プロローグ2
「で、今日は何の用?」
「国代に命令されてな。依頼のために情報を買ってこい、だとさ」
「なるほど、パシリだね」
「……もう少しオブラートに包んでくれませんかねぇ?」
せめて使いとか。
まぁ、事実だから否定は出来ないが。
「国代さんはお得意様だからね。頼みと言えば何なりと」
キーボードをパチパチとテンポ良く叩きながらそう言う唯斗。
ふむ、それなら……。
「なら、由依ちゃんのスリーサイズの情報をくれ」
めりっ。
顔面が陥没したような痛みを感じた。
何コレ、超痛い。
ゴロゴロとソファーから転げ落ちる。
あまりの痛さに床で転げ回っていたら、更に顔面を踏みつけられた。
鬼か。
「……ユイゴンハ?」
片言の言葉を発しながら容赦なく俺の顔を踏みつける唯斗には先程の爽やかなど欠片も見当たらない。
今の唯斗から見えるのは邪神すら屈服させそうなそんなドス黒いオーラだった。
俺は本能的にヤバいと思った。
「じょ、冗談だから、早く足をどけてくれ!」
このままだと本当に殺されかねん、と悟った俺は素直に謝り、ようやく足をどけてもらった。
「ユイニテヲダスヤツハコロス。ゼンインコロス。ミンナコロス」
ドス黒いオーラが消えても尚、唯斗が未だにそう呟いていた。
もう唯斗にはこの手の冗談は言わないようにしておこう。俺の命の為に。
どうやら、唯斗は妹を思うあまり、ヤンデレの域に達してしまったらしい。
……人間として行ってはいけない世界に踏み入れてしまった友人に俺が出来る事といったら、温かい目で見守るくらいか。
俺はソファーに座わり直した後、ワザとらしくゴホン、と咳ばらいをする。
話を戻そう。
「本当は最近起こっている傘の盗難事件について情報を貰いに来た」
「傘の盗難事件? ……ああ、二年生の方で結構騒ぎになってる奴だね。確か傘を持って下校する女子生徒を狙って強奪するっていうワケの分からない事件」
「きっと犯人は特殊な性癖を持っているんだろう。
まぁ、それでもう数十人が被害に会っているんだから洒落にならないんだがな。軽いが怪我を負わされた生徒もいる」
「なるほどね。それで依頼主はその怪我を負った人?」
「いや、その友人だな。確か名前は……えっーと、ヒス川?」
「何やら斬新な名前だけど、それ間違ってるよね?」
違った。那須川だった。
国代の奴があんまりにもこの名前で呼ぶから自動的に俺の頭の中へとインプットされてしまったようだ。
にしても、ヒス川って良いネーミングだよな。
どうでもいいが。
「それでいつまでに調べられる?」
「んー? 学校内で起こってる上に結構有名になってきてる事件だしね。
割とすぐに調べられるとは思うけど、犯人の絞り込みとか含めると一日は欲しいかな?」
「むしろ一日で出来るのかよ」
「仮にも情報を扱う立場にいるからね。
あ、情報の代金は後で請求するから」
「はいはい了解したっと……ん?」
瞬時、嫌な予感。
アイツの禍々しい気配を本能で感じ取ってしまったのか、とにかくそれに気づいた俺は部屋の窓ガラスを開き、ベランダの奥へと身を隠すように転がり込む。
「ど、どうしたの? 更河?」
唯斗はそんな俺の行動に首を傾げるが、知った事じゃない。
遠くでドドドドド、と廊下を爆走するような音がこちらに近づいて来た。
……やはり来たか。
俺は息を殺し、完全に身を隠す前に唯斗に目伏せすると、親指立ててサインを送った。
(幸運を祈る)
そして突如、部屋のドアが大きく開かれる。
「更河さまああああああぁん!! ここにいますのおおおぉ!」
部屋に響き渡る少女の声。
ベランダの奥にいるため、俺にはその少女の姿は見えない。
だが、その少女の声だけは聞き間違う事はない。
枝々咲 織里香。
数ある大富豪の中でも特に有名で知られている大富豪中の大富豪、枝々咲家。
その枝々咲家の娘、つまりは後継人であるお嬢様だ。
そんなお嬢様に本来なら凡人たる俺が近付く事さえも出来ないはずなのだが。
何の因果か俺が子供の頃にちょっとした事があって、その後色々とあって、こうして朝の登校の際、首輪付きのリードを嬉々として持って来て、それを見た俺が逃亡を計るというそんな関係に至る。
うん、説明になってないなコレ。
「って、あら? ここには城田さんしかいませんの?」
「あ、ああ、そうだよ。相変わらず元気だね、枝々咲さんは……」
「ええ、城田さんもお元気な様子で……」
織里香が明らかに学校指定の制服ではない綺麗な色のドレスの裾を持ち上げ、優雅にお辞儀をした。
唯斗があはは、と引きつった笑みを浮かべている。
そんな二人の様子をベランダから覗き見する、俺は心の中でほくそ笑んだ。
よし。
唯斗の奴、打ち合わせ無しにしては上出来な誤魔化し方だ。
このまま見つからずにやり過ごせればいいんだが……。
「……でも、おかしいですわね。確かに更河さまがここにいる予感がしたのですけど」
とんだ無駄足でしたわね、とわざとらしく織里香がため息を漏らした音がベランダにも聴こえた。
にしても、ただの直感で俺の場所を正確に当てられるとは……もう、人間じゃないよな織里香って。
アフリカか何かで育てられたのか?
「それより、どうして更河の奴を探しているの?」
「いえ、大した事ではないのですが、朝の登校の時、更河さまがわたくしを置いて先に行ってしまったので……」
悲しそうな声で目を伏せる織里香だが、登校前に首輪を嬉しそうに手入れをする奴とは登校したくないだろ……。
織里香には是非とも常識、というものを一度学んでほしい所だ。
ん? よくよく考えたら唯斗の奴にも同じ事を思ったよな?
どうして俺の周りにいる奴らは揃いも揃って常識というものが欠如しているんだ……。
「そっか、それで更河に文句を言いに来たんだね?」
「いえ、それについて文句の方はないのですけど……」
「けど?」
「更河さまに少し調教の方をしに──」
「はいっ、アウトォォォッ!!」
もじもじと言いにくそうに顔を赤らながら、ジャラジャラと鎖を握る織里香の前に出て、今日一のツッコミを全力でした。
無理だっ! 俺にはこれをツッコまずにはいられないんだ!
これを見逃したら俺の人間としての尊厳とかそういったものが色々と失ってしまう気がする!
「まぁ! 更河さま! そんな所にいらしていたんですのね!」
突然の俺の登場に織里香が歓喜の声を上げる。
が、俺はさり気なく織里香が手に持った鎖を隠すのを見逃さなかった。
その鎖で何をするつもりだ! 何を!
「織里香! 調教とはどういう事だ!」
「調教とは馬、犬または更河さまなどを自分の都合の良いように洗脳する事ですわ、更河さま♥︎」
「俺は意味を聞いたワケじゃない! というか、絶対に間違ってるだろそれ!?」
「いいえ、何も間違ってなどいませんわ。
だから……ね?」
「鎖をちらつかせてこっちに近づくな!」
それに繋がったら最後、人の道を歩んでいくのに文字通り、大きな足枷になるだろう。
「俺はまだ人として生きていたいんだ……!」
「ふふっ……安心して下さい更河さま。すぐに『しあわせ』になれますから。なんにも自分で考えなくてよくなりますわ」
「言葉って不思議だな! 幸せのイントネーションが違うだけでこんなにも俺を不安にさせるなんて!
あと、俺にはそれが精神崩壊をきたす一歩目としか思えないんだがッ!?」
「『しあわせ』な家庭生活の第一歩の間違いでは?」
「そうだなッ! お前が手に鎖を持ってなかったらそう思えたかもしれないな!」
ハァハァと荒く息をし、顔をほんのり上気させながら、ジリジリと獣のようにこちらに迫ってくる織里香。
明らかに襲う気満々だ。
逃げ道がないか周りを確認するも、確認出来たのはまるで部外者のようにソファーに座ってノートパソコンを動かしている唯斗だけで……
「って、助けろよ! お前!?
ヘルプミーフォローミーッ!!」
「え? ごめん、誰、君?
僕に君みたいなブサイクの知り合い、見た事も聞いた事もないんだけど?」
すっとぼけた顔をする、唯斗の顔面を殴り飛ばしたくなる衝動に駆られる。
コイツ……! 友達が困っているというのになんて奴だ!
確かに俺が同じ状況だったら同じ事するかもしれないが!
一緒に地獄まで付き合うというのが友情ってものだろうが!
「更河さま……痛くしませんから、ね?」
「痛い痛くないは関係ないんだよ……!」
「……まさか、更河さま。調教がお嫌いに……?」
「嫌いも何も日常生活において言葉にすら触れた事はない!」
「そんな! わたくし、いつも夜中に寝ている更河さまにこっそり調教を繰り返していたというのに!」
「それは確かな情報なのか!? だとしたら俺は部屋のドアに鍵を設置しなければならないんだが!?」
「わたくし、愛の力で無理矢理、鍵をこじ開ける事が出来ますの☆」
「それ、愛の力もくそもないよな!? ただの力技だよな!?」
ええい! 最早コイツに言葉は通じない!
となれば、残す手段は一つ!
俺はポテチをつまみ、関心力ゼロの唯斗に向かって呼びかけた。
「おい! 唯斗! ここで助けてくれたら由依ちゃんのシークレット写真(パンチラver)をお前に『更河! 今助けるよ!』──清々しい程の身変わりっぷりだな!」
とはいえ、唯斗が仲間になった。
後はコイツを囮に何とか脱出出来ればいいんだが……。
どうするか……。
「うふふふ……逃がしませんよ」
「くっ……!」
織里香が鎖を手に虚ろな目をしながら俺と唯斗の動きを制する。
……なんだろうか。
普通に2対1で圧倒的有利なはずなのに勝てる気がまるでしない。
だが、ここで勝たなければ全て終わってしまうんだ……! (俺の人生が色々な意味で)
覚悟を決め、織里香と真っ正面から向き合ったその時。
「織里香お嬢様。そろそろお時間となりました──って、お嬢様? 何をしておられるのですか?」
突然部屋のドアが開かれ、執事服を着こなした二十代前半くらいの青年とも呼べる男性──織里香の付き人、平井さんが現れた。
「なっ、平井!? 枝々咲家の会議は六時ですわよね!? どうしてここにいるのですの!?」
平井さんの登場に、慌てた素振りを見せる織里香。
そういえば織里香は昔から平井さんだけは苦手で、今も頭が上がらないだったんだか。
「どうしてと言われましても……その会議に織里香お嬢様がバックれてしまわないようにと、事前に捕獲してしまおうとこちらに来たわけですが」
うわっ、相変わらず平然としながら無茶苦茶な事言ってるよ。
旗から見ても血の気が引いていくのが分かる、織里香の様子にこれだけは軽く同情する。
平井さんは腰にぶら下げていた縄を取り出すと、素早く織里香の背後に回り、目にも留まらぬ早さで織里香を縛り上げてしまった。
「さ、行きますよ織里香お嬢様」
「い、嫌ですわ! まだわたくしにはやらなくてはならない事が……!
は、離しなさい平井!」
「ところで織里香お嬢様? 前に会議をバックれてしまわれた時、わたくしめは言いましたよね?」
「ひ、平井……?」
「『二度とこんな事はしないで下さいね』と」
「ひっ……!」
「勿論、織里香お嬢様は言われた事はきちんと守る良い子ですから、まさかわたくしめの言った事も守れますよね……?」
「も、もちろんですわ! わたくし、良い子ですから! 会議にきちんと行きますからっ!」
「それはよかったです。では、会議に向かう間、喉も渇いてるでしょうからこちらをどうぞ」
「そ、それは牛乳!? わたくしが嫌いなものではありませんか! どうしてわざわざそんなものを──」
「牛乳はカルシウムたっぷりで、織里香お嬢様の平均以下の背を伸ばしてくれるものなのですよ?
ついでに言えば、見るに耐えない貧相な胸の方も少しは大きくなるかと」
「み、見るに耐えないってなんですか! こう見えてもBはあるのですよ!?」
いや、それは多分、嘘。
「飲めますよね? 良い子なら」
「お、鬼! 平井は鬼畜悪魔ですわッ!
こ、こんな動物の分泌物を飲ませようとするなんてごめんなさいすみません悪かったですもうしませんッ!!
助けて、更河さまあぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
そんなやり取りの後、平井さんは未だ暴れる織里香を抱えると、俺らに向かってぺこりと丁重なお辞儀をし、颯爽と去っていった。
そうなると必然的に部屋には呆然とする俺と唯斗しかいなくなるわけで。
「平井さん、グッジョブ」
俺は平井さんが出て行った方向にグーサインを向けてそう呟くのだった。
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次回もお楽しみに!