ネフェルカーラを巡る冒険
◆
”ドンッ”
「げふっ……げほっ、げほっ!」
痛ってぇ! 背中を思いっきり打った!
気が付くと、俺は背の高い木の下に放り出されていた。
しかもおかしな事に、全ての色彩が黄金色を帯びていて、今が昼なのか夜なのかさえわからない。
そういえば、アエリノールに一度だけ連れてきてもらった幻界がこんな風だったと思うけれど。
とりあえず俺は立ち上がると、辺りを散策する。
暫く歩くと泉と呼ぶには広く、湖と呼ぶには小さい水場があった。湖畔にはナツメヤシや無花果の木が生い茂っている。ここで人々が生活している様子は無いが、それはここが幻界ならば当然だろう。
「ていうか、ここはどこだ?」
俺はそもそもファルナーズと対峙していて、だけどクレアの攻撃からファルナーズを守ろうとして……足元から妙な奴が現われて……。と、そこまで考えると、俺は愕然とした。
――もしかして、俺、死んだ?
俺の顔から血の気が引いた。
流石に自分が死んだと自覚するのは、あまり気持ちのいいものではない。
だから俺は、自分が死んでいないと確認したくて、体中を触ってみたり、観察してみたりした。
衣服は、鎧の下に着ていた黒絹の上質なものだ。
うん、これは俺が出かける前にロスタムから渡されたもので間違いない。だから間違っても、死後の世界における支給品ではないだろう。
ん? 目の錯覚か? 俺、心なしか透けて見えるような……。ま、まあ、ここは幻界だからな。体くらい透けちゃうんだな。は、はは。
――それにしても、鎧はどこにいったんだ? 魔剣もないぞ?
「うわぁ、俺、丸腰だよ」
とりあえずションボリしながら泉を前に腰を下ろす。
泉の前に居れば、喉が渇いたときでも安心。それに周囲にはナツメヤシの木も無花果の木もあるから、食料の確保もバッチリだ。
――まあ、死んでいたら食ったり飲んだりする必要もないけどな。
とりあえず、今の俺には他にやる事も無い。
本来ならばここが何処かを確かめて、元の世界に戻る術を探さなければならないのだけれど。
でも――元の世界とは、俺にとって一体何処の事をいうのだろうか? ぼんやりとそんな事を考えつつ、俺は手近な石を拾って泉に投げ入れた。
――ポチャン
石は弧を描いて飛び、泉の中ほどに落ちる。
「お前……俺が助けなかったら、あのまま死んでたぞ? 自覚しているのか?」
暫くぼんやりしていると、俺の隣に腰を下ろす青年がいた。
その姿は俺とそっくりで、ただ、少しだけ青白く、目の下に隈の様なものがある。少しお疲れなのだろうか?
服装は古びた青いポロシャツに、やはり古ぼけたジーンズ。ジーンズの方はダメージ仕様といえばカッコイイかも知れないが、ハイカットの赤いコンバースは所々穴が開いていた。
「へ? アンタが? ……そういや、首の傷もないしな。俺は助かったのか……でも、どうやって?」
「ああ、幽体を共有しているんだから、お前の危機をわかって当然だろ。ちょっと強引だったが、あっちの世界で時空が断裂した隙をついて、幻界へ連れてきたんだ。まあ、そうでもなきゃ、俺だって簡単に現界に干渉なんか出来ないしな」
「な、なるほど。とにかく、ありがとう」
俺は体を捻って頭を下げる。
俺が示した謝意は多少軽い感じに見えるかもしれないが、本当に助けてもらったのか、実際のところはわからない。だから多少警戒していたのだ。
大体、コイツは一体何者なんだ? 明らかに日本人の服装をしているし、俺とそっくりだし。
「いや、正確には、まだ助かっていない。掌を見てみろ」
「透けてる。これって……?」
「……消滅しかかっているな」
「ぎゃあああ! って、おかしいだろう! 俺、人間なのにそんな死に方なのかよ! ていうか、ここはどこだよ! 大体、お前は誰だよ!」
俺が立ち上がって地団駄を踏むと、隣の男が苦笑した。
もう、心の声がダダモレになってしまう。でも、消滅しかかっているなんて言われたら、誰だって錯乱するだろう。
しかも俺ソックリな男は、自分の事を俺がさも知っているかのように振舞っていた。しかし俺が口にした最後の発言に度肝を抜かれたようで、目を見開いてこちらを凝視する。
「誰だよ、だと? お前、俺が分からないのか? ……スマホはどうした?」
「サーリフの霊廟に飾られてる」
「サーリフ? 霊廟? どういうことだ? 一体、何があった?」
不快気な顔を俺に近づけてくる俺のそっくりさんは、妙な凄味がある。
この男の魔力は多分、ネフェルカーラさえ凌ぐ。そういう直感が俺の中に湧き上がり、思わず後ずさりしてしまった。
「――お、俺は元々日本という国で生まれて、だな」
「知ってる」
「シバールという国に転移してしまったらしくて――」
「転移してしまったんじゃない。俺は現界へ行って、この世界の事をもっと知らなければならなかった。だから俺は――いや、俺達は肉体と幽体を分けて、幽体――つまりお前を現界へ転移させたんだ」
「え? そんな? 肉体と幽体を分けたとか……。じゃあ、お前は俺の……魂の無い肉体ってこと? ……てことは、ゾンビ? ぷくく」
俺の発言に気を悪くしたらしいソックリさんは、目を細めて俺を睨む。
なんていうか、同じ俺の顔なのに、コイツときたらなんて悪人ヅラなんだろうか? ちょっとした冗談を言っただけなのに、そんなに怒るなよ……。
「お前のつまらない冗談に付き合っている暇は無い。
――幻界ってのは本来、天界と並んでもっとも神界に近い場所にある。管理者は上位妖精の長老連中。そして守護者は古代竜達だ。
……俺はとある事情で、その両方から目を付けられてな。要するに全部を敵に回しているってことだが。
そんな俺が、こっそりと外へ抜け出すにはどうすればいいか、わかるか?」
「全然わからない」
こっそり抜け出す方法も理由も分からないし、上位妖精の長老やら古代竜達を敵に回しちゃう理由も想像出来ない。
俺ならもっと穏便にだなぁ……と思ったが、現在進行形で世界中を敵に回している俺が言える事はなかった。
「上位妖精に、自分の存在を近づけるしかなかったんだよ。だから幽体を俺から切り離して、お前が現界に行った」
「じゃあ、残ったお前は、俺の残りカス……ぷっ!」
俺は思わず口を抑えて、笑いを堪える。
それにしても、俺は上位妖精と同等の存在だったのか。
そう言われて見れば、アエリノールは俺をすんなり受け入れてくれたし、しかも技の伝授までしてくれた。
もしかしたら、直感で俺が同じ種族だと思っていたのかも。
「不愉快だが幻界における俺の幽体は、確かに残りカスといっていい。しかも上位妖精ってのは何処までも純真な存在だ。だから――お前は俺の善良な部分だけを凝縮した幽体なんだぜ。クククッ」
ソックリさんが唇の端を吊り上げて笑う。
コイツ自身がもう一人の俺を名乗っているが、そんな話をまったく信じられなくなる位に凶悪な顔だ。
「逆に俺はお前の邪な部分――それを核の幽体として残した肉体なんでなぁ」
俺は”ゴクリ”と唾を飲み込んだ。
そう言えば、俺は自分でも驚くほどに善良だった。
邪な部分がまるで無かったと言われれば、その通りかも知れない。
それでも人を殺したし、殺した事で心に大きな穴が空いてしまった気分だ。
結局、そのお陰で俺は責任を取る為に王になって、挙句にこうして死にそうなんだから、ある意味悲惨すぎるのだけれども。
いや、よく考えたら死にたくなってきた。鬱だ。
「でも俺、今までに何人殺したか分からない位、人を殺したよ。はぁ。このまま死のうかな。その方がいいのかも」
「お、おい。なんなんだ、お前――。シバールに落ちたお前は、一体何をしていたんだ?」
俺のソックリさんが、俺の反応に慌てた。俺の背中を”ぱんぱん”と叩き、どうやら励ましてくれているらしい。だがそんな時に、泉の中から水色をした巨大な竜が現われたのだから、俺の方が別の意味で驚いた。
鬱だけど、やっぱり死にたくない。
”グオオオオォォ”
「ちっ。もうこの場所を嗅ぎつけたか。古代竜め」
忌々しそうに呟いた俺のソックリさんは、泉から姿を現した竜を睨んだ。
竜は巨大な口を開けて此方を睨んでいる。すぐにも攻撃をしかけてきそうな雰囲気だが、俺、そんなに嫌われているんだろうか? 鬱だから、考え方が卑屈になる。
仕方なく俺が身構えると、ソックリさんもスッと立ち上がった。
「紡ぐ――深遠より来たれ地獄の業火。我の導きに従いて、四海に仇名す敵を打ち払え。さらに紡ぐ――滔々と流れる悠久の大河よ、天空より門を開きて流れ込め。氷結の女王、かの声に従い水を絡めとらん――」
そして早口言葉らしきものを瞬時に唱えたソックリさんが巨大な竜を指差すと――ボンッ! っと派手な音を立ててそれは弾けて消えた。
ちなみに水の中から現われた竜は、アーノルド三匹分位には大きい。
「あの、あれは?」
「古代竜のくくりに入る水竜。まあ、俺が現界にお前を送った理由の一つに、この世界で俺が生きていける自信が持てなかったってのもある。だって毎日あんなのに追われてみろ、たまらないよ。流石にもう、慣れたけど。
――でも、あんなのに追われ続けるくらいなら、何とか日本に帰りたいって思うだろう?」
ブンブンと首を縦に振って、俺は激しく同意を示す。
俺だって最初にシバールに落ちて奴隷にされた頃、全然良い思い出の無い日本でも、奴隷よりはマシだと思って帰りたかったものだ。――まあ、記憶の大半はなかったけども。
それにしても、あっさりと古代竜を倒した俺の肉体さん。なんだってあんなのに毎日追われているんだろう?
ていうか、どうやって爆発させたんだ? あんな魔法は見た事が無いし。
「で、話の続きは? お前の言い訳を聞いてやる。それから、泣きそうな顔になるな。気持ち悪い」
俺はソックリさんが恐ろしかったので、素直に言いなりになった。
でも、同じ顔をしている人に気持ち悪いって言われると、少しくるものがあるな。
「あ、ああ。いや、その……転移したらいきなり大軍に囲まれてて……その後、気が付いたら牢に入れられて、奴隷になって」
「はぁ? お前――上位妖精と同等の力を持っている事に気が付かなかったのか? どうして最強種に等しい力を持ちながら、奴隷に身を落とす事が出来たんだ? 逆に不思議だぞ」
無表情のまま激怒するソックリさんは、胸倉を掴んで俺を揺する。とても恐い。
俺が現界でこの恐さを体現する事が出来たなら、きっと舐められることもなかっただろう。
「で、サーリフってテュルク人に買われて。でも、市場でスマホは見つけたんだよ! そうしたらサーリフが横暴でさぁ!」
頭をガクガク揺さぶられながらも、さらに言葉を続けた俺。もちろん、目は泳いでいると思う。
「だからって、素直に奴隷になるなよ」
「だ、だってさぁ! サーリフ、恐かったんだよ! それでスマホも、なんだこれは? って感じでさぁっ!」
俺の言葉を聞いてソックリさんは諦めたように、顔を掌で覆った。
「……つまりスマホは、取り上げられたんだな……」
ソックリさんは、明らかに意気消沈している。
だが、わかって欲しい。俺だって、取り上げられたくて取り上げられたんじゃないということを。
「まあさ、どうせもう電池も切れてるよ」
「電池が切れたって、魔法を工夫すれば何とかなるだろうに……」
呆れた様にため息を吐いた俺と同じ顔の男は、眉間に指を当てて途方に暮れた。
そして意を決したように頷くと、中空に本を浮かび上がらせる。
「”全ての知識”に接続する。――”全ての知識”、説明しろ。現界における久織悠聖の幽体、その行動の軌跡を」
本は褐色の背表紙に黄金色の表題が綴られていて、”世界の記録”と読めた。本は俺のそっくりさんの指示に従うかの様に自動でページを捲ってゆくと、ある場所で止まり、淡い燐光を放つ。
「――ほう? なるほど、そういう状況だったのか。まったく、記憶も朧気なのに王にまで上り詰めるとは、いい度胸というか、なんというか」
「な、なんなんだ、その本は? なんでも調べられるのか? だったら最初から――!」
「なんでも、か? そう容易いものでもないがな。――まあいい、一から説明するのも面倒だ。さっさと一つに戻ろう」
「いや、説明してくれ! 何がなんだかわからん! アンタが俺だとして、なんであんな危なそうな生物に追われてんだ! それにその本! おかしいだろ! スマホより高性能っぽかったぞ!」
「やかましい。そういったものを一切合切忘れたのがお前だ!」
ぶん殴られた。
しかし痛くは無い。やはり俺の体は頑健だ。まあ、瀕死らしいけれどな。
「いいか、面倒だから、端的に言う。信じろよ」
「信じるかどうかは――」
「お前にはもう時間が無い。このままなら、一時間も掛からず本当に消滅するぞ――シャムシール!」
俺は物凄く困った表情を浮かべ、首を左右に振る。
今死ぬのは、流石に嫌だった。何しろ心残りが多すぎるし、このままだとファルナーズがきっと自分を責めてしまう。
それにしても、今、そっくりさんは俺の名を言ったな。
俺はシャムシールとは、一切名乗っていない。それなのにこの名を言ったということは、さっきの”世界の記録”に書いてあったんだろうか?
「――俺は、お前だ。信じようと信じまいと、再び一つになれば記憶も戻る。何しろ俺は、お前の記憶なんだからな」
「はぁ?」
確かにそっくりさんが今まで語った内容は、彼が俺を分離して、シバールへ送ったということだ。確かに事実であれば、辻褄は合う。
しかし、俺にはそんな記憶が一ミリグラムもないのだがら、あっさりとは信じられない。
ドッペルゲンガーってやつですか? それ、結局俺の死亡フラグじゃないですか? と考える方がむしろ正論だ。
そう考えて俺が眉を八の字にしたら、今度は脛を蹴られた。少しだけ痛い。邪な俺さんは、善良な俺よりも遥かに横暴だ。
「いいから聞け。
――俺の名前は、久織悠聖。日本で良くわからない光に包まれて、ここに飛ばされたお前自身だ」
「ひさ……おり、ゆうせい? ダサい……シャムシールの方がいい……」
俺は愕然とした。こんな本名は嫌だ。キラキラネームでもいいから、”バサラ”とか、そんな名前を希望したい。それがダメなら、せめて”カタナ”とかで手を打ちたいところだった。
思わず俺の体が、スウーッと世界の中に溶け込んでゆく。
「こ、こんな事で消えかかるな。心が折れたなら謝るから。でも、な、かっこ良さはこの際、どうでもいいだろう? それが事実なんだから」
項垂れる俺に、優しく手を差し伸べる俺氏。きっと絵面は気持ち悪いだろう。
「でも、俺にはまったく思いだせない。家族は? 友達は? どうなっているんだ?」
「――母親はもう、死んでいる。十二年も前にな。父親も、四年前に死んだ」
「おい! 俺、悲惨な境遇じゃないかっ! 友達は! おい! 友達くらい居たよな? だって何人か思い出せるぞっ! ていうか、それ俺、どうやって暮らしていたんだ!?」
「別に悲惨でもない。両親の居ない子供なんて、世界中にはごまんといるだろ? 友達? 友達か。確かにいたが、引っ越して以来、連絡をとらなくなったよ。でも、それも仕方の無いことだろう。別に友達が居ようが居まいが、時は流れるし人生は終わりに向かってゆくだけのことだ」
俺を名乗る久織は、随分と達観しているらしい。彼は口を邪悪に歪めると、さらに言葉を続けた。
「俺は、継母と共に親父の遺産で暮らしていた。俺も継母も、何の能力も無かったからな。――それに親父は無駄に有名だったから。食うには困らなかったんだよ」
なるほど。それで俺は両親に対する感情が希薄だったのかな。
だが、と、俺は首を傾げる。
「それなのに、今でも日本に帰りたいのか? 俺は正直――」
「ふん。俺と一つになれば、そんなことは嫌でもわかる」
俺はようやく確信する事が出来た。
コイツはやっぱり俺なんだ、と。
何故なら、日本に帰るべき理由を、本当のところでは見出せないでいる。
むしろ俺を現界へと送ったのは、日本に帰りたくないからだったのではないだろうか? そう、帰らなくても良い理由を探す為、とか……。
「俺がお前と一つになったら、邪悪になるのか?」
だけど俺は正直なところ、今の俺である事が嫌じゃあない。もしも俺が俺である事を辞めることになるのなら、それは死ぬ事と一緒だろう。
「心配か? 今の俺とお前が再び一つになれば、圧倒的な力を手にする事が出来るんだぞ? 第一、俺は元々あったお前の性格、その一部だ。そして幽体としての本体は間違いなくお前だし、それが心ってヤツだ。だから心配する事は無い。
――ククッ、多少悪知恵は付くかもしれないが、これからも”善良なるシャムシールさま”でいられるだろうよ」
そっくりさんは自分を元々あった性格の一部というが、俺には彼が随分と完成された、別人の性格に見える。
それに、一つになったら圧倒的な力を得るというけれど、俺はこれ以上の力など望んでいない。
「力? どうして? 俺は元々、ただの人間だったんじゃないのか?」
「さあて、な? そろそろ時間がないぞ。諦めろ」
――コイツは俺を助ける気じゃなくて、取り込む気なんじゃないのか? そんな不安が俺の全身を駆け巡り、逃げ出したくなる。そうは言っても、このままではどうせ俺は死ぬのだし、だったら早く一つになった方がいい。
そんな相反する考えが、俺の脳内を激しく駆け巡り、激闘を繰り広げているようだった。
俺が踵を返そうとすると、もう一人の俺がすぐに回りこむ。
「おい、逃げるな。俺としても、お前にこのまま死なれると困るんだ」
「な、なんでだ?」
「幽体の本体を失えば肉体である俺は本当に、屍鬼になっちまう。屍鬼なれば俺は永遠に幻界を彷徨い、ただ無心に何かを殺す日々を送る事になるだろう。たとえこの世界の”全ての知識”へ接続出来ても、それを扱う心を失ったら意味が無いんだよ」
「だ、だけど、俺は俺じゃ無くなることが恐いし、今以上に強い力を持つことも、正直、恐い。人々を虐げる存在に、俺自身がなってしまう恐さっていうのかな……?」
「心配するな。何度も言うが、お前が幽体の本体なんだ。俺は、お前の中では小さな部分なんだよ。ただ、俺は肉体でもあるから記憶が全部あるだけだ。
それに俺の少ない幽体じゃあ、早晩、今までに取り込んだ力を暴走させちまう。となると、無限の力を持った屍鬼の誕生だな。その方が、人々を虐げる結果になると思うぞ」
俺は自分の体を再び見た。
いよいよ透明度は増して、消える寸前といった所だ。もう時間などないだろう。
もう、俺にはコイツの言葉を信じるしか選択肢はないんだ。そう思って、俺は最後になる質問をすることにした。
「一つ聞きたい。どうしてスマホが重要だったんだ」
「ああ、あの中に、俺がお前と同一だって、証明する動画があったんだよ。俺は――お前が記憶を失う事が分かっていたから、だから――」
「わかった。最後にもう一つ。どうして力を分散させる真似をしてまで、俺を現界に送った?」
「ああ、もう、正直に言う。興味本位だった――ここでの俺は、敵しかいない。だから、せめて普通に話せる誰かに会いたかったのかもな。それに、ここから肉体を持ったまま出たら、それは上位種族の”許可無き受肉”と思われる。そうなれば神剣士共に狙われるからな。あの時、それは避けたかったんだ」
俺は頷くと、身体をソックリさんに近づける。今の答えに納得したのだ。
客観的に見たら双子が近づいて、キスするような光景に見えるだろう。それはきっと、とても気持ち悪い光景だろうが、幸い、この有様を見るものは居ない。
俺達は互いに向き合い、一歩ずつ近づき、身体を一つにしてゆく。
恐ろしいほど容易に、俺はソックリさんの身体にめり込んだ。
◆◆
「おい、これでいいのか?」
俺の声に応える者は、もう居なかった。
けれど俺の身体を巡る魔力の渦は激しく、何をするでもないのに身体が宙に浮く。
そして全ての記憶を取り戻した俺は、この身体があらゆる魔法に精通していることに驚愕した。
「ああ、そうか。俺は”世界樹の果実”を……”知識の果実”を食べたんだ。そのせいで上位妖精の長老に断罪されて――守護者である古代竜に狙われて――。
でも、逃げる過程で”暴食の泉”の水を飲んだから、倒した敵の肉片を食べればその能力を得るっていう妙な力を得たんだった。
もっとも、それが罪の上塗りで、幻界の全部を敵に回したんだけど……」
”ボトリ”
上空から、先ほど倒した水竜の破片が降ってきた。
俺はそれを掴み、口に入れてみる。
それは久織悠聖の日常だったから、シャムシールとしても抵抗がなかった。
「美味くはないけど……」
そう思った瞬間、古代竜の記憶と能力が俺の中で顕現した。
こうして竜の力も技も、全てが俺の中に取り込まれると、不思議な高揚感に包まれたのである。
「そりゃあ、強くなる訳だよなぁ、俺」
全てを思い出した俺は、最初の幸運に感謝する。
”知識の果実”を口にしたからこそ、 ”全ての知識”に接続できた。
そして”全ての知識”から禁則呪文――禁呪と呼ばれる古代語魔法さえ上回る飛翔魔法を検索して、何とか使えるようになったのだ。
そのお陰で最初の古代竜から逃亡すると、喉が渇いた俺は泉の水を飲む。
それこそが、”暴食の泉”で――。
ところが古代竜は、さらに俺を追いかけてきた。
結局、逃げ切れなくなった俺は古代竜とその場で対峙する。これを二つ目の禁呪――最大究極の核熱魔法で屠ると、空腹も手伝ってか、俺はその肉を食った。
無論、暴食の泉――その水の効果はすぐに実証される事になる。
丁度良い焼き加減に仕上がっていた事も、食欲を擽った要因だろう。もしもこれが、三つ目に覚える禁呪――氷結の女王であったなら、きっとドラゴンを食していないはずだ。
こうして俺は古代竜の膨大な魔力を得る事により、”人間”という枠から大きく外れてゆく事になる。
いつしか肥大した俺の幽体は上位種族と同等になり、それで肉体と分割する事を思いついたのだった。
ただ、そんな俺を断罪した上位妖精の長老達を半殺しにした挙句、守護者だった古代竜、最後の一匹を今しがた喰らった事については、絶対に秘匿しようと決意した。
やはり久織悠聖は俺が考えていたよりも、遥かに邪悪な存在だったらしい。
「全ての知識、答えてくれ。肉体を持ったまま幻界を抜け出す方法は?」
俺は早速、”全ての知識”へと接続すると、この空間から抜け出す方法を聞く。
別に”大陸の記録”を本として呼び出さずとも、”全ての知識”から対話形式で情報を引き出す事も可能だった。だが、本化した方が豊富な記録を当たれる様で、便利になるらしい。これが”知識の果実”を口にした者の得る能力だった。
「解答。ありません」
……おい。
いきなり八方塞がりか? そう思われた瞬間、淡く輝く本が現われて、ページがパラパラと捲られてゆく。
「ただし、現在管理者が不在となっているモルタブ大森林一体の磁場干渉が希薄になっていますので、マスターが保有する魔力をもってすれば、現界への扉を開く事も可能でしょう。
ですがこの場合、時間軸に対する定位が確保出来ない為、因果の理に基づいた過去へと放出される可能性が高いかと。
さらに問題点があります。マスターがここから現界へと抜けた場合、違法受肉と見做され、神剣士の討伐対象となり得ます」
「俺が神剣士に破れる可能性は?」
「皆無です。ですが、迎撃すればそれは天界、及び神界との敵対行為となり、現界の存続を危うくするでしょう」
「対策は、あるか?」
「モルタブから現界に至る過程で、禁則呪文三十ニ章第五節を詠唱の後、実行なされば肉体を仮初の幽体へ変質させる事が可能です」
「わかった、そうする」
俺が肉体を持ったまま幻界を抜け出すことは、どうやら脱走に等しい行為らしい。
とりあえず、無難な方法で現界へ戻れる可能性はあるようでホッとしたが、成功しても過去に出てしまうというのだから困りものだ。
過去に行ってしまってはあまり意味がないけれど、未来に飛ばされるよりはいいだろう。
何より過去に行けば、あの長命なネフェルカーラのこと。きっとどこかにいるはずだし、居れば相談に乗ってもらう事も出来る。
ちなみに、時間を超越する魔法があるのか”全ての知識”で調べると、こんな答えが返ってきた。
「ジャンヌ・ド・ヴァンドームによる時空断裂魔法を確認。しかし法則、呪文、影響力など、現在の所、未知の領域です」
つまるところ過去の資料は膨大でも、ジャンヌの様な異端の魔術師が開発した魔法には疎いってことか。
禁則呪文を使えるようになったのは便利だけど、決してこれも万能ではないということだ。頼りすぎると、足元をすくわれるかもしれない。精々が、ウィキの上位互換と考えておこう。
それにしても、最初から肉体と幽体を分離なんかせずに、とっとと過去でも何処でも飛んでいたら、こんな苦労はしなかっただろうに。
俺は悠聖であった自分の選択を、後悔していた。
下手に幻界にいる自分を大切にしたが為に、幽体が妙なしがらみをつくったのだ。結果、このカフカス大陸においてシャムシールが帰らなければならない時と場所が生まれたのだから、話がややこしくなる。
なにしろ今の俺が最大限の力を発揮すれば、現界の支配者だって夢ではないはずなのだ。だったら、いつの時代を生きようが、そう大差なんてなかったのに。
俺は一度だけ頭を振ると、今の考えを捨てる。
シャムシールだけなら、こんな考えにはならないな――そう思い、ともかくもあの時代へ帰る為、俺はモルタヴ大森林を目指した。
「天空を駆ける白き翼、我が身に宿り顕現せん。風よ空よ我を称えよ。厳かな刻は跪き、輝く道をいざ譲らん――機動飛翔」
俺の背中に六対、十二枚の翼が顕現する。
しかしこれは決して生えた訳ではない。これが禁呪、そして本来の機動飛翔だった。そして禁呪としての機動飛翔は、翼の枚数に比例して、速度を増してゆく。
つまり俺は、世界最速で飛ぶ事が出来る存在となっていたのだった。
でも翼、多すぎるんだけど。
◆◆◆
「ゴメン、アーノルド。俺、お前より速くなっちゃった」
俺の呟きは、誰にも聞こえない。
こうして俺はすぐにも、モルダヴ大森林の出口に着地した。さらに神剣士とやらを警戒して、禁呪の結界を発動させつつ森を彷徨う。
すると金色の色彩は消えて、代わりに鮮やかな陽光に照らされた小川が見える。せせらぎの音は耳に心地よく、俺は久々に生を実感するのだった。
それでも数日、森の中を彷徨って見るもまったく誰とも出会わない。
やはり人里に出なければならないか? と思ったところで、俺はある考えを思いつく。
(今の俺は大魔術師と言っても過言ではない、たぶん。という事は、同じく大魔術師であるネフェルカーラの魔力を探れるのではないか?)
”全ての知識”に接続して今の時代も分かっていたし、場所も分かる。
ついでに言えば、同じ個体が同一時代に二つと存在し得ない法則も聞いた。
今は、俺がシャムシールとして暮らした時代よりも遥かな昔だ。しかし――ネフェルカーラの年齢から考えて、彼女は既に生まれている。
だとすればネフェルカーラを探し、俺が元の時代に戻る為の協力をしてくれるよう頼むのが、きっと正解なのだ。
もちろんこの時代には、ジャンヌもいる。
だけどジャンヌを頼っても、
「結局キミは未来で僕の敵になるんでしょう! だったら今死ねよっ! ぺっぺっ!」
とか言われそうなので、それはやめておこうと思うのだ。
第一、ジャンヌのいる場所には熾天使が三人もいるらしく、とても恐い。戦闘シミュレーションをやってみたら、俺は彼らに三回に一回程度しか勝てないのだから、会いたくないのだ。
まあ、一対一なら負けないけども。
こうして俺は、ネフェルカーラの魔力を探った。
そうしたら、なんと見つけたのだ。
そういえば、ネフェルカーラが前に言っていた事がある。
「おれは昔、フローレンスの辺境――メンヒ村という所に住んでおってな。そこは妖精共の聖地と言われるモルダヴ大森林にも近く、不本意ながら、アエリノールと共に暮らしていた事もあるのだ」
この言葉が事実だとするならば、俺はこの時代でも、大変に強力な味方を得るだろう。ネフェルカーラだけじゃなく、アエリノールまでいてくれたら本当に助かる。
そんな事を考えて、俺は意気揚々とネフェルカーラの魔力を辿り、森の中を進んだ。
すると、切り株に腰掛けて分厚い本を読む女性の姿が目に入る。
その女性は黒髪で、白磁の様な肌を持ち、口元に恐ろしげな微笑を湛えていた。
ああ、ああ、やっと見つけた。そう口走りそうになるほど、俺は心底安堵しつつ、彼女に声を掛ける。
「ネフェルカーラッ!」
思わず駆け出した俺は、その時、何かに躓いて転びそうになる。
「なに? わたしを呼んだか?」
振り向くと、小さな小さな身体の、緑色の目をした黒髪の幼女が、しゃがみこんで棒を持っている。どうやら、彼女が俺の脚を引っ掛けたらしい。
怒ろうかと思った俺は、口を三日月形にして笑うその幼女が無邪気と言うより邪気の塊に見えて恐かった。なので作り笑いを浮かべてこう言った。
「だ、ダメだよぉ。人の足を棒なんかで引っ掛けちゃあ」
「む? だって、わたしを呼んだクセに、かあさまに向かって走り出すから!」
幼女は腰に手を当て、唇を尖らせていた。
その姿は黒髪で緑眼。服装こそ質素な麻の貫頭衣だし、身長もネフェルカーラのニ分の一程度だが――。
「ネ、ネフェルカーラ?」
「そうだ、わたしがネフェルカーラだ。そも、きさまは何者だ? 名を名乗らぬか、ぶれいものめっ! 雷撃!」
いきなり雷撃を放つ幼女など、ネフェルカーラ以外の誰がいるだろう。
とはいえ、確かに先に名を名乗らず、ネフェルカーラと呼んだのは失礼だったかもしれない。
そもそも、ここは過去なのだ。ネフェルカーラにだって、子供の頃位はあっても不思議ではないのだ。
俺は焦げた頭を掻きながら、小さなネフェルカーラに自己紹介をした。
「俺は――シャム――いや――久織悠聖。はじめまして」
ここは過去だ。もしもここでネフェルカーラとシャムシールが出会っていたなんて事になったら? それでは未来の整合性がとれなくなると考えて、俺は急遽、本名を名乗る事にした。
もっと前からそんなことは考えておけば良かったが、俺は元来が迂闊なのだ。仕方が無い。
「うむ、はじめました! わたしはネフェルカーラ! このみりょくにひれふせいっ!」
はぁ――小さくても、ネフェルカーラはネフェルカーラなのか。大体、はじめました! ってなんだよ。お前は冷やし中華かよ。
俺は途方に暮れつつ、先ほどまで本を読んでいた女性を見た。すると彼女は面白そうに俺へ近づくと、軽やかに笑う。
「おぬし――私と娘を見間違えたのであろう? おかしな事も、あるものだな。だが――それが”神隠しの森”を抜けてきた者の発言なれば、些か興味を惹こうというものだて……ふふ、ふはは」
俺が見間違えたのは、どうやらネフェルカーラのお母さんだったようだ。
彼女の衣服は漆黒で、透き通る様な肌はまさに俺の知っているネフェルカーラと同じ。だけど彼女の瞳は黄金の輝きを放ち、それが怪しく揺蕩うのだった。




