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異世界奴隷が目指すもの!  作者: 芳井食品(芳井暇人)
四頭竜の軍旗を掲げて
95/162

アズラク城の攻防 6

 ◆


 轟音が収まると共に、シャムシール一人を飲み込んだ風の刃は消失した。しかし、後に残ったものは、血溜まりの中に倒れ伏したシャムシールである。

 

「シャムシールッ! いやあああああぁぁ!」


 振り向いたファルナーズは、うつ伏せに倒れたシャムシールの姿に絶叫した。

 頭を抑え首を左右に振るファルナーズは、決して認めたくない事実を自らの内に覚る。


(殺意が、湧かない。ならばシャムシールは、死んだということじゃ……)


 赤い瞳が見る間に潤み、とめどない涙を流すファルナーズ。彼女はシャムシールの体を仰向けにすると、自らの膝に彼の頭を乗せる。

 シャムシールの体はピクリとも動かなかった。

 即死ではなかっただろう。それでも、一瞬で血を失ったのだから、死に至るまでそれ程の時間は掛かっていないはずだ。


 ――死に至る瞬間、決してシャムシールは苦しまなかったはず――そう思えることだけが、ファルナーズにとっては唯一の救いだった。


「――じゃが、じゃが……わしなどを守る為に死ぬなど、それがスルタンのすることかっ! 目を覚ませ、覚まさぬか、シャムシールッ! 民を、国を、世界を――そしてこのわしを――導いてくれっ! ……一人に……しないでくれ……」


 辺りは静まり返って、皆、ファルナーズの慟哭を聞いていた。

 敵であるクレアやジャンヌまでもが、シャムシールの死を茫然と眺めている。


 ファルナーズを倒せたとしてもシャムシールまで倒せる程の魔法を放った覚えなどないクレアは、中空で制止し、自身の両手をまじまじと見ていた。


聖戦クルセイドの影響? そうだとしても、あれ程の威力は……」


 ジャンヌは小さく息を吐き出すと、胸に手を当てた。

 そして自身に注目を集める為、声を大にして叫ぶ。これは中空で佇むクレアから皆の視線を逸らす為という、ジャンヌなりの配慮だった。


「シャムシール、僕はキミを誤解していたよ。キミはスルタンなんかじゃない。ましてや権力に憑

り付かれてなんかいなかった。――僕は、キミにだったら処女をあげても――ぐえっ!」


「貴様は男女どちらでもいいのか!」


 ネフェルカーラはジャンヌの頭をひっぱたくと、シャムシールの曲刀を拾い、両手で構える。流石にネフェルカーラといえども、シャムシールの魔剣を片手で扱うことは出来ない。

 一応ジャンヌとファルナーズの間に身体を割り込ませたネフェルカーラは、シャムシールの死を前にしても、なんとか理性を残していたようだ。


「師匠は処女以前に、お子様じゃない……」


 カイユームの口は動いていたが、未だシャムシールの死を受け入れる事が出来ないようで、茫然としている。


「そ、そそ、そんな事は無いよ! でも、シャムシールならいいかなって! だいたい、お子様じゃないしっ! 二千歳を越えてるんだぞっ! 

 そ、それより剣なんかを構えて、どうしようというのさっ! もうファルナーズちゃんの隷約スレイブは解けたんだから、いいじゃないか! 

 大体、この気配を感じるでしょう? 僕と戦っている場合じゃないよっ! もっと強大な敵が来るんだよっ!」


「この気配が敵だと、どうして貴様にわかるのだ? そんな事はどうでもいい……ともかく貴様の命をシャムシール復活の”贄”となす! それが済んだらクレア……貴様は八つ裂きにしてくれる! 待っておれっ!」


「”贄”だってぇ!?」 


 ジャンヌは放心状態のクレアを何とか離脱させたいと考えていた。だから自分に注目を集めさせたのだが、案外ネフェルカーラは冷静だったようだ。

 ジャンヌは冷や汗を浮かべる。”贄”となれば、自身とシャムシールが一体化するのだから、ある意味では消失、つまりは死である。予想だにしなかったネフェルカーラの言葉に、ジャンヌは思わず慄然とした。


(今、僕が消えたら、クレアは……)


 ジャンヌはクレアを助けたい。

 むしろ魔族イブリーズ隷約スレイブに縛られているクレアの心を解放する為に、今のジャンヌは彼女の手伝いをしているだけなのだ。

 元来、ジャンヌはクレアの思想を認めていない。有体に言えば、ジャンヌがクレアと行動を共にする決意をしたのは、クレアの暴走を止める役割を担うつもりだったからだ。

 暴走を止めなければクレアは確実に破滅すると、ジャンヌは考えていた。

 もちろん、ハーレムは欲しい。それはジャンヌの切なる願いだ。しかし、それよりも弟子の命は重い。

 いや、クレアもハーレム要員なのだから、ジャンヌにとっては一石二鳥。クレアを助けてさらにウハウハ作戦だった。


 だがクレアを助けようにも、簡単にはいかない。何しろクレアの上官という宰相閣下は、人間でありながらどこまでも上位魔族シャイターンの匂いを纏わせていたのだ。

 ましてクレアの隷約スレイブを証立てる鎖に繋がれた心臓を、その男が今は手にしている。

 当然クレアはその事実を知らない。知らないままに、彼を自らの野心を成就する為の”駒”と見做していた。

 いや、最近ではどうやらそれだけではないようにも思えたが、それは考えない事にしたいジャンヌ。その点に関しては心の扉を閉めていた。

 そして今――その男――宰相ウィルフレッドが、直下に迫っている。

 いや、直下に迫っているというより、シャムシールの命脈を絶った魔法は、ウィルフレッドが放ったものに違いない。そう――ジャンヌは理解していた。


(人間至上主義を認めたというけれど、彼が上位魔族シャイターンだったなら、おかしな話だよね。それだけじゃない。アリスに何かをしたようだし……彼女からも上位魔族シャイターンの気配を感じるもの……)


 考えれば考えるほど、ジャンヌは自らの迂闊さを呪いたい気持ちになってくる。

 ジャンヌはハーレムという餌に釣られてクレアに従っているフリをしながら、同時に自らの味方足りうる人材を探していた。

 だからネフェルカーラと語り合い、虚実を混ぜて、ある意味では友情を育んだ。

 そもそも、ジャンヌにシャムシールを殺す意図はなかった。

 ジャンヌは頃合を見て、精々恩着せがましくファルナーズの隷約スレイブを解いてやろうと思っていたに過ぎない。

 もちろん、その際の条件にシャムシールの女性化も付け加える気はマンマンになっていたジャンヌである。


(どちらにしても、僕は宰相閣下とネフェルカーラちゃん、それから……全員と戦わないとダメなのかな? ……仕方ない、自分で蒔いた種だもんね)


 一見、冷静に見えるネフェルカーラの端整な顔は、引き攣っていた。

 シャムシールが死んだ事を瞬時に悟ったネフェルカーラは、だからこそようやく彼の存在を理解する事が出来たのだ。

 シャムシールの身体を包む精霊がざわめき、彼の存在を祝福しつつ消し去ろうとしていた。


「やはりシャムシールは、新たに誕生した上位魔族シャイターンであったか……」


 死後、肉体そのものが現界から消失するという事象は、高位種族に見られる特徴である。

 例えば人間や家畜、魔族イブリーズ妖精エルフといった低位に属する種族ならば、肉体の死と同時に魂が分離する。そして肉体は生命活動を終えて、朽ちるものだ。

 しかしシャムシールの身体は精霊の祝福の下、無に帰そうとしていた。


 ――無とは、所謂本来の意味での”無”ではない。

 シャムシールの肉体は、強力な幽体アストラルが放つ魔力によって構成されていた。幽体アストラルとは即ち”魔力”の源であり、全ての根源に繋がる力である。

 だからこそ一つ所に集まった強大な力は再び世界へと還元されなければならないし、意志を失った幽体アストラルは、肉体を物理的に構成することが出来なくなるのだ。

 それ故に上位種族の死とは、肉体と精神の完全消滅を意味するのだった。

 そういった上位種族とは確認されている限りでいえば、神族イーシャ上位妖精ハイエルフ上位魔族シャイターン、属性竜、そして智天使ケルビム以上の上位天使達となる。

 それでもネフェルカーラがシャムシールを上位魔族シャイターンと断じたのは、単なる勘だった。


「おれがそう思うのだから、シャムシールは上位魔族シャイターンであるべきだ」


 どんなに悲しい時でも、ネフェルカーラの根本は変わらない。

 

 だが、やはりさすがにネフェルカーラの表情は、酷く固い。

 何しろ上位種族とは、単体でとてつもなく強力な為、一度存在を失うと、二度と復元が出来ないのだ。

 これが人間程度ならば、”蘇生”も可能であろうし”転生”の秘法もあるのだから、その死から数年を経たとしても、容易く甦らせる事が可能であったのに。

 まして、遺体さえあれば、パヤーニーの様な復活の仕方さえ可能。ある意味ではいっそ、人間の方が出鱈目な種族なのかも知れなかった。

 ともかくネフェルカーラとしては、時間が無い。シャムシールの肉体が完全に消滅するまで――その間に彼を復活させなければならない。

 本当にシャムシールが消滅したら、きっとネフェルカーラは気が狂って、

 

「シャムシールのおらん世界など、星の浮かばぬ夜も同じ……ならば滅するのみ」


 とでも言いながら、世界を破滅させる。

 そしてその後に、彼女はシャムシールの後を追うだろう。


「シャムシールと共に、おれは世界を見守る星屑となろう……」


 もう、ネフェルカーラは辞世の言葉も準備済みだった。

 それにしても世界を滅ぼした後に、彼女は一体何を見守るというのだろうか?

 恋する乙女なネフェルカーラの脳内には、重篤な中ニ病患者を遥かに上回る世界もうそうがあるのだろう。

 そんな自分の衝動が脳天を突き抜けそうになっている事を自覚したネフェルカーラは、だから表情を引き攣らせているのだった。


「ジャンヌ、貴様を蹴るのは案外嫌いではなかったのだがな。手早く済ませるゆえ、そこになおれ! 立派な”贄”として貴様を――」


「ちょ! それはないよ、ネフェルカーラちゃんっ! いくらシャムシールが普通の人間じゃないからって、そんな事をしたら、”神”になって復活しちゃうんだよ!? そんな事になったら、”因果の理”そのものが変わっちゃうでしょ! だいたい、”贄”になったら僕、本当に死んじゃうじゃないか!」


 ジャンヌの往生際は、すごぶる悪い。いや、ジャンヌは今のところ往生したくないのだから、それも当然なのだが。

 不死身のジャンヌを殺す唯一の方法は、上位種族を復活させる為の”贄”にすることだった。

 ”贄”とはジャンヌの膨大な生命エネルギー――つまり魔力を全て、シャムシールという存在に渡すということ。そうすれば当然、上位種族であれば肉体を維持出来なくなり消失する。

 人間であるジャンヌはその限りでは無いはずだったが、今の発言からするとジャンヌはどうやら既に人を超越した存在のようだ。

 

 ”贄”となるには、二つの決め事があった。

 一つは”贄”そのものが膨大な魔力を秘めている事。

 二つ目は、その者が純潔を保っていること、である。

 だからこそネフェルカーラは、ジャンヌが自ら語った純潔性にも注目したのだ。

 それに儀式を進行する者も必要だった。逆に言えばこの時、ネフェルカーラがシャムシールを救う手立ては、ジャンヌを”贄”とする以外の選択肢が無かったのである。


「心配するな。おれが滞りなくシャムシール復活を成し遂げるゆえ」


「やだよ! やだ! 僕が何の心配をするんだよ! そんなにシャムシールを復活させたいなら、ネフェルカーラちゃん! キミが”贄”になったっていいじゃない! あ、でもキミは遊んでいそうだからなぁ~でへへ~無・理・か・なー!」


 ジャンヌにとっては、賭けだった。

 この発言が功を奏すれば、ジャンヌはネフェルカーラを味方に出来る。そうすれば、多少なりとも有利な状況でウィルフレッドを迎撃出来るだろう。

 とはいえ――そもそもネフェルカーラとウィルフレッドが相容れることも無いのだから、しれっとしていても構わなかったジャンヌは、何故かそこに気が付かなかった。


「おれが、”贄”か? だが、誰が復活の儀式を?」


「それを僕が聖女らしく執り行ってあげるよっ!」


 この時ネフェルカーラの思考は混乱した。


(嫌がるジャンヌを大人しくさせて”贄”と為すのは困難か? ならばおれが”贄”になる方が、シャムシールの復活も容易なのでは?)


 シャムシールの魔剣を肩に担ぎ、唸るネフェルカーラ。不意に浮かぶ口元の笑みはどこまでも不吉で、彼女が死神の様に見える。 


(いや、そうすれば、おれはシャムシールと一つになれる。む、おれとシャムシールが一つに? 一つであれば、それはもしかして、妻となるより素晴らしいのでは? ふむ? うむ、うむ、ありかもしれん……だが、ジャンヌが信用できるであろうか?)


 ちなみにネフェルカーラは、なんと純潔を守っていた。というより絶世の美女でありながら、ネフェルカーラは誰よりも喪女だったのである。

 それもそのはずだった。

 何しろネフェルカーラは美貌以外、男心を擽る要素が何一つ無い。暴力的で妄想癖があり、暴走すれば止まらず、食欲無尽蔵で残虐なのだ。これでは高嶺の花どころか、永久凍土の中に咲いたまま凍る薔薇である。


 結局ネフェルカーラはジャンヌを沈黙させるまでの時間を考え、自身の命を代償にした方がシャムシールの復活が早いと結論付けた。

 というより、本質的にシャムシールと一つになりたいという欲望が勝ったらしい。

 ネフェルカーラは純潔ゆえに、性欲を感じた事が無い。むしろ喪女故に、精神的孤独を解消したかった。


「……頼めるか?」


「え? ネフェルカーラちゃん、本気……なの? それより純潔……は?」


 とりあえず、ジャンヌは安堵した。

 このまま全員を敵に回す必要はなくなった。少なくともシャムシールの復活までは、ネフェルカーラが味方なのだ。これは心強い。

 だが同時にジャンヌは、折れんばかりに首を傾げた。

 ネフェルカーラが純潔なんて、ありえない! そう思ったのである。


「ふっ……立派に保たれておる。どうだ、”贄”の資格はあるだろう?」


「そ、そう……」


 ネフェルカーラの口は、三日月形に歪んでいた。その眼はむしろ、希望に満ちている。


「ふ、ふふふ。おれはこれで、本当にシャムシールと一つになれるのだ、ふふ、ふはははっ!」


「そ、そうかぁ。そうだよね? 考えてみたら、”死”じゃあないね。やっぱり僕、”贄”でもいいかなぁ。だって、シャムシールと一つになれるんだもんね? 考えてみたら、アリだよね?」


 ジャンヌも所詮、喪女だった。

 家族ごっこで寂しさを紛らわしてみても、どこか虚しさを抱え込んだ二千二百歳。いつまでたっても悟りの境地を得ない変態ロリにしてみれば、顔が好みのシャムシールと同化するというのは、確かに”アリ”だ。

 それにジャンヌの目的をシャムシールが忘れなければ、なんと男としてハーレムを持てる。ジャンヌにとっても、やはりウハウハな展開がまっているのだ。


(まして、第一夫人はネフェルカーラちゃんじゃないかっ! キリッ!)


「ふむ――」


 ネフェルカーラの顔が、失意の色を帯びる。だが、緑眼はジャンヌを捉えて放さず、じっと見据えていた。


「ふふ、ネフェルカーラちゃん。やっぱりキミの熱意には負けたよ」


 暫く互いに無言で見詰め合ったネフェルカーラとジャンヌ。だが、ふとジャンヌの眼が慈愛に満ちた。


「ふっ、ネフェルカーラちゃん、キミの想い、確かに受け取った! 僕はこれでも聖教会から”聖女”の認定を受けている。だから――シャムシールは必ず復活させてあげるよっ! いいねぇっ! 熱いねぇっ!」

 

「うむ」


 いつの間にやら目的を忘れたジャンヌは、眼に熱い涙を溜めている。

 ネフェルカーラも緑眼の端を小さく光らせて、ジャンヌに握手を求めていた。

 歪んだ妄想が生んだ奇妙な友情が、ここに固く結ばれたのだ。

 

 しかし、彼女達の友情に早速冷や水を指す、くぐもった声が辺りに響く。


「それは甚だ困る。……せっかく始末出来たのだ。是非、このままにしておいて欲しいものだな」


 ジャンヌは柔和な笑みを浮かべ頷いていたが、次の瞬間、表情を強張らせた。地中から聞こえた声に対して、警戒感を顕にする。

 その声はウィルフレッドのものだった。

 ジャンヌとウィルフレッドは、直接の面識などない。しかし、ジャンヌは幾度となくクレアとウィルフレッドの通信を盗聴していたのだから、彼の声に聞き覚えがあっても当然だ。

 それに幾度もクレアの後を付けて、ウィルフレッドの部屋も覗いていたのだから、顔だって十分認識出来る。ジャンヌはストーカーとしても、一流の腕を持っていた。


「そのまま帰るかと思ったけれど、やっぱり来たね、宰相閣下っ!」


「ちっ……! 時間がないというのにっ!」


 ネフェルカーラはシャムシールの遺体を確認しつつ、頬を流れる汗を感じた。

 これから敵として向き合うであろう男の魔力に、知らず戦慄を覚えたネフェルカーラである。


 ◆◆


 ジャンヌとネフェルカーラが、中空に舞う。地面を蹴ったのは、ほぼ同時だった。

 ファルナーズの膝枕で横たわるシャムシールの脇に黒い大穴が空くと、巨大な褐色の竜が現われたのだ。

 竜の背には、男女、二人の人間が乗っている。

 男は長く伸びた黄金の髪も美しく、絶世の美女と見紛う程の美貌を持っている。その手にはオリハルコン製と思しき金色の槍を持ち、濃紺の軍衣を着て緋色のマントを靡かせていた。

 女は首に一筋の傷があり、肌の色は蒼白。しかしそれでも十分に美しく、何より黒を基調としたワンピースドレスに白いエプロンを装着した、所謂、ゴスロリメイドの衣服が何より特徴的である。


「クレア、無事で何よりだ。ちょっと妙な様子だったので、差し出がましいかとは思ったが、救援に来た。まあ、救援と言っても私とランドマスターだけだがね。

 そうそう――途中、君の姉、いや、驚異の(ワンダー)アリスが大変な目にあっていたから、こちらも助けたのだが……」


 ランドマスターとは、空間に穴を開けて地上に立った竜の名前だった。

 その名を呼ぶものは、帝国宰相にして公爵のウィルフレッドに他ならない。そして彼の後ろに座るゴスロリメイドは、アリスだった。

 しかしアリスは気だるそうに周囲を見回すと、抑揚の無い声で言う。


「マスター、私のテキは、誰デショウ?」


「とりあえず、警戒していてくれれば構わない」


「了解デス、マスター」


 アリスは竜の背に立ち、辺りを睥睨する。

 しかしその様はどこか機械的で、怜悧というには語弊があるような動きだった。


「クレア、城を奪還されはしたがシャムシール王を討ったのだ、十分に我等の勝利といえるだろう。だが私は――この勝利と云う名の果実を、もう少し大きなものにしておきたい」


「ありがたきお言葉にございます。ですが、もう少し大きく、とは?」


「ふっ。シャムシール王はまだ――復活の可能性を残している。彼はどうも私が見たところ、とても厄介な存在だ。プロンデルとも似た何かを感じる。だから、ここで完全に消しておきたいのだ」


「なるほど、皇帝陛下と……ですがアリスは、なぜ? 何か、雰囲気が……」


「私、マスターに、助けて頂きマシタ。クレア、私のことは心配しなイデ」


 クレアはウィルフレッドの存在で、ようやく人心地がついた。

 状況を見るに、ジャンヌの振る舞いはもはや味方と呼べるようなものではない。このままでは捕虜にでもされるのではないかと、クレアは内心、怯え、放心を続けていたのだ。


(それにしてもジャンヌさま……一体、何を考えているというの!?)


 ジャンヌに対して毒づきたいクレアは、しかし心のどこかでジャンヌを信じていた。


(まさか、シャムシールを殺した私の助命を頼みたいからって、復活の儀式をしようとしていたのかしら……?)


 冷静になって考えてみると、クレアは周囲の状況が実に際どいものであったと改めて思い知る。

 敵中にただ二人で孤立していたのだから、今更震えが訪れた程だった。


 それからアリスの顔色や口調が気になったが、余程の事があった後なのであろう。魔力を調べれば確かにアリスに間違いはないし、ゆっくりと空を移動してクレアはランドマスターの背に乗った。 

 幸いにしてシャムシール陣営の者も皆それぞれに放心を続けており、クレアの行動を掣肘する存在はいない。

 巨大な竜の背に乗ると、クレアは極度の疲労と緊張感から意識を失い眠りに落ちてしまう。

 

(ウィルフレッドさまが来たからといって、戦況が変わる訳でもないのに……でも、何でかしら、この安心感は……ジャンヌさまも……ご、無事……で……)


「ふっ……可愛いものだな、クレアは」


 ウィルフレッドは微笑を浮かべる。その顔はまるで、恋人を見守る誠実な青年の様だ。だが同時に歴戦の勇者であることが疑いようの無いオーラも、彼は纏っていた。

 ウィルフレッドは周囲を見回し、悠然と竜を飛翔させる。

 

「ジャンヌさまも儀式などせず、共に戻りませんか?」


 ウィルフレッドの問いかけは、至極当然のものである。だが、彼の声音はどこかしら非難めいていた。それも当然だろう、何しろジャンヌはネフェルカーラとさっきまで取引をしていたのだから、帝国から見れば背信行為以外のなにものでもない。


「ふぅん。この状況で、僕を誘うんだ? 僕がキミの正体に気付いていないとでも?」


 ジャンヌの返答は渋い。

 何しろネフェルカーラと共に竜を駆るウィルフレッドと対峙しているのだから、当たり前だ。


「おかしな事を仰る。私は帝国宰相でウィルフレッド。そして、貴女の味方ではありませんか」


「僕はクレアの味方ではあるけれど、キミの味方ではないよ」


「ふむ。随分と私は嫌われたようですね……」


「嫌いだよ。男なんてみんな嫌いだし。だからさ、アリスとクレアを置いて行ってくれない? 時間も無いんだから」


「ほう? 貴女は主を失ったこの国に付く、と考えてもよろしいので?」


「違うね。僕はキミ達に付きたくないだけさ。キミはだって――上位魔族シャイターンじゃないか。クレアだってその現実に気付けば、フローレンスなんて飛び出すに決まってる。それに――アリス。彼女に、一体何をしたの?」


「なるほど――。ジャンヌ、貴女は誤解している。私はあくまでも人間ですよ。ただし、”魂喰らい(ソウルイート)”の力を持った”上位種族の天敵”というだけで……ね。驚異の(ワンダー)アリスは”魂喰らい(ソウルイート)”で奪った上位魔族シャイターンの能力を使い、救ったまでのこと。どうです、ご理解頂けましたか?」


「むぎぎ――! だからって、アレはもう、アリスじゃないっ! だいたい人間だというなら――どうして――クレアの心臓を奪ったんだっ! シャキーンッ!」


 飄々としたウィルフレッドの返答に、ジャンヌが激昂した。

 今度のカチューシャは漆黒である。こんな時でもカチューシャを忘れないジャンヌは、もはや病気といっても過言ではないだろう。


「ふっははは、お気づきでしたか。流石は”倒錯の魔術師”――いや、”純白の聖女”とお呼びした方がよろしいか」


「話をそらすなっ! 僕は、お前がクレアに隷約スレイブをかけた魔族イブリーズで――覚醒して上位魔族シャイターンになったんじゃないかと思っているんだ! 違うかっ!」


「だから――何度も申し上げますが私は人間で――何より、今ではクレアに隷約スレイブを強いた魔族イブリーズを許せなく思っていますよ」


「そんな詭弁っ!」


「信じていただくより他、ありませんが」


 今、空中ではジャンヌとネフェルカーラが竜を駆るウィルフレッドと対峙している。

 その様を見つめるシャムシールの部下達も、ウィルフレッドの存在を疎ましく思っていた。

 今はシャムシールをなんとか復活させたいのに、その邪魔をするウィルフレッド。もはやどんな理由であれ排除するしかないという考えに至るまで、そう時間が掛かるものではなかった。


「ふむ。やはりここは余の出番。シャムシール陛下をきっと立派な不死骸骨スケルトンに! いや、不死公リッチーに……いや、いや! きっと不死帝ミトラになられるであろう! はっはー! その前に、余と互角の美男子が竜に乗っておるのう。目障りだから、アレを先に排除するか。まっていて下され、シャムシール陛下! 余が、きっと素敵な不老不死を与えて進ぜますればっ!」


 シャムシールの死を、割と簡単に考えていたパヤーニー。無論、ネフェルカーラとジャンヌの会話など聞いているはずも無かった。

 むしろパヤーニーは、


「仲間が増やせる! やったぜ!」


 という程度に思っていたのだろう。

 ただ、そこに便乗してしまうジャムカの精神構造も大問題だった。

 パヤーニーの言葉を聞くと、涙を拭ってジャムカは立ち上がる。


「ぐすんっ……そ、そうか……陛下が不死帝ミトラとなるならば、オレもやはり不死公リッチーになるか。それなら強くもなるし、ふ、夫婦でも不自然ではあるまいし……ぐすっ、ぐすっ」


 ミイラの夫婦が不自然ではないという思考が、何処までも不自然なジャムカ。ミイラの夫婦など、もはやホラーである。

 サクルやマーキュリーに至ってはシャムシールが死んだことなど、単なる御褒美だった。


「やった、シェフターリ。へいか、も、なかま」


 骸骨に戻ってしまったサクルが、パヤーニーからもらったシェフターリを頬張る。当然ながら果汁は肋骨をすり抜けて地面に落ちるし、飲み下したつもりの果肉もベチャベチャと落ちた。

 サクルは満足げに揺れると、少しだけ切なそうに足元を見つめ、項垂れる。


「いぶくろ、だいじ。パヤーニー、へいかには、いぶくろ、つくってあげて」


 サクルは、割と前向きに死んでいる不死骸骨スケルトンなのだ。


 骨の翼をはためかせ、テンションを上げていたのはマーキュリーだった。早速主君に死なれた彼は、どこまでも飛んで行きたい気分なのかもしれない。


「きんにく! きんにくか? へいか! きんにくだ!」


 サクルよりも語彙の少ない彼は、このような言葉をあたりに撒き散らしている。

 もしもシャムシールが健在であったなら、彼の言葉の意味をもっと理解し得たかもしれないが、残念な事にシャムシールも今や死人であった。


「シャムシール陛下がミイラに? うーん、私的には、白骨化が好みだけれど……」


 カイユームは眼鏡の角度を調整しつつ、シャムシールの遺体を観察していた。

 本当は今すぐにも駆け寄りたいカイユームの欲望は、少しだけ歪んでいた。


(へ、陛下の死体が見たい、触りたい、愛したいっ!)


 カイユームには、死体愛好ネクロフィリアの性癖もあったのだ。

 だが、これはカイユームなりの現実逃避である。

 それが証拠に彼女は地上にへたり込み、身体を震わせて一歩たりとも動く事が出来ないのだから。


 シェヘラザードはファルナーズの側に行くと、彼女の肩にそっと手を置いた。


「誰しも、いつかは死ぬわ。見て、シャムシールの顔……ううん、これはダメね。ちゃんと良い顔にしないと……ええと」


 それからシャムシールの死に顔が少し納得いかなかったので、必死になって修正するシェヘラザード。彼女はなんとかシャムシールの死に顔を笑顔にしてあげたかったのである。

 だが、そんな事をしていたシェヘラザードは、シャムシールとネフェルカーラに全てを賭けていた。それゆえに、もしもこの場で本当にシャムシールが死ぬのなら、自分も早晩、死は免れ得ない運命だと達観していたからこその行動だった。

 それに今は、ネフェルカーラが動いている。ならば、シャムシールの命がこのままで終わるはずがないと、シェヘラザードは信じていたのだった。

 信じていたが故に、シェヘラザードはうっかりシャムシールの顔で遊び始めてしまったのである。


「え、ええと、シェヘラザードさま。シャムシールはもう死後硬直が始まってまして、あまり動かせないかと……」


 シェヘラザードの暴挙に、顔を引き攣らせていたのはファルナーズだった。


 この有様を茫然と見ていたのは、ザーラだ。


「へ、陛下が死んだのよ? 皆、わかっているの? どうして、どうして誰も蘇生インアーシュを唱えないのっ?」


 ザーラだけが、唯一、真っ直ぐな精神構造を持っていた。しかし、残念な事に彼女は蘇生インアーシュを使えない。

 何しろ魔族イブリーズは、基本的に攻撃特化の魔法を好む。それに、”敗北は死をもって贖うべし”という種族的信念と”闇隊サラーブ”の組織的信念が重なった結果、蘇生インアーシュという魔法に対してザーラは生理的な嫌悪感があるのだ。


(ネフェルカーラなら、悔しいけど私とは格が違う。彼女は間違いなく魔族イブリーズ以上の存在なのだから。でも、だったら蘇生インアーシュ程度、使えても当然じゃないっ!)


 まずはそう考えたザーラである。


「ネフェルカーラ! 貴女、どうして蘇生インアーシュを陛下に使わないの!?」


「馬鹿者! 上位魔族シャイターンたるシャムシールには、蘇生インアーシュなど効かん! 仮に効いたとしても、おれはそんな魔法、使えん!」


 それもそのはずだった。

 何しろネフェルカーラの回復系最大魔法は”治癒ヨアーレグ”なのだ。これは水系の精霊魔法エレメントだから強力だが、死者を蘇生させる事など出来ようはずも無い。

 そもそも蘇生インアーシュとは、肉体を再生させた上で魂を戻すという魔法なのだ。となると身体と魂が同化している上位種族にとっては蘇生インアーシュなど、強力な回復魔法になってしまうだけだった。


「だからおれが”贄”となり、シャムシールを”神”として復活させるのだ」


「――そんなっ! 貴女はっ! ネフェルカーラッ!」


 ザーラとて、復活の儀式は知っている。

 だが、だからこそ、ネフェルカーラが”純潔”である事に驚きを隠せない。


(なんなの、この喪女)


 そう毒づきたくなったザーラだが、それでも自らを犠牲にしてシャムシールを救おうというネフェルカーラの心意気は買っていた。

 何より、「これで第一夫人が消える。やったにゃー」とは、ザーラの心の声だった。


 ちなみにカイユームは蘇生インアーシュを使える。

 だからザーラの叫びを聞いて、つい口元に手を当ててしまった。


「しまった――」


 もう、そんな心の声がダダモレのカイユームだったが、ネフェルカーラの言葉を聞くと、きっちりと知ったかぶる。


「ネフェルカーラ! 第一夫人の座は私に任せてっ! 儀式、頑張ってねっ!」


 この時、ネフェルカーラはふと、カイユームの命でもシャムシールは復活するのでは? と思ったが、それ以上の思考は許されなかった。

 瞬間、褐色の竜から巨大な炎が吐き出されたからだ。

 炎は下方へ向かい、シャムシールを目掛けて突き進んでゆく。


「彼に復活される訳にはいかないのでね。悪いが、跡形もなく消させてもらうよ」


 怒りに震えるジャンヌを横目にウィルフレッドは、冷たい微笑を浮かべるのだった。

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