み取ったのかミネラルウオーターで唇を濡らしたハルトはそう呟いた。
「みてぇーだな。しかもだ、この時期まで、従業員が残ってるって、よく考えてみたら変だよな?」
現実に目にしたことから、浮かび上がった問題点はなぜかいままで気にもならなかったことだ。けれど気になった今、それはどうしても頭から離れない。
「確かに。大体、大抵の従業員さんたちがまず現状を皆に責められ、その気があろうがなかろうが進んで犠牲になった。なのにカエデさんは、みんなに何も言われることなく存在を続けている」
フードコートの透明な店員だらけの店先を見つめハルトは苦々しい表情を見せた。おそらくカナメの言葉に、彼自信も疑問から目を逸らせなくなったのだろう。
「てか、カエデさん、いつから居たんだろうな、あのエリアに。最初は居なかった。な、カナコ?」
隣に座る、おそらくは彼女ともっとも長い時間を過ごしてきたであろう妹に訪ねてみれば
「うん、ウサギさん耳にネコさん尻尾なんて変な服装の従業員さん、私、初めての日だって、変になって最初の日だって見たことなかったよ?」
と、カナコはいとも簡単にカナメの疑問を肯定して見せる。
「初日は居なかったっていうことか」
カナメとカナコの会話に、どこかの学者のように顎に手を持っていきハルトが考え込んで見せる。
「あの……お話し中、ごめんなさい。あのね、今ふと思い当たったんだけど……」
それまでカナコと遊んでいたサヤカが申し訳なさそうに二人に声をかけてきた。
「私、二人がアトラクションに出掛けている間、カエデさんとお話ししたことが数回あるはずなんだけどね……」
言われてみればと、カナメとハルト、揃ってサヤカに注目すれば、彼女は大変申し訳なさそうに体を縮めた。
「何を話したのかハッキリ覚えてない……かも。それどころか、多分私、カナコちゃんと一緒に二人の事を待っていたような気がする……」
「ねぇ、ねぇ、お兄ちゃん。……私もね、お兄ちゃんが居ない間、一緒にいてくれたお姉ちゃん……本当はこのお姉ちゃんな気がする」
そんなサヤカに同意するかのようにカナコも会話に混ざってくる。
「多分……間違えてないと思う。匂いが、お母さんと一緒のラベンダーだもん」
「ラベンダー?」
子供の勘違いだと言われたくないのだろう、舌足らずの言葉は、けれど確実なアリバイを提示し、カナメはその言葉を聞き返した。
「あ?うん!香水じゃないんだけど、確かに私、ラベンダーのコロン付けてきてたよ」
カナメとカナコの言葉にサヤカも同意を見せる。
先ほどその匂いを満喫でもしていたのか、カナメの目の前でハルトの頬が赤くなり、無言で二人の言葉に同意を見せていた。
二人何度も一緒に命の駆け引きを乗り越えてきたせいなのか、カナメとハルトは結論を言葉にすることはなかった。手のつけられなかったチュロスを貰い喜ぶカナコを連れ四人、揃ってテーブルを後にする。
「じゃ、どのカエデさんとお話すればいいのかな?」
「どのカエデさんでも大丈夫なんじゃないかな?ウサギの耳に猫の尻尾を生やしたカエデさんなら」
目的地も決めずに立ち上がったのかと笑いながら答えるカナメに、語られたカエデの姿を新ためて想像したのか、ハルトが大笑いを見せる。
「そりゃー人知を越えた化けもんだな」
猫の尻尾に兎の耳だもんなー。と珍しく陽気なハルトに、
「こんなくだらない繰り返しを続けさせる時点で、化けもんだろう?」
と、カナメも少しだけ本音を混ぜて、そうふざけて言い返した。
*****
「カエデ……さん、ですよね」
今まで、彼女と過ごした、カナメとハルトが過ごすアトラクションのスペースからかなり離れた絶叫系アトラクションのエントランス入り口。
彼女は満面の笑顔でそこにいた。
エントランス入り口から見えるライドの台車は、昨日消えてしまったケンゴ達が乗っていたものによく似ている。カエデと名乗る彼女は、ここ以外にもカナメが確認しただけであと十数ヵ所のアトラクションのスタッフとして、透明になった人々に、行楽を提供し続けていた。
「あら、見つかっちゃいましたね」
なにも言わなくても、にこりと返されたその返答だけですべてが理解されているとカナメもおそらくはハルトも感じただろう。
「あなた、何人存在してるんですか?」
冷静を装ったハルトの声がかすれて、寒々しいデザインのエントランスに静かに響いた。
「その質問は難しいですね」
笑顔のまま答えるカエデは昨日、カナメに見せた姿となにも変わらない。
「答えられませんか?」
難しい表情を見せるハルトの質問に、カエデは帽子についた長い耳を揺らしながら首を静かに振って見せた。
「いえ、元々のカエデという少女は一人だったようですが、現在の私はあなた方の価値観から言えば、一つであり、無限である存在です。人という存在を超越した私を何人とか存在とかいう安っぽい表現で表すのは不可能かと思います」
「元のカエデさんをどうにかしたんですか?!」
カエデの身を案じ、思わず身をのりだしたずねたカナメを、後ろからハルトが押さえつけてきた。
「違います。カエデが私になったのです。彼女が望んでこのアトラクションの管理者となりました」
「このアトラクション?」
飛びかかりそうなカナメを押さえつけたハルトの冷静を装う声がカナメも思った疑問をたずねる。
「そうです。私がこのテーマパーク自体を一つのアトラクション化したイベントの専任担当者『カエデ』です」
その言葉は、響きも、声もカエテのものなのに、まるで、あの悪趣味なアトラクションの作り物とも思える継ぎ接ぎの説明そのままだった。
「ハルトさん、カナメさん。残念ながら私にたどり着いたからといって、このアトラクションをクリア出来たことにはなりません」
明らかに作られた残念そうな表情に、けれど、カナメは彼女の残念そうな感情は見つけられなかった。それどころか、彼女は楽しんでいるのではないかとさえ感じられた。
「けれど……そうですね、ヒントの一つ、お楽しみの一つ位にはなるかも知れませんね」
人差し指を口許にあて、笑うカエデをカナメはとてもこのテーマパークの従業員とは思えない。
「このアトラクションをクリアすると、皆さんは願いを一つ叶えることが出来ます。カエデも以前このアトラクションをクリアした一人でした」
初めて明かされるこの繰り返しの世界のルールの一つ。
「なんだよ。そんなの意味がわからないよ!!この無茶苦茶な世界に閉じ込められて、ずっとそのなかに居ることを彼女は望んだって言うのかよ?!」
思わずカナメはハルトの手を叩いてカエデの作業服に手を伸ばした。
「彼女は望みました。けれど、あなたが言う内容とはずいぶん異なります」
そんなカナメに動揺することなく、カエデは笑顔でそう伝えてきた。作り物でもサービスでもなく、本物の笑顔だとどこかでカナメにもわかった。
「そうですね……。早くお二人でクリアしてみてください。今日の日をクリアした方はまだいらっしゃいません」
小首をかしげて見せたカエデは、その表情は変わらないはずなのに、昨日の夜と同様、なにか少し寂しげなものをカナメに感じさせたような気がした。ゆっくりとカナメの指先を作業服から引き剥がしたカエデは昨日の夜同様、満面の笑顔を見せ言った。
「では、私はこれから、今宵のアトラクションの準備をさせていただきます。今日は今までたどり着く人も居なかった私の異物性にお気づきになり、行動を起こしたお二人の努力を賞したものをご用意いたしましょう。」
爽やかな笑顔で作業着のウサギの耳を跳ねさせ、長い尻尾を揺らしながらカエデと名乗る何かがそう言った。