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異世界奴隷が目指すもの!  作者: 芳井食品(芳井暇人)
四頭竜の軍旗を掲げて
91/162

アズラク城の攻防 2

 ◆


 狭い地下道に巻き上げた粉塵を風の魔法で一点に収束させたカイユームは、それ(・・)を使って諸刃の剣を作り上げた。

 カイユームの作り上げた剣はさらに形状を変化させて、刃の部分を紅蓮が包む。

 それは紛う事無く「炎の剣」だった。

 剣の出来栄えに多少不満気な視線を向けたが、もとよりカイユームは剣士ではない。となれば彼女・・にとって剣の使い道は、上位の精霊を召喚する媒体だ。

 そして「炎の剣」を贄として呼び出せる精霊は、太古の昔より限られていた。――炎の精霊王ジンニー・アファーリートである。


 火が族の砂漠民ベドウィンであれば火龍と並び”守り神”と称される炎の精霊王ジンニー・アファーリートは、”宝剣”に宿るとされていた。

 火が族の言う”宝剣”とは、即ち”炎の剣”である。

 しかし実態は、”炎の剣”に精霊王が宿っている訳ではない。剣はあくまでも召喚用の媒体に過ぎないのだ。それ故にカイユームがこうして作り上げた”炎の剣”でも――たとえ火が族の”宝剣”と比べれば性能が遥かに劣るとしても――一定の効果を持つのである。


 カイユームは僅かの間に生成した”炎の剣”を掲げ、高々と叫ぶ。


「我が剣、我が声に応えよ――召喚イステドアァ! 炎の精霊王ジンニー・アファーリート!」


「カイ……ユーム? どうして!? 男に化けていたの……? これじゃあ、わからないわけよね。

 ……それよりも、こんな所で炎の精霊王ジンニー・アファーリートを召喚? 正気? 仲間もろとも私を焼き殺そうというの?」


 目の前で忽ち形成される巨大な炎の精霊王ジンニー・アファリートに顔を顰めながら、アリスはカイユームの姿を見る。

 数百年ぶりの再会になるが、懐かしさよりも恐ろしさが込み上げてくるアリスはまだ冷静だ。

 アリスは魔法戦闘において、カイユームに一度として勝った事が無い。無論、肉弾戦であればカイユームなど秒殺に出来るが、それはあくまでも肉弾戦に持ち込めればの話だ。

 もしも炎の精霊王ジンニー・アファリートと戦いながらカイユームの魔法を受けるような状態に陥れば、敗北は必至だろう。

 だからアリスは言葉によって、カイユームの暴発を押し止めようとした。


「私の魔力を見縊るな、アリス。すでに部下達の周囲には結界を張ってある。

 何しろ百層に及ぶ変異変換魔法を誰にもわからないように掛け合わせて男に変化していたというのに、ひ、ひひ……どこかの誰かが殴って壊してくれたからねぇ。今の私には、その程度の余裕があるのよ。あはは。

 それにしても……くくく……くっくっくっく……今一歩でシャムシールさまからご寵愛を頂けたのに……! 口惜しい……ああ、口惜しいーーっ! それを、それを、こんな醜い姿を晒すことになってっ! どうしてくれるのよぉぉお! アリスゥゥゥ!」


 しかしカイユームの暴発は止まらない。

 そもそも、戦闘中であっても自身の男装に全魔力の八十パーセントを注ぎ込んでいたカイユームは、女に戻った今、人類に限れば三本の指に入るであろう大魔術師だ。

 だが、そんなカイユームは唇をワナワナと震わせながら、絶賛狂乱中だった。

 何しろ豪奢な金髪を左手でグシャグシャとかき回しながら、笑い、笑いつつも藤色の瞳から涙を零しているのだから、色んな意味で恐い。

 ついでに言えば、今一歩でシャムシールの寵愛を得られるなどと、勘違いも甚だしいカイユームだった。


 アリスから見ても彼女は確かに鉄壁の(アイアンウォール)カイユームだ。

 何しろアリスの知るカイユームは大半の事に無関心ながら、ただ一点、妙な拘りを持つと止まらない。その拘りが今はシャムシールということなのだろう。


「でも、そこで怒る? おかしいでしょ。もっと違うところで怒るんじゃないの、普通……」


 アリスの内心はツッコミたい事柄に満ちていたが、今、それを言ってもどうにもならない。

 ともかく真実カイユームならば、巨大な炎の精霊を召喚しつつ部下達に結界を張ることなど簡単だ。

 だが、カイユームのどこが醜いというのか、アリスにはその価値観がわからない。

 確かにジャンヌの溌剌とした美しさと比べれば、カイユームの顔は冷たく見える。

 それにしてもアリスは――自分自身と比べれば、間違いなくカイユームの方が美人だと思うのだ。

 カイユームが自身を卑下する様を見れば、一層容姿に自信を無くすアリスだった。

 とはいえ、たしかに彼女達師弟を容姿の順で並べれば、ジャンヌ、カイユーム、アリスとなる。しかしスタイルで並べるならば、真逆だ。

 さらに言ってしまえば、アリスとて美しい。

 ただ、ジャンヌとカイユームが美しすぎた為に、妙なコンプレックスを抱いてしまったのだろう。そしてだからこそ、クレアという自分と同水準の妹弟子を溺愛するようになったのである。


「シャムシール陛下は、男の方が好きなのにぃぃ! いけぇ! 炎の精霊王ジンニー・アファーリートぉぉ!」


「ちょ、カイユーム? カイユームなの? こんな所でそんなものを暴れさせないで! 壁が溶けるし危ないわっ! あと、変な事を叫ばないで! 兵達に聞こえるわっ!」


 シャムシールを同性愛者と見做す狂乱のカイユームに、シェヘラザードの言葉は届かない。

 さらにシェヘラザードはカイユームの部下ではない為、彼女の結界に入れてもらえない。だから周りの兵達がしっかりと守られている事も知らなかった。

 しいていうのなら、この場で最も危ないのは当のシェヘラザードである。


「熱っ……!」


 炎の精霊王ジンニー・アファーリートから舞った火の粉が、シェヘラザードの肩を焼く。たまらず彼女は対熱、対火用の結界を複数張った。

 

 超高温で暴れまわる炎の魔人はシェヘラザードの迷惑を顧みず、真紅の双眸をアリスに向けると、そのまま巨大な拳を振り下ろす。

 拳の動作に合わせて火の粉は舞い、飛び散る。飛び散った火の粉でさえ石壁を融解させてゆくのだから、その元である拳の威力は計り知れない。


「ご主人様の命令だ。悪く思うな、女」


 まるで溶岩が頭上へ落下してきたかの様に感じたアリスは、多重の結界を構築しつつ、後方に飛び退る。

 それでも衣服の一部が燃えて、どうにもならない有様だった。


(くっ。私の魔力では炎の精霊王ジンニー・アファーリートの攻撃を完全に無効化することは出来ない……)


 一方でネフェルカーラは、氷の壁を張り合わせた小屋を作り上げた。しかしサイズが微妙で、まるで子供用の”かまくら”だ。

 城の地下道なのだから、場所的にもそれ程広くはないわけで、ある意味ジャストサイズ。その中で両膝を抱えながらブツブツと呟くネフェルカーラは、軽く放心状態だった。 


「……シャ、シャムシールが、実は男色家だっただと……。まさかハールーンと、いや、まさか……ううっ……」


 カイユームの言葉をうっかり信じたネフェルカーラは、結界よりも前に心の壁を作った。そして心の壁は氷の形をとって、彼女を囲んだわけである。

 しかし炎の精霊王ジンニー・アファーリートの炎でも溶けない氷を作り上げるネフェルカーラの圧倒的魔力に、この場の誰もが舌を巻いていた。


「あの女……どれほどの魔力を? あのようなこと、ジャンヌさまでも出来ないはず……でも……小さな氷の家……ジャンヌさまなら、間違いなく入りたがるわ……」


 特に今まで、ネフェルカーラの力を過小評価していた節のあるアリスが驚いていた。

 ジャンヌがネフェルカーラに執心する理由の一端も理解出来たわけだが、同時に”馬鹿と天才は本当に紙一重なのね”という思いが心に過ぎるアリスだった。


「そんな訳ないでしょ! なんで信じてるのよ! 出てきなさい、ネフェルカーラ! アリスを倒すわよ!」


 ――ピシャリ


 小さなかまくらの入り口から奥を覗き込んだシェヘラザードは、どんよりと負のオーラを全身に纏ったネフェルカーラと目が合う。その瞬間、唯一あった”かまくら”の入り口までも、氷の壁で覆われてしまった。


「……しょうがない、私がやるしかないわね! 解放タフリールッ!」


 シェヘラザードは再び剣を構えると、自らの魔力を全て解放する。

 黄金の胸甲が輝きを増すと、シェヘラザードの全身を白い靄のようなモノが覆う。それが炎の魔人から飛び散る超高温の火花も、溶け始めた壁の欠片さえも弾くのだから、今、シェヘラザードの防御力は相当なものであろう。

 

 もちろん、それだけではない。

 軽く右足を蹴って跳躍し、炎の精霊王ジンニー・アファーリートの攻撃を正面から受けているアリスの背後を取る。

 そこで剣を水平に払い、アリスの首筋に一撃を入れた。


 これで致命傷にならないアリスの肉体はまったく驚異だが、少量でも首筋から流れ出る血は、間違いなく彼女の戦闘能力を奪ってゆくだろう。

 しかも至近に炎の魔人がいるせいで、見る間に血液が蒸発してゆく。


「後ろからなんて、シバールの大将軍ライース・アルジャイシュは随分と卑怯なのね」


「あら、褒め言葉だわ」


「だけどっ!」


 不意にアリスはゆれた。そのまま倒れるのかと思われたその瞬間――

 アリスはしゃがみ、高速の足払いを炎の精霊王ジンニー・アファーリートとシェヘラザードに見舞ったのである。

 そして一人と精霊王が倒れると、まるで巨大な砲弾の如き魔力を左右の掌から打ち出して、それぞれにダメージを与える。


「ぐっ……!」


「……ご主人様、先ほどの”贄”だけでは、これ以上現世に留まれませぬ……」


 シェヘラザードは身体を貫くような痛みに、たまらず悲鳴を上げた。

 もしも魔力を解放して防御力を高めていなければ、全身の骨をズタズタに砕かれていただろう。

 炎の精霊王ジンニー・アファーリートの存在さえ崩壊させる程の一撃を、アリスは放ったのだ。もっとも、”炎の剣”が本物であったならば状況は違っていただろう。魔人は言外に、新たな”贄”さえ貰えればまだ戦える、とも言っているようだ。

 しかしカイユームは炎の魔人に労いの言葉と共に魔力の供給を断ち、霧散させてしまう。


「ご苦労様、炎の精霊王ジンニー・アファーリート。でも別に私は、貴方にアリスを倒して欲しいわけじゃない。ただ、彼女の伸びきった鼻をへし折ってやりたかっただけ」

 

「危うく私の骨も折れるところだったわよ!」と言いたいシェヘラザードは立ち上がり、再びアリスに剣を向ける。


炎の精霊王ジンニー・アファーリートよりも貴女の方が頑丈だったなんて、驚いたわ」


「お互い様ね。私の剣を首に受けて死なない貴女には驚かされたもの」


 シェヘラザードとアリスは互いに踏み込み、譲らぬ攻防を見せる。

 だが、暫くすると均衡は破られた。

 シェヘラザードの斬撃は速く、その全てをアリスは回避する事が出来ない。どうしても受けて捌かなければならなかったのだ。それゆえ手を、足を、身体を、アリスはそれぞれ傷つけられてゆく。

 戦技が互角であれば、間合いの長い武器を持っている方が基本的には有利なのだ。

 それだけではなくシェヘラザードの剣に魔法を乗せた攻撃は、肉弾戦一方のアリスを度々翻弄する。

 アリスは、徐々に後退せざるをえなかった。


 アリスは切り裂かれたメイド服を嘆きつつ、起死回生の一撃になる事を願い、地味な下段蹴りを放つ。それは今まさに踏み込もうとしていたシェヘラザードの太ももに炸裂し、彼女の動きを止めた。

 こうして再び互いに距離をとって、睨み合う。


大将軍ライース・アルジャイシュシェヘラザード……ただ卑怯なだけの女だと思っていたわ。まさか私と互角に戦えるなんて、ね」


「楽をして勝てれば、それに越した事は無いもの。でも、嬉しいわね。世界有数の魔術師――驚異の(ワンダー)、なんて二つ名まである魔術師と互角なんて」


 額に汗を浮かべるアリスはシェヘラザードを賞賛しながらも、カイユームの動きを警戒しつつ再び構える。


(蹴りは、効かなかったのだろうか?)


 アリスは不安に思ったが、手応えはあった。あの一撃は、山をも割る。それをあの細い足一本で受けて、無事であるはずが無い。

 アリスの手は、シェヘラザードの剣によって既に血塗れだった。攻撃しようにも、もはや拳に力が入らない。

 一方のシェヘラザードは、見た限り無傷。しかしアリスに蹴られた足は、力を全て解放しているシェヘラザードの防御力をもってしても、罅が入っていた。

 シェヘラザードは微笑を浮かべた。ここで顔を顰めて自身の負傷を覚らせる訳にはいかないのだから、ブラフである。しかし戦闘能力が低下しているのはアリスよりも自らである事を自覚せざるを得ない、シェヘラザードだった。

 

 カイユームは不快気な仏頂面だ。

 眼鏡の奥にある藤色の瞳が、時折アリスを蔑むように見つめる。

 シェヘラザードの戦いを魔法で援護しようかと思ったが、そのまま押し切れる様にも見えて躊躇していた。

 その間に自身を熱していた様々なモノが冷却され平静さを取り戻したカイユームは今、シェヘラザードの動きが微妙に鈍くなった様子を見て口を開いた。


「アリス、師匠の下から離れなさい。貴女は師匠にとって害しか齎さないのだから」


 カイユームにとってアリスは、ただ単に滅殺すればよいという相手ではない。彼女と共に過ごした日々があれば情も湧いている。

 といって優しく出来るほど寛容にもなれないカイユームは、数百年間思い続けていた事をアリスに告げた。


「ぐ、ぐぐぅ……私が、害? これ程師匠を愛している私が、害ですって? 私たちを捨てて何処かへ行ってしまった貴女なんかに、一体何がわかるというの!? そもそもカイユーム! 貴女が男に変化していたのは、私達の目を欺く為だったのでしょう!?」


 アリスの心を憤怒が支配した。

 目を細め、歯軋りをしたあと唸るように声を絞り出したアリス。

 それでも戦闘でずれてしまったホワイトブリムを直すあたり、ゴスロリメイドの鏡と言えよう。


「愛か――」


 アリスの言葉にカイユームは、長い睫毛を下げる。瞼を閉じたのだ――瞬間。カイユームの心は追憶に耽る。アリスとシェヘラザードは再び激突を始めたのだから、彼の追憶を止める者は誰もいなかった。


 そういえばそうだった――と、うっかり思い出したカイユームは、僅かに赤面する。

 元より男であろうが女であろうが、人に対する揺ぎ無い愛情を持っていたジャンヌ。彼女の前では男女の区別など、愚かしい事だと思えたのだ。

 だが、ある日ジャンヌをただ”女性”としか見ない愚か者が現われて――

 そのせいで小国とはいえ、たった三人で滅ぼすことになった。以来ジャンヌもアリスも変わってしまったのである。


 ――男は不潔な生き物だ。だから接してはならぬ――と。


 カイユームは決してそうは思わなかった。

 奴隷騎士マルムーク時代、男女問わず友情を育んだことのあるカイユーム。

 愛や恋というのは無縁であったが、だからこそ差別をする気にはなれなかったのかもしれない。


 男を遠ざけるよう言い始めたのは、アリスだった。

 アリスは元々ジャンヌを神の如く信奉し、崇拝している。だからこそ彼女は、ジャンヌに全てを捧げることも厭わない。それと同時に、ジャンヌの敵と見做した者は全力で排除しようとするのがアリスだった。


 小国を滅ぼした日から数日の間ジャンヌは、


「男の人だって皆が皆、悪いという訳ではないよ。僕はそう思っている。だから、今回のことはこれで忘れようと思う」


 こう言っていたのをカイユームは覚えている。

 だが、暫くすると、


「アリス、アリス! お尻を触らせて! お、おっぱいもいいかなぁ!」


「少しだけですよ、ジャンヌさま」


「う、うん! はぁはぁ……」


「触りすぎです!」


「ぐえっ! 痛いじゃないか! もっと蹴ってくれ、アリス!」


 こんな会話が、日常的に繰り返される様になったのだ。

 確かにジャンヌは”つるぺた”なので、”たわわ”な胸や桃の様な尻は、どのような王宮の宝物にも勝る物なのかも知れない。

 男性に対して潜在的な嫌悪感を抱いたジャンヌが、やはり自身のもっていないモノをもつ女性に惹かれても、カイユームにはそれ程おかしな事とは思えなかった。


 それから”痛み”だ。

 ジャンヌは生まれつき魔力が高く、物心がついた頃には術式を展開しなくても結界が全身を覆っていたそうだ。

 となれば、余程の相手でなければジャンヌの結界を破って痛みを彼女に与える事など出来ない。だからジャンヌは、適度な痛みを快楽としていた。

 アリスはその天才的な魔法闘術によって、ジャンヌの結界をある程度無効化させる事が出来る。だからアリスはジャンヌにとって、快楽の化身となったのだ。


 アリスはそんな師匠をさらに溺愛するようになったのだから、三人が暮らす小屋は終日ジャンヌの嬌声が響くこととなる。

 こうしてカイユームは魔術の研究どころではなくなり、師匠に対する敬意さえ薄れる一方となった。


 だが、ここまでは良かった。

 ここまでならば、カイユームも耐えられた。

 何しろジャンヌは、どうあれ人類最強の魔術師だ。そして妹弟子のアリスも、魔法闘術ならば世界屈指の実力者。この環境で修行に励めば、人間の身でありながら、上位種族にも対抗し得る力も身に付くであろうから。


 しかし、この先が問題だったのだ。


「カイユーム、カイユーム。一緒にお風呂、入ろう?」


 ある日、師匠であるジャンヌが目を輝かせながら言い寄ってきた。

 当然ながら師匠の誘いを断る事など出来ないカイユームは、近くの温泉――火山の近くにある、湯の湧く泉――へ行く事になる。

 そこで、


「カイユームのおっぱぁぁあい!」


 つるぺたのジャンヌは満面を喜色に染めて、裸のカイユームに抱きついてきたのだ。

 ここに至り、カイユームはジャンヌが完全に変態と化した事を理解した。


「師匠、それでは我等が滅ぼした国の王と、なんらやっている事が変わりませんよ……」


 冷静に激怒したカイユームは、曇る眼鏡を湯に浸すと、再び掛ける。

 湯気の中でジャンヌが申し訳無さそうに項垂れている姿が見えたが、そこへニコニコと笑顔を浮かべたアリスが現われたのだ。


「ジャンヌさま、カイユームは少し頭が硬いのです。放っておきましょう」


「ええ、放っておいてもらいましょうか……」


 こうしてカイユームは、ジャンヌ達と袂を分かった。

 それでもジャンヌが魔力探知で自身の居場所を探っている事はすぐに分かる。

 二度、三度とジャンヌはカイユームの下に現われて、帰ってきてくれと懇願した。

 しかしカイユームは、そんなジャンヌを受け入れなかった。

 カイユームは男女問わず、ただ人を愛するジャンヌをこそ愛し、尊敬したのだから。


「だからもういい、私は男になろう。そうすれば、ジャンヌさまに嫌われるし、何より、魔力も変質するから私だと気付かれる事もないはずだ」


 カイユームはそう思った。

 

 こうしてカイユームは男として幾度かの転生を繰り返す。しかし、やはり馴染む事が出来なかった。

 元来が女として生を受けたからなのかも知れないが、といって男性に恋をするという事も無かったカイユームである。

 だから自身の性別が”どちらでもない”という可能性に思い至り、試行錯誤の末”変化”という魔法に行き着いたのだ。

 

「変化であれば、内面の身体は女のまま。けれど他者からは男に見える」


 たしかに全魔力の八割を”変化”に使わなければならないが、これが最もしっくりきていたカイユーム。

 だからこそ魔力不足を補う為に魔族でも使役しようと召喚したら、なんとネフェルカーラが現われてしまい、二割の魔力ではどうにも勝てなかったカイユームは”隷約スレイブ”をかけられたのだ。


 だがカイユームには、だからこそ出会えた人がいる。

 

 ――シャムシールだ。


 ネフェルカーラから彼に仕えるよう言われた時はどうなる事かと思ったが、蓋を開けてみればカイユームは今、幸せを掴む寸前だった。

 

 シャムシールは、ドゥバーン程の美人に言い寄られても、軽く受け流す。しかもアエリノールは避けているし、ネフェルカーラに至っては、恐がっている始末。

 ジャムカとだけは妙に仲が良いが、どちらかと言えば、それは友のような気がしたカイユームである。


 つまりシャムシールは男が好きなのだ。

 カイユームの得た結論はこうであった。そしてそれを裏付けるかのようなハールーンとの関係性。

 自身の臆病さと戦いながらも、民の事を真摯に考えるシャムシール。彼に惹かれていることを自覚しつつあったカイユームは、シャムシールの恋人と思しきハールーンの事を考えると心が焼けるようだった。

 しかし、しかしだ。

 なんとハールーンにはアーザーデという女がいた。

 いや、まだハールーンの女と言うには早いが、それでもシャムシールはアーザーデに遠慮してハールーンと多少距離をとっている。

 だからこそ、カイユームは内心で狂喜乱舞していたのだ。


「ハールーンには勝てないけれど、私だって中々の色男だもの。それに、私だって陛下のことが好き。だけど私の中身は醜い女……これだけは陛下に、絶対にバレないようにしなきゃ!」

 

 つまりカイユームが道を完全に踏み外したのは、つい最近のことである。

 だからこそ、アリスに”変化”を破られて激怒したカイユーム。”変化”は百層の多重結界からなり、空間を歪曲させる術式を細かく展開する為、瞑想だけでも一年は掛かる代物だった。

 それをカイユームは”百式変化”と名付けているが、カイユーム程の術者が魔力の大半を犠牲にして構築し続けるわりに、これといった意味は無い。

 ――ではなく。

 カイユームが男に変化していたのは、元を正せばジャンヌやアリスに居場所を覚らせない為であったのだ。


 ――ドカァァン!


 カイユームが追憶に浸っていると、突如として小さなかまくらが内側から砕かれた。


(なんで俺がハールーンと愛し合ってるんだよ! その考えはどこからきたんだ! そんな事よりネフェルカーラ! ジャンヌがホントに強いんだけど! どうにもならないんだけど!)


(ほう? やはりおれの事が好きと?)


(いや、それは……)


(やはりハールーンが……)


(だから違うって! ネフェルカーラが好きだから!)


(ふはは! そうであろう、そうであろう! もう一度、言うのだ!)


(だから――!)


(ふはははは! 照れおって!)


 ジャンヌの結界を破ったネフェルカーラは、かまくらに篭りシャムシールを念話で問い詰めていた。

 当然ながらシャムシールはジャンヌ・ド・ヴァンドームと生死を賭けて戦っている最中であったが、そんな事などネフェルカーラはお構いなしである。

 そうして自分の望む言葉をシャムシールから強引に引きずり出すと、かまくらの内側から拳を突き上げて、ついに脱ヒキコモリを果たしたのだった。


 まったく、ここのところのネフェルカーラときたら、囚われていたり引き篭もったりで、シャムシールの足を引っ張る事しかしていないのだが、その辺りはどう考えているのであろうか。

 シェヘラザードはそんな唯一の友を眺め、ホッと安堵の溜息を吐いた。


 ネフェルカーラのかまくらは、炎の巨人が残した熱量により、いとも簡単に溶けて、蒸発してゆく。未だにこの空間は、灼熱の中にあった。

 魔力の供給が途切れれば、ネフェルカーラの”かまくら”といえども簡単に消え去るのだ。

 その中でネフェルカーラは右手を頭上に翳し、そこに空間の切れ目を作る。


 ――ヴゥゥン。


 それは、異様な光景であった。

 薄暗い地下回廊の中で、立ち上る水蒸気を吸い込むように現われた空間の断裂は、その奥に漆黒の闇を抱えている。


「それは……くっ! そんな馬鹿な!」


「ふはは、そうだ。貴様がどのような防御力を誇ろうとも、どれほどの攻撃力があろうとも、魂をここに繋ぎとめてしまえば、全てが無意味。さあ、行って悔い改めよ――煉獄アモルタヘル!」


 空間の断裂は拡張してゆき、闇の中からどす黒い触手が伸びる。それらがアリスの身体を掴み、揺らし、嬲ると、いつの間にか驚異の(ワンダー)アリスは膝から崩れ落ちていた。

 肉体に代わり、どす黒い触手に掴まれた半透明のアリスが、空間の断裂に飲み込まれてゆく。

 この魔法は幽体を肉体から引き剥がし、強引に煉獄へ連れ去るという魔法だった。


「ちょっと、ネフェルカーラさま! 私がビシッとアリスを倒そうと思って……大体、これはやり過ぎでしょ! なにも殺すことは……」


 その様を見たカイユームが、ネフェルカーラに詰め寄る。

 流石に妹弟子を殺す気など無かったカイユームにとっては、余りの惨劇だったのだ。


「やかましい。貴様はシェヘラザードとアリスが闘っているのを放置して、目を閉じながら呆けておったではないか。そもそも貴様、眼鏡の縁が緑から赤に変わったからといって、調子に乗るでない。だいたい、その眼鏡は飾りか? よく見て、よく考えよ」


「ん? ああ、そういうことですか。って、眼鏡の縁は黒から赤に変わったんです!」


「ふん。上位眼鏡となっても、その程度の認識力か? カイユーム」


「上位眼鏡? は?」


「貴様の種族だろう? 珍しい種族だが、付与魔術エンチャントによって生まれたのなら理解出来る」


 ネフェルカーラはカイユームの全身をまじまじと見たあと、指を”ぱちん”と鳴らす。

 すると、突如としてカイユームは蹲り、心臓を押さえて苦しみ出した。


「ふむ、隷約スレイブはそのまま、か。貴様も愚かだな。今の力があれば、おれの隷約スレイブといえども、容易く掛からなかったであろうに。最初から――赤い眼鏡であればな。ふはは」


「ちょ……ネフェルカーラ、さま。裏切らないから、いい加減、私の隷約スレイブを解除してくれません?」


 断固としてカイユームを眼鏡だと認識したいネフェルカーラは、とても悩んだ。

 アエリノールと比較しても遜色の無い金髪など、本当に人類であろうか? 

 ネフェルカーラの答えは「否」である。だからやはり新たなる種族、”眼鏡”と結論付けるしかない。その中でも上位の存在ならば、カイユーム程の力を持っていても頷けるというものだった。

 なにより、今のカイユームは美人過ぎて頭にくるネフェルカーラだ。隷約をどうしようか僅かばかり悩んだのは、「裏切らない」という一点を信じたからである。

 だが、それとこれとは別なのだ。

 ネフェルカーラはカイユームが美しすぎるから”隷約”で縛り続ける事にした。


「……嫌だ。それより、すぐにシャムシールと合流するぞ」


 隷約スレイブは解かなかったネフェルカーラだが、カイユームの苦痛は取り払った。

 それからシェヘラザードに「治癒ヨアーレグ」を発動させると、三日月形の口元を作る。多分ネフェルカーラにとってこれは微笑なのだが、周りから見ればやたらと恐い。


「ありがとう、ネフェルカーラ。

 見て。煉獄アモルタヘルからここまで、細いけれど、糸の様に魔力が繋がっているわ、でも――」


 シェヘラザードはいきなり治癒魔法をかけられて驚いたが、素直に礼を述べた。


(かまくらに篭っていたのに、私の怪我に気付くんだ)

 

 友人の優しさに少しだけ心が温かくなったシェヘラザード。だがしかし、彼女の行動はそんな心とは正反対である。

 シェヘラザードは治った足で軽やかに抜け殻となったアリスの下へゆき、彼女の細い首を胴体から切り離す。


「――これで完全に死んだかしら?」


 シェヘラザードの表情は、一切の動揺も揺るぎもないものだった。

 目的の為ならば手段を選ばない彼女は、卑怯でも卑劣でも、必要とあらば実行する。そうでなければ女の身で大将軍ライース・アルジャイシュなど勤まらないのだから。


「ふむ、その方が時間が稼げるかな。どうだ、カイユーム?」


「素体の場所によっては再生より早いかも。煉獄アモルタヘルからどの位で戻るかによりますから、何とも言えませんが」


 しかしネフェルカーラとシェヘラザードは、二人とも顎に指を当てて考え込んでいた。少なくとも、二人はアリスが死んでいないと思っているようだ。

 

「ふむ。ジャンヌもおるし、時間稼ぎとしても、あまり持たぬか。それでもまあ、斬らぬよりは斬っておいた方が良いであろう。奴等も動揺するであろうし、な」


 カイユームの言葉に愕然としたシェヘラザードは、ネフェルカーラの発言に眩暈を覚える。

 いや、そんなネフェルカーラを平然と見つめるカイユームも既に常識の外に存在するのであろう。


「なんだかカイユーム……あなた達も出鱈目なのね……」


 カイユームは、死体を平然と損壊することが出来るシェヘラザードにそんな事を言われたくなかったが、しかし今は何も言わなかった。

 万が一の場合、自分の死体も損壊されそうで少しだけ恐かったのである。

 やはりカイユームは、怒ってさえいなければ臆病なのが平常運転であった。

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