四章3
「更河様、こちらです」
「何というか、意外に普通ですね……」
平井さんに案内され、改めて中の広さに驚きながら歩く事、数分。
織里香の部屋の周りを見ながらしみじみと呟く。
「織里香の部屋なら何かあるんじゃないか、って思ったんですけどね。存外まともで安心しました」
目の前の織里香の部屋は扉がピンク色ではあるが、それ以外はまともに見えた。
「織里香様は一応、あれでも敷地内では気を使うお方ですから」
「酷い言い草ですね。気持ちは何と無く察しますが」
「何、いつも振り回されている仕返しだと思ってくれれば構いません」
突如、遠い目をする平井さんが少しだけ哀れに感じた。
なんだかんだで、この人も苦労しているんだろうな。
「もう入っちゃっていいんですか?」
「いえ、それはまだよした方がいいです」
「? なんでです?」
まさか鍵でも掛かってるのか?
「今のお時間は織里香お嬢様が自室でちょうどお風呂に入っている時ですから」
「もしかして織里香が一日の間に何をするか分かってるんですか?」
「執事としてなら当然です」
とんでもない事を何でもないように言う平井さんに感心する。
やる時はやるんだな、この人。
下がりかけていた平井さんの評価がほんの少しだけ上がり、
「ちなみに、今は特製のボディーソープでお尻から背中にかけて洗っているところです」
そして、すぐに平井さんの評価がまた、ただ下がりに戻った。
「あ、冗談ですよ?」
「分かってますよ!」
平井さんは悪くない。
元々、こんな人にまともな考えを期待した俺が馬鹿だったのだ。
「突然ですが、お嬢様は昔、旦那様と一緒にお風呂に入るのが好きだったのですよ」
本当に突然、平井さんが何かを言い出し始めた。
「はぁ、それが何か?」
「精神的にも肉体的にも成長した今でこそ、恥じらいを覚えたのか織里香お嬢様がお風呂にお入りになる時はいつもお一人です」
「それはそうでしょう。つか、高校生にもなって親とお風呂には俺だって入りたくないですよ」
「しかし、本来、織里香お嬢様は寂しがり屋な性格。強がってはいますが、お一人で入るのは辛いはずなのです」
「そうには見えないんですが……」
寧ろ、織里香は天真爛漫とか、そういった言葉の性格だろう。
「いいえ、そうは見えなくても、織里香お嬢様は辛く思っているはずです。
ああ、今日も一人でお風呂に入らないといけないのですか、とお風呂の中で嘆いているのです」
「すいません。今、俺、猛烈に嫌な予感がしたんですが」
「そうですか? きっと気のせいでしょう」
俺の発言はさらりと流される事になった。
「今、状況を確認してみましょう。
目の前には鍵がかかっているであろう織里香お嬢様のお部屋があります。
そして、ここには何故かその部屋の合鍵が偶然、たまたま手元にあります」
「いや、ちょっと待って下さい。おかしいですよね?」
「さぁ、ここで性欲の塊とも言える……もとい、健全たる高校生こと、桐原 更河様がとるべき行動とはなんだか……分かりますよね?」
「ええ。目の前にいる性的犯罪を勧める執事という職業の名を語った変質者を駆除する事ですね、分かりました」
最早、語るべき言葉が見つからない。
俺は即座に銃を抜き、変質者の額に突きつける。
あと数秒で平井さんは『変質者』から『たたの屍』に早変わりするだろう。
「いやいやいや、ちょっと待って下さいよ。何もわたくしめは更河様に織里香お嬢様とお風呂に入って欲しいと、勧めているワケではないのです」
「それ以外に何が取れるんだ? 性欲の塊とはいい表現をしてくれるじゃねぇかよ、オイ」
怒りのあまりに口調がチンピラ化してしまう俺。
沸点など既に越えていた。
「ただ、更河様と織里香お嬢様がいやらしい事をしてくれればわたくしめはそれで満足なのです。というより、切に願っています」
「平井さんは正直ですねー。正直に答えた人には鉛玉をくれてあげまーす♪」
「いりませんすみません悪かったです生きててすみません申し訳なかったです」
「身代わり、早っ……」
まさか現代に生きる社会人の土下座を見られるとは思わなかった。
というより、この人にはプライドがないのだろうか。
「ううっ、わたくしめはただ、更河様が織里香様にあれやこれや、エッサラホーイしてくれればそれで良かったのに……」
「いい年した社会人が何を言っているんですか」
「更河様は織里香お嬢様の『事情により閲覧不可』するところとか、『見せられないよ』を見たくないのですか!? 目に焼きつけようと考えないのですか!?」
「あの、これ以上いくと、本当に洒落にならないので止めてもらえます?」
注意! 社会人は社会人としての自覚を持って、ご自分の発言について考えて下さい。
「そもそも、織里香お嬢様がお風呂とかどうかとかも含めて、全部嘘なんですが」
「最悪のネタバレだ!」
今までの遣り取りが台無しだッ!!
「あやよくば、更河様が部屋にいる織里香お嬢様と鉢合わせをし、気まずい雰囲気になる所を楽しみたかったのですが……」
「あの……枝々咲家の執事って、皆、平井さんみたいな人なんですか?」
こんな人が複数人もいたら、間違いなく、枝々咲は色々な意味で大変な事になるだろう。
「いえ、わたくしめが特別です」
即答してくれた。
よかった。
「織里香が風呂に入ってないんだったら、もうドアを開けてもいいですよね?」
「構いませんが……。織里香お嬢様が何をしているか分かりませんし、まずはこっそりとドアを少し開いて、中の様子を伺って見てはどうでしょう?」
「普通にノックするとかじゃ駄目なんですか?」
「お約束展開的にはNGです」
そういう事らしい。
俺は平井さんから部屋の鍵を受け取ると、なるべく音をたてないよう解錠し、数センチ程ドアを開いた。
すると、中から、すすり泣くような声が聞こえてきた。
『ううっ……ぐすっ、ぐすっ……』
どうやら平井さんの言った通りに、織里香はあれからずっと、泣き続けているようだ。
『更河さまがロリコンになったら、わたくしはこれからどう生きていけばいいんですのぉ……』
「……」
何というか、その。
コメントしにくいというか、言いにくいというか、平井さん何アンタ笑ってるんだ!
さてはこうなる事を見越してたな!?
俺は平井さんに向かって「……後で覚えておいて下さいね」と低く呟くと、再度、様子を知るため、耳をドアに傾けた。
『今のわたくしじゃ、どう考えても更河さまの好みから外れていますし、第一、わたくしは高校生ですし……』
『……そうですわ。こうなったらわたくしも小学生になればいいんですわ。そうすれば万事解決ですわ!』
うん? 何となく雲行きが怪しいような……。
織里香さん? ナニヲイッテルノカナ?
『……まずはお爺様に頼んで小学校に再入学させてもらいましょう。幼過ぎない小学四年生辺りが妥当な所ですわね』
ちょっと待てーいッ!?
設定!?
俺がロリコンだと分かったら(違うが)、織里香はまず設定を無理矢理作るのか!?
なんだその頑張りっぷりは!
努力する方向性が違い過ぎるだろ!
『次は性格キャラですわね。呼び方を「おにいちゃん」に変え、「べ、別におにいちゃんの事なんて何とも思ってないんだからね!?」とツンデレをすれば、好感度は鰻上りになり、すぐにでも婚約してくれること間違いないですわ!』
なるか!
作られたツンデレほど萎えるものはないんだよ!
『あとは黒鳴さんに頼んで、肉体を幼児体型にしてもらえば完璧ですわ! 年齢は同い年、見た目は幼女と、合法ロリ!
ふふふ……これで更河さまもわたくしの物に──あいたっ!?』
「……女性に本気のチョップとは、更河様も容赦がないですねぇ」
俺がいきなり織里香に喰らわせた攻撃に頭をかく平井さんだったが、知ったことじゃなかった。
織里香は振り返ると、一瞬、目を見開いたかと思うと、それからすぐに、
「こ、こここここ更河さま!?」
飛び上がり、慌てた様子を見せたのだった。
「平井さんに引きこもったと言うから、いざ来てみれば……何だ、今のは?」
「まさか、聞いていたんですの!?」
恥ずかしさの為か、織里香が一瞬で顔を赤らめる。
が、
「ううっ、そんな、わたくし……もうお嫁にいけません。
だから更河さま、わたくしをお嫁に──」
「誰がもらうか!」
ボジティブシンキング過ぎる。
ここまで恥もなく自分を売り込もうとするとか、逆に凄いな。
「そう言わずにまずは誓いのキスですわーッ!!」
「コイツ、実力行使で来やがった!」
まるで獣のように素早い動きで襲いかかってくる織里香に後ずさりをして──って、あれ?
足が動かない!?
反射的に下を見ると、
「平井さん!? どうして俺の足を掴んでいるんだ!?」
いつの間にか平井さんが俺の足を抱え込むように掴んでいた。
「更河様。もう諦めて既成事実をお作りになって楽になって下さい。
そして、『旦那様』と呼ばせて下さい」
「嫌に決まってるだろ!? 特に最後の!」
男に言われても何も嬉しくないんだよ!
鳥肌が立つだけだ。
「とにかく離せ──うおおぉっ!?」
間一髪。
躊躇いもなく、本気で唇を狙って来た織里香を体をひねって何とか躱す。
「なぜ避けるのですか!?」
「嫌だからだよ!」
他に理由があるか!
無理矢理キスするとか最早、陵辱物だろ!?
「嫌……ですの?」
それまでずっと動き続けていた織里香の動きが少しずつ止まっていった。
俯き、顔を下に向ける織里香。
ようやく分かってくれたのかと、安心しかけた俺に次に織里香が見せてくれた表情は目をうつろにさせた笑顔だった。
「ふふふ……こうなったらキス以外の事まで済ませるしかないようですわね」
「ヤンデレ! 既にヤンデレだ、これ!」
なんという事でしょう。
幼なじみが遂に行ってはならない領域に入ってしまいました。
どうすればいいでしょう?
というより、今更だが、なぜ俺は幼なじみの家に来ただけで貞操の危機にせまられているんだ……?
「さあ、更河さま。覚悟はいいですか……?」
「全然よくねぇーよ畜生……!」
ジリジリと迫ってくる織里香に、傘泥棒の時よりも威圧感と緊張感が走る。
足は平井さんに封じられ、絶対に逃げられないこの状況。
そんな中で一体、何をすれば……。
「諦めて下さい更河さま。こんな所に誰も助けになんて──」
ガチャ。
「……何をやってるのかしら、あなた達?」
「あ、国代」
狙ったとしか思えないタイミングで、ドアから国代が現れた。
「た、助けてくれ国代!俺の貞操の危機が迫ってるんだ!」
脇目も振らず、国代に助けを求める。
「えーっと……?」
国代が辺りを見渡し、何かを考えるような仕草をする。
そして何かを察したように頷くと、
「ご、ごゆっくり……」
ゆっくりとドアを閉めた。
「……」
「……」
「……」
ん? あれ?
見間違いか?
もしかするとだけど……
み す て ら れ た ?
「更河さま。続きですわ」
「いやあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
『お楽しみを邪魔するのは悪いと思ったから』
それが後で国代から聞いた理由わけだった。