アズラク城の攻防 4
◆
ジャンヌが禍々しい冑と俺の顔を見比べて、なんとなくモジモジとしていた。
「シャムシールは男の子だし……僕のハーレムに入れるのもなぁ。あっ……でもっ! 男の娘にしちゃえばいいんだよね? そうだよね? ていうことは、切ればいいのかな? アレを切り離せばいいのかな?」
モジモジしているジャンヌの発言が、なにやら恐ろしい。
頭のてっぺんに吃驚マークを点灯させているかのようなジャンヌが、俺の股間に視線を注ぐ。
あれほどの美少女に股間を凝視されるなど、本来ならばとてつもなくドキドキする展開だろう。しかし今の俺には恐怖しかなかった。
俺は確かに男の子だが、男の娘になんてなりたくない。大体、アレを切り離したら、俺は男の娘ですらいられないだろう。
「ふ、ふふふ。ふへへへ。シャムシールちゃん! ちょっとだけ大人しくしていてねっ! すぐに済むからねっ!」
純白の美少女は口元をだらしなく歪めながら、濁った欲望を俺に向けている。
俺の冑を宙に放ると、右手を発光させたジャンヌ。そして光の形状は変化して剣になった。
「光剣」
光の剣は緑色の燐光を放ち、ジャンヌが動かすたびに”ヴォン”という音がでる。
それはまるで、マスター〇ーダが操るライトセイバーのようだ。しかも魔力で俺の冑を、自身の周囲に浮かせているジャンヌ。それはもう、まるでフォースだった。
「この剣で斬れば、痛くないからね! 今、闇に落ちたキミを真実の世界へ導いてあげるっ!」
ジャンヌがまるで、正義の味方であるかの様なセリフをほざく。ジャンヌにとっては男イコール悪であり、闇なのだろう。
それにしても、”闇に落ちた”などと言われては、某暗黒卿と一緒じゃないか。
確かに俺も暗黒卿と言われれば否定できない格好だけど、だからといって、真実の世界へ行く為の通行手形が性転換手術(切り落とすだけ)だなんてあんまりだ。
しかも、すぐに済むだと? 冗談じゃない。そういう事は俺の同意の下、しっかりと麻酔を施してもらって……って、違う!
童貞のままジュニアと別れるなんて、絶対に嫌だ!
そもそも俺の鎧は絶対防御。そう簡単に破られるものか。
そんな事を考えて俺は酷く不愉快な気分になりながら、魔剣を両手で構えた。
俺は思考を、ここまでで一端止める。ジャンヌが視線を俺の股間に定めたまま、下段から斬り上げてきたからだ。
ジャンヌの攻撃は単調で、軌道が読みやすい。
流石に余計な事を考えながら迎撃が出来る速度ではないが、俺は余裕をもって魔剣を撃ち下ろし、光剣を弾く事にする。
所詮、ジャンヌは剣士ではないのだ――俺がそう安心したのも束の間――光剣はなんと、俺の魔剣をすり抜けてしまった。
――まずいっ!
「ふふ、この剣は、僕が思い描いたものしか斬れないんだよ。だから――」
ジャンヌが会心の笑みを浮かべて俺を見上げていた。
彼女の発言が本当なら、鎧をすり抜けて俺の股間に光剣が直撃するということだ。
まだ、童貞なのに!
俺の頬を涙が伝う。もはや直撃は避けられないのだ。だから、訪れるであろう衝撃に備えた。
ジャンヌが痛くないと言っていても、それを信じられるほど俺の頭はお目出度くない。
ああ、俺はこれから女になってしまうのか。
違う、俺は女になるわけではない。男ではなくなってしまうだけだ。そういう意味では、確かに男の娘かもしれない。
ああ、さようなら男性。こんにちは中性。
こうして、俺が本当にジュニアの死を覚悟した時のことだった。
「雷撃!」
未だに暗雲が漂う空から特大の雷光が輝き、二筋の光がジャンヌの上で交差する。
雷撃に晒されたジャンヌは、瞬時に炭化した。――要するに、真っ黒こげになったのだ。
俺は寸での所で、男の娘にならずに済んだらしい。
雷撃を放ったのは、恐らくネフェルカーラだろう。そもそも、ジャンヌほどの魔術師に結界を纏わせる暇も与えず雷撃を直撃させるような芸当は、緑眼の魔術師以外では不可能なはず。
そう考えて俺は上空を見上げると、黒衣を靡かせる緑眼の魔術師が、やはりそこには居たのだった。
「ネフェルカーラッ!」
「余所見をするな、シャムシール」
俺が空を見ていると、黒焦げの塊が起き上がって掌を俺に向けた。
すると掌の先から、再び光剣が伸びる。
炭化してまでジャンヌは俺の股間を狙うのだから、本当に恐ろしい。
「陛下っ!」
その時、やはり上空から俺を心配するような声が聞こえた。
ネフェルカーラに余所見をするなと言われても、金髪で赤い眼鏡の女子が俺を心配そうに見つめているのだ。しかも超美人。そんな女性を見ないなどという選択肢は、俺に無い。なぜなら、男だから!
――って、俺のアレが危ないっ!
そう思って腰だけを引き、初撃は何とか回避した。
多少かっこ悪いとしても、それは致し方ない。続く第二撃目を俺がどう捌こうか思案していると、突き出された光剣が目の前で霧散した。
恐らく強力な結界が瞬時に張られて、俺を守ってくれたのだろう。これもネフェルカーラの計らいだろうか?
「この結界は? もう! あともうちょっとでシャムシールちゃんを女の子に出来たのにっ!」
俺の手術用器具を失った黒焦げのジャンヌは、憤懣やるかたない感じで地団太を踏む。そうすると、焦げた表面がパラパラと地上に落ちて、内側から純白のジャンヌが現われる。
しかもあろうことかジャンヌは、俺を女の子に出来るところだった――などとのたまう。
まったく馬鹿を言わないで欲しい。アレをとっても、俺は決して女子になどなれないのに。
「シャムシールはおれの夫になるのだ。女になどされてたまるか」
「あれ? 陛下が女になれば私が男になって……丸く収まる、かな?」
俺とジャンヌの間に二人の美女が降り立った。
一人は当然ネフェルカーラで、ジャンヌを足蹴にしながらも仏頂面だ。
もう一人、金髪の女性は首を傾げて考え込んでいるが、言っている事がなにやらおかしい。どちらかと言えば、ジャンヌに賛成している節がある。俺はちょっとだけ身の危険を感じた。
「痛い、痛いよ! ネフェルカーラちゃん! それにカイユーム! 急に出てきて僕の邪魔をしないでおくれよっ!」
ネフェルカーラに蹴り飛ばされて地面に蹲ったジャンヌは、顔を上げると金髪の女性に文句を言う。
「え? カイユーム? どこにカイユームが?」
そういえば、と俺は不思議に思った。
ネフェルカーラを解放しに行ったはずのカイユームとシェヘラザードが居ない。どうしたのだろう?
「あ、あああ、兄は、ちょっと所用で」
俺の疑問に赤い眼鏡の位置を指先で直しながら、金髪の女性が答えてくれた。
へえ。カイユームの妹さんだったんだ。こんなに綺麗な妹がいたなんて、驚きだ。
って、そんな訳あるか!
俺はカイユームが妹を伴っている、なんて話を聞いた事が無い。
ネフェルカーラは金髪の女性を冷めた目で見ているし、何か隠し事があるのは間違いないだろう。
というより、カイユームはジャンヌの弟子だと言っていた。そしてジャンヌの発言は、この金髪の女性をカイユームだと断定している。
……ということは?
「何をいってるんだい、カイユーム。僕の光剣を破れる結界なんて、キミくらいしか作れないじゃないか! 大体、その顔も声も変わっていない……懐かしいよ、カイユーム」
「ああん!? 黙りなさい、変態師匠! 私は女である事を隠して、男としてシャムシールさまに抱かれたいんだ! それが女であるとばれて、しかもこんなに醜い姿を晒したら、抱かれるものも抱かれなくなるだろうがっ! だからカイユーム、カイユームって、二度と気安く私の名を呼ぶな! わかったか、変態師匠!」
「わ、わかった。わかったよ、カイユーム。でも、でも、今、キミは全部自分で色々とバラしていたと思うのだけど?」
「へぶっ!」
ネフェルカーラがジャンヌの腹部を容赦なく蹴り続けているところへ、金髪の女性も参戦した。そしてジャンヌの後頭部を思いっきり踏みつけたのだから、いっそ純白の少女は哀れだった。まるで割れたスイカの様に、彼女の頭は砕かれてしまったのだから。
こうした一連の会話と金髪赤眼鏡女性の行動から、どうやら彼女がカイユームだという結論に俺は辿りつく。
男であったカイユームが女性化したというより、元々が女性であったのだろう。でも、女性状態で怒るカイユームは、中々に男らしい。ネフェルカーラと並んでジャンヌを虐める様は、揃って悪魔的と言えた。
「カイユーム……それが、正体なのか?」
「……うっ。へ、陛下はお嫌いかも知れませんが……私、実は女でして……。でも、陛下は男性がお好きで……」
俺の問いかけに答えるカイユームは、伏目がちになる。しかしこの期に及んで言い逃れるつもりはないらしく、素直に自身が女であったと白状した。
いや、まて。
俺に関するお前の認識……それは一体どうした? 俺がまるでボーイズラブみたいになってるじゃないか!
俺はそんな疑惑を全力で否定する為に、大声を張り上げた。
「お前かぁ! 俺とハールーンがどうのこうのってネフェルカーラに吹き込んだのはぁ!」
「え? 違うので?」
「違うに決まっているだろ! 俺は普通だ! 普通に女の人が好きだし、今のカイユームも魅力的……だ……と……で、も……ネ、ネフェルカーラが一番……す……き……」
俺は疑惑を否定しつつも、とんでもない美人になってしまったカイユームに対して、少し鼻の下を伸ばしていたのかもしれない。
だって、こんな美人に「抱かれたい」発言をされれば誰だってそうなるだろう。
何しろ今のカイユームの外見ときたら、本当に美しい。アーモンド形の目はやや大きく、瞳の色は藤色。長い滑らかな金髪は、その先端を胸元に流して束ねている。赤い眼鏡がアクセントを添えて、とても理知的な美人といった面持ちなのだ。
まあ、理知的な外見とは裏腹に、ジャンヌの頭を蹴り砕く程度の暴力性も備えているカイユームだが、その程度、俺の妻たちと比べれば大した事もない。
だから俺は自分がノーマルである事を証明しつつ、カイユームもアリだよ! と伝える愚行を犯してしまったのだろう。
この場に、ネフェルカーラが居るにも関わらず、だ。それを失念した俺のミスだった。
こうして俺は、ネフェルカーラのアイアンクローに捕まったのである。
冑をジャンヌに奪われていたのが致命的で、”メリメリ”と俺のこめかみにめり込むネフェルカーラの指は、俺の頭蓋を今にも粉砕する勢いだ。
辛うじて俺が「ネフェルカーラが好き」と言い終えた時、ようやく解放されたのである。
ネフェルカーラに解放された俺は眼前でピクリとも動かなくなったジャンヌを見て、少しだけ安堵した。
恍惚の表情を浮かべながら仰向けに眠るジャンヌは、蹴られすぎて幸福の絶頂に達したらしい。
ネフェルカーラがそう言うのだから、そうなのだろう。本当にジャンヌはどうしようもない変態だ。とはいえ彼女が再び動き出す前に、色々と状況が知りたい。それで俺は二人に、あらためて問いかけた。
「シェヘラザードはどこへ?」
「シェヘラザードは兵を率いて城の制圧に乗り出した。おれがここへ、すぐにもシャムシールの救援に行こうと言ったのに、”私には私のやり方があるわ”などと言いおってな。だが、考えてみれば大将軍なのだから、城の制圧をするのは当然だろう。結果的には、それこそが勝利なのだからな」
ネフェルカーラが腕組みをして頷いている。
いや、その前にお前は我が国の上将軍だという事を自覚しているのか? とネフェルカーラに聞きたいが聞けなかった俺。再度、額に指がめり込むのは嫌なのだ。
「逆賊共っ! 武器を収めよっ!」
シェヘラザードに関する話をしていると、当のシェヘラザードの声が頭上から聞こえてきた。
見上げれば、中庭の壁の上や窓にびっしりと奴隷騎士が並び、下方である此方へ向けて弓矢を向けている。
「シバール国に背きしファルナーズ! 反逆の咎だ! 大人しく縛につけっ! 他のものは、現時点で投降すれば、私、大将軍シェヘラザードの名により、罪には問わぬ!」
シェヘラザードの浪々とした声が、中庭にいる奴隷騎士を支配する。
流石、人の上に立ち続けていたシェヘラザードだ。その威厳に満ちた声音は、まさにその命令を絶対のものとするかのようだった。
そんな大将軍の発言に続き、俺の率いた奴隷騎士達も次々と、今現在戦っている最中の元同僚に声を掛けてゆく。
「ファルナーズは国を売ったんだ! 今ならシャムシールさまも許して下さる! 降れっ!」
「だ、だが、あのような禍々しい軍団を率いるシャムシールさまは……」
「何言ってんだ、あれはパヤーニーさまと不死隊だぞ! マディーナ王を守護したもう、神聖な兵だ!」
「それも、そうだな。それに比べて、こっちは天使とも思えぬ天使どもが……」
「ああ、人間に使役される天使なんて、聞いた事もねぇ」
「わかった、降る」
こうして城内における奴隷騎士同士の血戦は終結した。
もとより俺達に抵抗などしたくなかった奴隷騎士達が、次々とシェヘラザードの呼びかけに応えてくれたのだった。
◆◆
中庭で戦っていた奴隷騎士達が天使達を敵だと認識した事により、数の上では完全に俺達が上回った。
といっても、マーキュリーと互角に戦えるパヤーニーは何故かファルナーズに切り刻まれているし、四人の大天使達と戦うジャムカ、サクル、ザーラも防戦一方だ。
何しろ大天使が使う聖魔法で、常にサクルがガタガタと揺れているのだから大変だろう。
「わたし、まもの、ちがう」
サクルはそう言って耐えていたが、残念ながら不死骸骨は不死生物とも呼ばれる魔物の一種だ。
でも、可哀想だからサクルに真実を伝えるのはやめておこう。
それでも大天使の鉄槌に力負けをしないサクルの斧捌きは、凄まじい。ああ、ホント、サクルに聖魔法という弱点がなければなぁ。
ザーラもザーラで魔力が尽きているせいか、短刀を主武器として戦っている。もっとも、相手が魔法を主体とした闘法である為に防戦一方に見えるザーラだが、今の今まで一撃たりとも攻撃を受けていない。だとすれば、敵を翻弄していると言えるのかも知れなかった。
一番大変そうなのは、ジャムカだ。
何しろこんな状況なので、必然的に大天使二人を相手取っている。
左手の盾で直剣を弾き、右手の曲刀で短槍を反らす。
ジャムカの持ち味は身軽な身体を使った跳躍からの連撃なのだが、相手が翼の生えた大天使とあっては、出来ない芸当だった。
「うー」
ジャムカがイライラして唸っている声が聞こえる。
わりと短気なジャムカは、敵がヒットアンドウェイを繰り返す事に歯軋りをしているようだった。
◆◆◆
「ええい、マーキュリー! 卑怯であろう! 女子供を戦場に連れ出すとは!」
「女子供とは、わしのことか? シャムシールッ!」
マーキュリーの棍棒を軽やかにかわしたパヤーニーは、続くファルナーズの斬撃を背中に受けて絶叫した。
「ふんぎゃあああ!」
「……なっ。シャムシール……ではない?」
「むう。斬られて驚いたら、また幻惑が解けてしまったではないか。ではもう一度……開けゴマ……そろそろゴマが尽きてしまうぞ」
パヤーニーの身体は、既に三分の一ほどが失われている。
その全てがファルナーズによって斬られたものなのだが、分離している手足は健在であり、それは常にマーキュリーを狙っていた。
マーキュリーの身体には無数の火傷が走り、頬にも大きな痣が出来ている。
それでも笑みを浮かべてパヤーニーに向かってゆく様は、まさにライバルと決め込んだ為だろう。
「おぬしが妙な呪文を唱えてあの娘を惹き付けるから、この場にいるのであろう? 我にしてみれば、おぬしの行動こそ不可解なり!」
「余もね、苦労しているのよ? シャムシール陛下とあの娘が戦ったら、良い事なんてないからねぇ。といって、殺すことも憚られるしねぇ」
マーキュリーの棍棒を、地面から隆起させた岩で防ぐパヤーニーは、乾いた口で苦笑する。……苦笑といっても、奴の場合、半分以上唇がないので、”カサカサ”っと頬が僅かに動くくらいだが。
「覇ぁぁぁっ! ――わしを愚弄しおって。そんな出鱈目な魔道具で幻惑されておったとはっ!」
「あ、余としたことが、マーキュリーに気をとられて、ゴマを落としてしまったわ……もう、在庫切れであるぞ。これで余のヘソもからっからだ。まあ、元々ミイラだから、乾いておるがのう! はっはー!」
何故だかわからないけれど、パヤーニーが俺のフリをしつつファルナーズを引き付けていたらしい。
色々と気が回るミイラだとは思うけれど、「なんでミイラと俺の区別がつかないんだ」と、俺はファルナーズに文句の一つも言いたくなった。
大体、ヘソのゴマを使って幻惑するなんて酷い話だ。幻惑されたファルナーズも、そりゃあ怒って当然だろう。
「なんだ、あれはパヤーニーと不死隊ではないか?」
ネフェルカーラがようやくパヤーニーを見て、怪訝そうな表情を浮かべる。
「ああ、俺の配下になった。早速だけど、役に立ってくれている」
「それは役に立つだろう。ほう、座天使と互角……いや、それ以上か。まあ、おれは熾天使だからもっと凄いが」
――はい?
俺はネフェルカーラの呟きを、聞かなかった事にした。
どこの世界に天使を騙る悪魔がいるだろう?
いや、これこそまさに悪魔の囁き。
神に祈る人間の前に現われた悪魔が、願いを聞き届ける代わりに見返りを要求するというアレだ。きっとネフェルカーラはその力を使って熾天使と偽りたいのだろう。
「天使長として、天使の戦いは見過ごせんな」
さっきまで戦いを完全にスルーして、ジャンヌを蹴っていたネフェルカーラが言っている。
多分、完全に動かなくなったジャンヌに飽きてしまったのだろう。
それにしても天使長なんて、何を考えているんだ。ネフェルカーラはどう見ても、天使と戦う悪魔の総帥っていう風格なんだけども。
その間に、幻惑が切れたファルナーズが俺を目掛けて突進してくる。お陰でネフェルカーラを無視する理由はバッチリだ。
ここでネフェルカーラに余計な事を言って、機嫌を損ねたくは無い。もちろん色々とツッコミたい事柄はあるが、それらはそっと胸の奥にしまうのだ。
俺が身構え、ネフェルカーラが飛翔しようとしたその時――のそりとジャンヌが立ち上がった。
「よく考えたらさぁ、アリスはどうしたの? アリスの魔力が感じられないんだけど」
立ち上がったジャンヌは、やはり無傷で――少しだけ頬を上気させていた。
先ほどよりも僅かばかり目を細めたジャンヌは、宙に浮くネフェルカーラと、俺の横に立つカイユームを見比べながら言う。
「アリスは煉獄へ――」
――パンッ!
女性となったカイユームの頬を、ジャンヌが思い切り叩いた。
その勢いで赤い眼鏡が飛ぶが、空中で制止した眼鏡。
あれ? やはりカイユームの本体が眼鏡というネフェルカーラの説は真実か?
俺がそう思ったとき、カイユームは手を伸ばし、赤い眼鏡を取る。
「そうされるだけの事を、アリスはした。そして、貴女もだ、師匠!」
カイユームの眼光が鋭くなった。
あのジャンヌに対して一歩も退かないカイユームは、いっそ男前な女子だろう。
「カイユーム、ジャンヌは時間を止めるぞ! 気を付けろ!」
「ふっ、さすがは陛下、そこまでお気付きに。なるほど、師匠は今でも成長しているということか。けれど、時を操るのもまた魔法。私の結界を破れなければ、私の時は止まらない――だから陛下、ご安心下さい。私は決して負けませんから」
カイユームが頷くと同時に、ファルナーズの魔剣が俺に向かって振り下ろされた。
剣を上げてそれを受けた俺に、暴風の様な剣風が襲う。
「ネフェルカーラ、カイユームの援護を! ファルナーズは俺がっ!」
ファルナーズの剣をなぎ払い、彼女の剣に向けて俺は斬撃を幾度も叩き込む。
これはファルナーズを倒す事が目的ではなかった。彼女の剣をまず、叩き落そうと思ったのだ。
「なっ! おれが援護だと? おれは下級の天使どもに熾天使の力を見せ付けて――」
「ネフェルカーラ、頼む!」
「……なっ……あ、あとで、せ、せ、接吻くらいしてくれるんだろうな?」
「するから! 早く!」
肩越しに見れば、既にカイユームとジャンヌの戦いは始まっていた。
確かに互いの魔力が弾けあい、一進一退の攻防には見える。
しかし、ジャンヌには光剣もあるのだ。今が互角に見えたとしても、安心は出来ない。
それにカイユームは、「勝てる」とは口にしなかった。負けないことと勝利には、随分な隔たりがあるものだ。
確かに現状は勝利に近い。兵の士気は上がり、敵を圧倒している。けれど、未だにジャムカ達が苦戦しているのだから、俺はここで気を抜き、最善の布石を怠る訳にはいかなかった。




