僕たちのテーマパーク 3/5
こんなことになるとは思っていなかった。いや、こんなことになるから、今まで、ハルト達は必死に戦ってきたと改めて思い知らされた。
先程まで激しい銃撃戦で傷ついていたのが嘘のように可愛らしい姿に戻った台車をカナメが激しく蹴りつける音が響いていた。
物に当たっても仕方ないのだが、仕方なくても当たりたい気持ちはよくわかるからハルトも制止はしなかった。
まるで罪人の叫びの様に響く金属音に、アトラクションのエントランス付近で怯えながら帰りを待っていた、罪人とするべく贄を生み出した罪深い人々が耳を押さえ、自分達の罪を咎めるかの様な叫びの音にうちひしがれていた。
こんなこと、慣れれば平気だとハルトは思っていた。いや慣れれるものとだと思い込んでいた。
人はどうせ死んでしまう。短くても長くても金持ちでも貧乏でも、人が最後に行きつくのは死なのだから、と思い込んでいた。
けれど、無理なのだ。ハルトは無理だと知ってしまったのだ。
心が凍てついてしまう悲しみ。砕け散る切なさと絶望感。
脳裏をはなれない現実。
目を閉じても消えない罪深さ。
気が付けばいつの間にか、昼間の幸せそうなテーマパーク内で、ハルトはもう何も食べる事が出来なくなった。食欲だとか空腹という存在を思い出すこともできない。
喋る為に僅かな水分で唇を濡らせたらそれでよかった。
どうせ、すぐに自分も半透明になるか、誰かを犠牲に、また今日の朝に戻るのだ。空腹を感じなければ、食べなくても全然平気なのだ。
ここでは、悲しみでやつれる、痩せ細る、なんて目に見える現象は起きないし、体が機能しなくなることもない。ただ、ただ悲しみだけが、深々と降り積もる雪の様に心を冷たくしていくのだ。
ハルトは、笑わなくなったとは言わないが、たまに笑えばカナメが怪訝そうな顔を見せる位には、その回数は自分でもわかる位に減ってきた。ボッチにならなければいいとツルんでいた仲間達に見せていた、仮初めだと思っていたあれは、本当は、本当に笑っていたんだと、こんなことになってハルトは気がついた。
ブレザーの内ポケットから取りだしたスマホはあの日の夕方以来鳴ることはなく、いまだに43%の充電のままで、時間はこのテーマパークの閉園三十分前を表示していた。
苦しむ贄を生んでしまった耳を押さえる周りの人々だって本当は悪くない。誰も悪くない。
一日目、あの鐘の音が最初に聞こえた日。
興味本位で行ったものの命からがら帰ってきたメンバーがいた。彼らは初めてにしは上出来だったと言っていいくらいにアトラクションと名付けられたアレの内情について人々に色々と伝えた。非公開の新しいイベントという憶測も飛んだ。けれど、この時、まだ僕たちは何が起きているのか、本当に理解は出来ていなかった。
そのまま閉園時間を伝えるかのような鐘の音とともに、訳が分からぬままリピートされた二日目以降。
まずは皆パニックに陥った。
パーク外に出る事が叶わない。
携帯は受けることが出来てもかけれない。通話もネットアクセスも一日目のそれから内容が変えられない。
さらに最も恐ろしかったのは、恐らくは一番最初の地獄のアトラクションへの強制的ともとれた招待を拒絶したであろう人々、パーク内の約半数と思われる人々が半透明でパーク内を何でもないように楽しそうに闊歩していたことだった。
残っていた従業員達が必死に落ち着かせたから、最悪の事態は避けられたものの、幸福感に満ちるお伽噺の世界が、一晩で、本当のお伽噺の世界へと変わっていた。
異常事態は変わらぬまま時が過ぎるなか、この不可思議な状況を信じるものもと信じないものが現れた。いや、現状を受け入れられるものと受け入れられなかったもの、というのが正しいかもしれない。どこでもいい、身を寄せるエリアが必要になった。
この時点でかなりの差が生じ、片手で足りる日数の内には更に半数近い人々が半透明になって朝日を浴びた。
だから信じようが信じまいが、受け入れられようが拒絶しようが、とりあえず残った者はみな生き残る為に、半透明で過去を辿るモノにならないよう必死だった。
何度かリピートを繰り返すうち、各々が身を寄せた各エリアでアトラクションに関する何らかのルールが生まれたのもこの頃だったとハルトは記憶する。
地獄のアトラクションの参加者は、エリア内でのくじ引きで選ぶ、というのが多かったし、ハルト達が身を寄せたエリアもその一つだった。
けれど、目に見えて人数が減ってくると、幼い子供やお年寄りは消えに行くようなモノだと、誰かが言い出した。何処のエリアも同じようなものだったのだろう。もっともだと思ったであろうハルトの同行者たちのように正義感の強かった人々が有志と称して募った一部の若者や大人、テーマパークの従業員が進んでアトラクションに挑むようにになった。
ゲームやアトラクションに慣れていれば確かに何とか出来ることも多い。生き残る確率も高い。
けれど、所詮、確率は確率だ。
結局ハルトの同行者は女子を一人残してみんな半透明になって、昼間のテーマパーク内を幸せそうな笑顔であの日の順路そのまま闊歩している。
残ったのは、地獄のアトラクションに参加しないで居られる人々と、嫌々、そうとは思わせず、有志に仲間入りさせられたハルトとカナメの二人みたいな組み合わせの人間ばかりだ。
何の因果か、運が悪いことに、次々と周りが半透明に仲間入りする中、ハルトとカナメは何とか生き残り続けてしまった。仕方ないという言い訳に罪が軽くなることもなく、自分が重ねる罪の重さに二人とも押し潰されそうになっている。
この悲しみと苦しみだけが積み重なっていく時間の呪縛の、息苦しさに、ハルトはもう何度目かもわからないまま、力の限り、スマホを床に投げつけ、その音に怯える周囲の人々への申し訳なさの中、どうにもならない自身の感情を押さえるかのように毎回割れても尚、リピートの度、綺麗になりポケットへと戻ってくるスマホの液晶を粉々に踏み潰した。
*****
お遊戯やごっこ遊びというには、ちとハードルの高いアトラクションをカナメ達がクリアして戻ると、一気にここに、短い夜が訪れる。いや、既に日は暮れていたのだし、星さえ見えない空に、ノイズの様なモノが見えるのだから、本当はあの悪趣味なアトラクションと同じような、作られた夜なのだろう。
そして、その夜はカナメの腕にはめられたままの古い腕時計の針を倍速で進めることがないまま、けれど、DVDの早送りのように空の色を変え、あっという間に朝を迎える。
頭の中に反響する、あの嫌な鐘の音と共に閉園擬きを迎え、早送りの夜から数分も待たず訪れる美しく眩しい朝日に目を細める頃には、腕時計の針はあの日、パークのゲートをくぐった時間に戻され、カナメ達はまた、あの日をスタートさせているのだ。
きっとそれは今回も変わらない。
今まで何回もずっと変わらなかったことだ。
今回聞くことはかなわなかった、あの理不尽なアトラクションの継ぎ接ぎの歪な声がカナメの脳裏でたずねてくる。
『あなたは何を求めますか?』
ここはテーマパークだ。娯楽だ、お伽噺の世界だと答えて何がわるいというのか?
必死の思いで生き残り、最後の最後で何度も何度も聞かされ答えたそれに、何を答えていいのか。カナメはまだ答えを見つけられていない。
それどころか、答えていいのかさえわからなくなっていている。
何もかもが理不尽だ。
世の中の理不尽さを忘れさせ、お伽噺の世界に浸されてくれる筈のテーマパークなのに、どうして、自分達がこんな事に巻き込まれてしまったのか。
どうして、カナメが知らない人物の為、ヨシとケンゴが消えなければならなかったのか。
カナメにはわからないし、わかりたくなかった。
カナメはこうなってから今まで、自分自身の手で、あえて何人もの人間を消してきた。だから、あのとき、彼らの後ろに居た敵を撃つことに対し躊躇いなんて生まれない筈だった。なのに、今更なんで、打てなかったのか。
消えていく人々が死んでいないとは言い切れない恐怖に、いつも通り大丈夫だと言い聞かせていたはずだったのに、打てなかった自分が腹立たしく、彼らが守りたがったモノを壊さなければ、彼らを守れなかった理不尽さがカナメは許せなかった。
いつでも、そうだ。いつでも世界はカナメにとって理不尽だ。
だからカナメは中学の頃には既に、自分の力で人生を切り開きたいという欲望と、自分一人の小さな力ではこの世の中なんて切り開けないという絶望の狭間で悶えていた。
そして今、カナメはこのテーマパーク内での出来事に対してだって悶えている。
ハルトは、この世界はあり方が変わってしまったと言っていたが、理不尽という点では全然変わっていないと、カナメは思っている。
目を逸らしていれたらどんなに楽だろうと思ってもその理不尽さからは目を逸らせない。
以前の日常の中、先生だって、周りの大人だって、カナメ達を子供だと思って彼らは綺麗事ばかり話していた。けれど同時に彼らから求められるのは大人になるための、大人としての行動や対応力で。だったら大人が子供から隠すその裏の汚さまできちんと教えてくれなければ、何を持ってカナメ達は判断していいのだろう?そうカナメは思い続けていた。
世の中の裏側。例えば、金やコネがなければ実力だけで得られるものは少ないんだと、カナメが一番理解したのは去年の夏。高校卒業後の進路選択時だ。
カナメよりバカなクラスメイトでも、親の金さえ積んで、塾や家庭教師の力で成績の底上げをすれば、金で入れる大学に行けて。奨学金やバイトなんて気にすることなく遊び歩いた挙げ句、四大卒なんていうゴールドチケットを片手に親がコネで用意した就職先にゴールインという道筋を、生まれた時から選ばれている奴は、至極当たり前の様に受け入れていた。
親の七光りチートなんかないと綺麗事を謳う世界より、ハルトが以前、冗談で言っていたような、漫画の中のチート主人公無双万歳の世界の方がよっぽど全てがハッキリしていて納得がいく。
この世界にはチートは確実に存在している。チート無双の存在を昨年の夏、カナメは見て実感したのだ。
だったら、平等だとか公平だとかいう下手な夢なんて見せることなくこの世界の主役以外のお前は悪役だ、弱いんだとハッキリ言われた方がどんなに楽だっただろう。
弱い奴は消していい。躊躇いなく消した奴は生き残る。
そんなルールを、今のこのテーマパークは視覚的にはっきり訴えてくるのだから、カナメ的には随分、元の日常より気が楽だと思っていた。
本当に自分自身の力で生き残って行ける。チート的な要素は何処にも見当たらない。
カナメにとって、理不尽さだけならば、このテーマパークの方がましそうな気さえしてくる。
ただし消した人々は死んでいない。透明な人々に変わるだけだという心の平静を保てる保証なんてものは何処にもない。
消える前のケンゴは、カナメがこの繰り返しを終わらせられるかも知れないと言っていた。
もしかしたら、本当によくあるネタ的な理由でカナメ達はここに閉じ込められているのかもしれない。脱出方法だってそこにヒントがあるのかもしれない。
けれど……この状況下、いままでの自分の中で渦巻いていた苦悩を直視してしまっただけのカナメが、繰り返しの世界の希望になるなんて、あり得ない笑い話だ。
ここで苦悩しつつ元の生活に戻りたいと言っていても、カナメは元の日常に戻っても、またわかりきったつまらぬことに苦悩する自分が確かにわかっている。ここの方がましかもとさえ感じているのだ。
だったら戻った先、カナメが心底妬ましいとさえ以前思った明るい未来が約束されているハルトの方がよっぽど正解に近いはずだ。彼の方が確実に希望となって終わりを導けるはずだとカナメは思っている。
だからこそ、随分前からカナメはハルトが自分の道を悩みそうな時、進んで悪役を受け入れられるようになった。
狭くはない筈なのに息苦しくて仕方がないアトラクションのエントランスのエリア中の空気に響き渡るガラスの砕け散るような音に、カナメはふと我に帰った。
無意識に感情をぶつけていた、台車にかかっていた足をそっと下ろすと、ジンジンとした痺れが広がり、自分がまだ生きている事を実感させる。
音がした方を見れば、このリピートのアトラクションに閉じ込められさえしなければ、彼なりに苦悩はある様子なものの、少なくともカナメより明るい未来がこの先待つ筈だったハルトが、その整った表情を人間らしく歪めていた。
ぐるりと見回したエントランスの中、ぬいぐるみを抱え怯えた表情の妹のカナコが、こちらを見つめていた。
悲しそうな人々からの逸らされる視線が、また半透明になる人々をお前が増やしてきたと責め、見えない刃となってカナメの体を、心を切り刻んでくるように思われた。
「ダメだ……」
随分思考が悪い方向に向かっているようで、口にするつもりもなかった言葉が、ごみくずの様に花が描かれた床に転げ落ちていった。
苛立つ自分に苛ついてカナメは、力一杯自分の頬を両手で平手打ちした。
目尻に涙が出る。
白くなる頭の中、上がりきっていた血の気が引いていく。
周りが正確に見えてくる。
カナメは、まずは一番心配してくれていたであろうカナコの元に駆け寄り、ぬいぐるみの中から、その小さい体を引き摺り出すと力一杯抱き締めた。いつも生意気な事ばかり言ってカナメに喧嘩を売ってくるのに、この時間のカナコは、父が居なくなったあの日の様に、酷く意気地無しで声が小さい。
微かに震える体は、あの日のカナメの様にまだ全然子供過ぎて、多くの重いモノを受け止める事なんて求められないと、確かにカナメには感じられた。
「……そうだ」
カナメはカナコを守ると決めたから、あの理不尽極まりないアトラクションにチャレンジし続けているのだ。
カナコだけは守り通すとカナメは決めたのだ。笑顔で出掛けたまま帰って来なかった父の様に無責任な言葉を吐かないと決めていたのだ。
だからカナメは今、消えるなんて選択肢は選ばないし、選べない。
だからカナメは本当に手を赤く染めているのかも知れない悪役でさえ、喜んで受け入れられる。
現状、この悪趣味なアトラクションの繰り返しに、半透明の人々が増える以外の目立った変化はないし、アトラクションの勝者の誰かしらの手によって何かの変化を与えることも出来ていない。
どうにかする術なんて、元々ないのかもしれない。
あの謎かけのような質問に、答えなんてもともと用意されていないかもしれないし、答えた先に元の日常が待っていると言う確約もない。
けれど、どうにもならないからこそ、カナメは、カナコの為、なんとか変化を生まなければならないと思っている。
元の日常では無理であっても、事実のみを静かにを突きつけるこの悪趣味なテーマパーク内だけではせめて、カナメは理不尽さに悲嘆するだけでなく、打ち勝つ力があると信じたいと思ったのだ。
だって、ここは本来テーマパークなのだ。
お伽噺の世界は真綿の様に無垢で優しくて、ガラスの破片のように綺麗で残酷で、まさに、今の悪趣味なアトラクションを繰り返す状況そのままだ。
だったら、せっかくのテーマパーク、その趣向に乗ってやればいい。
ハルトが絵本から飛び出してきたかのようなエリート王子様ならば、それをゴールへと導く汚れ役がカナメには一番お似合いだ。
これがテーマパークを目指す、夜行バスの中で見た夢の中だったら、無駄な足掻きだったと笑えばいい。
そう、笑ってもいいから、笑われてもいいからと思えるくらいには、ここは、元の日常よりも心から湧き出る欲求に対し切実で率直だ。
冷静になった頭で、カナメは今日のアトラクションを思い返した。
多分、今日カナメの前で消えてしまったヨシとケンゴは、おそらく、このアトラクションという名の理不尽な出来事の答えについて、おおよその予想をつけていたのだろう。でなければ、ここのところの、彼らの行動が説明付けられない。
前回、彼らから話を振られ、高校生世代の生き残り率の多さはゲーム慣れしているからではないかという結論に四人で話し合い、至ったのだ。あの時は、互いを狙い高速スピードで競いながら、よく舌を噛まず話し合ったものだと、帰り道ハルトと大ウケした。
あの映画やドラマでよく有りがちな設定に触れた話題も、彼らは皆が聞こえるところで話していた。多分核心ではないものの、何かしらのヒントにはなるのではないだろうかと、カナメも確かにあの時感じた。
更には、ケンゴの最後の言葉。
カナメ達より一日早くこのテーマパークに遊びに来た筈の人間の存在。これは大きい。
今までハルトが捏ねくり回した今回の出来事の想定を全て覆すだろう。
誰よりも人間臭いくせに人間味を必死で隠すハルトも、今はあのお遊戯の余波で随分荒れ狂っている。明日辺り冷静に戻った彼がどう考えどう行動に出ようとするのか、カナメとしては是非とも確認しておきたいところだ。
朝には疲れなんて無くなっているのはわかっているが、まだ幼く、この時間はいつも布団の上でゴロゴロとしていた妹に仮初めの笑顔と安堵と共に休息をぬいぐるみで作ったスペースで与えたカナメは、エントランス付近からこのアトラクションの入り口付近へと、新鮮な空気を求め移動する。
「俺も、本当はずっと戻りたくないのかな……」
いつもテーマパークの閉園時間間近になると降りだす、濡れない音だけの雨に、星なんて見えないとわかっているのに、カナメは空を見上げ、思ってもいない事をなぜか呟いていた。喉から漏れ出る掠れた空気のような言葉は、九割方、雨音に吸い込まれ消えていく。
「誰しも一度は思いますよね。時間を巻き戻したいとか、時間を止めたいとか、あと……消えてしまいたい、とか」
思いもしなかった、カナメの疑問に答える声に振り向くと街灯から射し込む光の加減で口元だけ笑って見えるカエデがいた。
彼女はここの従業員で、カナメ達と同じようにこの理不尽なテーマパークに閉じ込められている。カナメが後ろ髪を引かれつつ幼いカナコを置いてアトラクションに行く姿に気遣い、声をかけてくれて、留守の間、カナコの側についていてくれるようになった女性だ。お伽噺の世界から飛び出したかのようなポップなカラーリングの、猫のように長いシマシマの尻尾付きの作業服は彼女がこのテーマパークの従業員だと一目で伝えてくる。とはいえども、その姿や何度か交わした会話から予想するに、カエデは恐らくはカナメやハルトの二つか三つ年上の学生アルバイトだろう。アルバイトなのに、この異常事態における責任感は半端なものではないと、カナメも心の底から尊敬している。
「カエデさんもあるんですか?」
いつも、どんなにみんながパニックに陥ってもなお、にこやかな笑顔で対応するカエデの、少し闇を感じる面が在ることカナメは驚き思わずたずねた。
ふふふっ。
そう鈴を鳴らすかのように笑うとカエデは、冷たい外気を吹き込ませる、外へと続く小さな花形に開かれた意匠と思われるスペースに腕を伸ばし、手を濡らすことのない雨を求め手のひらを空へと向けた。
「もちろん。……実は私、今まで、何も考えないようにして生きてきました。周りが決めた道筋を辿る。周りが望む事を選択する。それって生きていることになるのかな?そんな疑問から目を反らして、その楽さから抜け出せずにいました」
やっぱり本当には、雨、降っていないんですね。
寂しさも苦しさも感じられない、淡々とした言葉は妙にリアリティがあってカナメは先ほども感じた息苦しさ、空気の閉鎖感にダウンのファスナーを少し下げた。
「でも、ある日気がついたんです。やっぱり自分でちゃんと考えて選んでこの人生を進んで来てたんだって。自分で選らばない事を選んでいたんです。バカですよね、私」
カエデの満面の笑顔に、なぜかカナメは涙が流れているように錯覚を覚えたのは、外から聞こえる音だけの雨のせいなのかもしれない。
「残酷な現状をお二人に押し付けている身で大変申し訳ないとは思っているのですが……私はどこのエリアの代表よりもカナメ君とハルト君の方が、このループを止められると思っています。多分ハルト君は私タイプ何でしょうね。何となく考えている事が予想できます。でも、カナメ君は私が考えることもなかった生き方をしてきたみたいだから想像さえ出来ません。そんな二人が、人生の最初の節目である十八歳の春、このテーマパークで出会った……私みたいな後悔に溺れないで欲しいものです」
カエデはまるで、自らの表情を隠すかのように、そろそろ鐘の音が響き渡るであろう、雨音だけが響く外を見つめ静かに、とても静かに穏やかに、呟くように、雨粒のように、そう言った。
確かに聞こえたその言葉に、まだ、人生経験が十八年しかないカナメはどんな言葉を返せばいいのかわからない。カナメにはカナメの辛さがあるように、ハルトにはハルトの辛さが在ることをこの繰り返しの悪趣味なアトラクションの中で初めて、カナメは知った。だからカエデの中の苦悩をカナメは、心は寄せれても、理解してやることはできない。
「さーて、そろそろ新しい今日がやってきます」
言葉とともにしゃがみこんだカエデが、床に置かれたままだった、テーマパークの従業員の揃いの、動物の耳の様な飾りが付いた帽子を拾い上げパタパタと叩く。彼女はウサギをモチーフにした作業着なのか、白く長い耳が揺れている。その表情はいつもの頼もしいテーマパークの従業員の彼女そのままだ。
「そう言えば、気が付いていますか?透明になってしまった人々と残された私達、実はコミュニケーションがとれるんですよ」
喉に詰まった言葉にならなかった感情未満の物体をどうしようかと悩むカナメに、何でもないような、そう、世間話を語るかのように、カエデは重ねて衝撃的な言葉を投げつけた。
突然の予想さえしていなかった言葉にカナメは一瞬自分の理解力を放棄しかけた。こちらの会話がどれ程聞こえていたのかは微妙だが、少し離れた所から、なにかを察したらしいハルトがこちらの様子を伺っている。
何故だろう。このカエデの言葉に、これだけはハルトにも聞かせなければならない。そう思いカナメが目配せすれば、足元のボロボロになったスマホをそのままに、ハルトが足早にカナメ達の方へと寄ってきた。
と、その時だった。
頭を殴るかの様に響く鐘の音にカナメは吐き気を覚えた。
テーマパークの閉園時間と、その後の繰り返される朝の訪れと変わらぬ幽閉を伝える鐘の音だ。
一つ鳴り響く度に、周りの景色が崩れ落ちる様に感じる。足元が溶けていく様に感じる。
視界の隅、徐々に空の色が寒色系から暖色系に変わるなか、ふらつく足取りでカナコが、カナメの足元にすがり付いてきた。
「皆さんはお客様だからエントランスゲートをくぐった瞬間に戻らされると聞きました。でも私は従業員なんで、関係者出入口を通った瞬間に巻き戻されます。そして皆さんと一番大きく違うのは、繰り返されるあの日の行動を制限されるということです。……従業員のサービスが無ければテーマパークは成り立ちませんから。だから……いえ、だからこそ」
薄明かるくなってきていた東の空から、一気に強い光の矢がテーマパーク中に撃ち込まれ始め、思わず目を細めたカナメは大切な妹とはぐれぬ様、強くその小さな手を握りしめた。
「……さて、今日も私は仕事です!」
カエデ自身酷い頭痛を感じているのか、こめかみを片手で押さえながら、同じく頭痛と眩しさで両目を瞑っているであろうカナコの頭を軽く撫でると、彼女は、沢山の問い掛けの言葉を両腕に抱えたカナメをそのままに、とても綺麗な笑顔を見せて、七つの鐘の音の後、朝日の中に消えていった。