絶対零度の夜を越えて
◆
大陸暦なら六〇九年。未だ制定されてもいない真暦を使うなら二年の晩春。
未来から来た俺は、この時代で一月という時間を和やかに過ごしていた。
俺はまず、メンヒ村からから離れた場所に小屋を建てた。
そこはモルタヴ大森林に近く林道さえ無いような場所だが、川に近く、獣さえ恐れなければ便利な場所だ。
小屋作りは最初だけ難航したが、考えてみれば別に永住する訳でもない。適当な小屋を作ればいいと割り切ったら、いっそ工作が楽しくなった。
木を切り倒し、魔法で削り、柱や板を作る。それらをパズルの様に組み合わせて作った小屋は、大雨となれば流石に雨漏りもするが、それ以外では実に快適だ。
もう、俺は大満足だった。
広さは四畳半程度と狭いが、別に眠るだけの部屋だし、そもそも宮殿暮しよりも、いっそこっちの方が性に合う。
庭先――小屋の外を庭と呼ぶならば、だが――では石や岩を集めて竈を作ったり、ロケットストーブも作った。
ちなみに、竈なんか魔法があればいらないんじゃないか? とも思ったが、俺は火力調節が苦手なのだ。スープを作るつもりで森を丸焼けにしかねない。だから、きちんと調理器具を揃えたのである。
ともかくこれで自給自足が出来るぞ! と思ったが、よく考えてみたら塩がない。胡椒もない。俺は悔しさに歯噛みしつつ、日々狩りに出て、獲物をメンヒ村の市で売り、日銭を稼いで調味料を買い求めていた。
俺がそれらの事をあまりにも嬉々としてやっていたら、イズラーイールが訝しんで、こんな事を言ってきた。
「おぬし、本当に未来へ還りたいのか?」
オフコース! とでも答えたい俺は、正直、首を傾げてしまった。だって楽しいから。
とりあえず一通り日曜大工も終わった先日、近くの土地を開墾して畑を作った俺は、イズラーイールに貰った怪しげな植物を植えてみた。
”レフォール”という野菜らしいが、冬を待たずに収穫出来るらしい。ワクワクが止まらないぞ。
――うん。こんな事をしているから、還りたくないって思われるんだな。
冬になったら種籾でも蒔いて、米作りの準備でも……なんて考えている自分が恐ろしい。俺は一体、どこの農夫だよ!
「風刃」
俺はこの日、春の麗らかな陽光に照らされながら、屋外用のテーブルを作っていた。
「おおっ!」
何故かネフェルカーラがここの所、自宅から毎日通って俺のところに来てくれる。
今も俺の魔法を見ると、ネフェルカーラは手を叩いて喜んでいた。
「火!」
しかし、せっかく俺が作ったテーブルを燃やすのは、やめてくれまいか。これで八個目だ。
俺は報われない労働に嫌気がさして、椅子に腰を下ろした。
すると小さなネフェルカーラが突撃してきて、俺の膝上に座る。
「ほめよ! わたしをほめよ!」
褒めなければならない要素が、一体何処にあったのだろう? と、俺は首を傾げたが、ネフェルカーラは自信満々だ。
とりあえずネフェルカーラの機嫌を損ねたくない俺は、彼女の柔らかい黒髪を撫でる事にした。
「ふんっ! 五歳で火をこれほどまでにつかいこなせるものは、わたしだけだぞっ!」
小さな鼻を鳴らして、ネフェルカーラは自慢げだった。
ていうか、五歳……。ネフェルカーラもここまでは、人間と同程度の成長を見せているってことか。
「そうだっ! そんなことよりおべんとだ! おべんとをたべよう! わたしはおべんとをもってきたのだ! 父さまが朝、つくってくれたのだ! ユウセイのぶんもあるぞ! ……ある……!?」
俺の膝から降りたネフェルカーラは、俺が倒した樹の切り株においてあるバスケットへ向かう。
弁当がイズラーイールの手作りではなく、パラディン製だというところがいじましい。パラディンは甲斐甲斐しく狩りに出て一家の収入を支えつつ、時間があれば主夫となる家庭戦士なのだ。
しかし、そんなパラディンの作った弁当を確認しつつ、とことこと俺の下へ戻る、どうにも表情が冴えないネフェルカーラ。
「どうした、ネフェルカーラ?」
「へ、へっているのだ!」
「ん?」
俺がバスケットの中を確認すると、小さな黒パンの欠片が一つとチーズ、それからチェリーが三つほど。なんというか、中身がスカスカだ。確かにこれで二人分ならば少ない。パラディンが持って行けと言ったならば、干し肉の類もきっと入っていたはずだ。
「むう! なにものかが、わたしたちのおべんとうをっ!」
ネフェルカーラは犯人を追い詰める名探偵の如く、拳を握り締めて周囲を睥睨する。
一人勝手にミステリーモードへ突入したネフェルカーラの口元には、チーズの欠片がついていた。
なので――犯人はお前だ、ネフェルカーラ。
俺はネフェルカーラの頭を上から片手で掴み、持ち上げた。
「うわぁ! 何をするユウセイ!」
ジタバタするネフェルカーラを此方に振り向かせると、じっと見つめてみる。
「わ、わたしのびぼうになにか?」
「かわいいかわいいネフェルカーラ。ちょっとだけお口を開けてごらん」
「ほむ? そんなにほめられては、口を開けぬわけにはいかぬ! 虫歯など、ないぞ。あーん」
「うん、ここにはないかぁ。じゃあ、掌を広げてごらん」
「う、ううぁぁ! これはあかずのてのひらだぁぁ!」
宙に浮いたまま暴れるネフェルカーラの頭に、俺は少しだけ力を加えた。
「はうぅっ……」
痛みで体を”ビクン”と振わせたネフェルカーラは、ようやく掌を開く。すると、二粒、三粒とチェリーが零れ落ちる。
そもそも握った手の先に、チェリーのヘタが見えていたか。
「食べるのは構わないけど、食べていないフリはいけないなぁ。しかも、誰かのせいにして盗もうとするなんて。悪い子は食べちゃおうかなぁ……ネフェルカーラも、それがいいと思うよね?」
俺はここで、魔力を僅かに解放してみる。
なんとなく、ネフェルカーラがこのままでは悪い子になってしまう気がして、脅しておこうと思ったのだ。
「ひいいいいぃ! ユ、ユウセイ! やめよ! わたしはたべたらおいしいが、たべてはいかん! だいたい、わたしはユウセイのおよめさんになるのだぞ! たべるな! たべるな!」
「じゃあ、もう嘘を付くなよ?」
「わかった。つかぬ! つかぬから!」
ネフェルカーラの弁解は可愛らしかったが、それにしても俺のお嫁さんになるなんて言うネフェルカーラは、なんなのだろう?
未来のネフェルカーラはシャムシールと久織悠聖が同一であると、気が付いていたのか? だから俺の第一夫人になると言い出したのか――いや、まさか。
俺は小さなネフェルカーラが目に大粒の涙を溜めているのを見ると、慌てて力を緩め、彼女を地上に下ろした。
「おなかがへって、つらかったのだ。すまぬ、ユウセイ。きらわないでくれ」
両手で頭を抑えながら謝罪するネフェルカーラは、声も震えている。
「嫌う訳ないだろ。最初から正直に言えば、お弁当くらい全部あげたのに。ほら、全部食べていいよ」
「ほ、ほんとか! うん、うん、ありがとう! ユウセイ!」
高速で首を縦に振るネフェルカーラの胃袋は、なんとこの頃から底なしだったようである。ていうか、ネフェルカーラは嘘泣きをしていたらしい。まるで反省していないようだ。
そして全てを食べ終わった後、ダメ幼女は大威張りで胸を張る。
「ぜんぜんたりぬ」
「わかった……ちょっと待ってて」
パラディンのお弁当では満ち足りなかったネフェルカーラ。
どうせ俺は自分で昼食の準備をしようと思っていたのだから、丁度いい。ネフェルカーラの分もパンを焼いてあげる事にした。
俺は自分で作った石窯の前に立ち、魔法で薪に火を点ける。暫く窯を熱したら、生地を入れて十分位焼けば手作りパンの完成なのだ。
同時にロケットストーブで冷凍保存していた鮎っぽい魚でも焼けば、昼食的にはバッチリ。
しかし、黙々と食事の準備をする俺を、ネフェルカーラが熱い眼差しで見つめていた。
「やってみる?」
”こくこく”と首を上下に振るネフェルカーラは、石で作った小型のロケットストーブが珍しいようだ。
そりゃあ石窯はネフェルカーラの家にもあるけど、小型コンロみたいなロケットストーブなんかないからなぁ。
それに、別に魚を焼くくらいなら自分の魔法で十分だったりするから、ネフェルカーラには必要ないし。
ネフェルカーラはロケットストーブの上に置いた金属性の網に魚を乗せると、ただひたすらに見守った。結果として片面だけが激しく焦げたのだが、やはりそれを俺が食べるハメになる。
パンと魚が焼きあがると、ネフェルカーラはおいしそうに頬張った。
その隙に俺はテーブルを完成させると、燃やされないよう加工も入念にする。
ひたむきにパンを齧るネフェルカーラを見ていると、ムハンマーを夢中で食べる大人になった彼女を思い出し、つい俺は笑ってしまった。
◆◆
さらに一週間後、俺は御歳三十二歳の元英雄にして、歴史上の預言者たるパラディンと共に狩りをしていた。
モルダヴの森は深く、豊かな自然の恵みを齎してくれる。
たしかに危険な野生動物もいるが、何故か出鱈目に強いパラディンと、”知識の果実”を食べた上に”暴食の水”を飲んでいる俺のタッグが相手では、皆、瞬殺を免れなかった。
「なあユウセイ、未来のネフェルカーラはどうなっている? 美人になったか? 魔法はどうだ? 恋人は出来ているのか? 幸せになっておるか?」
「イズラーイールにそっくり、かな? 美人だよ。魔法も、彼女と同等の魔術師は、俺が知る限り一人しかいないし。恋人は――いると言えばいるなぁ。幸せかどうかは、うーん。幸せにしたいとは思うけれど……」
――しまった。今の俺は久織悠聖なのに、シャムシールのつもりで喋っちまった。
「――ピキン」
俺が先頭に立ち、生い茂った草や低木をパラディンに借りた剣で掻き分けていると、不意に元英雄の足が止まる。
――シャアアアア――ボトッ。
明らかに剣を鞘走らせる音が聞こえたかと思うと、今度は鞘を地面に落とす事が聞こえた。
「てめぇ、ネフェルカーラとどういう関係だぁ? 言ってみろォォ! ――あ"あ"ん"?」
俺が振り返ると、憤怒の形相を浮かべたパラディンが、直剣を構えていた。しかも、まったく隙がない。
「い、いや。そうなったらいいなぁ、なんて」
「てめェィ! 言い訳なんてェ、聞きたくねェんだぜェ!」
パラディンが、なんだか江戸っ子みたいになっている。江戸っ子は親馬鹿なのか? いや違う。パラディンが親馬鹿なだけだろう。
いやいや、そんな事はどうでもいい。なんとかしないと。
パラディンは、服装こそ狩用の軽装備だが、その剣は人魔大戦時に愛用したという聖剣だ。つまるところ、俺が借りてる量産モノの大剣じゃあ分が悪い。大体、戦う意味なんてないし。
それでも俺は仕方なく、大剣を構える。
普段は両手で振っている剣だが、今は右手だけで持つ。左手を自由にしたのは、それだけパラディンを警戒しているからだ。事実、パラディンの剣技は凄まじい。比べることなど出来ないが、剣技だけならアエリノールも凌ぐのではないかと思えた。
左手には魔力で作った盾を持ち、俺はパラディンを落ち着かせる為に声を掛ける。
「パラディン! 隠していてすまなかった! 俺は未来のネフェルカーラと……!」
「はんっ! 未来だとォ? それよりテメェ、その大剣を片手でェ? どうなってるんでィ? 人間じゃあ、ねェなァ?」
「いや、人間だ。少し特殊だけど」
「フン。まあいいやァ! 俺っちに勝てたらァ、話くれェ聞いてやるぜェ! 精々がんばんなァ!」
言うなり、パラディンは一足飛びに踏み込んでくる。
金色の髪に緑眼、そして白い肌を持った江戸っ子を俺は将来、「お義父さん」と呼ぶのだろうか?
なんだかなぁ、と気乗りしないまま俺は体を開いてパラディンの突きをかわした。――つもりだったのだが、手首を返したパラディンの斬撃が、俺の首筋で止まる。
「自信過剰な野郎はァ、戦場で死ぬぜィ? シャムシールゥ。いや、既に死んだのかィ? 来いよォ、未来の息子の為に、俺っちが直々に稽古をつけてやるってんだァ!」
俺がパラディンを見ると、口元が笑っていた。
緑眼を細めて笑い、さも嬉しそうなパラディンは、再び俺と距離をとって構えている。
「――いつから、俺がシャムシールだと?」
「お前、最初からイズラーイールに相談しただろうゥ? アレは俺に隠し事なんかしねェさァ」
「なるほど」
俺も口元に笑みを浮かべたと思う。
「まァ、二人で話せる機会を待っていたってこったァ! まどろっこしいのはァ、苦手でなァ!」
パラディンの剣は口調と同様、実に正統派だった。いや、江戸っ子は正統派なのか? ともかく、さすがは家事もしっかりこなす男だ。
まず俺の盾に斬撃を二つ、それをフェイントにして右側面に回りこみ、高速の突きが三連。それを俺が避けると身体ごとぶつかってきて、吹き飛ばす。
力に自信がある俺なのに、何故パラディンに吹き飛ばされるのだろう? なんて訝しむ間もなく旋風の様な斬撃が再び襲い来る。
「腋が空いてるんだよォ! 締めろォ! 盾に頼りすぎんなァ! てめェの間合いで戦いやがれェ!」
言うなり再び突進してきたパラディンが、俺の盾を一刀の元に斬り裂いた。
「えっ?」
俺の盾は魔力で作ったものだ。しかも下位とはいえ、禁呪からなる盾だから、ぶっちゃけて言えば反則級の武具なのに。
「詠唱盾を持つってェのはァ、すげェぜェ! でもなァ、だからこそ、頼るなってんでェ!」
そう、俺が魔力で生み出した盾は、攻撃に対する自動防御機能を持つ。しかも盾は独自に防御魔法を常に詠唱、展開を続けているのだから、その強度はミスリル以上なのだ。
どういう理由でそんな盾をパラディンが破れるのかは分からないが、彼がとんでもなく強い事は分かる。
俺はパラディンが云うとおり盾に頼らず、大剣を両手で構え、腋を締めた。
それからパラディンの突進をいなすよう、右回りに旋回する。少なくともパラディンは右利きだから、俺が右に回りこむ限り、攻撃の手が緩む道理だ。
パラディンが微笑し、剣を水平に払う。
少し強引だと思った俺は、その剣を打ち上げてパラディンの間合いに入る。
そこでパラディンの回し蹴りが、俺の腹にめり込んだ。
「正統派だけじゃあ、一流の剣士にゃあなれねェんだぜェ!」
「げふっ!」
俺は腹を押さえて蹲り、パラディンを見上げる。
それにしても、おかしい。今の俺は、全身を高度な防御結界で覆っている。だから生半可な打撃など、モノともしないはずなのに。
「不思議そうな顔をしているな」
パラディンは背を向け、鞘を拾うと剣を収めた。
それと同時に、口調が元に戻っている。
「う、うう。どうして俺の結界が、全部消えたんだ……?」
「俺は”英霊体質”っていってな、ちょっと特殊なんだよ。”相殺”って力を、俺は持っている。これは俺が触れたものの魔力を、一時的に解除出来るっていう便利なもんだ。
つまり、お前がどれ程強力な魔力を持っていても俺には通じないし、俺に触れられた時点で、お前もただの人間――剣士になる。
ふふ、世の中には、こんな人間もいるってことだ。覚えておけ」
俺は腹を押さえながら立ち上がると、自分に回復魔法を掛けてゆく。
多分、肋骨が何本か折れたのだろう。口からも血が出たし、普通なら重傷だぞ! と文句を言いたくなったが、パラディンの言わんとすることはわかる。
つまり俺の――魔力頼りの戦闘方法を改めないと、本当の強敵には勝てないぞ、ということだ。
現にもしもパラディンと戦場で会ったなら、俺はあっけなく敗れただろう。
「ま、元の時代に還るまで、俺がみっちり鍛えてやる。その代わり、絶対、娘を幸せにしろよ!」
なるほど。
パラディンが差し出した右手は熱く、握り返した俺は、まさに父親の愛情を感じた。
普段、イズラーイールに虐げられているだけに見えるパラディン。だがしかし、やはり彼は人類の英雄であり、神を敵に回した元熾天使を、気にも留めず妻にした、豪気な男である。
「――わかった。義父さん」
”ごいん”
物凄く良い笑顔を向けたつもりの俺に、パラディンのグーパンチが飛んできた。
見事、顎に当たって再び崩れ落ちる俺。酷いよ。
「娘を奪われる父親の気持ち、こもってただろう? な、シャムシール」
◆◆◆
あれから三ヶ月が過ぎた。
季節はいつの間にか春が終わり、夏が訪れている。
といっても大陸北方にあるメンヒ村の夏は、それ程暑くなく――むしろ日陰に入れば涼やかな風が感じられる程だ。
過ぎ去ってゆく時の中で、ささやかな事件も起きた。
春に植えた”レフォール”がスクスクと成長して収穫が楽しみになった俺は、こっそり土を掘り返してみたのだ。
驚いた。
”レフォール”なんていうから”レタス”的な何かになるのかな? と思っていたのに。
なんと”わさび”だった。
俺は”わさび”をいっぱい作って、一体どうしようというのだ。食用か? いや、それもいいだろう。ただ、毎日鼻がツーンとする。
この件では、流石の俺も泣きたくなった。
しかしよく考えてみれば”わさび”は重要だ。揚げたスライスポテトをわさび味にすれば、俺の大好きなポテチが作れる気がしなくもない! というポジティブシンキングな俺は、今日も元気である。
それはともかく、あれから俺は毎日パラディンと剣の稽古をし、イズラーイールに兵法を教わって、ネフェルカーラと遊んでいる。
また、暫く前に現われた魔族の集団を、俺が剣の一閃で撃退して以来、「辺境の魔剣士」と呼ばれ、村人にも親しまれるようになった。
最近では俺が村に行くと、皆が気さくに声を掛けてくれる。
今日だって村へ買出しに行ったら、こんな出来事があった。
「いよう! 辺境の魔剣士! ネフェルカーラちゃんに会いにきたのかい?」
鍛冶屋の前を歩けばヒゲ面の大将が軒に顔を出し、気軽に俺の肩を叩いてくれる。
「ユウセイさまだー! かっこいい! すてきー!」
村の大通りを歩けば、乙女に、熱いウィンクだってされるのだ。まあ、彼女は八歳だがな!
だが、どんな相手にも手抜きをせず褒める俺は、とても偉大なのだ。
「やあ、フィーナちゃん。今日も綺麗だね」
「ダメよ! フィーナ! あの人は魔剣士だから、まだ小さいフィーナの事が大好きなの! さ、お家に入りなさい!」
しかし母親に連れ戻される八歳の乙女は、魔王に攫われる姫の如く号泣をした。
――魔剣士の魔は――ロリコンって意味だったのか……。
いっそ、号泣したいのは俺だった。
こんな風に、この時代に日々馴染んでゆく俺。いや、ある意味では浮いてしまったがそれは置くとして、元の時代に戻る方法については何も言わないイズラーイール。
俺はその事が最近、とても不安だった。
まさか本当に、俺はこの世界で暮らす事になるのだろうか? 魔剣士の名は、俺には重過ぎると思うのだが……。
そんな事を考えつつ、夜空を見上げながら屋外で食事をしていた俺の前に、ネフェルカーラとイズラーイールが現われた。
少し遅れてパラディンの姿も見えるが、珍しく完全武装だ。どうしたのだろう? 月が妙に明るいから、夜の狩りでもするのだろうか?
俺の姿を見つけたネフェルカーラが、猛然と駆け出した。
走りながら訳の分からない事を言い募るネフェルカーラは、ある意味通常運転だ。
「ユウセイ! ここで暮らそう! いつまでもいっしょだ! わたしがユウセイのおよめさんになるから! な! な!」
俺は微妙な味のスープをテーブルに置くと、飛び込んでくるネフェルカーラを抱きとめた。
毎日こんな事をしているから、俺がロリコンと思われるのだ。
泣きながら、ネフェルカーラが何を言い出すのかと思えば……その理由はイズラーイールが口を三日月形に歪め、語ってくれた。
「待たせたな。今夜、お前は元の世界へ還れるぞ。と、いうより、今夜を逃せば次は二年後だ。どうする?」
そう言いながら、丸めた羊皮紙を俺に手渡すイズラーイール。
早速俺がそれを広げてみると、紙には細かな文字で複雑な呪文や紋様が書き綴られている。
「ユウセイ、ユウセイ。だめだ。せめてにねんごに……」
なるほど、ネフェルカーラは俺にいて欲しいのだ。その気持ちは嬉しいが、逆に言えば、未来のネフェルカーラも俺を待っているのだから、還らない訳にもいかない。
「これが、刻を越える魔法?」
「そうだ。蒼き月が持つ膨大な魔力と、おぬしの魔力を協調させることが出来れば……千年以上という長き刻を越える事も、可能となる。
――術式の理論としては、炎の精霊を燃料として光の精霊を加速させる。そして光の精霊を自身の中に取り込んで、自らの魔力を空間に干渉させる――というものだ。
――要するに月の力を取り込んで、自分の還りたい時代と場所を思い描け。その最中、これにある呪文を唱えれば、万事解決だ」
イズラーイールの説明を、俺はすんなり理解する事が出来た。
流石に、”全ての知識”へ接続出来る俺。大概の魔法理論は容易い。
実際、この魔法の問題点は、膨大すぎる魔力を必要とする事だけ。
例えば二秒、或いは五秒先の世界なら、俺の魔力だけでも大丈夫だ。
もしも俺の全魔力を解放すれば、五分位未来へ行く事も可能だろう。しかし、精々がその程度。
つまり蒼い月がなければ、俺は未来に還ることが出来ない、という事にもなるのだ。
「――わかった。問題点は、月と俺が同調出来るかどうか、だな?」
この世界の月は、六十日周期で満ち欠けがある。
だがそれとは別に、月が青く染まる日が二年に一度、あるというのだ。
古より、”大地の魔力が高まる日”だとか、”魔神が誕生する日”なんて不吉の代名詞とされていたらしいが、そんな話は初耳だった。
だって俺がいた時代の月は、三十日周期で回っていたし、蒼くなる日なんてなかったのだから。
「うむ、そうだな」
「もっと早く、今日の事を教えてくれれば良かったのに」
「別れに時間をかければ、それだけ辛くなる。それに、急に言えば、おぬしの気が変わるかもしれんからな。
ふはは。別に、このままここに留まっても良いのだぞ?」
「そうだ! ユウセイ! かえるな! わたしをおいてゆくな!」
俺は食べかけの食事を名残惜しく思いながら、空を見上げる。
小さな月が、徐々に蒼い輝きを放ちつつあった。
まったく、本当にイズラーイールはギリギリに来たようだ。それも俺に対する親愛の情なのだろう。たしかに嬉しいが、しかし俺の選択は変わらない。
マディーナに還って、ファルナーズを救う。
それからマディーナを守り、ナセルを討ってフローレンスを破る!
今までもずっと、それが心残りだった。そして、ここに残るならば、その心残りが一生続くのだ。
やはり、俺はここに残る事が出来なかった。
俺は神経を集中させると、頭上に浮かぶ蒼い月を感じる。
鼓動にあわせて脈打つように、月から膨大な魔力が俺に流れ込んでくるのがわかった。
「なるほど。いけそう、だ、な。ありがとう、イズラーイール」
俺は月に惹きつけられるかの様に、宙へ舞う。
だが、それは不快なものではなく、これから確かに還れるのだという安心感さえ齎した。
しかし、地上を見ればネフェルカーラはもちろんのこと、イズラーイールまでもが悲しげな顔を浮かべている。
「礼などいい。だがせめて、最後に顔をよく見せよ。わたしはこれで、もう二度とおぬしに会えぬのだから――」
イズラーイールの言葉に、俺は何も答えられなかった。
彼女が既に死んだ後の世界から、俺は来たのだ。だから彼女の事を知らなかった。そんな事は俺が話していなくとも、察しの良い彼女が分からないはずが無いのだ。
俺はじっとイズラーイールを見つめ、頷いた。
「ネフェルカーラをよろしく頼む……」
「任せてく――」
俺が返事をしようとしたら、地上に闇をより濃くしたかのような、黒い渦が出来た。その中から暗闇でも眩しく見える、燃えるような赤毛の男が現われる。
「ふむ、パラディンとイズラーイールか。
これは協定違反であろう? 蒼き月の力は絶対不可侵である、と人魔会談で決めたはず」
「生憎、わたし達は会談に出席しておらぬのでな」
「だから、その力を奪ってよいと? 我等が貴様等の動向を監視していないとでも思ったかっ!」
赤毛の男はイズラーイールの前に立ち、雷鳴の様な怒声を発する。
ネフェルカーラは流石にイズラーイールの影に隠れるが、どうやら何かの呪文を用意しているようだ。
「愚か者め。監視をしていたのは此方とて同じこと」
イズラーイールも重心を落とし、戦闘態勢に入る。
こんな時なのに、蒼き月とやらから発せられる魔力が流れ込んでくるだけで、俺は身動きが取れない。まるでダウンロード中って感じ。
なので俺、見てるだけ。
ああ、大変。まあ、大変。
少しだけ身体を捩ってもぞもぞとするが、何も変わらなかった。
むしろ、月が近づいてくる気がするよ? 危なくない?
「アモンよォ! 現われると思っていたぜェィ! でもなァ! 人の女房ォ、いきなり怒鳴りつけてくれるたァ、いい度胸じゃねェかァ!」
赤毛の男が右手を振り上げようとした刹那、完全武装のパラディンが聖剣を抜き放つ。それだけでアモンから放たれた魔力が、パラディンによって相殺された。
「ふん、パラディン。腕は鈍っておらんか」
アモンという男が、吐き捨てる。
さっき人魔なんたらとか言っていたから、コイツは魔族、もしくは上位魔族だろうか。
「鈍ってもよォ、てめェごときにィ、後れはとらねェよォ!」
純白に黄金の装飾が施された鎧は淡い燐光を放ち、鎧と同色の盾を持ったパラディンは、黙っていれば聖騎士のようだ。
「減らず口を」
赤毛のイケメンが舌なめずりをしつつ、自分の周囲に火球を五体、浮遊させた。
それを見たパラディンは半身になって盾を突き出し、剣を柔らかく構えている。
さあいけっ! 江戸っ子聖騎士パラディンさん! やっておしまいなさいっ! と、俺は心の中で念じた。
しかし、闇の中から続々と現われる影達。これも恐らく、魔族だと思われる。まさか全員が上位魔族なんて事はないだろう。
どちらにしても合計で二十人の敵に囲まれたパラディン一家は、まさに危機だ。
戦端を開いたパラディンはアモンという赤毛の男に掛かりっきりだし、イズラーイールも五人の魔族を相手にするだけで精一杯。
四人に追われるネフェルカーラの、逃げ足が速い事だけが救いだろうか。たまに雷撃を放つが、やはり五歳なりの威力しかない。
そしてなんと……残りの全部が俺に向かってきたぞ。
うーん、いかん。ネフェルカーラを助けたいし、自分の身も守らねば。
でも――ダウンロードが終わらない。ていうか、魔力の流入だけど。これ、もしも止めたら多分、月が爆発する。
といって、体内に溜まる魔力のせいで、爆発しそうになる俺。
もう、おしっこを我慢するレベルの辛さではない。おしっこも少し出そうだが、もっと別のモノが今はハミ出そうだ。
刻を越えるエネルギーって、こんなに必要なんですか! 先生!
もう――我慢できなかった。
俺の何かがダダ漏れた。
自ら発光する俺は、いつの間にか機動飛翔状態。
六対十二枚の翼を持って、中空に佇みぐったりしていた。
それなのに俺に襲い掛かった魔族達が、地上に落ちて”ぴくぴく”としている。
ああ、嫌だ。
なにか漏らしてしまった罪悪感で、やる気がゼロになった。
でも、今は火急の時ってヤツだ。
何より、影に隠れていたネフェルカーラを見つけた魔族がいる。
俺は地上に下りると、ソイツとネフェルカーラの間に割り込んで、思い切り殴ってやった。
”パァァァン”
あれ――魔族が跡形もなく消えちゃったぞ?
「お、おのれ! おのれ! パラディンめ! イズラーイールめ! こうも容易く”蒼き月の力を得る者”を隠しておるとは!」
「ふん、アモンよォ。テメェが月の祝福を得られなかったってェだけだろォがよォ! それに、コイツァ――ユウセイにゃァ必要なモンなんでェ。すぐに使っちまうしなァ!」
「ふ、ふん! ならば好都合だ! ここは一端退くが、すぐに軍勢を連れて――おい! お前たちっ! 退くぞっ! 陛下にご報告申し上げねばならんっ!」
喚く赤毛の男が、黒いマントを翻して逃げようとする。
俺はサクッと追いつくと、アモンとやらの襟首を掴んで引きずり倒す。
「お前、何者なんだ? ていうか、何しに来たんだ?」
「ひ、ひいい! お、俺は上位魔族のアモンだ! お、俺にこんな事をしてぇ! ただで済むと思うなよぉ! 貴様、蒼き月の力を得たからといって、調子に乗るなっ! 戻ったら軍を率いて、ここら一帯を火の海にぃぃ! 大体、貴様など陛下のお力の前には――!」
俺の前で尻餅をついている赤毛のイケメンは、上位魔族だと名乗った。しかし、聞き捨てならない事をいう。
この辺一帯を火の海にするというのは、どうにも許しがたい。しかし、俺が還ってしまえば、迎撃するのはパラディンだけになるのか――。
そう思った俺は、たとえ上位魔族と云えども破れない魔法を展開することにした。
「我は紡ぐ――輝ける凍土に君臨せし清浄なる氷の女王よ、我が元へ来たりて舞いたまえ――」
「な、な、な! やめろ! それは、それはかつて――ルシフェルさまがお使いになった――ああああ! 隕石召喚! 隕石召喚! 隕石召喚!」
尻餅をついたまま後ずさる器用なアモンは、やはり器用に幾つもの隕石を召喚した。
周囲にいる魔族達は恐慌状態になったが、それを見逃さずにパラディンがどんどん首を刎ねてゆく。
やはりパラディンは、何だかんだで頼りになる男だ。
「――おお、女王よ――麗しき貴女は吐息さえ、三千世界を氷結なる美へと変貌せしめる我が宝珠なり――絶対零度の吐息」
――俺の詠唱が終わると、空が凍り、隕石が砕けて雪になる。そして、アモンはやはり尻餅をついた姿勢のまま、見事に凍り付いているのだった。
真紅のビロード服を纏い、漆黒のマントを着た上位魔族アモン。彼こそが魔国における、対人政策強硬派の筆頭であった。
後の歴史書には、メンヒ村周辺における異常気象によってアモンが倒れ、その後、人と魔の間にはおよそ百年に及ぶ冷たい平和が訪れた――と書かれる事になったのは、俺のミスだとしか云いようが無い。
「へぇぇっきしっ! テメェ! 俺達まで凍らせる気かよォ!」
「ふはは! さ、さ、寒くなど、な、な、ないぞっ! ガチガチガチ」
「くしゅんっ! ユウセイ、さむい! あたためてくれ!」
俺は一応、パラディンとイズラーイール、それからネフェルカーラを結界で守っていたはずだけど……。どうやら結界の力を遥かに上回る威力の禁呪を、俺は使ってしまったのかもしれない。
ていうか敵もいなくなったみたいだし、俺……そろそろ還っても、いいかな?




