一章1
「四月十五日、午後四時三十九分十二秒──」
一見、何も知らない人が見たら、物置部屋にしか見えないそんな場所。
実は歴とした、とある部活の部室なのだが、まともに人が動けるスペースがない辺りが見る人をそう思わせているんじゃないだろうか。
三階という、中途半端な階層に存在するこの部室はあまり人が来ないからか、静かなもので、聞こえるのは大きく開かれた窓から強く吹く風の音くらいだ。
だからだろう。
凛としたその声は俺の耳にはっきりと届いた。
「……その時間は一体、何の時間なんだ?」
自分でもびっくりする程、不満そうな声で聞き返す。
というか実際、不満だった。
腸が煮え返えって爆発するんじゃないか、というくらい不満だった。
そんなわけで一旦、心を落ち着かせる為に窓から外の景色を眺めてみる。
既に満開になっている桜の木がとても綺麗な光景。
歴史ある古びた校舎に、何やら懸命にボールを追い回す青春を謳歌する高校生達。
そんな目に見える美しい光景が──全て反転して見えている。
今、俺が体験している状況を語ろう。
手足を縄でがっちりを締められ、足から縄が伸びるように天井へとくくりつけられている。
そう、俺は部室の中、天井に逆さ吊りにされていた。
「…………」
ブラブラと揺れる自分の体。
言っておくが、俺にこんな事を一人でやって楽しむ妙な趣味はない。
更に言えば、こんな事をして興奮や悦びを感じるような事もない為、Mでもない……はずだ。多分。
なら、どうしてこんな事になっているか?
それにはもちろんだが、理由がある。
その理由についてだが──ロマンの追求。
その一言に尽きるだろう。
「予定よ」
パラパラと本をめくりながら面倒臭そうにそう答える黒髪の女子生徒。
見る人をまるで射殺すようなつり目に、自分以外の人間は皆、ゴミだと思っているかのような傲慢な態度と言動。
学校内で絶対に近づきたくないランキング一年間トップに君臨する超アンタッチャブルガール。
そのアンタッチャブルガールこと、国代 小輿の言っている事が当然ながら俺には分からなかった。
別段、今日何かするという予定は俺の頭の中にはなかったはずだ。
なので、一応聞いてみた。
「予定? 何の予定だ?」
「桐原 更河、ご臨終」
「それは予定じゃないよな!? ただの殺人予告だよな!?」
真顔で本気で言ってそうな国代にツッコミを入れるが、国代はそのツッコミにも顔を崩す事なく平然な顔付きのままだった。
「違うわよ桐原。あたしは殺人予告なんてしていないわ」
「じゃあ、どんなつもりで言ったんだ!」
「あたしはただ、桐原が焼死体で見つかる時刻を予知しただけよ」
「とてつもなく完全犯罪の匂いがする!?」
証拠隠滅からの死体に放火。
お手軽な完全犯罪の流れがここに実現しそうです。
死ぬ。つーか、殺される。
どうやって逃げようかと摸索する俺を国代は威圧するように睨みつけた。
「アンタってば、本当に反省しないわよね。前も同じ事をやったし、本当に救いようがないわね」
「とりあえず、生きる事にはやる気はある。だから、ヘルプミー」
「駄目よ。もがき苦しんで、死んでから反省しなさい」
「もう無茶苦茶だな、オイ……」
何か文句でもある とばかりに蔑んだ目を向ける国代に俺は何も言えなくなった。
いつもながら傲慢な奴だ。
その態度には賞賛すらする。
「大体アンタ、自分が悪いの分かってる? 本来なら五回殺す所を一回で許してやろうと考えているのよ?」
「殺す時点で許してるとは言えないだろ!?」
あと、俺をどれだけ殺すつもりだったんだ。
尊い一つの命を大切にしろよ。
「──っ、確かに悪かったとは思うし、反省だってしている。だがな、国代……」
俺は歯を噛み締め、国代の顔を真っ正面から睨み返す。
「パンツを覗いただけでこの状況はないだろ!?」
「いや、当然の処罰よね?」
普通に返されてしまった。
そんな馬鹿な!?
ロマンを追求する事が悪だと言うのか!?
「無罪といかなくとも……減刑を要求する!」
「黙りなさい。次は縄で縛る場所が足首から首になるわよ」
「首ブラーンコッ!?」
どうやら俺のした事は死刑になる程の罪だったらしい。
国代は俺の要求を聞き入れすらしなかった。
再度、みの虫のように縄で縛られた体を揺らしながら、俺は全力で抗議した。
「大体、男子がパンツを覗く事をお前は何だと思っているんだ!?
ただの変態行為? 迸る欲情を抑えるため? 行き過ぎた青年の青春?」
「普通に犯罪行為よね」
冷めた目をしながら呟く国代を無視し、俺は叫んだ。
「否! 断じて違う!
パンツを覗く事にそんな不純な動機を持つわけがない!」
「じゃあ、何だって言うのよ?」
「純粋な好奇心から来る──無垢な」
「アンタの肉という肉をそぎ落とすわ、一つ一つ丁寧に」
「言い切らない内に!?」
そう言って国代が本当にナイフを取り出したものだから、本気でビビっています。
つか、どうしてナイフという学校生活では全く関わりのないものが鞄から出てくるんだろうか。
「せ、せめて言い訳だけでも聞いてくれないか!?」
全身の肉を剥ぎ取られたら堪らないので、抵抗を試みようとすると、
「分かったわ。
そこまで言うなら、鏡を使ってパンツを覗こうとするという古く浅ましい手段を用いた男の言い訳を聞いてみようかしら?」
「……」
……ふっ、我ながらここまで言い訳出来ない状況を作ってしまったものだ。
いや、待て。
この危機的状況を乗り越えられる言い訳が今、まさに頭の中に──
「……一応、言っておくけど。魔が差した、とかだったら殺すわよ」
魔が差し──これは将棋で言う『詰み』という奴だろう。
「……」
「……」
……沈黙が辛い。
その沈黙に耐えかねた俺は覚悟を決め、全てを諦めると、恐らく人生の中で一番爽やかな笑顔を浮かべると、
「今日は黒だったんだぶゅべっ!?」
言葉も半ばに当然のごとく、顔面に拳を叩きこまれるのだった。