アズラク城の攻防 5
◆
ハールーンは砂塵の舞う戦場に目をやりながら、辟易していた。
「聖戦かぁ。やっぱり厄介だよぉ」
ハールーンは本陣において、戦況の推移をただひたすらに観察していた。
ハールーンにとって、現状は決して芳しくない。
城壁に取り付く兵は悉く撃退され、此方の射程外から矢が放たれる。時折降りかかる隕石はアーザーデが防ぐにしても、現状では敵の聖騎士四千に約二万の奴隷騎士が翻弄されているようなものだった。
もちろんハールーンは未だ総攻撃を命じてはいない。
何故ならマディーナの中央部にあるアズラク城に、ある旗が翻る時を待っているからだ。
「シャムシールゥ、まだぁ?」
ハールーンの本陣は、幕舎を一切建てていない。何故なら、今日一日で決着をつけるつもりだからである。
それに、一日で決着をつけなければ敗北が必死であることを物語るかのように、ハールーンの視界には立ち上る砂煙が目に入っていた。
北から、予想以上に早くウィルフレッドの軍が迫っていたのである。
(今日中にマディーナを落とさないと、敵の夜襲も覚悟しないといけないねぇ)
ハールーンは眠たそうに欠伸をしているが、その内心は焦っていた。
彼を囲む部下達は、そんな将軍の様に多少なりとも安堵するが、現実は過酷なものだ。何しろ二万の軍が十五万の大軍に迫られつつ、城攻めを敢行しているのだから大変である。
最前線で指揮を執るロスタムですら、
「早くしねぇと、不味いんじゃねぇか?」
城壁から降り注ぐ矢を曲刀で切り裂きながら、ボソリと呟く始末なのだった。
「負傷兵は即時交代、治療の後、戦線に復帰させています。ハールーン将軍」
本陣に侍るアーザーデは、適時、ハールーンに戦況を伝える。
聖騎士達に撃退されつつも尚、ハールーンの部隊は戦死者を出していなかった。
とはいえ総攻撃ともなれば、誰も死なないではすまないだろう。
ハールーンは自分の命令で部下を死なせる事に関しても、やはり苦悩していた。
「そう。皆には苦労をかけるねぇ」
「将軍のそのお言葉があれば皆、奮い立つでしょう」
「だといいけどねぇ」
微笑を浮かべてハールーンに対するアーザーデに、ハールーンは苦笑を返す。
その時、前方――アズラク城の上空に暗雲が立ち込めたかと思うと、立て続けに雷光が走った。
「アーザーデ姉さん。総攻撃に移るよぉ」
自身の苦悩は心の片隅に追いやり、武人としてハールーンは顔を引き締める。
だらけた時と真剣な時のギャップが、ハールーンの持ち味ともいえた。これだからこそ、アーザーデはもとより、配下の兵達もがハールーンに心酔するのだ。
「ハールーン将軍。職務中はアーザーデ、とお呼び下さいまし。……ところでまだ、軍旗が翻ってはおりませんが?」
「アーザーデ。今の雷撃は、誰が放ったものだと思うぅ?」
「あれ程のものは……ネフェルカーラさま……はっ、すでに解放されて?」
「そういうことぉ。彼女が解放されたのなら、アズラク城の奪還も時間の問題でしょ。それに、フローレンス軍が大分迫っているからねぇ。ボクらには時間が無いってことだよぉ」
「なるほど。了承、ハールーン将軍。では、これより総攻撃に移ります。――全軍前進せよっ!」
ハールーンは馬をウィンドストームに寄せて、騎竜した。
アーザーデは、戦場に赴くであろうハールーンに代わり、全軍の指揮を引き継ぐ。
ハールーン軍がにわかに慌しくなる。
銅鑼が打ち鳴らされて、次々と攻城塔が動き出し、破城槌が轟音をたててマディーナの西門へと迫った。
ハールーンの動きは、まさに疾風だ。ウィンドストームを駆ると、すぐさまマディーナの城壁にいる敵を狙い定めた。
ハールーンの後に、アーノルドとドゥラも続く。
この闇竜と火竜のニ頭は、今回の作戦においてそれぞれの主と別行動だった。とはいえ竜は単体でも高い知能と戦闘力を持っている為、ハールーン指揮の下、攻城の主力となっているのだ。
ハールーンは城壁上にいる聖騎士だけを狙い、魔法を放ち槍で貫いた。彼に従う二頭の竜も、それは同様だ。
アーノルドは重力を操作して、聖騎士の動きを封じ込める。そこへドゥラが超高熱の火炎を放ち、彼等を黒炭へと変えるのだ。
当然、敵には奴隷騎士もいたが彼等には攻撃を加えず、いつもの間延びした声まで封印して語りかけたハールーン。
「私はハールーン将軍だ! 心あらば聞け、奴隷騎士の諸君! 間もなくアズラク城にはシャムシール陛下の軍旗が掲げられるであろう! 諸君らに罪無きこと、私が承知している。さあ、本道に立ち戻り、我等がシャムシール王の御為、真なる敵、それなる聖騎士達を打ち倒すのだ!」
白に金糸を散りばめた衣服を靡かせ、一頭の竜を駆り二頭の竜を従えるハールーン。彼は黒甲王の親友にして、マディーナ最強の武将である。
そのハールーンが自ら口上を述べて、奴隷騎士達の奮起を促しているのだ。
そして彼の後ろに控える二頭の竜が城壁上を睥睨し、聖騎士達の反論さえ許さない。
回答を待つ間にも、聖戦を発動させている聖騎士を次々と巧みな槍捌きで手にかけてゆくハールーンの雄姿に、ファルナーズ麾下の奴隷騎士達は息を呑む。
この状況で尚、フローレンスに付くという奴隷騎士は、一人としていなかった。
そもそも他国人に我が城、我が街を好きにされて面白くもなかった彼等は、互いに目を見交わすと、次々に聖騎士の背後を襲う。
彼等はシャムシールに叛旗を翻した後ろめたさを、渾身の一撃に変えて聖騎士に叩きつけたのだ。
「ハールーン将軍が仰ることが事実なら……!」
「事実であろうよ! アズラク城を見ろ! 落雷があった! あれはネフェルカーラさまの魔法に違いない!」
「ああ、そうだな! 何が悲しくて、フローレンスなぞに味方せねばならなかったのか!」
「ファルナーズッ! あの女狐のせいだ! 父君であるサーリフ卿とは似ても似つかぬ!」
「俺達は裏切ったわけじゃない! ファルナーズに騙されたんだ!」
流石に聖戦が発動している最中の聖騎士は手ごわいが、数に勝る奴隷騎士は次第に彼等を圧倒していった。
そのうち、アズラク城には確かに四頭竜の軍旗が掲げられたのである。
だが、ハールーンは奴隷騎士達の言いかわすファルナーズ評を聞き、少しばかり胸に痛みを覚えたのだった。
「――事情を知らなければ、そう思うよねぇ」
◆◆
クレアは夕刻が近づいてから開始されたハールーン軍の総攻撃を、訝しげな眼差しで見つめていた。
自らマディーナの城壁に上り防御の指揮を執るが、当然、奴隷騎士が頼りになるはずも無い。すると必然、自身の部下である聖騎士達が防御の要であった。
地下水路から抜けてきた別働隊があると聞けば、その迎撃にファルナーズを送ったクレア。
何しろ別働隊を率いるのがシャムシールだと断定できたのだから、彼を殺さねば隷約の解けないファルナーズを送るのは良策だと思えたのだ。
それにシャムシールの迎撃にはジャンヌとアリスも参戦する。だとすれば、此方が過剰戦力とも思える程で、万が一の心配も無い、そう考えていた。
しかし背後を振り返ったクレアは、まったく自身の予測が甘かった事を思い知る。
アズラク城に高々と掲げられた軍旗は四頭竜で、まさしくシャムシールのもの。だとすればジャンヌが破れ、シャムシールが街の支配を取り戻したということになる。ならばクレアがいくら城壁に拠っても、挟み撃ちにされることは時間の問題だった。
「くっ、ここまできてっ……!」
クレアは歯軋りをしつつ、上空を睨む。そこにはハールーンがいた。
「降伏してくれないかなぁ、聖光緑玉騎士団長のクレアぁ」
「あら、ハールーン。それは、私に前団長に倣え、ということかしら?」
「ボクには貴女が本当は優しい人に思えるからぁ、シャムシールに協力して欲しいんだぁ。もちろん、その前団長……アエリノールにもきちんと謝ってもらうけれどねぇ」
間延びした声で問いかけてくるハールーンに、唾を吐き掛けたい思いのクレアだった。
北方からは、ウィルフレッドの大軍が迫っている。だから何とかして数日、いや、一日でも持ちこたえれば、外にいる二万の敵軍など壊滅させる事が出来るはずだったのだ。
(そもそもハールーンに私の何がわかるというのか! たった数日、共に過ごしただけではないか! 優しさだけで人が救えるならば、私は今頃神官にでもなっているっ!)
「お生憎さま。私は人以外を信じないの。シャムシールは……人ではなかったのでしょう!」
「それは噂だしぃ、そもそも、そんな事に拘っているからぁ!」
クレアが言い放つと、ハールーンは槍を構え、ウィンドストームを急速下降させた。
ハールーンにとってシャムシールの存在は、あくまでもシャムシールなのだ。自身が砂漠民だと名乗った時、ただ在るがままに受け入れてくれたシャムシールを、ハールーンもまた在るがままに受け入れている。
だからシャムシールが人間ならば受け入れる――そうでないならば戦う、という選択肢しか持たないクレアに対して、ハールーンは怒りを顕にしたのだった。
――ギィィン!
ハールーンの槍を防いだのは、しかしクレアではない。
クレアとハールーンの間に、二人の聖騎士が割って入ったのだ。
「団長はお退きください! ここは我等がっ!」
クレアは左右を見回した。
次々と刃を向けてくる、先ほどまでは味方面をしていた奴隷騎士達。いかに聖戦を発動している最中とはいえ、もはや兵力差は四千対三万五千である。
どのような戦術を駆使しても覆せないと考えたクレアは、ただこの場を逃れる方法を模索した。
この場で朽ちる訳にはいかない――クレアの思いはその一心に染まる。しかし、ただ逃げる訳にもいかないクレアだった。そう、この地には彼女が大切に思う人達もいるのだから。
「ぐああっ!」
「うぐっ!」
今、クレアとハールーンの間に割って入った二人の聖騎士は、あっさりと朱色の髪を持った勇将の前に倒れ伏す。
日毎に強くなってゆくかのようなハールーンに戦慄を覚えつつ、しかしクレアは冷静さを失わずに城壁から飛び降りた。
「く、くく、くふふふふ……今はこれまで、かしらね?」
「クレアっ!」
ある程度の高度まで落ちたクレアは、呪文を唱え飛翔する。
「機動飛翔」
わざわざ城壁から落ちて見せたのは、竜とハールーンの目を誤魔化したかったし、何より城壁上は未だに血飛沫が飛び散る戦場だ。だから仮に誤魔化せなかったとしても、あの場を離れてハールーンが自分を追うとは思えなかったからである。
それからクレアは魔力探知を広範囲に広げた。
――四頭竜の軍旗がアズラク城に掲げられたということは、少なくとも制圧されたということだ。となれば、ジャンヌやアリスは無事なのだろうか?
クレアの脳裏には、心を許せる数少ない人達の笑顔が過ぎる。
自身の無謀な計画に付き合わせた挙句に彼女達の命を自分が奪ってしまっては――そう思ったとき、僅かだが後悔の念が湧き上がった。
未だジャンヌの魔力は健在だった。
周辺には他にも巨大な魔力が幾つも探知出来る。だから当然アリスも健在だと思えた。しかし、魔力を精査してゆくと、どうしてもアリスのものと一致しない事に気が付いたクレアは、血が滲むほどに下唇を噛み締める。
「あの強いアリスが……うそ……」
ともかくクレアは不安を抱えながら、唯一自身が家族と慕う人達の下へ向かう。
四千の聖騎士は貴重だ。出来れば撤退戦なりを指揮したい。いや、本来クレアの立場ならば、そうすべきなのだろう。
だがクレアはただ一人、ジャンヌの生存を望んだ。
無論、ジャンヌに限って何者かに倒される事はない。それでもクレアは、ジャンヌを救わねばならないと考えていた。
(自己矛盾だわ。私自身が逃げなければいけないのに、他人を助けようだなんて)
「いいえ。そもそも……ジャンヌさまは四千の聖騎士にも勝る戦力だわ。こうする事が、必要なのよ、クレア……」
高速飛行の最中、クレアの内心は揺れている。
成し遂げるべき事に情が割り込んだとき、クレアは自らの本質を断腸の思いで認めざるを得なかった。
「まだ冷酷になりきれないのね、私。でも、仕方が無いじゃない。何もかもなんて、失いたくないもの……」
◆◆◆
「ありゃりゃ! いつの間にか、城を奪われちゃったよ!」
ネフェルカーラとカイユームを相手に奮戦? しているジャンヌが、素っ頓狂な声を上げていた。
いつの間にか中庭だけでなく群青玉葱城の全てを手中に収めたシェヘラザードが、悠然と俺達の前に姿を現す。
「もう、残っているのはジャンヌ、貴女と、あの天使モドキ達だけね?」
「モドキとは何かっ! 私は栄えある天軍第八位階、大天使のライラだっ!」
悠然と歩むシェヘラザードに、ジャムカの相手をしていた剣を扱う大天使が駆け寄った。
何しろシェヘラザードときたら、天使達を斬りまくりながら歩んでいたのだから、大天使としては許しがたかったのだろう。
「第八位階? 下から数えた方が早いじゃない。私はこれでも大将軍なの。シバールでは聖帝に次いで第二位階なのよ?」
「それがどうした、人間っ!」
「半妖精なのだけれど」
飄々としたシェヘラザードの答えに怒りを倍増させた大天使のライラが、猛然と剣を振う。
しかしシェヘラザードは軽やかなステップを踏んでそれをかわすと、一刀の下にライラの首を跳ね飛ばした。
「姉さまっ!」
ジャムカと相対していた短槍使いの大天使から悲鳴が上がる。
つい先ほどまで二人で協力してジャムカを追い詰めていたのに、今、あっさりと新手の前に沈んだ姉。そんな様を見れば、冷静ではいられなかったのだろう。
だが、二対一だったからこそジャムカを抑えていられただけ、とは考えなかったのだろうか?
「オレの前で余所見をするとは、随分と余裕だな?」
ジャムカは曲刀を二度、左右に振った。
二筋の銀光は弧を描き、大天使の身体は三つに分断されてしまう。
「あ……あっ……ばか……な」
短槍を使う妹天使は断末魔さえ上げられず、口をパクパクとさせたまま絶命する。こうして大天使は残り二体となった。
「私もそろそろ決着をつけようかしら」
「何が決着か! 攻撃も出来ないクセにっ! 魔族ごときが大天使を舐めるなっ!」
「大天使、ね。もとはといえば、私達と変わらない存在でしょうに。自らを神の使徒――天使だなんて名乗るのは、単なる選民意識に過ぎないのにね。貴女、つまらないわ……消えなさい、にゃん」
俺は戦況を確認しようと、ザーラをチラ見してしまった。
お陰でザーラは敵との舌戦に”にゃん”を付けるハメになってしまったらしい。ゴメン! ザーラ!
ザーラの眼前で大天使は杖を翳すと、自ら青い炎を纏う。
恐らく、素早いザーラを捕まえる事を断念し、全力の大技を放つつもりなのだろう。
「私がそれを受ける必要は、ない。――舞え、蝶の短剣」
ザーラは自らの短剣を天に放ると、その周囲に無数の短剣を作り出した。
多分、最初の一本を触媒にしたのだろうけれど、その魔法は先ほど俺がジャンヌに喰らったものと同じものだ。
「――古代語魔法ならば、私にだって!」
俺はファルナーズの斬撃をかわしつつ、ザーラの魔法を確認した。
あえてこの魔法を選ぶ辺り、ザーラのプライドはやはり高い。先ほどジャンヌに凌がれた魔法の雪辱として、同じ魔法を使って見せたのだろうから。
無数の短剣が大天使の全身に刺さると、彼女はたまらず地上に落下した。
二度程身体を痙攣させると、身動きを止めた大天使は絶命する。
ザーラも疲れきったようで、地上に下りると片膝を付いていた。
あとはサクルだ。
サクルは相変わらず敵の聖属性攻撃に辟易しているようで、”カタカタ”と揺れている。
けれど、だんだん慣れてきたようで、その動きは素早くなっていた。
「なんだか、きもちよく、なってきた」
うわっ! サクルが成仏しそうだよっ!
そう思って俺が慌てた瞬間、パヤーニーの檄が飛んだ。
「サクルッ! そのような事で、千軍万馬を相手取る一騎当千の武将になれようかっ! これを喰え! ――パヤーニーの桃」
檄をとばしつつ、右腕を装着したパヤーニーはお腹に手を突っ込んだ。
すると何やら桃色の球体が表れる。
いや、アレは桃だ。桃色も何も、桃そのものだ。
なぜパヤーニーの腹から桃が出てくるのかは不思議だが、疑問に思ったら俺の負けだろう。
パヤーニーはサクルに桃を投げて渡す。
「パヤーニー、わたし、いぶくろ、ない」
「いいから喰うのだ!」
「……わかった」
サクルは右手だけで斧を扱いながら、左手で器用に桃を受け取り口に運ぶ。
瞬間――
サクルの身体が桃色の光に包まれる。
光はすぐに収まると、その中から現われたのは、十二、三歳の少女の姿。
肩まで伸びた少女の髪は栗色で、くるくると動くすみれ色の瞳が敵の攻撃を見切っているようだ。小さな鼻と唇はまだ幼さを残しているのに、鎖帷子を盛り上げる胸の双丘はアエリノールの比ではない。
まさしくその姿は生前のサクルなのであろう。いや、サクルであって欲しい。サクルであるべきだ。
俺はたまらず確認したくなって、少女に声を掛けてしまった。
「サクルッ! サクルなのか!? 大丈夫かっ!」
「あい。わたし、サクル。だいじょぶ、みなぎる」
若干残念な返事だが、やはりサクルに間違いない。
しかし、せっかく肉体が戻ったのに、言葉は流暢にならないのだろうか? とても可愛いのに残念すぎるぞ。
「桃、うまい。もっとほしい」
だが、漲るサクルは再生された舌で口の周りをペロリと舐めて、ご満悦の表情だ。
敵対している大天使が驚愕で目を見開いているが、気にした素振りも見せないサクルは、さすが不死骸骨だった。
「ダメだ。これは余といえども、それ程多量に栽培出来る訳ではない。そもそも、それは余が腹の中で栽培しておる桃が、突然変異して魔力を帯びたもの。魔力のゴマもそうであるが、容易く出来る訳ではないのだ!
それから、現世に生前の肉体を再現出来る時間は砂時計一回分である。シャムシール陛下の御為、励めよ、サクル!」
「わかった。はげむ。だからふつうの桃も、ほしい」
「サクルよ! そんな時間はないわっ! それより、眼前の敵を倒せぇっ!」
「そんなの、ほねのままでもへいきだった。せっかくきもちよかったのに。パヤーニー、よけいなおせわ。たべものくれないパヤーニー、きらい」
「……わ、わかった。勝ったら桃をやろう……余、ちょっと涙が……ミイラだけども……」
「やった、はげむ」
どうやらサクルは俺の為ではなく、桃の為に励むらしい。パヤーニーじゃないが、俺も泣きたくなる。
こんな事だから、俺は魔剣を振り上げているファルナーズに苦笑してしまった。
「妙な仲間達じゃな。わしも本当なら……おぬしらと共に……」
ファルナーズは悲しげな表情を浮かべて、俺に突きを放つ。
それにしてもパヤーニーの言う砂時計一回分とは、どの位の時間だろうか。
いやその前に、パヤーニーの腹の中は、一体ぜんたいどうなっているんだ? 栽培? さっきのゴマといい桃といい、もしかして、他にもなにかあるかもしれないな。
そんなことより、サクルは骨のままでも大天使を倒せたと言っている。
実際、再び俺がサクルに目を移すと、彼女はあっさりと大天使の鉄槌をあらぬ形に湾曲させて、緑髪を掴み敵の首を掲げていた。
「とったどー」
いや、サクル。それ、食べ物じゃないから……首だから。その言い方はやめてほしい。
「どうやら、完全にわしらの負け、じゃの」
先ほどから鋭い斬撃を放っていたファルナーズも、周囲を見渡して状況を察していた。
「降伏してくれないか、ファルナーズ」
「ふふ……確かにわしが牢に入れば、おぬしを狙う事が出来無くなる。それにおぬしのこと、わしに不自由などさせんじゃろう。じゃが、い、い、愛しい人に殺意を抱き続けて生き続けるなど、わしは望まんのじゃ!」
「愛しい、人?」
「ふん、鈍感な男じゃ。わしは……ぐっ……おぬしの事が好きなのじゃ。じゃから……せめて、おぬしの剣で、死にたいのじゃ」
ファルナーズは不意に動きを止めると、だらりと魔剣を下げた。
体を小刻みに震わせているところを見れば、必死の想いで隷約に抵抗しているのだろう。
――本当だった。本当に、ファルナーズは俺の事を。でも、なんでなんだ――
「昔、初めての訓練の折に見たシャムシールのアレは……幼き日に見た父上のものと比べると、随分と小ぶりじゃったのう……じゃが、それが忘れられなくてな……」
うああ、ちょっとファルナーズ! そこ? そこなの? 全然良い思い出とかじゃないんだけど! 辛そうにしながらも、ほんのりと頬を薔薇色に染めて、恋の思い出風に言ってるけど、それは俺の黒歴史だ! あと、サーリフと比べるな!
「ちょ、ファルナーズ?」
「大丈夫じゃ。おぬし以外の男のアレなど、わしは目にしておらんし、目にする気も無い。じゃから……な、頼む、殺してくれ……」
なんだろう? 俺に死を懇願するファルナーズは身体を震わせながらも、剣を捨てた。きっと、全身全霊で己が精神を律しているのだろう。
でも、なんでか俺の気持ちはとても”もや”っとする。
ほら、ネフェルカーラが俺に冷たい視線を送っているし、カイユームは少し嬉しそうな表情だ。
パヤーニーだけが浮かない顔をしているが、それはさっき水没させた自らのアレを偲んでのことだろう。
「ファルナーズちゃん! 諦めちゃダメだ! 自由になる為に、戦うんだ! もしかしたら、シャムシールを殺さなくても、何か手があるかも――そうだ! シャムシールのアレを斬ったらいい! そうしたら、男のシャムシールは死んで、キミの思い出も彼方へ――へぶぅっ!」
「貴様が言うな、この変態がっ!」
そんなファルナーズを見たジャンヌが、嬉しそうに叫ぶ。
こいつは自分の隷約が破られそうな時に、何を言っているのだろうか。
しかしネフェルカーラに殴打され、横に吹き飛んでいった。
俺がファルナーズを殺す決心が出来ないでいると、カイユームがジャンヌに追い討ちをかけていた。
「師匠、なぜ、刻を止めないのですか?」
カイユームが氷の矢をジャンヌに撃ち込みながら疑問を口にすると、ジャンヌは全ての攻撃を無効化しつつ答えた。
「――待っているんだ」
「アリス、ですか? しかしアリスは――」
「ううん。アリスを煉獄から連れ去った男を――”彼”には、僕の秘密を知られたくないから」
ジャンヌの答えは、まったく意味の分からないものだ。
当然カイユームも次々と光弾を放ちながら、首を傾げている。
しかし、ネフェルカーラだけがジャンヌの言葉を正確に受け止めていたようだ。
「あれは、人間なのか?」
「さあ? 少なくとも、人間の皮は被っているようだね?」
ネフェルカーラは空中で制止し、ある一点を見つめた。
「ふん。待ち人の前に、別の者がやってきたぞ、ジャンヌ」
「うん、クレアだね。この分だと、”彼”は来ないかな?」
「貴様等の事情など、おれが知るはずもないだろう。だが――」
「でも、ネフェルカーラちゃんも警戒していたんでしょう? 煉獄に幽体で入り、悠々とアリスの魂を首が切れた肉体に戻した男を。だからキミは――僕を相手にしても、魔力を温存していたんだよね?」
ネフェルカーラとジャンヌの会話には、なにやら別の緊張感があった。
ネフェルカーラはカイユームに戦闘を任せて、時折、火球をジャンヌにぶつける程度の事しかしていない。
対してジャンヌも、防御に徹しているかのように見えた。
そんな二人の動きに怪訝そうな顔をしていたカイユームもまた、全力戦闘は行っていなかったようだ。
そんな彼女達の間に、昔懐かしいお姉さんが割り込む。
確かにジャンヌの言う通り、クレアだった。
アエリノールを裏切った彼女は、その後、聖光緑玉騎士団の団長になったというから、俺のクレアに対する印象は最悪だ。
しかし、今の彼女は真剣にジャンヌの身を心配しているらしく、幾つもの光矢を撃ち出しながら荒い息遣いだった。
「ジャンヌさまっ! 退きましょう! これ以上ここにいる必要はありませんっ!」
こんなに人を大事に出来るなら、なんだってアエリノールをもっと大切にしてやらなかったんだ。
そう思うと改めて怒りが湧いてくるが、現状はそれどころではない。
「えっ? ああ、クレア。やっぱり、そうだよね。ファルナーズちゃん、退くよっ! それからマーキュリー! キミはいつでも幻界へ帰っていいからねっ!」
ジャンヌが空中で身を翻し、ファルナーズの下へと急いだ。
一応、ファルナーズを見捨てる気はないジャンヌを、俺は少しだけ見直した。
「パヤーニー、ふふ、再戦の時まで壮健であれよ。では、戻るぞ、大天使達ッ! ……? ぬ? なんと、全滅っ!? はっはっは……さ、さ、さらばだっ!」
激しくパヤーニーと激突を続けていたマーキュリーは、四枚の翼のうち、既に二枚を消失していた。
パヤーニーの方は逆に身体を再生させつつ戦っていたから、既に完全体といえる状態だろう。つまり無傷だ。
途中、ゴマを使って訳の分からない事をやったり、サクルに桃をあげたりしていたのに案外余裕だったらしいパヤーニーは、もしかして凄く強いのではないだろうか。
「ふん、マーキュリーよ。余が貴様を生かして返すと思うか? ふふふ。ふはははは。はーっはっはっは! マーキュリー、お前はもう、死んでおる。以後は、余の傀儡として不死隊の中核をなすが良いっ!」
パヤーニーは手足を集結させると、自身の周囲に巨大な魔方陣を描く。
そこで俺は、まったく見るに耐えない光景を見てしまう事になる。
まず、パヤーニーに背を見せたマーキュリーの中心を、地面から突起した巨大な木の杭が貫いた。
「ぐぎゃああああ!」
凄まじい断末魔の声が辺りに響き、
「パヤーニー。まだ、マーキュリーは生きていたじゃないか」
と、俺は詮無いツッコミをいれる。
そして串刺しのマーキュリーから超筋肉が剥がれ、骨の翼を持った不死骸骨が誕生したのだった。
これには、辺りの奴隷騎士でも胃の内容物を吐き出す者が幾人もいた。
きっと、これでご飯を三杯いけるのは、ネフェルカーラ位のものだろう。
というか不死骸骨化しても尚、マーキュリーの白い衣服と金のネックレスと口髭は健在なのだが、あれは一体どうなっているのであろうか?
「ワレは、マーキュリー。だいさんいかいのてんしなり。このきんにくをもって、シャムシールさまをまもるたてとならん」
マーキュリーもサクルと同じく、意志を持った不死骸骨になったようだ。
それに、一応言葉も話している。いや、というよりこれは俺とパヤーニーに聞こえるだけかもしれないが。
「ふむ。天使を名乗る不死骸骨もまた、よし。これこそまさに、正統派の堕天であろう。はっはー。とはいえ貴様には、既に筋肉などないのだが……。まあ良い、奮起精励せよ!」
「きんにく、りょうかい」
とにかく、俺の配下が増えたようだ。しかし、あまり嬉しくない。
とはいえ、あまり嬉しくない程度で済んだ俺は、まだ幸福なのだろう。
今の有様を愕然とした表情で眺めていた者がいる。それはクレアだった。
「ば、馬鹿な。天使でしょう? そ、それを堕天させただけでなく、不死骸骨に変えるなんて……ジャンヌさま、ジャンヌさまっ!」
余りの惨劇に取り乱し無様にジャンヌを探すクレアは、少しだけ滑稽だ。
一方のジャンヌは俺達の側に来て、一生懸命ファルナーズに撤退を勧めている。
「ファルナーズちゃん! 殺されたっていいことなんかないよ! 今は逃げよう!」
「永遠にシャムシールの命を狙うなど、嫌じゃ。そんな運命ならば、シャムシールに止めてもらうのじゃ!」
元々、隷約が生きている為、ファルナーズは言葉とは裏腹にジャンヌの手を取ろうとする。
「じゃあ――ファルナーズちゃん! 僕につかまって! 逃げるよっ! ……って、ええええ! マーキュリーが白骨化したぁぁ! で、でもまあいいや。あれ、失敗作だったし。またちゃんとした天使を作ろうっと……」
そんなジャンヌも、マーキュリーの死には目が飛び出さんばかりに驚いていた。いや、ちょっとだけジャンヌの目は飛び出していた気がする。でも、また作るって……ジャンヌは一体?
しかし俺が疑問に思ったその刹那、ファルナーズの魔剣が閃き、ジャンヌの首筋を狙った。
「ファルナーズッ、ジャンヌさまには指一本触れさせないっ! ――風刃」
一瞬の出来事だった。
ジャンヌだけを見ていたクレアだから、瞬時に反応する事ができたのであろう。
クレアの手元から、音速で迫った風の刃がファルナーズを包み込むかと思われた。
だがしかし、俺はファルナーズを見ていたのだ。
最後の瞬間まで、ファルナーズが生きているままで元に戻す方法を探していたのだから、当然だろう。
「光速化ッ!」
俺は咄嗟にファルナーズの後ろに回って、両腕を開く。なるべくファルナーズに風の刃が届かないよう、盾になるつもりだった。
それにこの魔法は、さっきジャンヌが放ったものと同じなのだ。だから俺は、この魔法を打ち消せると考えた。
渦巻く風がぶつかった瞬間、俺は半身を捻り魔剣を翻す。
風は俺の予測どおり、和らいだ。
「風刃」
しかし次の瞬間、クレアの放った風刃の威力が倍加する――
いや、幻聴でなければ、地中から呪文を唱えるくぐもった声を、俺は聞いたと思う。
二つの魔法が重なったと思える風刃の威力は、もはやジャンヌの風刃よりも凄まじく、桁違いの凶刃だった。
それでも鎧は相変わらず最強で、俺の体には傷一つ付く事が無い。
だが――。
ジャンヌの足元には、俺の冑があった。
だからなのか、風が赤く濁ってゆく。
渦巻く風が収まったとき、俺の首からは大量の血が噴出して、辺りに血溜まりを作っていた。
――寒い? 寒いぞ?
俺は両膝を地面に付いた。
「シャムシールッ! いやあああああぁぁ!」
ファルナーズの悲鳴が、後ろから聞こえた。
いや、上からだろうか?
「ファルナーズが助かって、良かった」
そう言おうとした俺は、声が出ない。
だから苦笑でも浮かべようと思ったら、口も動かなかった。
そして俺の視界は、真っ暗な闇に閉ざされたのである。
2015/6/23
加筆修正




