アズラク城の攻防 7
◆
ウィルフレッドが駆る巨竜、ランドマスターから放たれた炎がシャムシールを目指して一直線に迫る。
悠然としたファルナーズはシャムシールの体を地面に横たえ、全身に怒気を漲らせた。
「シャムシールの死を、侮辱するなっ!」
ファルナーズは目前に迫る炎を鬱陶しげ眺めると、再び剣を手にとった。焔に似た赤い瞳に凛とした気迫を宿らせ、彼女は上段に構える。そして魔剣を縦に振うと、ランドマスターの炎を左右に割った。
「ぎゃああ! 火葬にされるぅ!」
ちょうど割れた先でパヤーニーに炎が当たり、彼は盛大に燃えてゆく。
ザーラは、
「もう、あんな奴、燃え尽きてしまえばいいのに」
と、願ったが、想いも虚しくパヤーニーは自らの目から大量の水を噴出して、あっさりと鎮火させていた。
「目から溢れよ! 水の花!」
だが、パヤーニーには予想も出来ない不幸が訪れる。
なんと、水を目から大量に出したせいで、眼球を二つとも落としてしまったのだ。
「余の、目、目、目? どこ?」
折り悪くファルナーズの行動を敵対行為と判断したアリスが、上空の竜から飛び降りて着地する。
――グシャリ。
パヤーニーの目はアリスの足で二つとも踏まれ、潰れてしまう。
元は見事なブルーアイズだったのであろうが、今では濁ったガラス玉以下の眼球など、一ディナールの価値も無い。
違和感を覚えたアリスは、足をどけるとパヤーニーの眼球を軽く蹴飛ばした。
「マスター、コレは?」
「おや? 妙なモノを踏んでしまったようだね。念のために消しておいてくれるかな、アリス」
「了解、マスター」
苦笑を浮かべるウィルフレッドに返事をするのは、無慈悲なアリス。彼女はパヤーニーの眼球に掌を翳すと、軽く衝撃波を放つ。
――パヤーニーの眼球は、こうして塵となった。
「お、お、おお……許さん、許さんぞおおおお!」
これに怒りを爆発させたパヤーニー。
イケメンが美女に命令をしているだけでも気に入らないのに、あまつさえ自分の眼球を”妙なモノ”扱いしたウィルフレッド。
これはもう、ミイラ界の超絶美男子の名にかけて、断固パヤーニーはウィルフレッドを討ち滅ぼすべきだと考えた。
もちろん、アリスは許す。何故なら可愛いは正義だからだ。アリスはパヤーニーにとって、そこはかとなく可愛かった。いっそ、眼球を踏まれて嬉しかったほどだ。
こうしてパヤーニーは対ウィルフレッド戦の先陣を切る。
とはいえ、シャムシールをミイラ化しようと考えていたパヤーニーが、真っ先に参戦した意味合いは大きい。これで、シャムシールは死体を無駄に損壊されなくて済むのである。
この展開に胸を撫で下ろした者は一人ファルナーズだけなのだから、シャムシールの配下や妻たちは、本当にろくでなしだった。
パヤーニーは上空のウィルフレッドに突進してゆく。
「許さぬぞ。余を火炙りにしたこと、後悔させてくれるっ!」
炎は本当に熱かったし、久しぶりに死ぬかと思ったパヤーニー(もう死んでいるが)。彼はとにかく、ウィルフレッドの容姿が気に入らなかった。何故ならパヤーニーも金髪である事は変わらないので、
「余とキャラが被っているな、アイツ」
と、ウィルフレッドに関して最初から、そう思っていたのである。
もちろんそんな事はパヤーニーの思い込みで、何一つ被っている部分などない。何しろ相手は正真正銘の美貌なのだ。パヤーニーのようなミイラとは、出来が違う。
しかし逆恨みを激情に乗せて、もう止まらないパヤーニーは両手足を分離すると、オールレンジ攻撃をウィルフレッドに放つ。
だが――ウィルフレッドの動作はパヤーニーの予測よりも遥かに早く、そして目がないパヤーニーは敵を見る事が出来なかった。
「ぬう? 全てかわされた? いや、弾かれたかっ! だが、たかが主眼をやられた程度で……っ!」
パヤーニーは腹から眼を一つだけ取り出すと、間違えて鼻にはめ込んでしまった。
ウィルフレッドが反撃をしてきたので、高速機動で避けつつ、慌てて眼をはめ込もうとしたパヤーニーの失敗である。
だが幸いにして、パヤーニーの鼻の穴は一つなのだ。ならば、一つの眼球を嵌めるのになんら支障はない。支障は無いが、見た目的には少しおかしな状態となる。所謂、モノアイになってしまったのだ。
「ちいっ、速いっ!」
パヤーニーはたった一つの眼を上下左右に激しく動かしながら、ウィルフレッドの動きに対応する。しかし近づく事も逃げ出す事も出来ず、パヤーニーはウィルフレッドの槍を受け続けていた。
そこへジャンヌも参戦する。
「ウィルフレッド! クレアも世界も、キミの好きにはさせないっ!」
漆黒のカチューシャを装備したジャンヌに容赦はない。彼女は複数の魔方陣を同時に展開し、火、水、風、土と、四大属性の全てを網羅する難解な魔法を起動した。
するとジャンヌの左右には黄金色の大砲と思しき物体が二つ現われて、ウィルフレッドに狙いを定める。
「別に私がクレアを好きにしている訳ではありませんよ。ただ、彼女の目的が私の目的と合致していただけで……いずれ相容れない部分が表面化するとしても、ね。
それにしても、魔導砲メタトロン――とは。そんなものをここで放つなど、街の住人を皆殺しにでもするつもりですか? ジャンヌさま」
パヤーニーの攻撃を裁きながら、ウィルフレッドは微笑を浮かべていた。
「キミ達じゃあるまいし、虐殺なんてしないさ! 大体、どうして侵略戦争なんかを始めたんだ! クレアは……今は狂気に侵されているだけなのに、それに付け込んでっ!」
「我等が征服してやらねば、世界の戦が収まりません。ある場所の戦が収まれば、また別の場所で――というように、繰り返し繰り返し、ね。これでは余りに人は、いや、生命が悲しすぎるじゃありませんか。
ですが幸いにして今の我等には、プロンデルという切り札がある。彼は圧倒的なまでに強い。そう、それこそ、神にも匹敵するほどに。
――だから、彼ならば、世界を一つに纏めることが出来ると私は信じている。
相対的に見れば結局のところ収まる事なき戦があり続ける世界よりも、一時の犠牲を甘受しても、プロンデルによる統一の方が、被害も少ないのですから」
「それが罪なき妖精や魔族を虐殺する理由になるかい!?」
「治安の維持は国家の務めなれば。戦が終われば、妖精等は特定区域に自治権を認めるつもりです」
「そんな詭弁! そもそもクレアは是としないはずだよっ!」
「その頃には彼女を懐柔できる自信が、私にはありますがね。ですからジャンヌさまも安心して我等と共に……」
「……嫌だ! そもそも一極支配を望むなんて、かつての魔王と一緒じゃないかっ! 結局、そんなものは人々の反発を呼ぶだけだっ!」
ジャンヌはウィルフレッドの言葉に、どこか虚しさを覚えた。実現し得ない理想論を、ウィルフレッドが振り回しているように聞こえたのだ。
征服する側の正義は、確かにその通りであろう。だが、征服される側にも等しく正義があるのだ。
ジャンヌはかつて征服される側の民として、魔族と戦ったことがある。その時、いずれは自治区を与えると云われ、降伏を迫られたらどうだったであろう? 「はい、そうですか」とは、決してならなかったはずだ。
ましてやプロンデルは武類の戦好き。そんな男が世界を征服して、その後一体何とするのか。ジャンヌには甚だ疑問だった。
(これならば、誰かの為に自分を犠牲にしてしまうような――シャムシールの方がよっぽどマシだ!)
弟子たちと世界の行く末を天秤に掛けたジャンヌは今、帝国の野望を阻止する決意を固めると、全身を巡る膨大な魔力を、巨砲へと注いでゆく。
眩いばかりに輝く砲口は、優にジャンヌの身長を越えている。左右へ展開したメタトロンにジャンヌが軽く手を添えると、”ヴォォン”といった起動音が聞こえた。
この隙に、そそくさと距離をとったパヤーニー。
「ジャンヌめっ、余ごと消す気かっ。ウィルフレッド、舐めやがって……! 余は、不死の王なるぞぉ!」
ウィルフレッドとジャンヌに聞こえないよう呪詛を口にするパヤーニーは、どこまでも情けない不死王だ。
だがその半瞬の後――褐色の竜はジャンヌの眼前にいるというのに、側面からウィルフレッドの声が聞こえた。
「ジャンヌさまも私の考えならばご賛同下さると思ったのだが……まあいいでしょう――唸れっ! 神槍ブリュンヒルドッ!」
裂帛の気合を込めたウィルフレッドの槍が閃き、巨大な砲身を霧散させる。
「なっ!」
光の粒子と化した右の巨砲にジャンヌが目をやったとき、既にウィルフレッドは左の砲身を砕いていた。
「当たらなければメタトロンと云えども、どうということはない――ジャンヌさま、覚悟っ!」
神槍ブリュンヒルドが閃いた瞬間、火花を散らして金属音が鳴り響く。
魔剣を手にしたネフェルカーラが、ジャンヌとウィルフレッドの間に割り込んだ。
「ほう、その剣も……なかなか。……名は?」
ネフェルカーラの優速と伍するウィルフレッドは、間違いなく”機動飛翔”を使っているのだろう。彼は空中でマントを靡かせつつ、淡い輝きを放っている魔剣とネフェルカーラ自身に興味を示す。
頭をニ、三度掻きながら、シャムシールをチラリと眼の端に入れて、僅かばかりの焦りを見せたネフェルカーラ。時間が無いというのに、彼女の脳裏にはカッコイイと思える名前が次から次へと浮かんでくる。
(ルシフェル、レーヴァデイン……ううむ。ネフェルカーラ……それはおれだし……)
やはり中ニ病の彼女は、武器にカッコイイ名前を付ける事が好きなのだ。
(神槍ブリュンヒルド……良い響きの名だ。これに対抗するとなると……ううん……シャムシール……って、そのまんまではないか!)
しかし、好きだからと言って、必ずしもカッコイイ名前を付けられるかといえば、そんな事は無い。途中で考える事を投げ出したネフェルカーラは、もうそのまま、元の持ち主の名前から取ることにした。
「魔剣サーリフ・エルミナーズ、だ」
(……そもそもこの剣はエルミナーズのもの。それを形見としてサーリフが使っていたのだから、この名前でいいだろう。おれがいいと思ったのだ。いいに決まっている)
「そうではなく、貴女の名前ですが……」
「……む?」
後に伝説となる魔剣に適当な命名をしたネフェルカーラは、なんと敵将の意図を間違えていた。
別にウィルフレッドは魔剣の名を聞いたわけではなく、普通に剣を褒め、ネフェルカーラに名を聞いただけだった。
少し気恥ずかしいネフェルカーラは、気が動転した結果、
「……おれはネフェルカーラ。貴様に名乗る名などないっ!」
こんな事を言って、恥の上塗りをしていた。これではもう、アエリノールと同じレベルだ。
もちろん既にシャムシールの身体が半透明となり消えかかっている事で、この時のネフェルカーラはまったく冷静さを欠いていた。だからこそ、自分が何を言っているのかわからないネフェルカーラではあったのだが。
「……貴女がネフェルカーラ……強い訳だ」
「なぜ、おれの名を……!」
「いや、だから今……まあ、いいでしょう」
苦笑を浮かべたウィルフレッドは、少しだけ頬が引き攣った。というより、ツッコミを入れようかと思ったが、そんな事をして一体何になる? と自重したのだ。
ウィルフレッドはネフェルカーラよりも遥かに若いが、確実に大人だった。そして槍を高速で振うと、ネフェルカーラを徐々に後退させてゆく。
ネフェルカーラは決して剣が得意な訳ではない。それでもこうして戦えるのは、生まれもって彼女に備わった、類稀な戦闘センスの故である。何しろネフェルカーラは剣も魔法も、訓練などした事が無い。
「獅子が強いのは何ゆえか? 獅子であるからよ。つまりおれも、おれであるから強いのだ」
こんな事が口癖だったネフェルカーラだが、今だけは少し後悔していた。
普段の運動不足を痛感するネフェルカーラは、思うように剣を回転させる事が出来ないのだ。
「むう、もっと速く。こう……ええい! 思うように剣が振れぬ!」
ウィルフレッドの攻撃が見えているのに対応しきれないネフェルカーラは、苦虫を三十匹も同時に噛み潰した気分である。
ジャンヌもそんなネフェルカーラの状況を察して、ウィルフレッドの背後から、光剣を持って迫る。それと同時に、蝶の短剣の上位互換魔法である千の剣を展開していた。
「ネフェルカーラちゃんっ!」
ジャンヌはネフェルカーラに合図を送る。
瞬間、ネフェルカーラは一気に上昇し、ウィルフレッドに火球をたたき付けた。
爆炎に包まれたウィルフレッドに、ジャンヌの魔法――千本の剣が突き刺さってゆく。そこへパヤーニーの手足から放たれた、合計で二十本に及ぶ破壊光線も降り注いだ。
「ふっ。余にはまだ、遠く及ばぬな……ウィルフレッドとやら。まあ、余はなにせ不死王だからな。宰相如きでは話にならぬな。はっはー」
適当な事をいうパヤーニーは、ウィルフレッドに手も足も出なかった。なので話にならないのはパヤーニー自身だ。そもそも彼はネフェルカーラとジャンヌに便乗して攻撃をしただけなのに、一番偉そうに胸を反らしている。
ウィルフレッドを覆っていた爆炎が収まると、煙の中から現われたのは、刃先を逆に向けた千本の剣だった。それから二十に及ぶ怪光線が放たれ、爆風が辺りを覆う。
「反撃魔法!」
魔力の集積地であるウィルフレッドがいる空間は、ある種異様な雰囲気を醸し出していた。
ネフェルカーラやジャンヌでさえ聞くことも珍しい魔法を使うウィルフレッドは、僅かばかりの傷さえ負っていない。
それどころか先ほど彼女達が加えた攻撃エネルギーを全て弾き返したウィルフレッドは、瞼を閉じて長く息を吐き出していた。
中庭の壁面や地面に魔力で出来た剣が突き刺さり、爆風が奴隷騎士達を襲う。しかし真紅の怪光線は、何故かパヤーニーだけを狙って全てが彼の腹部に収束していった。
一応、中庭にいる奴隷騎士達を結界によって守っていたカイユームは、あまりにも激しい魔力の衝撃に顔を顰めている。
何しろ弾き返されたのはネフェルカーラとジャンヌの攻撃である。そこから皆を守らねばならないのだから、膨大な魔力を消費するのだった。
大切なことなのでもう一度云うが、パヤーニの攻撃は全てパヤーニーに返っている。故に、これがカイユームの手を煩わせる事は、決してない。
「ぷぎゃあああ! お腹が痛いぃぃ!」
だが、それよりもネフェルカーラには衝撃的な事があった。
こうしている間にもシャムシールの身体はどんどん消えてゆく。黒い鎧を残して透明度を増すシャムシールに、ネフェルカーラは涙を堪えられなくなっていた。
いや、今、僅かに目を離した隙に、シャムシールの姿が完全に消えていた。だからネフェルカーラには、もう戦う理由が無くなってしまったのだ。
「もう、もういい。おれは……もう。シャムシールを失ったのなら……」
「ネフェルカーラちゃん! 何を言ってるんだよ! 確かにシャムシールは死んだよっ! でも、だからってシャムシールはネフェルカーラちゃんが絶望する姿なんか、見たくないはずだよっ!」
止めどない涙を流す緑眼の魔術師に、ジャンヌは言い知れぬ不安を覚えた。
ここでウィルフレッドをまがりなりにも抑える事が出来ているのは、ネフェルカーラと共に戦っているからだ。
しかもジャンヌは今、”刻”を止めた。にも拘らず、自身とカイユームの他にもウィルフレッド、ネフェルカーラ、パヤーニーが活動を続けている。
ジャンヌは自身が世界の強者、その一角であると自他共に認める存在だ。その自分をして、一対一ではウィルフレッドに勝ち得ないのだから、もしもネフェルカーラが気力を無くし、ここで死ぬようなことがあれば、世界でウィルフレッドに勝ちうる人物など皆無となるだろう。
カイユームも強いが、防御はともかく攻撃力に劣るし、噂に聞くアエリノールは強くとも、相当な馬鹿らしい。となれば必然、世界はフローレンスの手に落ちるのだ。
停止世界の中で動けるミイラは貴重だが、あれは動いているだけなので、ジャンヌは戦力に換算しなかった。
(カイユームとネフェルカーラちゃんの命は、何としても守らないと世界が……僕だって、ここで負けたら再生までに時間がかかるし……ミイラは……放っとこう)
しかしパヤーニーは紛れもなく世界に冠たる力量を持つミイラだった。ただ残念な事に力の使い方を基本的に間違えているので、妙な物しか栽培していないだけだ。
「ネフェルカーラちゃんっ! しっかりっ!」
ウィルフレッドを警戒しつつ、ネフェルカーラの両肩を掴んで揺らすジャンヌは必死だった。
「ならばジャンヌ。――刻を止めてくれ。少しでも可能性を……シャムシールがこの場に留まる可能性を……」
ネフェルカーラは虚ろな目をジャンヌに向け、縋るように言う。
儚げな美しささえ漂う今のネフェルカーラに、思わずウィルフレッドまでもが見惚れた。
「……実は今、止めたんだよね。でも、ウィルフレッドは動くし……地味に、そこのミイラくんも動いているし……あ、ネフェルカーラちゃんも、ね、ほら?」
「ふむ……確かに一瞬、身体が重くなったような……戦闘用に展開した多重結界で、貴様の魔法干渉を防げた、ということか? だから、なんだというのだ……それでもシャムシールは……」
力なく項垂れていたネフェルカーラだが、自分が口にした”刻”――という言葉が引き金になって、彼女はふと、母が死ぬ間際に言った言葉を思い出していた。
シャムシールを失おうかという瀬戸際、ネフェルカーラは他でもない、最も信頼する死者との思い出に縋る。
(遥かな昔のことではあるが……かあさまは、一体、何と言ったか?)
ネフェルカーラは遠い記憶を辿り、母の言葉を再現した。
「――ネフェルカーラ。お前にも将来、とても大切な人が出来るのだ。けれどその人は、ある日、敵の凶刃に倒れて”刻”の渦に飲み込まれてしまうであろう。
――だが案ずるな。彼の帰還を信じ、強く願うのだ。さすれば”刻”の渦は再び生まれ、彼とまた、めぐり合う事も叶うであろう――ふふ、ふはは。
彼は――なかなか、いい男だったのう。お前がいずれ惚れるのも、わかるというもの。いや、既に惚れておるのか? それが因果であるのならば――。
――では、母には寿命が訪れたようだ。そろそろ死ぬゆえ、達者で暮らせよ、ネフェルカーラ。我が愛しき娘よ」
「か、かあさま――その者はわたしの夫になるのか? 名は? ユウセイか? ユウセイなのか?」
「むう、母が死ぬるというに、心配事はそこか? ネフェルカーラよ」
「わ、わたしはユウセイの妻になると約束したのだ。だから――」
「ふ、ふはは。それは自分で確かめよ――だが、全ては因果の理によ……る……」
ネフェルカーラの母は、微笑を浮かべて事切れた。結局、名前は教えてくれなかったが、ユウセイの名を口にした時、妙に愉快そうだった母。
(ユウセイ、か。このような時に、幼き恋を思い出すなど……)
ネフェルカーラは幼き頃より、恋だけは多かった。
だが、たった一つを除いて、他は全てが記憶から抜け落ちている。何故ならば他の全ては、ネフェルカーラの妄想だったからだ。
つまりネフェルカーラが本当に恋焦がれたのは、シャムシールともう一人、ユウセイという男だけだった。
その恋が始まったのはネフェルカーラに物心がつき、ようやく魔法を覚え始めたその頃の出来事である。
そしてネフェルカーラが幼いままに、あっさりと終わりを告げた恋でもあったのだ。
ネフェルカーラの記憶の中にある男――ユウセイは、黒髪で長身、素手で大木を折るほどに強靭な肉体を持っていたが、何故かネフェルカーラが近寄ると逃げ出すという妙な性質もあった。
それでも彼が剣の稽古をしている時に食料などを差し入れると、大きな手で頭を撫でてくれた事を思い出したネフェルカーラは、ふと左手で自身の髪を撫でる。
(ふむ。おれの好みは膂力が強く、黒髪で少しばかり気弱な男、ということなのか? ――ではなくっ!)
一瞬だけ懐かしさに胸が熱くなるが、今はそれどころではないとネフェルカーラは頭を振った。
(まて? 敵の凶刃に倒れ――この部分は、まさにシャムシールだ。だが、刻の渦――?)
ネフェルカーラは猛然と思考を巡らし、母の意図、その真相を探す。
彼女の前方では、ジャンヌが刻を止めたままウィルフレッドと対峙している。
パヤーニーは刻の流れないこの世界で、ゆらゆらと漂いながら怒っていた。
「な、何もできん! ふぐぐぐっ! 何たる屈辱!」
ネフェルカーラが眼下に目をやると、動きを止めたアリスと彼女を囲んだままで止まるファルナーズ、シェヘラザード、ジャムカ、サクル、ザーラ、マーキュリーが見える。
アリスの強さも大概なようで、六人掛かりでようやく互角という有様だ。
カイユームだけはジャンヌの力を無効化している様だが、同時に彼女の様子はおかしかった。
カイユームがよろよろと、シャムシールの下に歩んでいる。
いや、正確に言えば、シャムシールの鎧の下に、だった。
(考えてみればシャムシールが完全に消滅するには、少し早すぎるのではないか?)
ネフェルカーラは涙を拭うと、周囲をつぶさに観察した。
確かにシャムシールは消えている。だが本来、上位種族が消滅までに掛かる時間は、もっと長いはず。少なくとも半日から一日程度はもつ。大体、そうでなければ復活の儀式など出来ないではないか。
だとすれば――。
ネフェルカーラは母の言葉を反芻した。そして微細な魔力の跡を辿ってゆく。
(シャムシールの魔力は、幻界に入った?)
ネフェルカーラはシャムシールの小さな小さな痕跡を見つけた。
その魔力は、まさに残滓。それを辿ると、どうやら幻界に行き着くようである。しかし、この状況で幻界に行くなど、ありえる事ではなかった。だからこそ、ネフェルカーラは母の言葉に希望を見出したのである。
(刻の渦に飲み込まれてしまう――か。
幻界へ追っても良いが、その間にシャムシールが消滅しては意味が無い。かあさまは、”彼を信じろ”と言っていたな。
ならば、シャムシールは必ずおれの下に戻ってくるということ。熾天使であった母の予言だ、ここは信じてみよう)
意を決してしまえば、ネフェルカーラに躊躇いはない。
シャムシールの帰還に備えた方策を瞬時に脳内で組み立てたネフェルカーラは、まず最初にジャンヌを糾弾した。
これもネフェルカーラの策だった。
「おい、ジャンヌ! シャムシールが消えたのは、お前のせいではないかっ!」
「え? えっ!? えええええっ!?」
突然の責任転嫁に目を見開くジャンヌは、一体何の事だかさっぱり分からない。
だが、シャムシールの身体が消え去った事を見れば、もう、彼の復活は諦めるしかないとジャンヌは結論付けた。
(ネフェルカーラちゃん……シャムシールの死を誰かのせいにしたいって気持ち、分からなくはないけれど。というか、確かに僕にも責任の一端、いや、かなりの割合で責任があるけれども……今言うことっ?)
ジャンヌはネフェルカーラに同情の眼差しを向ける。
しかしネフェルカーラの瞳には、新たな希望が宿っていた。
(いや、ネフェルカーラちゃんは、シャムシールが消えた、っていった……てことは!)
「ええい! よくわからないけど、シャムシールも死んだし、ウィルフレッドも、ネフェルカーラちゃんも死ねぇ!」
何となくネフェルカーラの意図を理解したジャンヌは、再びメタトロンを展開する。
(ええと、シャムシールが死んだとウィルフレッドに信じ込ませて、僕とネフェルカーラちゃんが仲違いしたと思わせればいいんだよね……?)
ネフェルカーラと意思の疎通に自信が持てないジャンヌは、とりあえずシャムシールの冑を被る。
シャムシールの匂いが程よく鼻腔を擽って、ちょっとだけ幸せだったジャンヌは、すぐネフェルカーラに怒られた。
”クンクン”
「シャムシールの匂いだぁ。僕、やっぱり彼、好きかもぉ」
「貴様っ! 匂いを嗅ぐなっ! そのまま無差別に攻撃するフリをしろ!」
冑の中で響いたネフェルカーラの怒声に、ハッとしたジャンヌは頷いた。
こうしてジャンヌは自身の考えが正解だった事にホッとしたが、とはいえメタトロンを展開した以上、攻撃のフリだけなど不可能だ。出来れば”ぶちかます”前に止めて欲しい。
何しろ”刻”を止めた状態でメタトロンを放てば、多分、暴発するのだ。
「いっくよぉー!」
ジャンヌがオドオドしながら叫ぶと、予想以上に早くウィルフレッドは、ネフェルカーラの望んだ言葉を口にする。
「止めた刻の中でそんなものを……流石は”純白の聖女”。しかし、シャムシール王は消滅した。ならばこの勝負、私の勝ちです……これ以上、不利な状況の中で戦うなど、私の好みでもありませんからね」
ボソリとそう呟いたウィルフレッドはランドマスターの下へ行くと、事も無げに愛竜の”刻”を動かす。それからアリスを抱き上げると、彼女の”刻”も動かした。
ポカンとしているフリをしたジャンヌは、ネフェルカーラに目配せをした。
間髪入れず、ネフェルカーラの蹴りがジャンヌの腹部にめり込んで、メタトロンは消失する。
「……すぐにまた、お会いしましょう。次は、軍を率いて来ます。
ですが魔族や妖精の方にはいずれ自治区を設けるつもりですし、降伏して頂けるならば、命の保障は私、ウィルフレッドの責任において必ず……。
シャムシール王亡き今、王妃たるネフェルカーラさまには、是非、ご検討頂きたいものです」
ジャンヌが腹を押さえ、身悶えしている隙を付いて、ウィルフレッドは竜を再び地中に沈める。
ランドマスターは地竜であり、地竜の特殊能力は地中潜航能力だった。
これは使い勝手が悪いように思われるが、その実、このような隠密行動や、あるいは撤退時にとてつもない効果を発揮するのだ。
何しろ地中を苦もなく、竜と同等の速度で移動出来る者など居ないのだから。
「まったく、ウィルフレッドって男は恐ろしいね……」
「ふ、ふふ、ふははははっ! なんの! あの程度、シャムシールさえ戻れば、物の数ではあるまいよ!」
地面を眺めて身震いしていたジャンヌの肩を、”ぽんぽん”と叩くネフェルカーラ。その様は上機嫌そのものであり、ジャンヌは”ポカン”としてしまう。
ネフェルカーラはウィルフレッドに王妃と言われて、すっかり舞い上がっていたのだ。しかも、舞い上がった結果、シャムシールが生きているという微かな可能性さえ、ネフェルカーラの中では確信に変わっている。
「シャムシールが戻る?」
「ああ、戻る!」
ジャンヌの疑問に、ネフェルカーラはきっぱりと答えた。
恋は盲目にして無敵である。
ネフェルカーラは、シャムシールという存在を信じる事に決めたのだ。もう、自分が死ぬまでシャムシールを待つ覚悟だった。
これでもしシャムシールが本当に死んでいたら、目も当てられないほど可哀想なネフェルカーラである。
だが、それはともかくジャンヌはネフェルカーラの確信を、ネフェルカーラの存在故に信じる事にした。
そもそも熾天使が確信しているのだから、間違いのあるはずもないのだ。
熾天使とは、直観力でさえ人間を遥かに凌ぐ。或いはありえない奇跡さえ、時に起こして見せるのが熾天使なのだから。
ジャンヌはシャムシールの冑を脱いでウィルフレッドの気配が遠のいた事を確認すると、”刻”を進める。いつまでも”刻”を止めたままでは、流石に魔力が持たないのだ。
すると、誰もが敵を見失った事に唖然としていた。
「ア、アリスめっ!」
ファルナーズの声を皮切りに、次々と敵を探し求めるシャムシールの配下や妻達。
そこに中空から、ネフェルカーラが声を掛ける。
「皆、城内の敵は片付けた。あとは街を取り戻すのだ! 外で戦うハールーンに呼応せよっ!」
「ま、まって、ネフェルカーラ! シャムシールはっ? ていうか、何がどうなったのよ!?」
自信に満ちたネフェルカーラに、動揺を隠せないシェヘラザードが問う。
シェヘラザードにしてみれば、一瞬の後にウィルフレッド共々、アリスがいなくなっているのだ。その上、シャムシールも完全に消滅している。目が点になる、とはこの事だろう。
「消失した。だが、だからこそ、おれに全て任せよ! シャムシールは必ず帰還する!」
「消失ってどういうことよ!? き、帰還? 帰還って? ……復活させるんじゃなかったの?」
ネフェルカーラとシェヘラザードの問答に、皆が視線を集めていた。一般の奴隷騎士達もまた、シャムシール亡き後の国家に不安を抱えていたのだ。
しかしネフェルカーラは浪々と語る。
「シャムシール王は未だ死なず! 生きて必ずこの地に戻るであろう! なればこそ、我等はこの地を守りぬかねばならんのだ!」
ネフェルカーラの言葉に続いたのは、ジャムカであった。
「第一夫人の言うとおりだ。陛下が我等を残して死ぬはずが無い。オレは陛下が死んだなどと……そう思ったことが恥ずかしい!」
ネフェルカーラは大きく頷き、今日が初対面であった第四夫人を見る。
「ふむ、第四夫人。貴様、中々見所があるな。では五千を率い、城壁に寄ったフローレンス軍をハールーンと協力し、撃滅せよ!」
「了承! ネフェルカーラ上将軍!」
ジャムカは頷くと、手早く部下に指示を出す。
それから懐の笛を取り出して吹くと、程なく真紅の竜が訪れて咆えた。
「グオオオオァァァ! (ジャムカさまが居られぬから、超退屈でしたぞ)」
「待たせたな、ドゥラ! ふむ、暴れたりなかったか! ははっ! 行くぞ!」
こうしたネフェルカーラの手腕によって、シャムシール消失後の混乱は最小限に抑えられ、程なくハールーンはマディーナに入城した。
◆◆
その夜――ジャンヌは一人、下唇を噛んで二人の弟子を想う。
(僕のせいだね。クレアもアリスも……でも、ウィルフレッド……彼の言葉が本当なら、帝国は一枚岩じゃないってこと? それとも……)
黒甲将軍府の一室を貸し与えられたジャンヌは、寝台の上で溜息を吐く。
「それで、貴様はこれからどうするのだ?」
小さな椅子に腰掛けて、ジャンヌとは目を合わせないままネフェルカーラが質問をした。
室内には月明かりが窓から差し込むだけで、二人は暗がりの中にいる。
「難しい質問だね……ハールーン将軍の、あの怒り方を見たら、僕がここにいるのは……でも」
「……ファルナーズの件があるからな。それで結果的にシャムシールが消失したのだ。おれだって正直なところ、貴様を許しがたい。だが、同時にフローレンスと戦う上で、貴様は貴重な戦力となり得る」
「贖罪の機会を、僕にくれるというの?」
「その気があるのならば、な」
「……クレアやアリスのことも心配だけれど、僕はファルナーズちゃんにもかなりの迷惑を掛けたからね。謝りたいし、彼女が心配だよ。
それに、フローレンス帝国を野放しにするわけにはいかない……だから、だからさ、贖罪の機会を貰えるというなら……僕を、ここに置いてくれないか、ネフェルカーラちゃん!
ええと……もちろん出来る事はするし、ハーレムが欲しいなんて言わない! ううん! むしろシャムシールが戻ったら、後宮にも入るから!」
当然、ジャンヌの顔面にはネフェルカーラの拳がめり込んだ。
「まあよい。……全ては、シャムシールが決めることだ。シャムシールが戻るまで、精々励め。罪は功によって購うしかないではないか。
――それから、ファルナーズに三度は殺されろ。そして全てが済めば、貴様の弟子たちのこと、手伝わぬでもない」
「ゴメン、ネフェルカーラちゃん。ありがとう――」
その後、ジャンヌは声が震えて何も言葉に出来なかった。
ネフェルカーラはそんなジャンヌを横目に、何も言わずそっと退出する。
ジャンヌの頬を、彼女が久しく忘れていた本当の”涙”が伝ってゆく。それは時間が立てば経つほど溢れ、ついにジャンヌは嗚咽を漏らすのだった。




